憂鬱の始まり


それはいつだって唐突にやってくるので、自分でもいつそうなるのか…わからない。


「…アリス。お前、何で屋敷の中でその姿でいるんだ」
「あたしだって好きで変化の術を解いてるんじゃないですよ…」


あたしは悪魔で死神。その生態は不可思議な部分が多くて、不定期で一切の力が使えなくなる時が来る。だから自然と変化の術も解けてしまうから、偽りの姿を保てなくなるんです。その期間は様々で、1日だけだったり数週間続いたり…つまり、その間は人間と変わらないっていうことで。
ヴィンセント様に拾われてから今までなかったから安心していたんだけどなぁ…まさか、今頃になってその周期が来るなんてツイてないわ。


「ああ、成程…確かに瞳の色が黒ですね」
「そういえば、その姿の時は紅と黄緑だったな」
「今は人間と変わりありませんから。…これじゃ執事としても、護衛としても仕事が出来ないわ」


そうなのです。あたしの本当の姿を知っているのは、此処にいる主とセバスだけ。フィニもメイリンさんもバルドさんもタナカさんも、この姿を知らないからこうなってしまった以上、あたしは皆の前に姿を現すことが出来ない。力が戻るまで役立たずになる、ということだ。…ヤバイ、これ本当にどうしよう。クビになるとか、洒落にならないんですが…!
だってそうでしょ?メイドとして、って言ったってこんな急に雇われるわけがないし。というか、来るのも急なら去るのも急になるしね。いくら何でもそれは怪しすぎる。それに死神の力も悪魔の力も使えないし、身体能力も人間とそう変わらないから番犬のお仕事の手伝いもできないってことなの。一体何ができるのか、って話になるくらい…この姿のあたしは役立たずだ。幼い頃も力が使えなくなってしまった時は、山奥や森の奥にひっそりと隠れていたっけ。


「…セバスチャン、仕立て屋を呼べ」
「は」
「仕立て屋、って…ニナさん?主、服作るの?」


有り余るくらい服はあったような気がするんだけど…何でまた急に?疑問符を頭の上いっぱいに出して首を傾げていると、お前の服を作るんだとサラッと言われました。お前の服、ってあたし?あたしの服を作るって言ってるんですか?このお方は。
あ、燕尾服の新調!…のわけないか、あたし、今男の姿じゃないし。サイズがまず違ったわ。んん?だとすれば、メイド服を作る、とか?絶対着る機会は今ぐらいしかないと思うんだけど、それでも作る気なのかしら。生まれた頃から共にいるとはいえ、主の考えていることは時々わからない。


「ねぇ、主。あたし、服足りてるよ?」


燕尾服は一着しかなかったと思うけど、シャツは何着か替えがあるし、あんまり着る機会はないけど仕事がない時用の服も実は持ってたりする。だから服が足りない、ってことはないんです。まぁ、確かに本来の姿でいることが少ないから男用の服ばっかりだけどさ、持ってるの。
でも別段、困ったことは今までないしなー。コッチの姿で歩き回ることって早々ないし、出かけることもまずない。だから女用の服がなくても困ることってほとんどないのよね。そう思ってのさっきの言葉だったんだけど、…主はあたしの顔をじとりと見つめ(睨みつけ?)、大きな溜息を零しました。そんなに溜息ついてると幸せ飛んでっちゃうぞー。てか、そこまで盛大に溜息つかれると結構傷つくんですけどね。いくら打たれ強いあたしでも。特に相手が主なら尚更だ。


「力が戻るまでの間、お前は僕の知り合いとしてこの屋敷に逗留させることにする」
「…へ、」
「つまり、だ。アリス、お前はしばらく客人として扱われる」
「はああああぁああ?!」


ちょっ、いきなり何言っちゃってくれてんですかこのお方は!!!あたしがお客人?!つまり、フィニにもメイリンさんにもバルドさんにもタナカさんにもセバスにも!いつものようには接してもらえないってこと…?
えええ〜…それ、絶対こそばゆい。慣れてない扱いは受けたくないんだけどなぁ…だってそれって、お嬢様として接せられるってことでしょう?お嬢様としての立場に憧れをもっていないわけではないけれど、でも見知った仲間にそう接せられるのは…正直、嫌だとしか言いようがない。嫌だ、というか寂しい。
しょぼくれていると、頭の上に何か温かいものがぽん、と置かれた。不思議に思って視線を上げてみるとそれはセバスの手で、困ったような笑みを浮かべていた。主も似たような表情をしてて、そこでようやくさっきの件は2人なりのあたしへの気遣いだったのかなーってことに気が付く。や、違うかもしんないけど。


「いつ力が戻るのかわからないのでしたら、坊ちゃんの知り合いという設定の方が大きな問題にならずに済むと思いますよ?」
「まぁ、…それはそうだけど」
「日中は僕の書斎にいていい。そこで本でも読んで暇つぶしをしていろ。…おやつの時間くらいなら、話し相手になってやる」


言葉はぶっきらぼうだけれど、ふいっと逸らされた顔には僅かに赤みが差していてやっぱり主は優しいな〜と実感しました。うん、色々心配事とかもあるけどひとまずは…主の好意、受け取ることにしようかな!あたしのことだから、割とすぐに慣れてしまう気もするし。
何よりお話しながら主とおやつを食べれることが、一番嬉しかったりします。そんなの彼が幼い時だけだったからね。別に仕事をサボってたわけじゃないよ?主自身が一緒に、って言ってくれて、ヴィンセント様もレイチェル様も許可してくれたから。


「では坊ちゃん、アリスの紹介は後程でよろしいですか?」
「ああ。紹介する相手があいつらであるとはいえ、その全身真っ黒の服はマズイだろう」
「まーね。でもニナさんに作ってもらうにしても、大分時間かからない?」


そう。さっきセバスが彼女を呼んだと言っていたけど、今日、すぐに来るわけもない。更に言えば、採寸・仮縫い・本縫いと手順を踏まなければいけないわけだから…まぁ、どんなに早くても出来上がるまでに3日以上はかかるわよねぇ。いくら仕事が早いニナさんとはいえども。…何か、作ってもらってる間に力が戻りそうな気がしないでもないわ。
ま、それまで主の書斎に籠ってやり過ごすしかないかなー。それなら早速移動を、と思ってたら、主が「あ。」と声を上げた。どうしたのかしら。


「セバスチャン。子爵主催のパーティーに潜入した時のドレス、持って帰ってきてたな?」
「ああ…衣裳部屋にしまってありますよ」
「え、あれ着るの?さすがに豪華すぎない…?てか、あれがあるんなら服作らなくても」


いいんじゃない?と続くはずだった言葉は、主の言葉に見事に遮られました。喋らせる気がないんか畜生。


「今回のようなことがまた起こらないとも限らん。準備はしておくに限るだろう。それに本来の姿のまま、潜入捜査に行くことがないとも言えんだろう?」
「…否定は、しない」
「まぁ…普段頑張って働いてるお前にプレゼントだ。黙って受け取れ」


そんなこと言われたら、黙って頷く他ないじゃない。もう、主ったら。
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