走る灰色


カリー品評会も終わり、ロンドンから本邸に帰ってきた僕達。それからはそれなりに平和な日々が続いていた。陛下から次の事件の依頼はきているけれど、ね。とりあえずは。


「坊ちゃん、お目覚めの時間ですよ」
「今日もいい天気だよ、主」


カーテンを開けて声をかければ、くあっと欠伸をもらしたものの、今日はすんなりと起きてくれました。うん、ぐっすり眠れたみたいだね。良かった。
ベッド脇に腰を下ろした主に、新聞とセバスが淹れてくれた紅茶のカップを手渡す。


「本日はハロッズのホワイト・ダージリンを」
「やはり本邸は落ち着くな」
「それは良かった」


紅茶を一口飲んで、ホッとしたような主。元々、ロンドンの街屋敷(タウンハウス)より本邸(こっち)の方が、のんびりできて落ち着くって言ってたっけ。
ロンドンは人も多いし、招かれざる客も来るからねぇ…。こっちでも仕事や勉強はあるし、のんびりできるとは言えないんだけど…多分、気持ち的に違うんだろうね。


「クロード、今日の予定は?」
「あぁ、はいはい。えーっと…午前中はまず、新商品の企画書の確認。あ、新しく立ち上げた食品部門からヒンドスターニー・レストランに建設費用の見積もりも届いてます。午後はピアノレッスンにブライト夫人、フランス語のレッスンにはロドキン夫人が来ますよー。…夕方6時過ぎには、市警(ヤード)よりランドル様が…」
「…一気に暗い雰囲気になったな、お前。この間のインド帰り(アングロ・インディアン)事件報酬の件か」
「ま、そういうことですね」


飲み干された紅茶のカップ、読み終えてベッドに放置されている新聞を片付けつつ、頭の中に入れておいた今日の予定を並べていく。ちなみに主は、セバスと共に隣の部屋で着替え中。 


「本日のおやつは何に…」

―――ドドドドド…

「…何だ?」
「はあ…朝っぱらから…」


ものすごい勢いで走る音と、

―――ばんっ

ものすごい勢いで扉が開く音。
いい加減、うんざりしてくるよなぁ。毎日、こんな感じだと。溜息を1つ吐いて、開かれた扉に目をやれば…そこに立っていたのは、予想通りの人物。何故かロンドンから引っ付いてきてしまった我が侭王子様。


「シエル!!シエル!!あの四角い箱は何だ?!中に人がいるぞ?!」
「四角い箱…?」
「さっきは杖(ステッキ)で悪者をバッタバッタと倒す男がいてな!!」


あぁ、四角い箱ってテレビのことか。杖(ステッキ)で悪者をなぎ倒すのは、『暴れん坊伯爵』のことだな。
テレビを見たこともなかった王子は、さっきから興奮しっぱなし。目を輝かせて、楽しそうに主に話してるし。…だけど、主はまだ起きたばっかりだ。起きぬけにこの五月蝿さは厳しいものがある。


「あー五月蝿い。朝から大声で騒ぐな!」
「それで?王子はいつまで英国にいるつもりなのさ」
「何言ってるんだ。俺はお前らのために英国に残ってるんじゃないか!」
「…は?」
「俺がいいって男になる言った時、口だけなら何とでも言えると言っただろ?だから本当にいい男になった所を、お前らに見せてやろうと思ってな」
「僕は知らないよ、そんなの」
「そんっ」
「王子〜王〜子〜」


ほんわかした声と共に現れたのは、王子の執事のアグニさん。何だかいつも彼の周りには、花が飛んでるように見えるんだけど。朝から爽やかだなぁ、アグニさんは。それとは対照的に、朝から大声を上げている我が主。
王子とアグニさんは結構、勝手に話を進めていくし…主の話は聞きやしない。特に王子の方はね。


「はあ…クロード、仕事に戻りますよ」
「え、いいの?これ放っておいて」
「構いませんよ。さ、今日もやることは山ほどあるんですからね」
「へいへい…夕方にはお客様も来るしね」


いまだにギャーギャーと言い合っている主達を残し、セバスと僕は部屋を出た。主の部屋を出て、使用人の控え室へ向かうと…すでに4人は揃っていた。中に入ると、いつも通り手を叩き、3人に指示を出していく。

メイリンさんは表階段の手摺の掃除。
フィニは中庭の木の雪落とし。
バルドさんは晩餐のスープ用の鶏を捌くのを。
んでタナカさんは―――…まったりとお茶を飲んでゆっくりと。

