灰色と晩餐会


それは、とある嵐の晩のこと。とある屋敷で起きた凄惨な事件を解決に導いた青年は、後にこう語った。

―――我々の想像を超えた『何か』は確かに存在しているのだ、と。





ドイツからのお客人をもてなす正餐会当日。招待したお客人が少しずつお見えになられる少し前から、ざあざあと雨が降り始めた。それは徐々に強さを増し、ついには強風までが吹き始め、文字通り嵐となりつつあった。
…とはいえ、雨如きでパーティーが中止になるわけでもないんだけどね。


「主賓がいないようだが?」
「この悪天候でご到着が遅れているようです」
「参ったな…このまま皆様をホールにお待たせするわけにも」
「主、お客様がご到着されました」


最後に到着したのは女王陛下からもてなしてほしい、と言われたドイツからのお客人であるジーメンス様。そしてお目付け役としてご参加されるグレイ様だ。グレイ様は女王陛下の秘書武官兼執事であるお方だったりする。何度かお会いしているけど、僕はどうもこの人が苦手だ。苦手、というか…嫌いな部類に入るかな。
今回の女王陛下からのご命令。グレイ様直々にお目付け役としてのご出席。…はてさて、どんな罠が張り巡らされているんですかねぇ。大体の予想はついてるし、調査もしてある。余程のことがない限り、大変のことにはならないとは思ってるけど、些か面倒なことにはなりそうな予感はしてるんだ。一筋縄ではいかないだろうし、この正餐会だってすんなり終わるとも思ってない。
何が起きるか―――見物、だよね。ふふ、こっそり楽しませて頂くとしましょうか。

さて、お喋りはこの辺にしておくとして。お客人を紹介していくとしましょうか。
まず主賓であるのは、ドイツよりお越しのゲオルグ・フォン・ジーメンス様。とある銀行の名誉役員らしい。
その隣にいるのはカール・ウッドリー様。ダイヤモンドの研磨を生業とする会社、ウッドリー社の社長さんなんだってさ。
んで、ウッドリーさんの隣にいるのがパトリック・フェルペス様。この方は造船会社の貿易課取締役員さんらしいんだけど、人が苦手なのか臆病な気質なのか…見ている限り、ずっとおどおどしてる感じなんだよなー。
そんで僕らはよく知っている劉様。上海の貿易会社「崑崙」の英国支店長だけど、…知ってる人は知ってるみたいだね。「崑崙」の名を。そんなに警戒しなくても大丈夫だと思うけどね?今の所は。
そして美男美女のコンビは、グリズムビー・キーン様とアイリーン・ディアス様だ。舞台演出家とオペラ歌手で、有名な方達らしい。僕はそっち方面には疎いからよく知らないけどね。しっかしまぁ、…ずいぶんと綺麗なお嬢さんだなぁ、アイリーン様って。お客人方が見惚れてしまうのも頷ける。
最後にご紹介するのはアーサー様。眼科医でありながら、小説家でもある方だ。ビートン誌に掲載されていた長編を主と僕が読んで気に入ってさー、それで今回の正餐会にご招待することになったんだよね。


「…あ、主、先生とお話してる。いいなー、僕も混ざりたい」
「何を馬鹿なことを言っているんですか。仕事をなさい」
「わーかってますよぉ」


それでも羨ましいのは羨ましいんだから仕方ないだろ!更に言えば、今は皆さんご歓談中で料理もひとしきりお渡しした後だ。全体を見渡してはいるし、仕事を放棄してるわけじゃないっての。


「ま、それは冗談としても…だ。気が付いてる?」
「ええ。あの視線…やはり調査結果の通りのようですね」
「だな。警戒しておくに越したことは―――…お?」


ガシャン、と何かが割れるような音。そして女性の声が食堂内に響き渡った。この声はアイリーン様だよなぁ?一体、何があったというのだろうか。
声がした方に視線を向けてみると、ちょうどアイリーン様がジーメンス様の顔にものすっごいキレのあるビンタを喰らわせているシーンでした。うわ、すっげぇ落としたし痛そうだなーアレ。…っと、これは少し雲行きが怪しい感じになってきていないか?
ジーメンス様が持っていたジョッキを傾けた瞬間、僕はセバスに目配せをしてアイリーン様の前に立ちはだかった。あーあ、全く…これだから酔っ払いは大嫌いなんだ。せっかくの宴の席なのにこういった問題を起こすんだもんね。あまり好き勝手やられるとこっちも困るからいい加減にしてほしいものだけど。でも主の護衛兼執事とはいえ、僕は一介の使用人だ。僕如きの言葉でジーメンス様とアイリーン様が反省して頂けるとは思えないし、何よりも失礼だよなぁ…どうしたものか。
ポタポタ、と滴り落ちる滴をこっそり舐めとりながら考えていると、凛とした少年の声が耳に届いた。


