骨が折れてしまうのではないかと思う程、二人の男にギリギリと強く左右の腕を掴まれて連れられた先は、物置のような暗い部屋だった。
 何度も階段を下った事から、おそらくここは地下であろう。
 名前を投げるように部屋へと放り込むと、二人の男は、まるで鬱憤を晴らすかのように名前へと暴行を加えた。
 聞こえる言葉はどれも名前には身に覚えの無い罵声ばかりで、何度否定しても、うるせぇと遮られて拳が降り注ぐ。
 頭や顔を殴られ、倒れれば腹や背中を蹴られる。髪や胸ぐらを掴んで引き起こされては、また殴られ。何度も何度も、今まで経験したことの無い痛みが名前を襲った。

「お前の所為で……、お前の所為で……ッ!!」

「もしこのままオヤジが目覚めなかったら絶体に殺してやるからな!! 死んでからも殴り続けて切り刻んでやるよ!!」

 数分か、数十分か、はたまたそれ以上か。謂われ無い言葉と暴力に、名前はだんだんと気力を奪われていった。
 違うと言っても聞き入れず、やめてと言っても止まらない。反応する事全てが無意味だった。
 次第に意識は朦朧としていき、声を出す事も痛みに悶える事もしなくなる。
 そんな名前に気付いた男は、もう一人の男の動きを言葉で制す。

「まだ殺すなって言われたからな。これ以上はまた今度だ」

 悔しさのような色味を含ませて、渋々といったていで発せられた言葉に、もう一人男は一度舌打ちをしてから頷いた。

「……そうだな。じゃあとっとと縛っちまうか」

 荷物が積まれたところからロープを取り出すと、男は壁と一体になっている棚の方まで名前を引きずる。
 天井から床まで、木材で作り付けられた棚の、縦に伸びる柱部分にぐるりとロープを回し、次に名前の両手首へと巻きつけてから、男はそれを固く縛った。
 それから二人の男は、それぞれ名前へ一言ずつ、先程までと似たような事を言ってから、部屋の外へと出て行った。
 先程まで開けっぱなしだった扉が、バタンと閉められた事によって、室内は一層暗くなる。

 名前は薄れ行く意識の中で、もう帰れないんだと絶望していた。手首に巻きつけられたロープはきつく、本の僅かな弛みも無い。
 たとえ弛ませる事が出来たとして、万が一運良く船から脱出出来たとしても、住み慣れた自分の家へと帰る事は、きっと出来ないかもしれない。

 名前は先程、あのイゾウという男を目にした時点で、“ここはどこなのか”という当初に抱いた疑問をある程度解いていた。
 ある程度とはっきりしないのは、その答えが、存在しないはずの場所、ここは異世界なんだという、あまりにも非現実的なものだったからだ。
 とはいえ、夢というにはリアル過ぎる感覚に、少なくとも今が現実であるという事を名前はちゃんと理解していた。

 人の手により物語の中で作られたキャラクターだったはずの人物が居るということは、その世界の中に自分が入り込んでしまったという事だろうか。突拍子も無いような、普通ならばあり得ない事だが、驚きを感じる以前に、名前は己が陥ってしまった状況をいかにすれば抜け出せるのかという事に精一杯で、素直に驚き等という感情だけに浸ってる余裕はなかった。
 男から暴行を加えられ、ロープで拘束された今は尚更、名前にとって、もはやここが何処かなんて然したる問題じゃない。どうして来たのか、どうやって帰るべきなのか等、この船から脱出してしまわなければ考えたところでどうしようもないのだ。

 ズキズキ、キリキリと痛む体を床へと横たえたまま、朧気になっていく意識に抗うことなく、名前はゆっくりと瞼を閉じた。
 
 追われて走って、怒鳴られて殴られた。

 ほんの一、二時間の間で起きた出来事に、心身ともに酷く疲労していた所為か、名前はいつしか気を失うかのように眠りについていた。
 それは数分か数時間か、どのくらい眠ってたのかなんて、時計も無く、窓すらも無い暗い部屋では、知る事が出来なかったが、肩を揺すられる感覚で、名前は意識を浮上させた。

「……起きたかよい」

 目を開けた途端、瞼の隙間から入り込んだ光に、一瞬もう一度目をつぶってから、ゆっくりと再び開く。
 横たわった目の前には男の足があり、その傍らには蝋燭の灯りが、辺りを照らすようにゆらゆらと揺れていた。

 また殴られるのだろうか。揺れる灯りを見つめながら、名前はそう思った。

「随分派手にやられたみてェだが、……話は出来るかよい?」

 男の声に、その特徴的な語尾に、名前は視線を上げずともそこにいる人物が誰なのかと想像がついた。白ひげ海賊団一番隊隊長、不死鳥マルコ。
 ということは、やはりここは、エドワード・ニューゲート率いる白ひげ海賊団の船の中、という事で間違いないは無さそうだ。
 そう確信を持ったところで、どうするわけにもいかないのだが、いまだに頭は状況を把握しようと勝手に働く。それとは別に、名前の内心は自暴自棄に陥っていた。
 マルコの言う“話”というのは、この船で他の男達に散々浴びせられた言葉の、その内容の事だろう。責任感の強い一番隊隊長の彼なら、船の為、仲間の為、そしてなによりオヤジの為にと、行動するのだろう。
 だけど、彼なら、状況の把握等はおそらくこの部屋に来る前に済ませているはず。ならば事実確認をしに来たのだろうか。
 オヤジに毒を盛った事について、やったのかやってないのか。本当に自分なのか自分じゃないのか。そんなの、当然どちらも後者だ。だけど……――