毎度のことだけど、いいのかなぁ?コレで。どこから持ってきたのかはわかんないけど、七輪っていうやつで餅を焼いてるし。香ばしくていい匂いだな…お茶の香りもするし。


「それで?僕は何をすればいいのさ」
「クロードは坊ちゃんの部屋と、客間と応接室の掃除をお願いしますね」
「……多くね?」
「もっと増やしましょうか?」
「スイマセン!喜んでやらせて頂きますっ」


睨まれるのも怖いけど、にっこり笑われるのはもっと怖いわっ!!!だけど、僕だけ割り振りが多いのも事実だろ?3人は1つずつしか言われてないのに…。それもランドル様が来るまでに全部こなさなきゃいけないわけだろ?でもまぁ、昼食やおやつの準備をしないでいいんなら…終わらせることは可能か。


「ああ、そうだ。いつも通り、昼食やアフタヌーンティーの準備は手伝ってくださいね?」
「セバスの鬼っ悪魔!!!」
「何とでも言いなさい。真面目にやればそのくらいこなせるでしょう、貴方の仕事の出来なら」
「……スイーツ1つ」
「はい?」
「仕事終わったらスイーツ1つ。残りもんでいーから」


ちょっとだけなら我が侭言っても構わないよな?わざわざ僕のために作らなくていい。残りもんがもらえれば。そのくらいの楽しみがないと、この気分は上げられないんだよ。


「クス…珍しいですね?貴方から要求してくるのは。まぁ…いいでしょう」


他の人達には聞こえない程度に呟いた言葉に、セバスもこっそりと返してくる。…ま、耳元で喋らなくても聞こえるんだけど。
セバスも僕も、人間より耳がいいみたいだから。普通なら聞こえないような音や声も、バッチリ聞こえる。便利なのか不便かは、自分ではよくわかんないけどね。これが"普通"だったから。


「んじゃ、いつも以上に頑張ろうかな」
「そうしてください。…いいですか、皆さん。決して無駄に張り切って余計な事はしないように。指示された事だけ…」

―――ガチャッ

「アグニさん」
「私もこのお屋敷にご厄介になっている身。どうぞ何なりとお申しつけください」
「あれ?王子は?」


1日のほとんどを一緒に過ごしている王子とアグニさん。だけど、今は一緒にいる様子もない…どうしたのかと思って聞いてみれば。どうやら、主が貸したテレビに王子は夢中になっているらしい。そういや…朝も開口一番にテレビのことを話してたっけな。
ってか、王子が玩具(テレビ)に夢中なうちに今日のスケジュールをこなすつもりなんだろうねぇ。主も少しは考えたもんだな。それなら仕事とかに集中できるわけだし。


「では、窓の拭き掃除をお願いできますか?私より背もお高いですし」
「はいっ!!お任せください!」
「では皆さん。持ち場についてください」
「はーい」


セバスの指示を受け、各自の持ち場へ行くため部屋を一斉に出て行く。
さーてと!僕もさっさかと掃除を済ませるとするか…まずは主の部屋からだな。さすがにもう、自室にはいないだろうしね。あの方も。タナカさんに勧められたお茶を一杯だけ飲んで、僕も仕事に取り掛かることにした。

―――――時刻は、午前10時。主は今頃、書斎で新商品の企画書の確認とかしてんのかな。そんなことを考えながら、念入りに掃除をしていく。
一日のほとんどを書斎で仕事をしながら過ごしてるとはいえ、やっぱり自室は一番くつろげる空間だろうからさ?出来るだけ快適に過ごせるように…綺麗にしておいてあげたいんだ。さすがに汚れてる部屋でくつろいだり、休んだりはしたくないだろうしね。


「よしっこれで主の部屋の掃除は終了っと。次は―――…客間かな」


掃除道具を持って、次の掃除場所へ移動している途中…ふっと窓の外に目を向けたら。雪落としを頼まれたフィニと、窓の拭き掃除を頼まれたアグニさんが中庭にいた。
恐らく届かなかったんだろう。アグニさんに肩車をしてもらって、高い木の雪落としをしている。木を折っているようには見えないし、作業も順調に進んでるみたいだな。心配はなさそうだし、自分の仕事に戻るか。





