15
もふもふ、ふわふわ。何かが顔に当たってる感覚で、夢の中から引き上げられる。
「――ニャー(ナマエ。ナマエおきて、)」
「……ねこ、……の声、?……あ、」
ゆっくりと目蓋を開けば、ドアップの黒猫。顔に当たっていたもふもふふわふわの正体はこの子のだったようだ。
「ニャー(ナマエ、おれおしっこしたい!)」
「おしっ……。! ごめんごめん、外行こう外!」
早く外につれてかなくては! いつからしたくなったんだろう。ていうか私どれくらい寝てたんだろ。いや、それより、適当にその辺で済ませないで私を起こすとか、この子どんだけ出来た猫!
「はい、行っトイレー」
洞窟から出たとこで抱えていた猫を降ろしつつ親父ギャグ。なんとなく言っただけだよ。とくに意味はないよ。
「ニャー(すぐ戻ってくるから待っててね!)」
カサカサと草を踏み鳴らして走って行った猫を見送りつつ、去り際に放たれた台詞に悶絶した。可愛い! 懐いてくれたのか。懐かれてくれたのか。いや、友達になったんだけっか。ともあれ、今後も洞窟に来てくれるならトイレ問題を考えなくては。……私のトイレ問題もそろそろいい加減どうにかしようかね。
如何に快適に模様替えしたとしても、所詮はただの洞窟。トイレや風呂なんて物はあの中には作られていない。風呂は近くの川でザブザブしたりしなかったり、アカデミーの帰り際に銭湯寄ったりしてたし、たまにアパートの風呂場を使ったりしてるから特段問題は無い。1日に1回綺麗に出来れば良いからね。
だけどトイレに関しては、1日1回というわけにもいかないし、突然行きたくなる時だってあるわけで……そんな時は最寄りの公衆トイレまでダッシュである。まぁ、あまりそうならないように、行けるときには行くようにして余裕を持ってるつもりではあるけども……。そこまで上手くコントロール出来ないよね。でも日々のトイレダッシュのおかげで足が鍛えられている。
そう、これは一種の鍛錬だ!……って思うことにしてたけど、ぶっちゃけトイレ近くに欲しいよね。どうしようかな。業者さん呼ぶ? 洞窟に設置なんてしてくれるかしら?
「ニャー(おまたせ!)」
「おかえりー。私もトイレ行って来ようかと思うんだけど、中で待ってる?」
「ニャー(中でまってる!)」
猫を抱えて一度洞窟へ。留守番を任せる事にして、私はトイレへとダッシュした。いつもより速く瞬足に。どうしてあの子はあんなに可愛いんだ。戻るついでに何か買っていこうかとも思ったけど、寝ている間にすっかり夜中になっていたらしく、通り道にある店は全て閉まっていた。無念。アパート……は気乗りしないしなぁ。けど昨日、あの子に飲ませようと買った牛乳が残ってる。腐らせるのも勿体無いし、店は閉まってるし……。仕方ない。行くか。
アパートに近づけば、付近に潜む1つの……いや、2つの気配。気乗りしない理由はどうやらビンゴだったらしい。
私の居所を探る火影様は、確実に居ると分かっているアカデミーから、人を使って私の帰路を辿っていた。けど卒業してからはそうはいかなくなる。私が何処に居て、何処から現れるのかを知っていなければ追跡も何も出来やしない。
おおかた独り身の私を案じての事だろうと思ってたけど、わざわざ人を使ってまで把握したいって、どんだけ過保護なんだ。それとも、他に理由があるのだろうか。
アカデミーを卒業して、そこからの追跡は出来なくなる。が、7班として行動するなら、班の動きを把握すれば、私の居場所だって把握出来るし、追跡の開始場所もあらかた決められる。
だけど私は忍を辞めた。きっと火影様からしたら予想外だったに違いない。そして私の動きが読めなくなった。そこで諦めてくれれば良いのに、まだ火影様はそのつもりは無いらしい。
アパート付近に潜む2つの気配は、アカデミー帰り、いつも私の後をついて来るものと同じ。
たまにでもここに私が出入りしている事は知ってるから、私がここに来て、帰る時に追跡スタートするつもりなのか……。
私が今日来たのはたまたまだ。気が向かなきゃきっと何日も来なかっただろう。その間もずっとここで待機するつもりだったんだろうか……。まさかね。
潜む気配に気付かぬふりをしてアパートの自室へ。昨日のカカシ先生の不法侵入によってボロボロになった部屋はまだそのままだった。まぁ、1日で修繕されてたらびっくりだけど。
仕掛けで使ってた忍具はカカシ先生がまとめてくれてたから片付けるのも楽で、そのついでにピタゴラ装置も一度全て撤去した。部屋の修理に業者とか入るだろうしね。なので今この部屋はボロボロなだけで普通に安全地帯である。つまりは不法侵入するのも簡単で、入ってもトラップが発動される事は無いという事。
部屋の中央付近に、昼間カカシ先生に奪われたリュックが置かれていた。
またもや無断で侵入したらしい。いくら下心が無いとはいえ、勝手に出入りされるというのは――。
「ぶっちゃけ気持ち悪いですってカカシ先生に会ったら伝えといてくれません?」
天井裏へと視線を向けて、私がアパートに入ると同時にそこに移動して来た気配へと声をかけた。
気配に関しての能力が優れてるって私を評価してくれてるなら、なんで今日に限ってこんなに近づいて来たのか。
あ、評価してくれたのはカカシ先生だっけ? いやでもそれは火影様から聞いてた話もあわせての発言だろうし、火影様も同じような事を思ってると考えても良いだろう。自惚れかもしれないけど。
「……やっぱり気づいてたのね。」
数秒の沈黙ののち、音も無く床へと着地した“気配”は、兎の面をつけた女の人だった。
「いつもご苦労様です。……そちらの方も。」
カラリと窓を開けて、ベランダで身を隠していたもう1つの気配にも声を放つ。
そこにいたのは、面をつけた男の人。その面は猫である。ちょっと待て。
「こんばんは。」
この男、猫の面って……しかもこの声……! どう考えたってヤマトじゃねぇかよおい!
