空へ誓う
今日はとことん飲むぞ!と、誰も言い出していないけれど、何かそんな雰囲気になりました。
明日にはこの町を出る、と言っていたのにいいのだろうか―――と思いつつ、でもやっぱり離れがたいなぁと思っている私がいるのも本当なので、無粋なことは言わないことにしました。だって、私だって皆さんと飲んだり話したりしたいし。
食堂で食べる予定だった夕飯を、宿の御主人にお願いして部屋に運んでもらったんです。ほら、食堂で飲み始めちゃったら潰れちゃった人を部屋まで運ぶのは大変でしょう?それなら泊まっている部屋で飲んだ方が気楽じゃないかな、ってことになりまして。
…で、夕食を兼ねた飲み会が始まったのが今から3時間ほど前…だったかなぁ。
「相変わらず、ペース配分を考えない方達ですねぇ…」
ほう、と溜息と共に零れ落ちた本音。何度も忠告をした覚えがあるのに、この方達はいつまでたっても学ぼうとしないんですよね。これに至っては三蔵様も学んでくれないんだよなぁ…というか、悟浄くんが煽るからいけないんだと思うんですけど。まぁ、その挑発に乗ってしまう三蔵様も大概なんだけれども。悟空は、…お酒弱いのに飲んじゃうんだものね、一応やめときなさいって言うんだけど。
そこまで思い返して、この方達は絶対に他人の忠告を聞くような方達ではないということを思い出しました。止まれ、と言って止まるような方達じゃないんだから、こうなることも当たり前なのかなぁ。
3人に毛布をかけていると、お皿を厨房に返しに行ってくれていた八戒くんが帰ってきた音がした。振り向けば、そこにいたのはやっぱり彼で。
ぼんやりと見つめていると、私の視線に気がついたらしい八戒くんが柔らかい笑みを浮かべてどうしました?と聞いてくる。…明日になれば、少しの間だけ見ることができなくなる…この光景。
「香鈴?」
「何でもないです。…ちょっとだけ、感傷的なのかも」
「―――もし、行かないでと言ったら…思い止まってくれますか?」
「え?」
ギュウッと正面から抱きしめられて、八戒くんの表情は見ることができませんでした。
だけど、…淋しそうな顔をしていたのは、私の見間違い?
「あ、あの八戒く…!」
「行かないで、…此処にいてください。香鈴、お願いだから―――」
いなくならないで。
ポツリと零れ落ちたのは、八戒くんの本音なのだろうか?私が天界に行く決断をするのは何となく予想していました、と笑っていた彼とは全く違って、むしろ…泣きそうな、声でした。
納得してくれていると、そう思っていたのだけれど…もしかしてそうじゃなかった?で、でも、それが本当だとしても今のこの状態は、些か都合が良すぎる―――というか、私の願望ってやつじゃないのかなぁって場違いなことを考えてしまう。
だって、…縋るように抱きついている八戒くんの姿が、声が、何というか…私のことを好きだ、と言っているような気がしてしまって。この方は気軽にこういうことをするような性格ではないことはよく知っているし、だからこそ…自分に都合が良いように勘違いをしてしまいそうに、なる。
そんなこと、あるわけがないのにね。八戒くんの心の中にはいまだに、花喃さんがいる…きっと生涯、彼は愛したその方を忘れることがないだろうし、私が敵うこともないんだと思ってる。
それもあって私は死ぬまで、この気持ちを隠し続けようって決めていたのに…そんな声で名前を呼ばないで、そんな瞳で私を―――見つめ、ないで。
「…すみません。こんなこと言っても、困らせるだけだってわかってはいるんですけど」
「だ、いじょうぶ、です」
するり、と頬に温かい八戒くんの手が触れる。ただそれだけでまた、心臓は忙しなく動き始めるんです。
ダメだ、私…やっぱりこの方のことが好きで、好きで、仕方ない。
「っ、―――」
「ごじょーっそれおれんだぞ!!」
勢いと感情に任せて好きです、と言いかけた瞬間だった。悟空の寝惚けた声が室内に響き渡った。八戒くんと2人で肩をびくりと震わせて彼に視線を向けてみると、声を上げた当人はとても気持ち良さそうに寝息をたてていたのでした。
…あれ?さっきのってもしかしなくても、寝言?今はむにゃむにゃ言ってるだけだし、…うん、やっぱりさっきのはおっきな寝言だったんですね。というか悟空って、夢の中でも食べてるし、悟浄くんと取り合いしてるのね。何ていうか、ブレないなぁ本当。
再び静寂が訪れた室内に、彼と私の控えめな笑いが木霊する。3人を起こさないように、と声を上げないように頑張っているものの、さっきの寝言が面白すぎたのか笑いが治まる気配がありません。
だって寝ていてもいつもの悟空と変わりないって、…ねぇ?