「っと…そろそろ厨房に行って、昼ご飯の準備を手伝わないとな」


客間の掃除が終わりに差し掛かった頃。何気なく見た時計の針が、昼食の準備の時間だと教えてくれた。ひとまず掃除は一旦、終わりにして…厨房に移動するか。厨房へ足を向けると、バルドさんがいるであろう場所から煙がもくもくと出ていました。これはまーた爆発させちまったんだろうな。
時間だけど―――このまま放っておくのも嫌だし、片付けの手伝いをしてから行くか。そう思って中を覗いてみれば、バルドさん1人ではなかった。


「鶏ガラスープは時間をかけて、ゆっくり煮込んだ方が美味しいですよ」
「あー…頭ではわかってんだけどな」


少し前のフィニのときと同じで、此処にもアグニさんがいた。彼がいるのなら…此処は大丈夫かな?きっと。





昼食の準備も終わって、掃除の続きをしようと階段近くを通りかかった時。メイリンさんとアグニさんを見かけた。
…てか、階段の手摺が真っ黒…また靴墨と仕上剤(ワックス)を見間違えたんかな?


「靴墨と仕上剤(ワックス)、見間違えてしまったですだ…」
「このくらいだったら、すぐに落とせるよ」
「クロード殿!」
「あわわわっすいませんですだ、クロードさんっ!!!」


そんなに怯えなくても…。


「大丈夫だから。…靴墨を落として、仕上剤(ワックス)塗れば問題ないし」
「はっはい!すぐにやりますだ!」
「私も手伝いますから」


僕も手伝った方がいいんだろうけど、まだ掃除が残ってるからね。そのまま2人に任せて、再び掃除に取り掛かった。





「え?今なんと…」


夕方にお見えになるランドル様の為に、晩餐の準備の途中。セバスの言葉にアグニさんが驚き、固まっていた。


「アグニさんはお客様がいらしたら、屋敷内を出歩かないようにして下さいと言ったんです」
「な、何故ですか?」
「今日のお客様は、警視総監のランドル様って人なんですよ。ちなみに、インド帰り(アングロ・インディアン)逆さ吊り事件の責任者でもある」
「!!もしや、私を捕まえに?!」


驚きに目を見開いているけど、この屋敷に来るのはそんな理由じゃない。そもそもあの事件の犯人は、誰も知らない。公になどしていないんだからね。だから安心していいんだけど…アグニさん自身は納得していないみたいだなぁ。
根が真面目な人だから、命令されたとはいえ全ては自分がしたことだから、と。然るべき処で裁かれて、罪を償うべきではないかと思っているようで。うん、確かにね。アグニさんのやったことは罪だとは思う。でも、さ?


「今、アグニさんがいなくなったら王子はどうするんですか?」
「!!」
「ソーマ様のお傍でお仕えするという約束を破るのですか?」
「し、しかし」
「全ては終わった事…そして事件は二度と起こらない」
「あとは私共に任せて、貴方は部屋へ。…いいですね」


準備もある程度終わり、アグニさんを王子がいるであろう部屋へ戻るように告げる。大人しく部屋に行ってはくれたけど…ランドル様が来てもそのままでいてくれるだろうか?
何だか一騒動起きるような予感がするのは、僕だけ?それとも考えすぎか?何も起こらないのが一番なんだけどねぇ。


「…念の為、アグニさんと王子のこと縄で縛っとく?動けないように」
「あれだけ言っておいたんです。そんなことせずとも、大人しくしてくれることでしょう」
「それならいいんだけど―――…アグニさんって生真面目だからなぁ」
「……ずいぶんと気にかけてらっしゃるんですね?アグニさんのこと」
「気にかけてるっていうか…主に迷惑がかかるだろ。とばっちりはごめんだからさ」


別にアグニさんが自首しようが、王子がどうなろうが…本当はどうでもいい。ただし!主が巻き込まれないなら、が前提にあるけれど。だけど、今回は主が巻き込まれてしまう。所謂、とばっちりってやつだ。それが嫌だから自首はするな、アグニさんがいなくなったら王子はどうなるって話をしたまでで。…まぁ、少しは…本音でもあるんだけどさ。
出会った頃よりいくらかマシになったとはいえ、王子は色んなことがまだまだお子様だ。アグニさんがいなくなったら、生きていけるとは思えない。それに…お互いが、お互いを必要としてるのは明らかだったからね。


「貴方は優しいんだか、優しくないんだか…よくわかりませんね?」
「うん?優しくは、ないんじゃないか?どうでもいいのは事実だし」
「けれど、ソーマ様の身を案じてるのも事実…なのでしょう?」
「あー…否定は…しない、かな」


