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 春がもうじき訪れるとはいえ、未だにしんしんと降り続ける雪の中、住宅地のとある一角で私は呆然と立ち尽くしていた。

 目の前には見慣れた我が家――が建っていたはずなのに、どういうわけか、そこには旅行用のキャリーケースが一つあるだけの空き地と化している。

 あれ、私そんなに飲みすぎたのかな?おっかしーなー。なんて、誰に言うでもなく呟いて一歩、後ろへと後ずさってから、通りや隣に建つ家々を眺めてみるも、やはり住み慣れた住宅地。
 ならばここに、目の前に自分の住んでいた家が無いというのは何故なのか。

 数時間前までは確かにあった。友人が短大を卒業して来月には他県へと引っ越すというので、卒業祝いと送別会を兼ねての飲み会へと参加するべく、夕方家を出た私は駅前の繁華街へと向かったのだ。いつもは自堕落に生活している私も、久しぶりに友人と会う事と、久しぶりに繁華街へと赴く為に、家を出る直前まで、服や髪、メイクの具合等を何度も確認していた。夢などではない。
 ならば今、家が忽然と消えているこの瞬間が夢なのだろうか。

 ほっぺたをつねってみる。

 なんともベタだとは思いつつも、他に方法が思い付かないので左手を動かせば、当たり前だが頬にじんわりとした痛みが走った。

「は、」

 意味がわからない。え、なにこれ。数時間で家が無くなるってどういうこと? っていうか、そもそも家って数時間で跡形もなく解体できるものなの?

 呆然。もしくは唖然。

 ポカーンと口を開けて佇む私は、はたから見ればさぞかし間抜けだろう。

 いや、ちょっと待て。

 家が無くなる、という事柄があまりにも非現実的すぎて忘れていたけど、親はどこ行った。
 それに、あのこれ見よがしにあるキャリーは何なのだろう。

 じり、と一歩、先程後退した分前進して、私はまた立ち止まる。

 ひとまずは親へ電話してみよう。キャリーはその後だ。だってほら、迂闊に近づいて爆発とかしたら嫌だし。もしくはあれに触れたとたん私まで消えるとか……。些か警戒しすぎな気もしなくもないけど、先程からじわじわと内心で色付く恐怖心が、鼓動を掻き立てていくようでもう……、いや、うん。一言で言うとぶっちゃけ怖い。
 なにこれ怖すぎ。

 飲み会の帰りといえば当然、時刻は深夜。

 住宅街といえども、ほとんどの人は眠りについているのか家々から漏れ出る灯りは少なく、生活音も言わずもがなで、静まり返った辺りの雰囲気と、目の前の理解できない状況に、私のキャパシティーは崩壊寸前だった。

 コートの右ポケットに突っ込んでいた携帯を取り出し、ロックを解除。履歴から親の名前を見つけようと指を動かした時、手の中の携帯が突如震え出した。周辺がしーんと静まってる中でのいきなりのそれに、馬鹿みたいに驚いて一瞬落としそうになるも、なんとかギリギリで防ぐ。
 ひょわあ! だなんて……。本当に馬鹿みたいな声を出してしまったわ。取り繕うように咳き込んでみたけど、そんな行動も含めて馬鹿みたいである。周りに誰も居なくて良かった。

 その間、相変わらす震え続ける携帯の画面を改めて見れば、母親の名前が表示されていた。
 無意識でホッとついた息を見送って、迷うことなく着信に出れば、いつもとなんの変わりの無いトーンの陽気な声が耳に入る。

『あーら、やっと出たわね! まさかまだ飲んでるんじゃないでしょうね? 幾ら友達とのお喋りが楽しくたって帰りは一人なんだから、気を付けなくっちゃダメよ?』

「あー、うん。もう終わって帰って来たんだけど……じゃなくて、……ねぇ、ママ達今どこにいるの?」

 携帯を耳にあてがった途端聞こえた声に、うっかり相手のペースに巻きこまれるところだったが、とりあえず、先程から浮かんでいた疑問を投げ掛ける。

ちなみに、私の母親、「お母さん」なんて呼んだ日には拗ねて暫く口を聞いてくれなくなるめんどくさい性格の持ち主である。自称永遠の20代。

『どこってそりゃあ、家に決まってるじゃない』

 おかしな子ね〜とでも続きそうな勢いで返ってきた答えに、瞬きをして目の前の光景をもう一度見てみた私の行動はなんら不思議でもないだろう。むしろこの光景が不思議だ。

「え、家なの? あれ、引っ越しとかしてないよね?」

『あっ、そうそう! その話をしようと思って電話したのよ〜。なのに名前ちゃんったらちーっとも出てくれないだもの。パパも心配してたのよ? せっかくこっちに着いたばっかりなのに一旦戻ろうなんて言うんだからもうママ困っちゃったわよ〜。でも良かったわぁ、電話がつながればもう安心ね!――あ、ちょっとパパ? え、今から行くって? やだもう、ほら電話が繋がったわよぅ』

 ああ、ダメだ。肝心な話が続けられない……。

 電話の向こうで「なに? 名前ちゃん帰って来たのか? ああ、良かった。僕はてっきり悪いおじさんにでも連れていかれちゃったのかと思ったよ。あの子は君に似てとっても可愛いからね」「やだもうパパったらぁ!パパもとっても格好いいわよ」「うふふ」「あはは」なんていうやり取りが繰り広げれて、こうなれば短くて数分は二人の世界だ。いくら電話口で呼び掛けても無駄だということは、二人の子供として生まれてから嫌という程経験しているのでわかる。早くて数分、長くて……いや、考えるのはやめよう。

 このバカップルめ。

 そう内心で今まで何度言ったかもわからない言葉を吐き捨てて、いまだ降り止まぬ雪の中、白くなる息をぼんやり見つめた。

 ていうかまじ寒いんだけど。

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