「はー…笑いましたねぇ」
「ですね。……ねぇ、香鈴」
「はい?」
「―――待っていますから。貴方が帰ってくる日まで、ずっと」
ドキリと、心臓が跳ねた。さっきまでの声音とは似ても似つかないほど、自然で、自信のこもった声。そして見慣れた優しい笑顔。
「帰ってきたら、…貴方に伝えたいことがあるんです。聞いてくれますか?」
「私、に?」
「はい、貴方に」
「…聞きます、聞かせて…ください」
「じゃあ約束です。絶対に、『此処』に帰ってきてくださいね」
指切りだ―――と絡められた小指。他人からすれば何でもない約束かもしれないけれど、私にとって彼との約束はお守り代わりになるんです。必ず、何が何でも此処に戻ってこようという気持ちにさせてくれるんです。
絡められた小指を解いて私達は、額をくっつけ合って笑った。
「綺麗に晴れましたねぇ。絶好の旅日和です!」
窓を開けてうーん、と背伸びをしていると、ぐっすり夢の中だった彼らがもぞもぞと動く気配がしました。カーテンも開けましたから、きっと眩しいのでしょう。朝からお日様がさんさんと輝いていますからね。起き抜けの頭には少しキツイかもしれませんが、まぁいい目覚ましになるでしょうからいいかな。
最初に起きたのは意外にも悟空だった。眠そうに目を何度か擦り、欠伸まじりにおはようと声をかけられたので、同じようにおはようと返す。その次に起きたのは八戒くん。彼も私と同じ時間まで起きていたのに、こんなに早く目を覚ますなんてすごいなぁ…長安にいた頃も早起きでしたから、クセみたいなものなんですかね。
最後に悟浄くんと三蔵様が目を覚まして、5人勢揃いです。
「ふあ、…身体いってー…」
「例の如く潰れて床で雑魚寝ですからね、仕方ないでしょう」
「何度もベッドで寝てください、って言っても聞く耳持たずなんですもん。自業自得ってやつですよー」
「…香ちゃん、最近冷たくね?」
「そんなことないです、通常運転。はい、お水」
「さーんきゅ」
まだ半分夢の中にいるような3人(八戒くんは顔洗ったらいつも通り)がしゃっきり目を覚ました頃に、ようやく朝食。
朝食と言っても、もうブランチに近い時間だったけどね…でも元々、町を出るのはお昼の予定だったから問題はないんですけど。あるとすれば、朝食兼昼食になったことで、ジープに乗っている最中にお腹が空いたと騒ぐであろう悟空への対応くらいでしょうか。でもそれは昼食をしっかり食べていたとしても、何ら変わりない事実かなぁ…うん。
まだ彼らが出発するまで時間があるし、お茶かコーヒーでも淹れようかと考えていた時。部屋のど真ん中が光りました、それは徐々に人の姿に形を変え―――現れたのは、不敵な笑みを浮かべた菩薩様。
「よう、玄奘三蔵一行」
「か、観世音菩薩…」
「頼むからもう少しフッツーに現れてくんね?」
「あ?この方が神様っぽいだろーが」
そんなもの求めてませんよ。誰一人、少しも。
菩薩様も加わってぎゃあぎゃあと騒ぎ始めた彼らを視界の端に捉えながら、私は溜息をついた。何で神様であろうとも御方が、悟浄くんと悟空と一緒に騒ぎ始めているんでしょうか…こういう一面を見ると、尚更本当に神様なのだろうかと疑問を持ってしまうのは仕方のないことだと思うんですよね。二郎神様もさぞ苦労されているんだろうなぁ、今日もいないけど。
それにしても、…予想より来るのが早かったですね。できれば彼らが出発してから来てほしかったんですが、まぁそう人生甘くないってやつですか。
そんなことを考えながら時計に目をやると、お昼まであと30分ちょっと。…わざわざ来て頂いた菩薩様には申し訳ないですけど、もう少しだけ待って頂きましょうか。とは言っても、この騒ぎはまだしばらく続きそうですけれども。