自分でも矛盾してるなーとは思ってるんだけどな。


「でもやっぱり、主のことが一番だねー僕は」
「まぁ…そういうことにしておきましょうか。…残りの準備を済ませてしまいましょう、もう時間がありませんからね」


そう言われて、セバスが手に持っている懐中時計を覗き込めば…時刻は夕方5時過ぎ。ランドル様が見えるのは、夕方6時。確かにもう時間がないな。さっさと準備を終わらせて、出迎える準備もしなきゃいけない。パチンッと懐中時計を閉じる音を合図に、僕達は残りの準備に取り掛かった。

準備の為にバタバタと走り回っているうちに、夕方6時。
もうランドル様がお見えになる時間だ。…僕にとっては憂鬱でしかない時間。それでも仕事だからしっかりとやるけどさ。セバスに怒られるのも嫌だし。


「私は悪霊の巣(ファントムハイヴ)などに来たくもないのだ!!」


馬車が止まる音が聞こえて、主の身なりを整えて廊下を歩いていれば聞こえるランドル様の言葉。全く…その場に主がいないからって、好き勝手言ってくれるよねぇ。…ま、あの人なら主がいたとしても、同じようなことを言うんだろうけど。
階段に差し掛かると、何やら説教をしているランドル様とされている部下みたいな人の姿が見えてきた。セバスもいるけど……一体何をしてるんだ?確かあそこって、主が降りてくるまでの間に使う予定だった控え室だったはずだけど。気になって全神経を集中させてみると―――


「いいですか。ここで貴方が自首すればソーマ様はおろか、坊ちゃんにまで多大なるご迷惑をかけることになります。分かりますね?」


なーるほど。そういうことか。大人しくしててくれって、あれ程言ったのにね。やっぱり縄で縛っておくべきだったか。
そんなことが起きているとは、主は知るはずもなく。階段を降りながらランドル様に声をかける。幸いながら、セバスのすぐ傍にいた2人も彼の不自然な行動には気づいてないみたいだしね。


「これはこれは警視総監殿。ファントムハイヴ家へようこそ」
「晩餐の準備が出来ております。こちらへどうぞ」


舌打ちをするランドル様には気づかないフリ、にっこり笑顔も忘れずにっと。
晩餐の準備をしてある部屋まで続く長い廊下。僕とセバスは主達の前を歩き、主はランドル様と会話をしている。いっつも思うけど、この2人の会話は…何故か攻防戦みたいなんだよね。まぁ、絶っっっっっ対に相容れない2人だから、そうなるのもおかしくないけれど。


「本当は僕などと食事したくないだろうが、代々こうしてきたしきたりだからな」


ほら、ね?大体吹っかけるのは主からが多いけど、それに大人げもなく言い返すあっちもあっちの気がするけどさ。


「珍しく供をつけてるが、後継者候補か?貴殿もそういう年になったんだな」
「貴様が事件現場に現れなければ、こいつは何も知らずに済んだのだ」


…あぁ、インド帰り(アングロ・インディアン)逆さ吊り事件の現場に行った時のとか。まーたずいぶん前の話だねぇ。


「僕としては別に知られても構わないんだが、この関係がばれて困るのはそちらだろう?」


足を止めて、不敵な笑みを浮かべて振り向く主。正論を述べる主にランドル様は言い返すことが出来ぬようで…ぐっと唇を噛み締め、口ごもる。
再び歩き出そうとした時、僕達がさっき入ってきた扉が開き、アグニさんが現れた。あんのバカ…っ!どうにかしなければ、と動き出そうとした時。

―――バァン!!

セバスがもんのすごいスピードで扉を閉めた。


「申し訳ありません。ドアが開いておりましたので…」
「建て付けが悪いみたいで…失礼致しました」
「なら、すぐ修理しておけ」
「「は」」


とりあえず、この場はセバスに任せてまた歩き出すことにした。こんな所で止まっていても仕方ないしね?
それにしても…この後も気を抜いてらんないな。いつ、何処からアグニさんが現れるかわかったもんじゃない。そんな中、のほほんとした声が聞こえた。


「いやぁ…しかし、豪華な回廊ですね。絵がたくさん」
「ふんっこんな陰気な絵ばかり飾りおって!!まさに悪霊の巣だな!」
「(んじゃ、来なきゃいいのに)」
「クロード、顔に出ていますよ」
「…マジ?」
「ええ」
「これは!ハムレットのオフィーリアじゃないですか!作家は…ミレイ、でしょうか?」
「正解だ。ラファエル前派は好きか?」
「はい!抑えた色に雰囲気があって…」
「「?!」」


