名前が人違いで拘束された翌日、マルコは一人のナースを連れて名前の居る地下へと訪れた。

「起きろよい」

 眠っているのか、はたまた気を失っているのかは、当の本人にしかわからず、マルコは一言そう言うと、横たわっていた名前の肩を揺する。

 ナースはそんなマルコの傍らで、持ってきた箱から必要な道具を取り出しつつ、名前の傷の具合を目視していた。

「……ッ」

 強くは無かったものの、揺すり起こされた事により、体のいたる箇所が痛みを訴えて、名前は目覚めると同時に表情を歪めた。

「飯の前に治療してやるよい。大人しくしてろよい」

 マルコはそう告げると、名前を拘束していたロープを解いてから壁の方へと移動して、それと入れ替わるように名前の前へとナースが現れ膝をつく。
 思考は寝起きで鈍く回転しつつも、名前はだんだんと己が置かされた状況を思い出し、伸びてきたナースの手から遠ざかるように、後方へと体を引きずった。――とはいえ、数センチも進めはしないのだが。

「大丈夫、治療するだけよ」

 名前の反応に、一瞬手を止めるも、ナースは一言口にしてから名前の頬に手を触れる。

「……ッ!」

 途端、触れられた箇所に、ピリッとした痛みが走った。
 ジクジク、ズキズキと、そこから浸透していく痛みが鬱陶しい。
 名前は今、自分の顔がどうなっているのかはわからないながらも、ナースの手が口元や頬、こめかみや額等に移動していく毎に感じる痛みから、顔だけでも酷い有り様なのかもしれないと想像した。

「……ッ、こんなのほっとけばいいのに」

 名前の口から、ポツリとそんな言葉が呟かれた。
 ふいに思っただけで、喋る気なんてなかったのに、出てしまったそれに少しだけ気恥ずかしさを感じた名前は、誤魔化すように顔をそむける。
 
 この船に乗る人々が探していた女と勘違いし、自分の否定の声等は聞き入れられずに拘束され監禁されたような状況で、どうして傷の手当なんかをされているのか、名前にはわからなかった。
 傷を作ったのは今目の前に居る二人じゃないにしろ、暴力を振るわれた原因は、名前を人違いして親父の敵と思い込まれたからだ。
 目の前にいる二人だって、散々殴ってきた人と同じく、名前を敵だと思っているはずなのに、責めるために傷付けた相手をわざわざ治療するだなんて、逆の立場ならしないだろう、と、名前は思ったのだった。

 名前の呟きは、治療する為にナースが動かす手元から発せられる音だけの静かな室内に響き、マルコの耳にしっかりと届いていた。

 小さいながらも確かに聞こえた声に、名前とナースの居る場所からそう離れていない壁際に寄りかかっていたマルコは、チラリと視線を名前へと寄越して口を開く。

「んなの、死なれたら困るからだよい。こんな汚ェ場所に居て、傷口から菌でも入ったら万が一って事もあるだろい」

 言うつもりもなかった呟きに、答えなど特に気にしていなかった名前だったが、マルコから返された言葉に、ほんの僅かな疑問が浮かぶ。

「死なれたら……困る、の?」

 名前はてっきり、死んだって構わないと思われていると思っていた。イゾウが殺すなと言ったのは、マルコがその時不在だったからで、敵の生死など、マルコが戻ってきて見定めたならどうだっていいのだろうと。

「……よい。あんたにはまだ聞きてェ事があるからな」

 マルコの言葉に、ああ、そうか、と名前は内心で頷いた。まだ見定め途中なのだろう。聞きたい事、というのが何かは知らないが、おそらくマルコ達には、求めている情報があるのだ。
 そんな事を考えながらも、名前の口元は自然と、マルコへと次の問いを投げ掛けていた。

「じゃあ、殺さないの?」

 気付けば漠然と、死ねば帰れるのではないかと、そんな考えが名前の頭の中に浮かんでいた。
 確信なんて無い。考えが外れればただ死んで終わりだというのに、その考えが浮かんだ瞬間、小さな光りのような希望が、胸の中でじんわりと広がった気がして、――だけど、自分から死のうだなんて思える程、名前の心はまだ折れてはいない。単に勇気が無いだけなのかもしれないが……――。

「今のとこはな」

 返されたマルコの言葉に、ずしんと、名前の心が重くなる。自発的は無理でも、他発的なら覚悟なんて必要ない。名前はそう思ったのだが、どうやらしばらくはそんな事も起こりそうにないらしい。

「……そう。残念……」

 名前は静かにそう言うと、部屋の、誰もいない隅の方へと視線を移して、口を閉ざす。

 残念、と言った名前の言葉に、マルコは僅かに眉間を寄せたが、それについては何も返す事はしなかった。――というより、言葉が浮かばなかった。

 マルコは昨夜、名前と対面した後に、集まった隊長各達と名前の様子について話していたのだが、名前と対面する前にイゾウから、船に連れてこられた時は怯えていたと聞いていた。だというのに、マルコが対面した時点ではそんな様子は見受けられなかった。そんな事から、怯えていたのはやはり演技なんじゃないかと、皆で推測していたのだが、いくらオヤジに毒を盛るくらい肝が据わっているからといって、それがバレて捕まり、名を馳せる海賊相手に監禁されているというのだから少しは動揺を見せたって可笑しくはないはずだし、ましてや女がたった一人で捕まったとなれば尚更。
 だけどマルコには、あまりにも名前が動じていないように見えた。
  それ故に、もしかしたら他にも仲間がいて、助けが来るのを信じているからこその落ち着きなのかと考えていたのだが、今さっきの名前の発言は、まるで死を望んでいるかのようである。

 こいつはいったい何者なのか。

仮にオヤジに仇なす者を挙げるとすれば、一番有力なのは他海賊、もしくは海軍だろうか、と考えてみるも、その体つきは良く見るまでもなく一般人のそれに等しい。

 マルコはますます名前の事がわからなくなった。






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