それはまさしく奇跡と称して違いない瞬間だった。

男は、代役を頼まれた舞台の本番中、照明の中から客席を見渡した。
自分の台詞のない場面で遠くを見つめる演技をし、1人の観客と目が合った。

女は、友人に譲ってもらったチケットで舞台を観劇していた。
舞台の真ん中で朗々と語る主人公から目をそらし、その隣に立つ役者と目が合った。

時間にしてほんのわずか。
永遠にも感じたそれを先に逸らしたのは男だった。自分の立ち回りと台詞のタイミングで実際は2秒もないと理解したが、心は追いつかない。追いつかずとも考えずとも勝手に動く優秀な体に感謝した。
そして暗転。客席から起こる拍手を背中に袖に戻る。
今の場面で台本は終了。残りはカーテンコールだけである。

一方、女は拍手の音がやむまで動けずにいた。
―――たった今、ここで、いったい何が起こった?
随分と長い時間に感じたが、あの衝撃が走ったのはたった一瞬。瞬きにも満たない刹那。
暗転した舞台が再び照らされる。
続いて袖から役者が出てきた。すでに彼らは役の顔を脱ぎ捨て、己の姿で登場している。
女は、3番目に出てきた彼から目を離すことが出来なかった。

だが、男は2度とこちらに視線を送ることはなく、あの瞬間を確かめることも出来ず、あっけなく幕は下りた。



  *:;;;:*:;;;:*



幕が下りてしばらくたっても、三枝和月は席を立たなかった。
開演前に入口でもらったチラシをバッグから取り出し、出演者一覧を見る。
だがそこに目当ての名前はない。

「・・・うそ、」

そんなはずはない。
たった一瞬だったが、あの衝撃を間違えるはずがない。
舞台終盤の目が合ったあの瞬間。言葉なんて必要ない。お互いに同じことを思った。

どうしてここに。
何をしているんだ。
今までどこにいたんだ。

―――やっと、見つけた。


ふと気が付くと客席にはもう誰もおらず、自分一人だけが座っている。
人の気配も喧騒も遠く、いつの間にか相応の時間がたっていたようだ。
慌てて荷物をまとめ、扉へと向かう。
二重の扉をくぐり、明るすぎる照明に床を見つめたところで誰かとぶつかった。

「っと!すみません!」
「あ、いえ・・・こちらこそ」

相手はよほど急いでいるのか、立ち止まることもせず謝罪の言葉を置いて劇場内へと消える。
和月も振り返ることなく出入り口へと足を運んだ。
怪我をするほど勢いがあったわけでもなし、ほんの少し肩が接触しただけ。
それに、和月にはそんなことを気にしているほど余裕はなかった。
どうしても、今すぐに確認したいことがある。
出入り口で観客の誘導をしていた劇団のTシャツを着た女の人を捕まえる。

「あの、ちょっとお聞きしたいのですが・・・」
「はい、何でしょう」
「今日の舞台で、この役をしてた人って・・・」

先ほど眺めていたチラシを見せる。
すると女性は、ああ、と呟いて答えた。

「今日は代役だったんです」
「代役?」
「ええ。その写真の子が急遽出られなくなったので、別のメンバーが出たんですよ」

ちょっと待ってくださいね、と言うと、彼女は近くのパイプ椅子に積まれた紙を持って来た。
手渡されたのは2つ折りのチラシ。中を開くように促される。
どうやら、この劇団の紹介用のチラシである。
中には人物写真がいくつも掲載されており、彼女はその中の1人を指さす。

「今日舞台に出てたのは彼ですよ。代役にしては中々馴染んでいたでしょう?」
「・・・・・・えぇ」
「うちの期待の星なんです」

よかったら覚えてやってくださいね、なんて茶目っ気たっぷりに言う彼女の声は、残念ながら和月には半分も届いていない。
直後、彼女は応援を呼ぶ声にその場を去った。
残されたのは、チラシを眺める和月だけ。

和月は、ただ1枚の写真から目が離せなくなっていた。

間違いない。さっき見たのはこの顔だ。
見間違えるはずもない。もう500年も会ってないが、だからと言って彼を間違えるものか。
前世ではとうとうその素顔を見ることは叶わなかったが、それでもあの瞳は彼のものだ。

写真の下に書いてある名前を、そっと指でなぞる。


「・・・鉢屋、三郎」


―――やっと、見つけた。


2017.08.15

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