ふっと目線を向けた先にいたのは、窓から覗いているアグニさん。それに気づいたのは、僕とセバスだけ。主、ランドル様、部下の方は窓に背を向けて、絵画について話をしていたので気づいてないようだし。その間に急いでカーテンを全て閉め、扉を開けた。


「「皆様、こちらでございます」」
「食卓の準備はすでに整ってございます」
「?!」


問題が発生していた廊下も無事に抜け、ようやく安心できると思いきや。廊下を抜けた先で、またもや問題が発生しました。

王子。

部屋にいるかと思いきや、二階の廊下をのーんびり歩いていた。それだけならまだ見つからない可能性もある。王子もこっちに気づいてな…


「おーい、シエルー」


ああもう!大声を上げて、手を振り始めやがった!!!


「あの箱は飽きた!一緒にカードゲー…」

―――バッ

「ムッ」


焦った瞬間、セバスが二階まで飛び上がり王子の口を塞いだ。
…うん、王子はセバスのことが苦手だからすぐに静かになってくれるはずだ。言う事も聞いてくれるだろうし。僕は主達を部屋に案内するとしようか。


「さ、こちらへどうぞ?」


目的地まであともう少し。ホッとしたのも束の間…さっき閉めたはずの扉が、ガチャリと開いた。もうここまでくると見なくてもわかる…絶っ対にアグニさんだ。彼しかいない。
主達もまだ扉を通ってはいなかった。当然、扉が開いた音に気づいてそっちに視線を向けた―――その時。屋敷内を照らしていた明かりが突然消え、辺りは暗闇に包まれる。


「(セバスの仕業だな…ま、その方が好都合だ)」


この程度の暗闇、僕にとっては何て事ない。闇に乗じてそっと主達の傍を離れ、行動に移した。


「何だ?!どうした?!」
「あわわわわっ真っ暗です、ッ怖いよーッ」
「貴様、刑事として恥ずかしくないのか?!」


―――ガタッ
―――ダンッ
―――ドサッ

…何だかドタバタと騒いでるなぁ…。
アグニさんを縄でグルグル巻きにして、取って来た蝋燭に火を灯せば…辺りは仄かに照らされる。部下の方がランドル様に抱きついてる、面白い光景も見れました。


「申し訳ありません。火が消えてしまったようです」
「風か何かか?クロード、セバスチャン」
「ええ。風ではない何かか…と」
「?」
「食堂はあちらです。参りましょう」


そう促すセバスの横顔に視線をやれば、わずかに笑みを浮かべ

―――shh...内緒、ですよ?―――

そう唇が形作った。口元に人差し指を当てて。


「…はいはい」


理解した言葉の意味に、やっぱりなと思いながら返事をする。
納得したように笑ったセバスを横目に、前を歩く主達を追った。いくつかの問題を潜り抜け、ようやく目的の食堂に辿り着いた。此処まですんげー長かった気がするぞ。今日は。お客人の2人を僕が、主をセバスが席に案内。一息ついたところで主が口を開いた。


「…さて、腰を落ち着けた処で本題に入ろうじゃないか」
「そうだな。私もこんな不気味な犬小屋にいつまでもいたくない」


ランドル様の一言に、ヒクリと顔が引きつったけど顔に出すとまーた怒られるから我慢、我慢…。
ランドル様から差し出された封筒。それをセバスが受け取り、主に渡した。ガサガサと封筒から一枚の紙切れを出して、1つ溜息をつきながら言葉を紡ぐ。


「…ま、あの程度の事件だしこんなものか」
「?!それは?!」


2人のやり取りを黙って見ていた部下の方は、目を見開き驚きの声を上げた。主が手に持っている紙は、小切手だから。


「後継者殿はまだご存知なかったか?警視総監は代々、女王のお使い役でね。わざわざ犬小屋までエサを運んでくれる」


ファントムハイヴは一般には秘密の特務執行機関。それゆえ、活動資金や報酬は国家予算に組み込まれていない。法的根拠がない、国民にも名言できない…そんな高額費用を工面してくれるのは他でもない。


「君達、警察(ヤード)だ。名目上は『ごほうび』かな。警察犬(バナービィ)と同じだ」
「そんな!!それじゃまるで裏金では―――」
「まるでじゃない。正真正銘裏金だ」


