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 衣服同様、薄汚れた体を洗い、用意してもらった着物を四苦八苦しながら身に付けた後、脱衣所を出た私は、そこで待機していたらしい四番隊副隊長の虎徹勇音と対面する。
 只でさえ、浴衣すらあまり自分で着る機会が無かった私が、着物なんてものをちゃんと着れるわけがなく、脱衣所から出た私に軽く自己紹介をしてくれた虎徹さんと共に、一旦出たばかりの脱衣所へと戻り、快く請け負ってくれた虎徹さんの手によって、正しく着付けをしてもらってから、二人で卯ノ花さんが待つ部屋へと赴いた。

 浮竹さんから粗方聞いていたとはいえ、私からも直接事のいきさつを聞きたいと言った卯ノ花さんに、治療をしてもらいながら、尸魂界に来てからの事を順を追って説明した。
 浮竹さんと話した時よりも、幾分か落ち着いて冷静になったからか、状況を一つ一つ、覚えている限りをすんなりと話す事が出来て、そんな私に、卯ノ花さんは手を動かしながらも、丁寧に相槌を打ってくれていた。
 
「それでは、あなたを牢へと入れた人物がどの様な者達だったのか、顔を見ればおわかりになるのですね」

 一通り話して区切りがついた頃、それまで相槌を打つだけだった卯ノ花さんが、尋ねるようにそう言った。

「それは……たぶん。でも今思うと、あの時は暗かったし正確にはちょっと……自信が無いです」

 腕を掴んでいた男の顔はまだ思い出せる。だけど他の二人に関しては、頭の中で思い浮かべてみるもなんだか朧気だった。その内の一人は今朝牢越しに見た筈なのに、今思い出そうとすると顔がはっきり出てこない。意地でも覚えてやる、とは意気込んだものの、やっぱりモブ顔だと難しいのだろうかと内心で独りごちる。

「何か特徴がわかれば良いのですけど……。――とはいえ、どうやら一人は十三番隊に居る可能性が高そうですし、この事は後で浮竹隊長にもお伝えしておきましょう」

 恐らく、私の話だけじゃなくあの男三人にも話を聞いて事実確認をしたいのだろうけど、誰なのか特定出来たとしても、きっとあの男達は覚えて無いはずだ。だけどもし本当に覚えてないなら、仮に私の荷物がある場所を聞く事が出来たとしても、その答えはあてにならないかもしれない。
 追い出されるにしろ再び牢に入れられるにせよ、一旦は自分の荷物を取り戻したい。
 残金が少ないとはいえ、財布には色々と大事なものが入ってるし、携帯だってあるのだ。たとえ没収されたとしても、いまだどこかで放置されてるのかと考えると、ソワソワと気持ちが落ち着かなくなるようだった。

「失礼します。隊長、浮竹隊長がお見えになりました」

 話も治療も一段落ついた頃、別の部屋で仕事をしていたらしい虎徹さんが入ってきて卯ノ花さんにそう告げた。それに対して、卯ノ花さんが答えると、虎徹さんが一度退室して、またすぐに顔を出し、それに続くように浮竹さんも現れた。

「怪我の治療は……、もう済んだのかな?」

 こちらを見て、一瞬驚いたような表情をしつつも、確認するように尋ねた浮竹さんに、卯ノ花さんが一つ頷いて答える。

「ふらはぎの傷が少し深いようで、しばらくは痕も残るでしょうけど、ずっと残り続けるようなものではありませんのでそこは御安心下さい。それよりも、問題は肩の方です」

 どこか真剣味を帯びたような表情で向き合う浮竹さんと卯ノ花さんの話をぼんやりと聞きながら、私は視線を右肩へと移動して、着物の下でサポーターのようなもので固定されたそこを無意識の内に眺めていた。

「外部には膝などに見受けられるような傷はありませんでしたが、右肩に内部損傷が起こっているようなのです。損傷しているのは腱板――簡単に言えば、筋なのですが、幸いにも断裂はしていない様でしたので、完治するまで痛むでしょうが、暫くは固定したまま経過を見ていこうと思っております。……ですが、あまり酷いようであれば手術を行うことも検討しなくてはなりません」

