ふと、目が覚めた。いつもは朝までぐっすりなのに、どうしてこんな半端な時間に―――ふわ、と欠伸をしながら起き上がった視線の先。

窓の外には大きな、大きな赤い月が鎮座していた。


「…ああ、だから目が覚めてしまったんですね」


その月はあの夜と、同じ色をしていたから―――。


burial-香鈴の章-


「妖怪はこっちに来るな!」
「そーだ、そーだ!お前なんかあっちに行け!!」


私達はいつだって、迫害の対象だった。昔、おじいちゃんとおばあちゃんがこの村に移り住んできた時は、人間と妖怪の間に隔てなんてなくて、とても温かくいい村だったんだって言っていたけれど。そんなの、私は嘘なんじゃないかって思ってる。
おじいちゃん達が嘘を吐くような人だとは思ってないけど、大人も、子供も…皆、私達家族のことを疎んでるから。誰ひとり、私達を受け入れようとなんてしてくれないから。

ガツンッと額に石が当たった、きっとその拍子に切れたんだろう。ツーッと生暖かいものが頬を伝い、ポタリと落ちていく。地面に落ちたのは真っ赤な滴、私の―――血。赤いのに、私の血だって人間である貴方達と同じ赤なのに、どうして異形扱いされなくちゃいけないの…!
滴り落ちてくる血をグイッと拭って、森の奥へと足を進める。この森の奥までは、村の人間達は入ってこない。森の奥は私達の領土、森を出た先は村の人間の領土…昔、そう決められたんだって教えてくれたの。


「…私達が、何をしたって言うんだろう」


ボソリと呟いてみても、誰も答えなんてくれない。


―――ガチャッ

「あっお姉ちゃんおかえり…どうしたの?!お姉ちゃん、血…!!」
「大丈夫、ちょっと転んで切っただけ―――」
「違うでしょ、香鈴。また、…あいつらにやられたのね?」
「茗鈴、香鈴、何を騒いで―――まぁ香鈴、大丈夫?!」


私は、家族が大好きだった。優しい両親と、面倒見のいい姉と、慕ってくれる弟と、いつだって笑顔を絶やさない祖父母が本当に大好きで。理不尽な怒りをぶつけられることは少なくなかったし、決して平穏だとも裕福だとも言えない暮らしだったけれど、それでも…家族全員が一緒なら、別にいいかと思えるくらい…それくらい大好きで、大切だった。
私の世界は、あの家の中だけ。


「痛かったねぇ、香鈴。でも泣かなかったんだね、偉いよ」
「…泣かない。だって私、もうお姉ちゃんだから」
「―――香鈴、1ついいことを教えてあげよう。決してそれを忘れちゃあ、いけないよ」
「なぁに?おばあちゃん」
「いいかい、香鈴。どんなことがあろうとも、怒りに呑まれてしまってはいけないよ。恨みや怒り、それらはとても疲れることだ…だからね、いつだって笑いなさい。辛い時にこそ、笑顔が必要なんだ」


笑う門には福来る。そういう諺があるくらい、笑顔っていうのは大切なものなんだ。
おばあちゃんはそう言って、綺麗な笑顔を、私が大好きな笑顔を見せてくれた。それで歌を歌ってくれたんだ、聴いているとすっごく胸の奥が温かくなって、時々泣きたくなって…でもすっごく安心できるの。
お母さんも歌が上手だと思うけど、でもやっぱりおばあちゃんの歌には敵わないってずっと思ってる。それくらい、おばあちゃんは歌が上手な人だ。


「…おばあちゃんも、辛くなることあったの?」
「そりゃあたくさんあったさ。でもね、恨んでばかりいたら幸せになんかなれないだろう?」
「それはわかってるけど、…私達、何も悪いことなんかしていないのに」
「ああ、していない。だからね、凛としていればいいんだ…いつかきっと、彼らだって害がないってことに気がついてくれるよ」


―――本当にそんな日が、来るのだろうか。人間が妖怪に偏見を持たずに、自分達と同じ生き物だって認識してくれる日なんて、本当に来るのかなぁ。

おばあちゃんの言っていることはとても素敵だと思うし、正論だとも思う。恨んだり、怒ることはとてもお腹が空くことだし疲れちゃう。笑ってさえいれば、楽しい気持ちになれる…だから笑っていた方がいい、って思うんだけど。それなのにどうして、こんな悲しい気持ちにならなくちゃいけないんだろう?

小さい頃はずっとそう思ってた。どうして私達ばかりとか、我慢しなくちゃいけないのとか、そんなことばかり考えていて。でもその度におばあちゃんが歌ってくれるの、それを聴いているうちに心が落ち着いてきて…18歳になる頃にはある程度、自分の感情をコントロールできるようになってきていたんだ。
相変わらず村の人々による迫害は続いていたけれど、それでも大好きな家族と一緒にいられたから。笑って過ごすことができていたから、このまま静かに暮らしていくことができるのなら…このままでも構わないと、そう思えるくらいに。
私達があっちの領土に足を踏み入れない限り、放っておいてくれるのなら―――問題なんて1つもないんじゃないか、って。


「え?水汲み?」
「夕食に使う水がなくなっちゃって…お父さんとおじいちゃんは薪を集めに行ってしまっているし、」
「いいよ。バケツ2杯で足りる?」
「ええ、大丈夫。暗くなり始めているから、気を付けてね?香鈴」
「大丈夫!いつも通ってる道だもの、いってきます!」