うろたえる様子もなく、堂々と「裏金」と認めた主に部下の方も閉口した。それだけで全てを理解できただろう。そう…全てを、ね。


「代々の風習だ…さあ今日は事件の解決を記念して、とびきりのシャンパンを用意した。一緒に祝おうじゃないか」
「しかし、犯人はまだ逮捕されて…」
「もういい、アバーライン。陛下とファントムハイヴが『終わった』と言うのだから、犯人はもう存在しないのだ」


ランドル様の言葉が紡がれると同時に、食堂の扉が勢いよく開いた。そこに立っていたのはアグニさん。思いっきり縄でグルグル巻きにしたのに、それすら抜け出してきたのか…この人は。簡単には抜け出せないようにしてきたつもりだったのに。
考えてもいなかった状況に主は目を見開き、ランドル様たちは頭に?を浮かべている。アグニさんが口を開き、自分が犯人だと名乗り出ようとした時…

―――スポーーーンッ

セバスがアグニさん目掛けて、シャンパンのコルクを飛ばした。見事に顎に命中ー…うわ、痛そう。


「おや…失礼。大丈夫ですか?」


セバスがそう問いかければ、顎を押さえてコクコクと頷く。多分、痛みと驚きで喋れないんだろうな。


「あーハラがへった…あいつらに見つかる前に何か…」

あ。

「何だ、こいつらは。しかも…インド人?」
「ランドル様、お騒がせして申し訳ありません」
「…主、もう誤魔化しきかないよ?」
「はぁ…仕方ない。 彼はベンガル藩王国王子ソーマ、そして従者のアグニ。英国文化を学ぶため、我が家に滞在中の 友人 だ」


はぁ…と溜息をついて、2人をランドル様達に紹介した。友人という主の言葉に嬉しそうな表情になった王子は、勢いよく抱きついていた。もちろんすぐにひっぺ剥がしたけどな。


「今回の事件解決において、数々の困難を共に潜り抜けた方達です」
「どうぞお祝いの席に同席する事をお許し下さい」
「では改めて、事件解決を祝して乾杯!」


あの後、無事に晩餐も終了してランドル様達もお帰りになられた。
うん?僕達?それは―――――


「申し訳ありません!!セバスチャン殿とクロード殿にも止められていたのですが、どうしても…!!」
「僕の関わりのない所でならお前が自首しようがどうでもいいがな、僕を巻き込むんじゃない!とばっちりは沢山だ」


王子とアグニさんは正座をして、主に説教をくらってます。何とか事を終えたから良かったけど、本当に主がとばっちりを受けてもおかしくない状況だったからね。溜息をつきながらも、嫌々ながらも、主が2人を友人と紹介してくれたのも助かったしさ。
それにしても本っ当!今日は疲れた…。お客様が来るからって、朝からずーーーっとこき使われてたし。僕だけいつもの倍以上の仕事量だったんじゃないの?それプラス、アグニさん達を誤魔化すのに必死だったし…。


「そうだぞ、アグニ。俺の親友に迷惑をかけるな。自首するのを禁ずる!これは命令だ!」


アグニさんは一瞬、驚いた顔をしていたけど主人の命令とあれば、背くわけにもいかない。素直に受け入れていた。これでようやく一段落だなぁ…。


「さて、親友であるシエル直々に滞在許可も出たことだし、寝るぞアグニ」
「はい」
「まだまだ此処に居座る気、満々だけど。どうするのさ」
「…わかった。僕の家に滞在することは許可してやる。ただし!!働かない奴は僕の家には置かないことにしてる」
「働く?王子の俺が?」
「そうだ。そのかわり、僕が給金を出してやる。つまりその金は、お前が働いて得たお前の金ということだ。親から自立したいい男になるんだろう?」


主からの提案を真剣に聞き、次第にパァ…と瞳を輝かせている。


「それもそうだな!!で、俺は何をすればいいんだ?」
「(至極、たんじゅーん…)」
「そうだな…アグニと2人でロンドンに行き、タウンハウスを管理してもらおうか。難しい仕事だ、誰にでも頼めることじゃない。できるか?」
「やるっ!!!任せておけ!!」


全くこの人は…タウンハウスの管理なんて、そんな難しいものじゃない。きっと誰にでも出来ることだけど―――王子のやる気を出させるために、わざとそんなことを言ったのかもね。疎ましがってる割には、結構王子のことを考えてるような気もするんだよね。


「これでしばらく静かに過ごせる……行くぞクロード、セバスチャン」
「はいはーい」
「御意」


いまだに何か騒いでいる王子達をその場に残し、僕達は部屋を出て行った。
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