君を好きだと気付いた日
彼女と知り合いになったのは7月の初め。でもその少し前から僕は彼女のことを認識していて、気がつけば目で追っていました。
特に話したことがあったわけじゃない、元々知り合いだったわけじゃないから交わす言葉も「これお願いします」とか「2週間の貸出です、どうぞ」という、何というか…業務上での会話のみ。だけど、時折見せる満面の笑みがとても印象的で、…それが最初、かな。彼女を可愛いなって思ったのは。
side:八戒
「あ?んじゃあの時より前に顔見知りだったってことか?」
「僕はね。彼女はどうか知りませんよ、まぁ貸出や返却の時にしか顔を合わせない司書なんて、普通は覚えていないと思いますけど」
氷の溶けかけた琥珀色の液体を流し込み、バーテンである悟浄にお代わりをお願いする。
「しかし意外だな、お前が他人に興味を持つとは」
「心外ですねぇ…僕だってそのくらい、」
「色恋沙汰には首を突っ込まないと、一度だけ言っていただろう」
三蔵の言葉にナッツに伸びていた手がピタリ、と止まる。彼が言った言葉は確かに僕が言ったもので間違いないけれど、よく覚えていましたね?この人。多分、それ言ったの高校生の時だったと思うんですけど。
新しいお酒を用意しながら聞いていたらしい悟浄も、そんなことあったなーと頻りに頷いている。
「花喃とずっと2人で生きてきてたからな、それが関係してんのかは知んねーけど、お前恋愛する気なかったろ」
「…まぁ、そうですね。そう言い切りましたし」
「それなのにどういう心境の変化だ」
「どういうって言われても、」
自分でもよくわからない。両親を亡くして、今まで花喃と2人で生きてきて…どうしてだか一度も恋愛をしたいと思ったことがなかったし、好きだと思う人もいたことがない。
それなのに彼女と知り合って、あの笑顔に惹かれて、そして繰り返し会っているうちに恋に、落ちていた。…所謂、初恋なんだと思う。梨花さんが。この歳で、と最初は頭を抱えてしまったけど、だからと言ってこの想いをなかったことにはできなかったし、それは不可能なんだろう―――今ではそう思っている。
きっと心境の変化も何もないんだと思う。自然と彼女に惹かれた、ただそれだけのことなんでしょう。恋とは落ちるものだ、と表現したのは誰だったか。今の僕にはその言葉が一番、しっくりきているんだと思います。
「先に言っておくがな、八戒。アイツを泣かせたりしたらただじゃおかんぞ」
「……三蔵。お前は梨花ちゃんの父親かよ…」
「フン。ガキん時から知ってんだ、おかしくはねぇだろ」
いや、おかしいだろうよ。苦笑を浮かべながらそう呟いた悟浄の言葉に、僕も同じように笑って同意する。正直、三蔵にそんなことを言われるとは思っていなかったので、意外過ぎましたよね。あと、…僕、まだ彼女とどうこうなったわけじゃないんですけどねぇ。ただ好きなんですよ、って貴方達に明かしただけってこと忘れてません?
自分の中に眠っていた想いに気がついたのは、三蔵の家で夕食を振る舞った時。楽しそうに話す顔が、美味しそうに料理を食べている顔が、…可愛らしくて、ああ好きだなと思った瞬間、すとんと胸に突っかかっていたものが落ちたような気がしたんです。それまでの自分の彼女への想いと言いますか、色んなことに納得がいったんでしょうね。スッキリしたのをよく覚えてます。
だからなのかなぁ…連絡先を、聞いたの。このまま終わりにしたくない、と心のどこかで思ったのかもしれません。ただの司書と大学生―――それが僕と梨花さんの関係ですからね。
「ま、何はどうあれ…お前はそろそろ自分の幸せ考えてもいいんじゃねーの?」
「花喃と同じこと言わないでくださいよ、悟浄…」
つい数日前―――双子の姉である花喃に「好きな人ができたの?」と聞かれたんです。上手く隠していたつもりだったんですけど、半身である彼女には通じなかったようで。
頷きだけを返せば、まるで自分のことのように喜んでくれました。今まで一度も僕の口からそういう話を聞くことがなかったから、とても心配していたんだって。だから余計に嬉しいんだって、笑ってました。
『いいのよ、八戒。貴方は自分の幸せを考えて、それで生きていくの』
さっきの悟浄と同じ言葉を、僕が昔から好きだった優しい笑顔で紡いでくれたんです。私も自分の幸せを考えるから、って。
その瞬間、この人には敵わないなぁって思いましたよ。本当に。
「この歳になってアレですけど、…頑張ってみるのも、アリですかね」
「恋愛に年齢は関係ないっしょ。いつだって本気でいかねーと」
「てめぇは少しは自重しろ、エロ河童」
「んだと?!」
「ほら、喧嘩しない!いつお客さんが来るかわからないんですから」
そう言った所でこの2人の口喧嘩が止まらないことくらい、わかってる。それでも形式的に口にしてしまうのは、学生時代からのクセなんでしょうね。
騒がしい程の2人の声をBGMにしながら、これからどう行動しようか―――そんなことばかりを考えている。初めての恋、初めての駆け引き…だけど、その現状が楽しくて仕方ないと感じている僕がいる。ただ彼女のことを考えるだけで、胸が躍るなんて。