私はバケツを抱えて家を飛び出した。いつも水を汲んでいるのは森の奥深くにある大きな湖、そこはとても綺麗な水でご飯を作る時や飲み水に使ってるの。私達の家の近くには水道が通ってないし、井戸もないから必要な分は毎朝、お父さん達と一緒に汲みに行っているんだ。
その日のうちになくなることなんて滅多にないんだけど、今日は暑くて水を飲むことが多かったからかな…夕飯分まで残らなかったみたい。

走って湖に向かったけれど、やっぱり遠い…家を出た時はまだ陽が沈みかけていたくらいだったのに、今はもう完全に沈んでしまって月が顔を覗かせていた。今日は満月で、月明かりが辺りを照らしてくれるはずなのに―――何で今日に限って、真っ赤なんだろう。


「赤い月って、…何だか不気味」


急いで水を汲んで、家に帰ろう。怖い話とか、そういうのは作り話ってわかるものが多いから怖くないけど(むしろ好き)、だけど赤い月のように不吉なものは…身体の芯からゾワリ、と恐怖が這い上がってくるような気がしちゃってダメだ。
早く、早く…!必死に足を動かすけれど、でも行きとは違って水をたっぷり入れたバケツは重くて仕方がない。走ったりしたら水が零れちゃうから無理だし、でも早く帰りたいし。
そんなことを考えながら、私は出来る限りの速さで家へと繋がる真っ暗な道を歩いていく。風がそよぐ音、鳥が飛び立つ音、虫の鳴き声、それから…私が草を踏みしめる音と水が揺れる音。辺りを包んでいる音はそれらだけ、他には何も聞こえなくて、それが逆に恐怖を掻き立てるような感じがして、怖い。

歩いて、歩いて、息も絶え絶えになって辿り着いた我が家。窓からはランプの明かりと蝋燭の明かりが薄らと確認できるけど、…何だろう、何かおかしい気が、する。いつもこんなに静かだっけ?きっとお父さんとおじいちゃんも帰ってきてるはずだし、誰の話し声も聞こえないなんてこと今まで一度もなかったよね?
もしかして出かけてる?でもランプも蝋燭も付けっぱなしで出て行くなんてこと、絶対にしない―――玄関に回ってみると、ドアが少しだけ開いていた。しっかり閉めないとお母さんが怒るはずなのに…

―――ドッドッドッ、

鼓動が、やけに早い。ドアノブにかけている手がカタカタと震えて、喉が渇いて仕方がない。


―――ギィ、

「お母さん、水汲んで―――」


広がっていたのは、地獄絵図。椅子は倒れ、タンスは引き出しが開いたままになっているし、中身はぐちゃぐちゃに引っ掻き回されていて…ツン、と鼻を掠めるのは鉄の臭い―――足を動かすとピシャッと水音が響いたから、この臭いの元はきっと血だ。
ランプを引っ掴んで辺りを照らしてみれば、そこら中に家族だったものが転がっているのがわかった。

腕を斬り落とされているお父さん、
首と胴体が切り離されているお母さん、
背中に無数の刺し傷があるお姉ちゃん、
足と腕が一本ずつなくなっている弟、
首筋に深い切り傷があるおじいちゃん、
心臓を貫かれているおばあちゃん―――

誰ひとり、私の家族は生きていなかった。
私は、ひとりぼっちになってしまったのか。


「どうして、どうして私達ばっかり…」


ふらりと足が向いたのは、入るなと何度も言われた村がある方角。何でそこに足が向いたのかはわからない、でも何故か私はフラフラと村を目指して歩いていたんだ。
そこに行ったことで、家族が襲われた理由を知ることになろうとは、これっぽっちも思っていなかった。


「けどよォ、本当に良かったのか?あの妖怪一家、皆死んじまったんじゃねぇの?」
「仕方ねーだろ、ああしなきゃ俺達が殺されちまったんだから!!」
「所詮、あいつらは妖怪だ。いつ俺達が喰い殺されちまうかわかったもんじゃねーよ」


耳に届いた言葉に、驚きを隠せなかった。私達の家族を殺したのは、村へ押し入ってきた山賊達。自分達の命が惜しかったんだろう、助かりたかったんだろう…その一心で山賊達に、私達を売ったのか。

保身の為に、私の家族を見殺しにして―――それで、お前達は今、笑っているのか!


―――トッ

「っえ…?」
「なっおま、腕が―――!」


どうして、


「ひ、…うわぁ!助けてくれっバケモ、」


どうして、どうして、どうしてどうして!!


「静かに、生きさせてくれないの…!」


虚ろな瞳に映ったのは、眩しいくらいの真っ赤な月と、空へ舞い散る赤黒い飛沫。そして―――





「香鈴?」
「っ?!」
「…ああ、すみません。驚かせちゃいましたか?」
「八戒、くん…」


ああそうだ、あの時確かに私は見たんだ。不吉な赤い月を背にしている、紅の瞳と翠の瞳を。


「何か、…目が覚めちゃって」
「月が大きい上に、赤いですからね―――何か、飲み物淹れましょうか。落ち着きますよ」


窓の外へ向けていた視線を室内に戻す。サイドボードにあるランプのスイッチを入れれば、柔らかい光が室内を照らし出しました。…夢を、見ていたみたい。まるであの日のことをもう一度体験しているかのような、そんな不思議な感覚。
八戒くんの声を聞いてようやく、現実に戻ってきたような気がしますね。


「どうぞ、ホットミルクです。甘めにしてありますから」
「ありがとう…」
「飲み終わったらもう少し休んでください。夜明けまではまだ時間がありますから」


大丈夫。悪夢なんて、どこかにいっちゃいますよ。
ふわり、と頬を包み込む温かさに、彼の手の優しさに自然と笑みが浮かぶ。


私はまだ生きてる、生きてるよ。
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