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「すまない。まさか君が何も知らなかったとは想定外でね。報告したらきっと火影様もびっくりするだろうなー……。とりあず……、どうしよっか……。」

 んー、と唸りながら首を傾げる猫面さん。どうしよっかって何なんだ。というか私のさっきの疑問には答えてくれないのか。

「……知らなかったとはいえ、ここまで話しちゃったんだからあなたも気になるわよね。」

 兎面さんのその言葉に、私は素直に頷く。なんの話かさっぱり分からないけど、分からないからこそモヤモヤする。

「でも詳しく説明するには長くなってしまうわ。今日はもう夜も遅いし日を改めましょう。それに、私達が説明するよりも、火影様からしてもらった方があなたには良いと思うし……今ここで私達だけで勝手に話を進めるのも……。」

「そうだね。まずは一度火影様に報告しに行こう」

 だから、私を置いて話を進めないでくれ。そもそもこの2人、何で今日はこんな近くまで現れたんだ。今までこんな近くまで接近してきた事は一度だって無かったはずだし、私から声をかけたとはいえ、姿を現す事だって異例じゃないの? 何か目的があったのか。だとしたら話の終着点に辿り着いたように区切りをつけて帰ろうとしてる2人は何なんだ。

「……あの、ひとついいですか?」

 僕が報告しに行くからお前は帰ってもいいぞ、とかなんとかやりとりしてる2人に、かまわずに声をかけた。くるりと2人の顔がこちらへ向けられる。猫と兎。響きは可愛いが、とても可愛いさがあるお面ではない。そしてこの部屋、電気をつけてないので真っ暗である。そんなところで2つの面が同時に振り返ってみろ。ちょっとした恐怖すら生まれる。
 
「なんだい?」

 普段じゃなかなか見る事のない光景に、言おうとしていた言葉が詰まってしまったが、そんな私に2つの面はコテリと首を傾げた。あ、ちょっと可愛いかも。

「え、と……。お二人は、今日は何でこんなに近いんですか? 追跡するにしても、いつもは離れたとこから私の後追ってましたよね。自分から声かけといてなんですが、姿を現すのも今日が初めてじゃないですか。なにか、私に用があったのでは……?」

 言い終えてから、2人を真似て私も首を傾げた。雲に隠れていたらしい月が姿を現して、その淡い光が窓から室内へと侵入して来る。
 数瞬の間を置いて、後にハッとしたように空気が震えた気がした。忘れていたのか、もしかして。
 
「そうだったそうだった。いや、僕達、今日は君に会いに来たんだよ。って行っても君がいつどこに現れるか分からないから、この近辺で待ってたんだけど……長期戦も覚悟してたから、君が今日来てくれて助かったよ」

「ごめんなさいね。会いに来たと言いつつ、声をかけられるまで潜んでて。少しあなたを試したかったの」

 あはは。ふふふ。なんて、薄々思ってはいたけど、この2人、結構フレンドリーである。いいのかそれで。暗部ってもっとクールなイメージだったんだけどな。猫面さんなんて既にヤマトさんなんじゃないだろうか。

「……それで、どういったご用件で?」

「実はね、君と一度直接会うようにって、火影様から言われて来たんだよ僕達。」

「あなた、今日の昼頃に火影様に忍辞めるって額当て返して来たのよね?」

 あー、やっぱりそういう感じの話なんですね、と内心独りごちりつつ、頷きを返す。

「君がどういう理由でそう決めたのかは分からないけど、こちらとしては君に忍を辞められちゃ困るんだ。それに、火影様に何の理由も告げずに帰っちゃったんだろう? その事についても、火影様は知りたがってる。」

「……だから、お二人が理由を聞いて来いと火影様に命じられたんですか?」

 それって何ていうパシリ……。いや、その前に、私に忍辞められて困るってなんだ? 迷惑かけるつもりはないぞ。

「まぁ、当初の目的はそれだったわ。理由を聞いて、出来れば説得して来いっていうね。……けれど、あなたとこうして初めて話してみて、私達がずっと勘違いをしていたかもしれないって分かった今、状況が変わったわ。」

「今の、僕達が持ってる材料では、君を説得するのは難しそうだ。苗字一族について何も知らない君に、その材料を見せても通用しない……というより、現時点では意味をなさない。」

「……材料、?」

 説得とは、苗字一族について私が知っている事を前提でするつもりだったのだろうか。でも私は知らない。そもそも私の存在も、苗字一族に関する事も、原作には無かったのだから。描かれていなかった事について、知る由もない。

「うん。だからまずは君に自分の一族について知ってもらう必要がある……と僕は思うんだけど、これに関しては火影様も交えての方が良いってね。……でもその前に、忍を辞めたい理由だけ聞いても良いかい?」

「……私はただ、普通に暮らしたいだけです。」

 普通に、平凡に。思い出してしまった事に、知らんぷりして、起きるであろう事象を他人事として眺めてく。怖いのも痛いのも嫌。
 だというのに、なんでこうも上手くいかないのか。辞める、と告げた言葉は、猫面さん達の言い方からして火影様はまだ受け入れてくれてない。それどころか、わざわざ2人を私に向かわせてまで引き止めさせようとしてる。そうまでする理由が、私には分からない。もしかしたらそこに、私の知らない“苗字一族について”が関連してるのかもしれないけど……。

「確かに私、火影様には何の理由も話さずに一方的に辞めるとだけ言って帰りました。ですが、カカシ先生にはその前にお話しましたよ」

「そうなのかい?……だとしても、火影様にもちゃんと言わないと……。」

「すみせんでした。まさかお二人がこうしてわざわざ訪れるとは思わなかったので……。」

 それについては謝ります。ほんと。

「まぁ、でもそっか。“普通に”、ね……。確認だけど、それは一般人としての“普通”を求めてるって事なんだよね?」

 そう言いながら、猫面さんは少し前屈みになってクイッと顔を近づけてきた。
 突然アップになった面の、目元に開けられた僅かな隙間。こんな暗がりでは、その奥にあるはずの本当の目は見えやしないけど、そこから送られる真っ直ぐな視線が、私へと向けられている事は確かだった。

「はい。そうですけど……。」

 猫面さんの動きに、反射的に少し後ろへと仰け反ってしまった。
 いったいこの“確認”には何の意味があるのか。さっきから分からない事だらけだ。

「……そっか、」

 少し落とされたボリュームで、そう一言。どこかしんみりとして、僅かな余韻が感じられた猫面さんの声。けれどそれはすぐに、開けっ放しの窓から入ってきた優しい風に、静かにそっと流されて行った。

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