スパイスは程ほどに
「ごめんね、遥ちゃん!今度、絶対にお礼するから!千景さんも!」
「はいはい。時間大丈夫なの?監督さん」
「あっそうだった!じゃあいってきます!」
バタバタと出て行ったいづみさんの背を見送り、広い玄関に残されたのは私と―――千景さんの2人だけ。
今日は休日だというのに珍しく、劇団員のほとんどが出かけている。残っているのはゲームをしている至さんと、締め切りが近いんだと言っていたアリスさんくらいだと思う。あと私達。
「ええっと、…とりあえず買い出しに行きますか?」
「そうだね、準備をしてこようか。また玄関集合で」
「わかりました」
ひとまず、出かける準備をする為に一旦解散です。
さて、何故彼と2人で出かけることになったかと言いますと…事の発端は今朝早くにいづみさん宛にかかってきた電話だ。相手は知り合いの劇団の主宰の方だったらしいんだけど、どうしても人手が足りなくて困ってるから手伝ってほしい、という用件だそうで。
今はちょうど脚本家でもある綴くんのネタ出し期間だからウチはそこまで忙しくないので、いつものいづみさんなら即決で「手伝いに行きます!」って返事してたと思うんだけど…私と買い出し+食事に行く予定だったんだよね。実は。前々から行ってみたいスパイスのお店とカレー屋さんがあって、そこにつき合ってほしいって。用事もなかったからOKしたんだけど、まさか当日の朝にそんな電話がかかってくるとは思わないよね。
とはいえ、私との約束が先だったもののこっちを優先するより、知り合いの劇団のピンチを救う方が優先されるべきだと思うので行ってきてください、と伝えたものの…いづみさんは出ていく寸前までずーっと謝りっぱなし。そんなに気にすることないのに、とは思うけど、仕方ないのかなぁ。
まぁ、カレー屋さんはまた後日でいいとしても、どうしても足りないスパイスがあるそうでその買い出しだけは今日お願いしたいって言われまして。でも私自身、スパイスには全く詳しくない。むしろ全然わからないんですよ!そこで白羽の矢が立ったのが、仕事がお休みで寮にいた千景さんというわけである。スパイス作りが趣味だから、色々と詳しいんだそうな。
(って言ってもなぁ…私、まだ千景さんとそんなに話したことないんだよね)
春組に新しい劇団員として入り、公演も終え、出会ってからそこそこの月日は経っているものの、実はまだそんなに交流が多いわけではない。話を全くしたことがないわけではないし、仲が特別悪いというわけでもないし、もちろん千景さん自身がMANKAIカンパニーに馴染んでいないというわけでもない。
どれも当てはまらないんだけど、何となくそこまで積極的に絡んでいないだけなのである。苦手意識があるわけでもないんだけれど、…どこか掴み所のないように見えるんだよね。近寄りがたいというかなんと言うか。そんな人と2人で車で遠出とか大丈夫なのかな…そんなに会話が得意なわけじゃないぞ、私。間がもたない気がする。ガチで。でも行かない選択肢はないので、行きますけれども。
「あれ、俺の方が遅かった?ごめんね」
「いえ、そんなに準備するものがなかっただけで…」
「そう?待たせてないなら良かったけど」
行こうか、とにっこり笑う千景さん。その笑顔にへらっと笑みを返すけど、どこか引きつってそうでやだなぁ私。上手く笑えてない気がする。それをツッコんでくるような人ではないと思うけど…ううん。
とりあえず置いていかれることのないよう、スニーカーを履いて彼の背中を追う。後部座席に乗ろうとしたのに、助手席に来なよって言われて動きを止めた私は悪くないと思う。断じて。
「千景さんの車の助手席に乗るとか、ファンの人に見られたらえっらい誤解与えそう…」
「へぇ?そういうの気にするタイプなんだな、遥も」
「いや、私のこと何だと思ってます?」
「気を悪くさせたなら謝るけど、でも割とメンタル強いだろう?」
まぁ、劇的に弱いわけではないと思うけど…幼なじみとその親友がかつてヤンチャしてたし、そのおかげで割と強くなった方だと我ながら思ってはいますけれども。でもそれとこれとは話が別なんじゃないですかね?多分。
そう反論したけれど、根本は一緒だろ?と言われてしまいました。一緒、なの、か…?考えてみたものの、答えは出なさそうだったので放棄しました。あれだ、気にしたら負けってやつだ。うん。
「そういえばカレー屋にも行く予定だった、って監督さんは言ってたけど…」
「ああ…これから行くスパイスのお店がカレー屋も始めたそうで。それで行ってみたい、って。…あ、次の信号左です」
「わかった。…なるほど、スパイスの店が手掛けるカレー屋か」
「千景さんも興味がおありで?」
「興味はあるよ。遥が良ければ、昼はそこで食べていかないか?」
本格的なカレーかぁ…まぁ、元々いづみさんと食べに行く予定だったし、構わないか。断って寮に戻った所で、お昼ご飯はないしね。
いいですよ、とマップアプリで道を確認しながら答えれば、視界の端に口角を上げて嬉しそうにしている千景さんが映ったような気がした。今の笑顔は、あまり胡散臭いと感じない…本当に嬉しそうな笑顔って感じがしたかも。胡散臭いっていうのもかなり失礼だけど。
「その道を左に入って、道なりに進んでいけば左手側にお店があるそうです」
「駐車場は完備されてるんだっけ」
「はい、そんなに数はないそうですが…近くに第二駐車場もあるし、そこもダメならコインパーキングもあるみたいですね」