「てンめ、あん時嘘つきやがったな?!」
「あっそーだ!香鈴のこと天界で保護するとか何とか言ってたけど、あれちげーじゃん!!」
「器のちいせぇ野郎共だなぁ、細けぇことは気にすんなよ。それに、…よーくわかったんじゃねぇのかぁ?」
ニヤリと笑った菩薩様に噛みついていた悟浄くんと悟空が、うっと口ごもっていた。どうしたんでしょうか、急に黙り込んじゃって。
―――ガシッ
「わっ…ぼ、菩薩様?」
「イー顔してんじゃねぇか、香鈴。腹は決まったのか」
「ええ、もちろん」
菩薩様の提案を受けさせて頂きます、と言えば、ニカッと笑みを浮かべて私の頭をわしゃわしゃと撫でまくり。いや、私犬猫じゃないし、もちろん小動物でもないんですけれどね。そして何でそんなに嬉しそうに頭を撫でてくるのか、私にはわかりませんよ菩薩様。
私の気持ちを聞いてそのまま戻ろうとする菩薩様を引き止め、あと30分だけ待ってもらえないかと頼んでみた。ダメでも待ってもらう気満々なので、頼む必要性はあまりないのだけれど…この御方がいないと天界に行けないのは事実なので一応、頼むんです。後から文句言われるのも嫌ですし。
若干、面倒そうな顔をしたものの仕方ねぇ、と承諾してくれました。そして30分後にまた迎えに来る、とだけ残して、菩薩様は再び光に包まれてその場から姿を消したわけで。
来るのが突然なら、帰るのも突然ですねぇ…きっと言った所で神様だから、の一言で済まされそうですけど。…だけど、あの御方が一度帰ってくれたおかげで彼らを見送ることができます。
「何で30分後?」
「だって、皆さんが出発するのお昼でしょ?」
悟空の言葉に当然、と言わんばかりに返せば、さっきまできょとんとしていた彼の顔が嬉しそうに輝き始めました。尻尾があったら絶対に引き千切れんばかりに振られてるんだろうなぁ…忠犬みたい。
あ、でも三蔵様に忠実な犬であるのには間違いないのかなー…ちゃんと反抗するし、自分の意見も言うけど。
「なに?じゃあ香ちゃんは俺達を見送る為に30分待って、って言ったわけ?」
「え、ダメでした?」
「ダメっつーか…俺らが見送る気満々だったから、ちょーっとびっくりしただけ」
「あとは観世音菩薩が素直に帰ったことも、ですね」
クスクスと笑う彼らの姿を、しっかりと目に焼き付けておこう。今生の別れではないことはわかっているけれど、でも…どうしても残る淋しさを払拭する為に、離れている間も頑張れるようにしっかりと。
チラリと時計に向けた視線が、残り時間が少ないことを示していた。30分以上は延ばしてもらうことはできないでしょうし、私のわがままで彼らの出発を遅らせることもしたくないですね。
よし、と気合を入れ直して、私は談笑している4人に向き直る。
「皆さん」
「ん?どーしたのよ、香ちゃん」
「あの、…ええっと、」
何を、言葉にしたらいいかわからない。伝えたいことは山ほどあったはずなのに、それなのに、4人の顔を見た途端にその全てが吹っ飛んでしまったような気がする。
グッと唇を噛みしめていなければ、今にも泣いてしまいそう…自分で決めたことなのに、離れることが淋しいと泣いてしまったら馬鹿みたいじゃないか。子供みたいじゃないか。失いたくないからこその決断なんです、それなのに私がこんな状態では何の意味もないというのに。
何も言えないまま、どれくらいの時間が経っただろう。まだまだ時間はあると思っていたのに、いつの間にか長針と短針はてっぺんを指していて。それを見た八戒くんが静かに時間ですね、と呟いた。