な、なんでェ? まさかいつも後をつけて来る気配がヤマトだったとか、どんな人材の振り分け方してんのよ火影様は……。
それにこの兎面の人もなんだか見覚えがある気がするんだけど。いや、そんな事より――。
「あなた達、……暗部、ですよね?」
振り分け方以前にどんな人材あてがってんのよ火影様……。
「そう。良く分かったね。」
「実際に見た事は無かったですが、授業で習いましたし……、なんだかお二人ともそれっぽいですもん。」
ヤマトさ――いや、猫面さんに言った事に嘘はない。たとえ前世の記憶がなくても、私はきっと2人を見て暗部だと思ったはず。雰囲気が違いますもんね。それに、普通の大人はまずお面なんてつけて出歩かないでしょ。
「さすがね……。」
なにが?! 今のどこにさすが要素あったの? 顔は面で隠されてるとはいえ、声色でだいたいの感情は読み取れる。けど、兎面さんが何に感心したのか全くわからん。
「……あの、いつも私の後をついてきてたのって、お二人ですよね? たまに違う人の時もあるけど……。」
「!……そこまで分かっていたなんて……。やっぱりあなたも苗字一族ね。」
「……なんでそこで“苗字一族”なんですか?」
兎面さんが独り言のように呟いた後半の言葉に、そこに何らかの意味合いが含まれてるようで、私は気づけば思わず問い返していた。
4年前、両親と共に消え去った苗字一族について、私が知っている事は少ない。というより、ほとんど知らないと言っても過言じゃない。“記憶”を思い出す前から、人付き合いを得意としていなかった私は、両親以外との交流を、たとえ同じ一族の人間相手でもしてこなかった。
「……君は、自分の一族について知らないのかい?」
疑問符を投げた私に、返ってきたのは、同じく疑問符を浮かべたような声色の猫面さんだった。表情はわからないけど、なんだか不思議がられてる気がする。
「……私、昔から人付き合いって苦手で、両親以外の人とはあまり関わらないで過ごしてたんです。極度の人見知りって事で両親は理解してくれてて、両親の友人や親戚の人が家に訪ねてくる時なんかは、たいて私は部屋に引っ込んでましたし、同じ一族にどんな人達が居たのかってのはあまり知りません。一族についても、両親からは特に……。」
シン、と空気が静まった。あれ、これもしかして私、2人にひかれてる?
「……まさか。いや、少しくらい何か聞いてないのかい? 忍術とか、親御さんに見せてもらったりとかしなかった?」
「え、……と。勉強はアカデミーで、修行は各自で、っていうのが我が家のルール……というより、方針? でした。アカデミー入りたての頃にチャクラの練り方が分かんなくて聞いた事があったので、たぶん頼めば手伝ってくれたんでしょうけど……。」
「……チャクラの練り方以外で教えをこうた事は無かった……。」
猫面さんの言葉に頷く。
「じゃあ、あなたは……自分の一族がどんな忍術を使うのか、知らないって言うの……?」
「そうですね、両親が術を使うとこは見た事ありませんし、他の――同じ一族の人達のも見た事がありません。」
ていうかなんだ。なんでそんなに信じられない! みたいな反応なんだ。そりゃあ確かにアカデミーに入ったんだし親から術を教えてもらったり、修行を見てもらったりするのは普通の事なんだろうけど、そんなの各家庭それぞれだろう。……いや、そこじゃないのかな。2人が驚いてるポイントは……。
「それじゃあ、苗字一族の忍術は……」
「いや、でも彼女の気配に関する並外れた能力は、苗字一族の異例さを表していると言っても過言じゃない。たとえ、受け継がれると思われていた忍術が使えなくとも、新たな忍術を彼女が作り出す可能性だってある……。」
何やら神妙そうなトーンでやりとりしだした2人。さっきから“苗字一族の忍術”って言うけど、いったいそれが何なんだ。しかも一族の異例さって何。なんか凄い一族とかだったの? まったく話についてけない。
「それもそうね。……それに、あの森――」
「ちょ、ちょっと待って下さい! いったい何の話してるんです?……というかそもそも、暗部って……。こんな子供のおもりみたいに追いかけっこするような人達じゃないですよね?」
暇なのか。いくら今は平和だといえ、たかだか身寄りの無い子供相手に、暗部を使うような案件じゃないはずだ。――もしかしたら、たんに私がどこで生活してるのかを知りたかったわけじゃない……?