7月7日


 何も変わらない。

 空は夏らしく高く、気温は朝っぱらから25℃を超えている。人肌がなくなっても涼しくはならないし、人口密度が減ったとて扇風機の風はぬるい。

「……ご丁寧に」

 きちんと畳まれた布団が、とうとう訪れた不在をかえって強調している。畳めよ、と言われて渋々畳むのが常だったのに、タオルケットまできっちりと畳まれた布団がどこか物寂しい。
 狭いはずの部屋が、急に広くなったような。あるいは、腹の中身がごっそりと抜け落ちたような空虚さがある。

「出てくときは言えっつったのに」

 書き置きがあるわけもない。携帯端末にだって、特にメッセージは来ていない。それでも、そんなものだろうな、という不思議な納得感があって、期待したほどの怒りは湧いてこなかった。しょーがねえなあ。そういうヤツだよ、お前は。

 うんと大きく、伸びを一つする。関節が引き延ばされて、こき、と間抜けな音が鳴った。つられてデカい欠伸が漏れる。首を回すと、大分薄くなった傷がわずかに引き攣れて存在を主張した。治りかけの小さな瘡蓋が少しかゆい。
 この傷が消えれば、すっかり元通りになるだろう。



 上司の「ほら、今日は七夕だろう!」という脈絡のない一声によって、部署の全員がいつもよりも少ない残業時間で帰宅することになった。
 定時を過ぎているとはいえ、宵の口だ。まだ大抵の店が開いている。でも、冷蔵庫の中にはカレーの残りがあるし、冷凍庫にはアイスキャンディーのストックがある。週の初めから酒を浴びる気にもなれない。
 結局、何となく重たい足取りでコンビニに入り、缶ビールを1本だけ買った。それから、つまみと、甘いものを少し。

「ただいま……」

 うっかり零れた声に、当然ながら返事はない。室内は朝、部屋を出たときから寸分たがわず、日中の熱が籠って蒸し暑い。ともかく窓を開けて、扇風機をつけた。

「あっちーなあ、クソ」

 空気が、外気と少しずつ入れ替わっていく。
 シャワーを浴び終えた頃にはだいぶマシになっていて、ほっと人心地がついた気分になった。ようやく、メシを食おうという気になってくる。
 カレーの残りは、一食分には少し多かった。明日の夕飯か夜食もカレーだろう。食べる分だけ電子レンジで温めて、冷凍してある米も解凍する。ついでに、目玉焼きも焼いた。
 丼と、スプーンと、グラスに注いだ麦茶。それから缶ビールの500ml缶が1本。
 かしゅ、とプルタブを引き開けるのと同時。
 がちゃりと軽い金属音が鳴った。

「は?」
「ただいま」

 大きな耳。大きな尻尾。薄い色のサングラス。
 頭にかぶったキャップを外せば、鮮やかな金髪がふわりと毛先を揺らした。

「…………はあ?」
「あ。ビール飲んでる」
「いや、えっ? なん、おま……ハア!?」
「これ、もらっただろ」

 ちゃり、とシュウの眼前に吊るされたのは、確かに紛うことなきこの部屋の合鍵だ。くれてやった記憶も、まあ、ある。しかし、だ。

「休暇、終わったんじゃねえの」
「終わったよ。だから仕事してきた」
「なんでウチに帰ってきた???」
「鍵あるんだからいつ来てもいいだろ」
「た、たしかに……?」
「俺のカレーは?」
「ある……」

 シュウはにこりと笑った。それでもう、オレだってどうでもよくなってしまった。
 カレーはあるし、ビールは分けてやればいいし、冷凍庫にはアイスキャンディーもあるし、何より。

「シュウ」
「うん?」
「……ハッピーバースデー。チーズケーキとチョコケーキ、どっちがいい?」

 一人でケーキを2個食うのは、けっこうキツイと思ってたんだ。