「……何が可笑しいよい」

 知らず、名前の口元はゆるく上がっていた。

言ったところできっとこの男も信じない。
 見上げた先のマルコの目は、案の定前者を見るような目だった。
 彼の中では答えは決まっているのに、まるで発言権を与えてやるから自由に話せとでもいうかのような口振りに、名前は可笑しく感じた。
 だけど、口元に含まれた笑いに、込められた意味合いはそれだけじゃない。

 名前の中でイメージしていたマルコとは、物事を冷静に判断して、正しいか正しくないかはちゃんと見極められる人だった。でもそれは所詮、名前のイメージでしかなく、実際のところなんて知る術は無かったのだ。今までは。
 マルコが船長であるオヤジを何よりも慕っている事は、彼が登場する物語りで、たとえ登場回数が少なくたって感じられたし、オヤジと慕われるエドワード・ニューゲートが、自分の船に乗るクルー達を家族だと扱って大切にしてるなら、マルコだって同じように大切にしようと思ってるはずだ。
 仲間が、家族が言う言葉を疑うなんて事はしないだろう。

 笑いには、己への自嘲も含まれていた。名前は心のどこかでマルコに期待していたのだ。彼ならきっと、ちゃんと調べてくれるはず。ちゃんと見抜いてくれるはずだと。だけどそんなものに淡い期待を抱いてたって、それは勝手なイメージから作られた産物のようなものだったのだ。当てにはならない。
 状況は何一つ変わらない。

 そんな名前の思いなどマルコには伝わるはずもなく、自分を見上げてうっすらと笑った名前に、マルコは良い印象を持たなかった。

「……お前が、やったのかよい」

 先程よりも一段低くなったマルコの声が、ぽつりと室内に溢された。
 疑問符すら浮かべてないその言葉に、名前は一言、違うと口にしてから、上げていた視線を再び蝋燭の灯りへと移した。
 
 無駄だ、と名前は思った。言われる事に何度否定したって、彼等が求めてる答えは別なのだ。何を言っても信じない。逆に肯定すれば、彼等はすんなり信じるんだろう。
 やったかやってないか、彼等の中で当に決定付けられてる事をいちいち問うことに、もはや意味はないはずだ。それなのにこうして、態々マルコが訪れて問うてきたのは、きっと他に名前へ聞きたい事があるのだろう。

「いい加減認めたらどうだよい。散々殴られたんだろ? 認めちまえば、もう痛い思いはしなくても済むかもしれねェぜ」

 こんな出会い方じゃなければ。脳裏によぎった思いに鬱々として、名前は内心で溜め息をつく。
 
「認めるも何も、私は何もやってない。人違いだって何度も言った。あなた達が勝手に決めつけてるだけじゃない」

「人違いねェ……。生憎、そう言われて簡単にそうかよいって頷く訳にはいかねェんだよい」

 マルコはそう言いながら、目を細めて蔑むような視線を名前へと送る。
 いったいいつまで、意味の無い言葉を繰り返せば良いのか。名前はもう、いちいち反論するのが億劫だった。たとえどんなに身の潔白を訴えたところで、自分達が正しいと思っている連中は聞く耳など持たないのだ。それなのに何度も何度も同じ問いを寄越してくるのは、ただ単にやったという事を相手に認めさせたいだけなんだろう。
 仮にマルコが、その先に何か知りたい事があるのだとしても、無実無関係な名前がその答えを持ち合わせてるはずもなく、現状の何もかもがお互いにとって無駄なのだ。

 話す言語は同じなのに、何一つ伝わらない事が“もどかしい”を通り越して、もはや馬鹿らしく感じた名前は、それっきり口を閉ざした。
 何度かマルコが問いかけを寄越してきたけれど、耳に入れないように、聞こえないふりをして、ただただ蝋燭の灯りに集中した。
 ゆらゆらと揺れるそれを見続ける事だって意味はない。けれども、他に気を散らせられるようなものを名前は思い付かなかったのだ。

 自身の声に何も反応しなくなり、ただボーッと蝋燭を見出した名前に、今日はこれ以上話にならないとふんだマルコは、一つ溜め息を吐き出して部屋を出る。
 その際、蝋燭も一緒に部屋の外へと持ち出すべく手に取とれば、名前の瞳はもう何も見たくないとでもいうかのように閉じていった。

 拒絶なのか、単に強情なだけなのか。そんな事を思いながらも、聞きたいことは何一つ聞けていなかった事に、マルコは再度息を吐き出した。






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