灰色の自覚
ランドル様から報酬を受け取った次の日。我が主から"タウンハウスの管理"を頼まれた王子とアグニさんは、ロンドンへと旅立っていった。
ようやく訪れた静かな時間。主もホッとしたようで、今まで滞り気味だった仕事や勉強を次々と片付けている。邪魔されることもなくなったからね、王子に。
まぁ、静かと言っても使用人'sの失敗がなくなったわけじゃないから…うるさいんだけど。やっぱり。それでも、昨日までの騒がしさとはまた違う。爆発音や食器の割れる音etc...これらが響くのは、最早日常なんだよね。
「ん〜〜〜〜…っ!」
セバスから頼まれた仕事を早々に片付けた僕は、少しだけ中庭で休憩中。今日は天気も良いし、絶好の日光浴日和だなぁ。よく手入れされてる芝生にゴロンと寝転がってみれば、陽の光によってほど良く温まってて気持ちが良い。体に降り注ぐ陽の光で更に温かいし…このまま寝れそ…。
ゆるゆると落ちてくる瞼、襲い掛かってくる眠気。それに逆らうことなく、意識を飛ばしかけた時。ふっと顔の上に影がかかった気がした。ついでによく知っている気配。よく知っている…優しい声音。
―――全く…こんな所で堂々とサボリですか?
「クロード」
「ん…セバス…?」
ゆっくりと瞼を開ければ、困ったように笑いながら僕を見下ろしているセバスの姿。仕事中に僕の姿を見つけたのだろうか?ジャケットは着ていなくて、シャツの袖も捲って留めてあった。
陽の光を後ろから浴びて、キラキラと光る漆黒の髪。それが何故か、すごく綺麗だと思った。セバスの正体は悪魔で、その実体は醜悪だと聞く。綺麗、なんて単語からは程遠い存在かもしれない。だけど―――――
「綺麗…だな、セバスのその…漆黒の髪」
「髪、ですか?」
「そう…陽の光が反射して、キラキラして…すげー綺麗」
一瞬、きょとんとした表情を浮かべたけど、すぐに笑顔に戻った。でもいつも主や使用人'sに見せてるような余裕綽々な笑顔じゃなくて、たまーに見せてくれる優しい笑顔。僕と2人の時は…何でか少しだけ優しいんだ。普段じゃ見せてくれないような顔で笑ってくれるし、言動も…柔らかい(皮肉っぽい時もあるけど)。
そんなセバスを見る度に、心臓が跳ねる。顔に全部の血が集まってるんじゃないかってくらい熱くなるし、ドキドキは止まらない。他の皆には見せていない表情を見せてくれるのが、とてつもなく嬉しい。
それが何なのか、最初はわからなかった。ずっと独りで生きてきて、両親からもらった愛情や温もりなんて…当の昔に忘れていて。誰かを愛するなんて気持ち、知らなかったんだ。そんなこと、誰も教えてくれなかったからね。だから―――最初は本当にわからなかったんだよ。"好き"って気持ち。
「何を、考えてるんですか?」
「うん?…くだらないことだよ、きっと」
体を起こして立ち上がろうとしたら、勢い良く腕を引かれて再び芝生に逆戻り。…地味に痛いんだけど。頭とか背中とか。恨みを込めてじとりと睨めば、にっこりと笑みを浮かべられた。う…そんな顔されたら…怒れないじゃんか。
諦めたように溜息を1つ吐けば、腰に腕が回されてギュウッと抱き締められた。此処。ファントムハイヴ邸の中庭だってこと、セバスはわかっててこの行動を起こしてるのか?誰が来るかわからない場所だってのに…!そ・れ・に!僕、男の格好のままなんだけどなぁ。こんな所、誰かに見られたら絶対に騒ぎになるじゃねーかよ…そんなの勘弁なんだけど。本当に。
「誰かに見られたらどうすんだよ…絶対に騒がれるだろうが」
「騒ぎたい人には騒がせておけばいいでしょう?私は悪いことをしているつもりなど、思っていませんからね」
悪い、こと…確かにセバスの言う通り、悪いことなどしていないと…思う。でも僕が言いたいのはそういうことじゃないんだけどなぁ…なーんて、考えながら。
…本当に嫌なら…押し退けてしまえばいい。僕だってそれなりの力はあるし、本気で嫌がればセバスだって腕をほどいてくれるはずだから。それは―――わかってるはずなのに。敢えてそのままにしているのは。
「(やっぱり…"そういうこと"…なのかなぁ)」
ずっと…逃げてきたんだ、この気持ちから。セバスの僕に対する想いからも、全速力で逃げて。いつか、諦めてくれるって思いながら目を逸らし続けてきた。本当はもっと前に気が付いてたんだよね。自覚したくなかっただけで。自覚してしまったら―――僕の存在がセバスを壊してしまうから。
「ところでクロード」
「何さ」
「カリーの品評会も終わりました。…勝ちましたよ?貴方の言う通り」
「勝てと言ったのは主だろう?僕は別に―――」
「いいえ?貴方も言いましたよ、しっかりと。そして私が勝った時には―――…アリスの全てを私に、と」
―――ドクンッ…
赤い、紅い双眸の瞳が僕を貫く。偽りの名ではなく、本来の……あたしの名を紡ぐ唇。その欲情した瞳に、その甘い声色に心臓が跳ねる。ドクドクと今までにないくらいに鼓動が早くて、息が止まりそうになる。
あぁ、もう彼から逃げられない。捕まらないように、していたはずなのに。
「セ、バス…」
「さぁ…私の手を取って、堕ちてきなさい―――アリス」
スルリと頬を滑る指。手袋を外したその手は、驚くほどに冷たいのにそれすらも心地良い。
「…アリス?」
「あた、しも…好きよ…セバスチャンが。きっと、あの日からずっと」
「クス…その言葉を待っていましたよ」
そう…貴方から想いを告げられたあの日から。きっと、ずっとあたしの中を占めていたのは"セバスチャン・ミカエリス"という悪魔の存在だけ。大切に想ってきたのは主だけだったはずなのに、気がつけばそれを上回っていたの。
主のことは今でも大切。何が起きようと、必ず最期まで傍にいる。それがヴィンセント様とレイチェル様との約束でもあるし、あたし自身の彼への誓いだから。だけど―――
「好き、貴方のことが好きなの…好きで、好きで仕方ない…っ!」
「私も好きですよ。…誰よりも、何よりも愛おしい」
「けどっ…あたしにとって主は、シエル様は―――」
スッと、人差し指で言葉を遮られた。
「それで構いません。我が主が願いを叶えるその時まで、貴方は貴方の思うように動けばいい」
「あたしの、思うように…?」
「ええ。貴方の一番は、坊ちゃんでしょう」
「う、ん…一番大切。最期まで彼を、約束を、誓いを守り通したい。必ず」
「ですから、それを」
「い、いいの…?」
「私も坊ちゃんと契約している身ですからね。坊ちゃんの最期の時まで、私もあの方の傍にいる」
あたしを独占するのは、それからでも遅くないと…そう言ってくれた。時々見せてくれるあの優しい瞳と、声音で。
あぁ、やっぱり好きだ…今すぐ全てを投げ捨てて、この人に身を委ねたくなってしまう―――
「主が生きている限り、あたしの一番は彼だけど…でも心の半分は貴方のモノよ?だけど―――」
想いが通じ合った今だけは、あたしの全てを貴方にあげる。だから、貴方の全てをあたしにちょうだい。
今宵だけでいい…セバスをあたしに刻み付けて―――――