まだ何も言えてないのに、皆さんが―――行ってしまう。
―――ポン、
「ご、じょう、くん…?」
「んーな顔すんなってぇ。笑え、笑えー。…すぐ、追いついてくれんだろ?」
「…はい」
「精々頑張ってこい。あんまり遅いと、そのまま置いていくぞ」
「頑張ります」
「帰ってきたら美味いもん作ってくれよな!」
「ふふっ…うん」
じわりと滲んできた涙を誤魔化すように、私は笑みを浮かべる。
そのまま外へ移動して、ジープが変身して4人が定位置へと乗り込んでいく。いつもなら私もこの輪の中にいるのだけれど、今日は―――今日からは、別行動。
「香鈴」
「ッはい!」
「『またね』」
「―――…!」
昔、…悟空に教えたことがあるんです。別れが淋しくならないおまじないだよ、と教えた言葉。それはお別れの言葉じゃなくてまた会いましょう、って約束の言葉だから、と。『また貴方に会いたい』って気持ちが込められている、だからまた会う約束になるんだよって…そう、言ったんでしたっけ。
その話をしていた時、八戒くんはいなかったはずですけれど、かいつまんで話はしてあったからきっと、何かを悟っていたのかもしれません。…でも、今の私にとってその言葉は、何よりも心強かったんだ。
―――ドルンッ
エンジン音が響く。お腹に響いてくるけれど、聞き慣れたソレは心地良い。そのエンジン音に混じってキュウ、と高い鳴き声が聞こえてきた。それは車の姿に変身してしまっているジープの声でした。
大丈夫だよ、またねジープと呟きながら車体を撫でれば、嬉しそうにもう一度だけキュウ、と鳴く。
「八戒、出せ」
「はいはい。…それじゃあ香鈴、」
「気を付けて、くださいね?体調とか、怪我とか」
「だーいじょうぶだって。俺らの頑丈さはお前さんが一番知ってるだろ?」
ニカッと笑う悟浄くんに笑顔で1つ、頷いた。
「皆さんっ…またね!それから―――いってらっしゃい!」
皆さんの瞳が僅かに開かれて、でもすぐに瞳が細められて笑みが浮かんだんです。
「…いってくる」
「いってくるな、香鈴!」
「おー、いってくんぜ。香ちゃんも気ィつけてな」
「いってきます。…おかえりは、僕達に言わせてくださいね」
―――ドッドッドッド…
うるさい程に響いていたエンジン音がどんどん遠ざかっていく。見えなくなるまでその後ろ姿を見ていた私の背後に、静かに降り立つ気配。振り向かなくとも誰がいるか、なんてすぐに予想ができた。彼らが出発したということは、約束の30分が過ぎたということですもの。
ゆっくりと振り向けば、予想通り。口元に弧を描いた菩薩様が仁王立ちしていて、菩薩様の後ろにはさっき来た時はいなかったはずの二郎神様の姿があった。あ、二郎神様は予想外だったな…今度は一緒だったんだ。
「―――お見送りは…済みましたか」
「はい。ありがとうございました」
「んじゃ、早速行くぞー香鈴」
「あっあの!」
1つだけ、…1つだけ約束してほしいことがあるんです。拳を握って、瞳を閉じて、大きく深呼吸。
「できるだけ早く、彼らの元へ戻りたいんです。なので、激スパルタでお願いします!」
「…ほう?いい度胸じゃねーか」
いいぜ、お前の望み通り激スパルタで修業してやるよ。
菩薩様の言葉に頷いて、私は青く晴れ渡った空を静かに見上げた。何度も何度も、彼らと一緒に見た青空―――もう一度、隣に並んで見る為に頑張るから。死ぬ気で頑張って、それで…
「必ず、戻るから。今度こそ、守ってみせるから」
大丈夫。絶対にくじけないし、弱音も吐かないし、約束も―――破らない。
だって私はまだ、貴方達と一緒にいたいから。