「宴の席です。僕と僕の執事の行動に免じて…どうかお二人共、今日はこの辺で」


いやいや、主?その言葉は僕にとっては嬉しいものだけど、お客人に向けるものにしては些か失礼にんりゃしませんか?!そう思いつつも皆さんの目の前でそんなこと言うわけにもいかないから、ぐっと口を紡ぎますけれども。一応、ジーメンス様もアイリーン様も落ち着いて頂けたようだしな。主の言葉によって場が治められたというのは確かかも。心臓にはめっちゃ悪いけど!
とりあえず、この滴り落ちる酒をどうにかしねぇと…一旦、この場を離れてタオルでも持ってこようとした時だった。場は治まったと思っていたのに、どうやら自分の恋人であるアイリーン様に気安く触られたことが気に入らなかったグリムズビー様が激高し、冷やしていたワインの瓶をジーメンス様に向かってぶん投げた。ああもう!どうしてこう、次から次へと問題を起こすのかなこの人達は!!せっかく主が上手く場を治めてくれたっつーのに…!
ジーメンス様のお近くには我が主もいるんだ、このままにしておいたら主にまで瓶の中身がかかっちまうだろうし、何より欠片でお怪我をされてしまったら大変だ。仕方ない、動くか。
じり、と足を動かした時。何か黒い物体が空を舞って、ぶん投げられたワインの瓶を引っ掴んだ。それだけでは終わらず、あらかじめ用意していたグラスのツリーに注がれ…食堂内にとてもいい香りが広がった。とある地方の幻のワインだとは聞いてたけど、花畑にいるような香りだね。甘くて、芳しくて…これは僕も飲んでみたくなっちゃうなぁ。
漂うワインの香りにお客人方は全てを持っていかれたのか、さっきまでの騒動はどこへやら。そんなものは最初からなかったかのようにグラスのツリーへと引き寄せられていった。ま、こっちとしては好都合だけどね。さすがはセバスだ。


「全く、…あそこで突っ込んでいくか?」
「せっかくのパーティーで綺麗に着飾っている女性をびしょ濡れにするわけにもいかないでしょう?」
「クロード、タオルを持ってきましたから拭いてしまいなさい。大丈夫ですか?」
「ん、へーき。…それにしても、」
「《あのお堅い男が酒が入った途端アレか。あの様子じゃ常習犯だろうな》」
「《だろうねぇ。とんだ酒乱をお持ちのようで》」
「《それでも自戒できない所を見ると、余程の馬鹿か恥知らずのどちらかなんでしょう》」
「《どっちも、って気もするけどね》」
「《医者も匙を投げる救いようのない病というやつか》」


僕が笑いを零す前に誰かの笑い声が聞こえた。んん?お客人は皆、ワインに夢中になっていたはずなんだけど…それに聞かれても困らないようにフランス語で話していたはずなのに、それでも笑いを零したということはその人物もフランス語を齧ったことがあるということだ。
一体、誰だろうか、と視線を巡らせてみると、その先にいたのはアーサー様。先生だ。僕らと目が合うとマズイ!って顔になって青褪めていたけど、主の茶目っ気たっぷり…とは言い難いけど、彼の笑みを見て呆気にとられていた。ふふ、まぁ気持ちはわからんでもないけど。

その騒ぎの後は特に何も起きることなく時刻は夜の11時になった所だった。さっきまで藍猫様とメイリンさんを引っ掴んだまま、お酒を飲んで騒いでいたジーメンス様はいつの間にか眠っていたらしく、皆さんホッとした表情を浮かべていた。そりゃホッともするよねー、あの騒ぎっぷりは本当にすごかったもん。


「セバスチャン、卿を部屋にお連れしろ。僕も下がる、クロード来い」
「かしこまりました。…タナカさん、メイリンさん、少しの間よろしくお願いしますね」
「わっわかりましただ!」
「ほっほ、お任せ下さい」


ジーメンス様を部屋に運び、主の就寝の支度を済ませ、僕達使用人は晩餐会の片付けに取り掛かる。でもジーメンス様にべたべた触られてたメイリンさんはダメージ大らしく、もうお嫁にいけない〜としくしく泣きじゃくっております。うん、気持ちはわかるけど今は片付けを手伝ってほしいかなぁ。ただでさえ少ない人数でやってるんだから、ちゃっちゃと片づけないと終わらないんですってば。ちんたらやってたら夜が明けちゃうんですからね?
セバスと一緒にひたすらお皿やグラスを洗っていたら、チリンチリンとベルの音が廊下から聞こえてきた。これはそれぞれの部屋に用事がある時に鳴らして頂く呼び鈴。つまり、今、誰かが僕ら使用人を呼んでいるってわけ。
鳴っている部屋を確かめに廊下へ出ていったメイリンさんが心底嫌そうな声でジーメンス様の部屋だ、と教えてくれた。まぁ、さっき嫌な思いしてたみたいだし…その後に行きたいとは思わないだろうね。でもそれがファントムハイヴ家使用人の仕事なんですよ。どんなに苦手なお客人相手でも笑顔でおもてなし、ってな。…だけど、僕もついていってあげるとするか。メイリンさんが心配なの2割、ジーメンス様の心配8割で。
同じようにジーメンス様が心配だ、というセバスも一緒にジーメンス様が寝ていらっしゃる部屋へ。もちろん水をいれた入れ物も忘れずにね。これは推測だけど、大分酔っていらっしゃったから喉が渇いたんだと思う。それで僕らを呼んだ、そんな所だろう。


―――コンコン

「ジーメンス様、お呼びでしょうか」


ノックをした刹那、恐ろしいほどの叫び声と何かが倒れる音が聞こえた。


「どうしたですだかジーメンス様!ジーメンス様!!」
「メイリンさん、これ持ってて。蹴破ろう、セバス」
「それが手っ取り早いですね」


ドアを蹴破って中に入れば、そこには椅子に腰を掛け、胸元を赤く染めたジーメンスが稲光により照らし出されていた。そう…それは誰かに胸を射抜かれた死体のように見えた。
もうすでに夜中だし、暖炉に火をくべているとはいえども部屋の中は薄暗い。だから、胸元の傷がハッキリ見えているわけじゃあない。でも医者の心得がある先生からすれば、ジーメンス様の脈はないし、瞳孔も開いているから確実に死んでいるようだ。
…姿なき犯人は今も、僕達の様子を見てほくそ笑んでいるに違いない。これは序曲だ、ゆっくりと幕を開けたこの事件の…ね。
- 56 -
prevbacknext