 浮竹さんが来る前に、私は既に、卯ノ花さんから同じような事を聞いていた。

 胸元を通って背中にまわり、押さえるように右肩を固定するサポーターは、現在進行形でその役目を忠実に守っている為、それだけでもう若干窮屈だった。だけど更に、首から吊るすように布に腕を通してる今の格好は、さながら骨折患者のようである。

 腱板損傷という、聞きなれない言葉に、いまいち程度の度合いがわからなかったけど、サポーターに加えて首から吊るされる腕を見て、もしかしてそこそこ重症なのかと思ったところに、手術という単語。
 今まで手術をするような怪我や病気に見舞われた事の無い私は、それだけで一気に不安になった。
 というより、不安要素が途端に拡大した。

 そもそも右が利き手な私にとっては大変不便極まりない。
 今後の衣食住の確保さえ危うい状況下で、この有り様は、文字通り“痛手”だった。

「――ということは、今朝あの場に集まっていた中に居たという事か……。ならばそこから更に、昨夜飲んでいた者を割り出せば、少なくとも一人は見つけられるかもしれないな」

「ええ。他の二人に関しては、何処の隊なのかも定かじゃないので何とも言えませんが……もしそのお一人を見つけられれば自ずと他の二人も判明するでしょう」

「ああ、そうだな。――では、俺はこれから隊に戻って、さっそく人物の割り出しをしてみることにするよ。卯ノ花隊長は彼女と共に、総隊長の元へ」

「はい。それでは、私達も参りましょうか」

 名前さん? という問い掛けと共に、座ったまま物思いにふけていた私の方へ卯ノ花さんが歩み寄ってきた。 
 どうやら総隊長がお呼びらしい。

 これでいよいよ尸魂界での身の振り方が決まるだろう。
 良くて流魂街へと追い出されるか、悪ければ再び牢入りか。もしかしたら、人間であることを考慮して奇跡的に現世へと出されるかもしれない。何れにせよ、手元に荷物が戻って来るなら何でもいい。
 だけどもし牢入りだったらやっぱり荷物は没収なのかな。だったら牢入り以外でお願いしたい。
 仮に、もしも牢に入れられても左手首にあるこのブレスレットがあればきっとなんとかなるだろう。

 油断すればすぐにでも不安で押し潰されそうな己の心を、内心で奮い立たせた私は、卯ノ花さんと共に、護廷十三隊の総隊長が待つであろう一番隊舎へと向かった。
 だけどそこで聞かされた話は、私が予想していた幾つかの展開とは異なる結果を生むことになる。
 
 結論から言ってしまうと、私は今後尸魂界で、特別救護要員という肩書きと共に、四番隊舎でのわりと安息な生活を手に入れた。
 まったくもっての予想外である。

 そしてもう一つ。総隊長もとい、山本元柳斎重國と、私の怪我の手当てをしてくれた四番隊隊長である卯ノ花烈、この二名が、なんと両親と知り合いだったという、予想どころか考えてすらいなかった事実が判明した。
 驚きすぎて言葉も出なかった私に、まるで孫でも見るかの様な眼差しを向けてくる総隊長と、どこか楽しそうに微笑んだ卯ノ花さんの姿は、きっと暫くは忘れられそうにない。

 “苗字名前という女の子が、夜中に瀞霊廷へ入って来たらしい”
 そう浮竹さんから伝えられた時点で、私があの二人の子供である事と、世界を移動して来たのだという事は、総隊長も卯ノ花さんも、実はわかっていたのだ。
 総隊長はともかく、卯ノ花さんは治療中とか一番隊舎に来るまでの道中とか、それなりに時間はあったはずなのに、何故教えてくれなかったんだろう。そうとは知らずに無駄に色々考えて身構えてたっていうのに……。だけどその答えがきっと、あの微笑みなのかもしれない。

「なにはともあれ、よう来てくれた。暫くは部屋で安静にしとくとして、その後は好きに過ごしてもらって構わん。じゃが気が向いた時にでもここへ顔を出しに来てはくれんかのぅ」

 それまでには旨い茶菓子を用意しておこう、と、そう言った総隊長は、もう本当に祖父感が半端無かった。
 

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