「なら、そんなに心配しなくても大丈夫かな」
心配しなくても大丈夫そうです。道を確認しながら会話してるので、結構生返事をしている気はするけど許して。
…お、あれかな…いづみさんが行きたい、と言っていたスパイスのお店とカレー屋さんは。ちょうど良く空いていた駐車スペースに車を停め降りてみると、ふわりとカレーのいい香り。何でカレーの香りって空腹を誘うんだろうな…不思議だ。
「無条件でお腹空く香りですよね」
「昼時でもあるしね。先に食べてから買い物するか?」
「…千景さんも空いてるなら、先に食べてもいいですよ」
「じゃあ食べに行こうか」
いづみさんご所望のスパイスはまた後で。隣接するカレー屋さんのドアを開けてみると、さっきよりも香りが強くなってお腹鳴りそう。休日のお昼時だからもっと混んでるかな、と思ったけれど、店内はまだそこまでお客さんは多くなさそうだ。これから増えるのかもしれないけれど。
窓際の奥まった席に通され、メニューを広げてみるとたくさんの種類のカレーが載っていた。あ、すごい辛さも選べるんだ。5辛ってどのくらいなんだろ…まず基準の辛さがわからないから、5が辛いのかどうなのかもわからない。でも普通に考えれば結構な辛さだよな?うわ、種類によっては10辛まであるし。
「へぇ、10辛なんてものもあるんだね」
「みたいですね。でも基準の辛さがわからん…」
「本格的なカレーみたいだし、辛いのが苦手なら2辛や3辛がいいんじゃない?」
ほほう…なら、チキンカレーの3辛にしてみようかな。千景さんはキーマカレーの10辛にするそうです。それを聞いた瞬間に顔が引きつったのは仕方ない、見逃してください。だってそんなフルスロットルでいくと思わないじゃん?!
…あ、でも辛いものが好きなんだっけ千景さんって…臣くんが彼の好みの辛さを研究してたけど、どれもこれもまだまだ辛くて大丈夫って言われてた気がする。どれくらいの辛さまでいけるんだ、この人…。
「そういえば、遥と臣ってつき合ってるんだって?」
「え?ああ…はい、そうですね」
「…もっと驚くかと思った」
驚かせたかったんですか、貴方は。ジト目でそう返してみれば、そういうわけではないけれど単純にビックリすると思ったんだ、と言われた。まぁ…千景さんには話してないからね、ビックリしてもおかしくないんだろうけど別に臣くんとつき合っていることを隠しているわけでもないし、知っている人達に口止めをしているわけでもないから。どこから話が伝わっていてもおかしいことではないでしょう。特に同じ屋根の下で暮らしているなら、尚更。
つき合い始めてそれなりの時間が経っているわけだし、多分、ほとんどの人が知っていると思って間違いないだろうし。ほとんどっていうか、全員?
「わざわざつき合ってるんですーなんて、普通言わないでしょう。聞かれたら別ですけど」
「まぁ、それもそうか」
この話題はここまで。その後は何てことはない世間話をぽつぽつとしていると、頼んでいたカレーが運ばれてきた。わ、スパイスの香りがすごい…!これはいづみさんがとても喜びそう。写真撮っておいてあげようかな、こんなのでしたよーって。
内装も、と思ったけれど、それはホームページを見れば載っているし、実際に見た方がきっといいだろう。カレーの写真だけを撮ってから早速ひとくち。お、辛いは辛いけど…これは後引くというか、美味しく頂ける辛さだなぁ。
「美味しい…!」
「うん、スパイスが効いてていいね」
「…ちなみに10辛ってどんなもんなんです?」
平気そうな顔で食べている千景さんを見て、好奇心が湧いた。彼が食べているのはどのくらいの辛さなんだろう、って。怖いもの見たさって感じだよね、こういうの。多分、食べたら食べたで後悔するような気もしてるんだけど…好奇心には勝てない時もあるんだよ、人間は。
私の問いかけに一瞬だけきょとんとした表情を浮かべたけれど、すぐににんまりと笑みを浮かべて「食べてみる?」とカレーが入っている器を持ち上げた。これはー…本気で言ってる?それとも冗談?じっと表情を観察してみてもイマイチわからない。
「食べないの?」
「え、あ、…じゃあ少しだけ」
カトラリーケースから小さなスプーンを取り出して、千景さんが頼んだキーマカレーを少しだけ頂戴する。見た目は普通だ…まぁ、カレーだし。唐辛子とかが入っているわけでなければ、色が赤いなんてことはないか。
そのまま口に入れれば、何てことはない普通のカレー……と思ったのは、最初だけ。すぐにビックリする程の辛さが襲ってきて思わず噎せた。
「かっ…………ら!」
「あれ?そんなに?美味しいと思うんだけどなぁ」
いや、うん、美味しいんだとは思いますよ?きっと。でもダメだ、私はダメだこれ!
水を飲んでみてもまだ口の中はヒリヒリしてる。うっわ、ほんとかっら!これ!!ひとくちだけ、それもほんの少量だったはずなのに額には汗が浮かんでいる。
なのに千景さんはそれを何でもないような顔で黙々と食べ続けているんですけれども。汗をかいているような様子もなくって、本当この人の味覚とかってどうなってんの?不思議で仕方ないんだけど。ピリピリとした痛みを感じる舌をべ、と出して、どうにか痛みを逃がそうとしていると、千景さんがふっと笑みを浮かべているのが見えた。
「遥はころころと表情が変わるね、聞いていた通りだ」
「うわ、誰に聞いたんですか、誰に…」
「綴と真澄、それから夏組の子達とか」
「想像以上に多かった。そして真澄くんが意外過ぎる」