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 友人との飲み会から帰ったら家が無くて、深夜の寒空の下、耳にあてた携帯越しに両親のいちゃつく会話を不本意ながらも聞くこと役10分。
 私のくしゃみが運良く電話機を握ってるだろう母に聞こえたのか、私の存在を思い出したらしい母の「あら名前ちゃん風邪? 大丈夫?」の声によって漸くいちゃつきは一時終了とあいなった。

 大丈夫? だなんて、いったい誰の所為だと……。喉まで出かかった言葉はどうにか飲み込んで、代わりに溜め息をついたけどきっと私は悪くない。

「あのさ。寒いんだけど。家何処?」

 心配の言葉をかけてくる母に対し、それには答えずに少々不機嫌な言葉尻で問えば、電話口からは若干の気まずさが伺えるような反応を返された。
 きっと「やっちゃった〜」なんて舌を出してるんだろう。うん、永遠の20代だもんね。私はもう何もつっこまないよ。

 それから漸く。本当に漸く入った本題は、簡潔にまとめていうならば、今後私が帰る実家はもう無いということ。

 厳密には、今現在二人が居るであろう家が私にとっての実家となるんだけど、それは今別の世界にあって、私一人で行くことはなかなか難しいらしい。
 じゃあどうして置いて行ったのか。それについては母曰く、「名前ちゃんにはこれから色んな世界のセイヴァーになってもらいま〜す!」らしい。

 まったく意味がわからない。

 まず“別の世界”とか“色んな世界”とか、言葉の次元が可笑しいし、そもそもセイヴァーとは何ぞ。

 なってもらいま〜す! と言って、再び向こうだけで盛り上がりそうになったところをギリギリでストップさせて、詳しい説明を乞うも、言ってる意味が……いや、意味はかろうじてわかるけど、言われてはいそうですかって、納得出来る内容ではとうてい無かった。それ以前に理解も出来ない。

 なんだ、今まで見てきたアニメやマンガの世界って。

 そりゃあ確かに、私の親は両親揃って色んなアニメやマンガを昔からやたらと進めて見せてきてたけど……。書庫ならぬ漫画庫とかあったけど……。その中のどれかに行って、私が“良い”と思うように世界を動かす……とか。
 そんな話を聞いて、私の口から思わず零れ出た言葉は、「寝言は寝てから言え」だった。

 普通の家庭の親よりも少し、いや、かなり変わった親だとは前々から思っていたけど、今まで一緒に暮らしてきて、両親に関しての変な言動や行動、良すぎる夫婦仲に対しての耐性はある程度ついていると思っていたけど、よもやここまでとは……。

 なんだろう。どうせ私が二十歳になって成人したから、あとは夫婦水入らずで暮らしていこうとか、そういう考えなんだろうか。それで私を説得する為に、ぜんぜんそれっぽくないけど、二人なりに考えたそれっぽい理由で納得させようってことでのこの話なんだろうか。
 仮にそうだとして、私だって近々家を出て一人暮らしでもして所構わずいちゃつく両親から物理的にも親離れをしようと考えていたからいいんだけどさ、高校時代から続けてたバイト代も貯まったし、なんなら昨日バイト先の店長から正社員にならないかとか誘われたし、私がこれから一人暮らしをするぶんにはいいんだけどさ。

 ねぇ、ちょっと待とうよ。

 いきなり家まで無くすって話がぶっ飛びすぎてはしませんか?

「いやぁーねぇ、名前ちゃんったら。ママはちゃぁ〜んと起きてますよぅ! それでね、名前ちゃん。お家があったところにキャリーバックがあるでしょ? それに名前ちゃんのお洋服とか詰めれるだけ詰めたから、それちゃ〜んと持って行ってね!」

「え、ていうか他の荷物は? 私の部屋にあったやつはどうしたの? いや、それより、持って行ってねって、私これから何処に行けばいいのさ! 夫婦水入らずで暮らしていきたいのは別に構わないけど、何も家まで無くさなくたっていいじゃん。私野宿?野宿なの?ひどくない?」

 これからホテルを取るにしたって駅前まで行くには今の時間バスなんてものはもう通ってないからタクシーを使わなきゃいけない。ここまで帰ってくるのに既に一度使ってるそれを再び呼んだとして、今現在の手持ちで払ってそっからまたホテルを取ったら、きっとお金が足りなくなるし、友達の家に行こうにも、この近辺に仲の良い子はいないから、結局タクシーを使うことになる。それでそのあとは電車での移動になるだろうけど、当然、終電はもう終わってる。
 少ない手持ちでタクシーを使って駅前まで行くとして、コンビニのATMすら持ってるカードでは時間外で引き落としが出来ないし……。まじでこれ野宿じゃん。

『ちょとちょっと、待ってよ名前ちゃん、落ち着いて。ママさっき行ったじゃない。先ずは尸魂界に行ってって。名前ちゃんにとってはじめての異世界になるから、最初の行き先だけはママ達が決めたけど、そっから先は名前ちゃんが思うように自由に行動して良いからね! あ、あとそれから――』

「待ってよ。尸魂界って、BLEACHじゃん。ねぇ、まじで言ってんの? 行けるわけないじゃん。夢見るのも大概にしてよね」

 脳内メルヘン永遠の乙女もここまでくると本当に話にならない。いい加減キレそうになって言葉尻もだんだんと強くなる私に、向こうも少しイラだって来てるのか、「あ〜ん、もう!」なんて言っている。

『名前ちゃんったら、今までもママ何回もセイヴァーについての話してたのに全く聞く耳もってくれなかったじゃない。それなのにいざ今になってこんなに怒るなんて、ママ悲しいわ……。もう泣いちゃおうかしら……』

「雪が降ってる夜中に一人娘を家があった場所に立たせたままで良いならどうぞ泣いて下さい。どうせパパに慰めてもらうんでしょ。つーか、泣きたいのはこっちだし」

 なにさ、こっちは慰めてくれる人なんていないっつーのに。

『ダメよ名前ちゃん! そんなお外で泣いちゃ、変なおじさんに連れていかれちゃうわ! 名前ちゃんはパパに似て美人さんなんだから……。あらどうしましょう。やっぱり今から一旦戻った方が良いかしら……』

 私の泣きたい発言で、先にそれを言った当人が途端に焦りだして、深刻に悩みだす。
 そんな母親に、苛立っていた気持ちも一気に冷めて、私は深い溜め息をついた。

「いいよ、戻ってこなくて。何とかするし。歩いて駅まで行って、探せば安いホテルもあるだろうから――」

『歩いて駅まで?! ダメよダメよ! 女の子がこんな時間に一人歩きするなんていけません! いつも言ってるでしょ?! めっ!』

 タクシーを使うのがもったいないから歩いて駅まで行くと話したら、久しぶりに怒られた。良い年した大人が、成人済みの子供相手に「めっ!」とは。これいかに。

 もう話すのも疲れたしいい加減寒いしで、適当に話し合わせて切ろっかな、とぼんやり遠くを眺めて思っていれば、その間も尚も懸命に話す母。

『いーい、名前ちゃん。よーく聞いてね。今から言う事はいつもみたいに聞き流しちゃダメよ。あ、ほら今適当に話し合わせて切っちゃおうなんて考えてるんじゃないでしょうね? 明後日の方向見てないでちゃんと聞きなさい。いーい? 名前ちゃん聞いてる?』

「……あー、うん」

 くっそ、何故バレた。

 それから仕方なく、真面目に相槌をうって聞いた母の話は、尸魂界への行き方だった。


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