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 迅の話を聞いてから一週間が経ち、C級にとどまることを決意した俺は個人ランク戦に出ることも合同訓練に出ることも控えるようになった。優等生隊員になったのは短い時間だったな。
それにともない本部に足を運ぶことが激減し、七十五日が経つ前にあの噂も自然と薄れたらしい。実際たまに本部に足を運んでも、すれ違った何人かにそういう目を向けられるだけで長時間注目されることは殆ど無くなっていたし、直接そういうことを言ってくるような輩も居なくなった。状況や戦況が刻々と変わっていくボーダー内では俺の噂なんて毛ほども価値はないということだろう。
それに今思えば、遠征から帰ってきた後迅が噂に対して言及してこなかったのも、未来を視たうえで、ボーダー内では大したことじゃないと思っていたかもしれない。

そんなボーダー内で存在感の薄れてきた俺は、さっきも述べたように個人ランク戦にも出ず合同訓練もサボり、たまに玉狛支部でレイジさんや迅にノーマルトリガーとブラックトリガーの訓練を付き合ってもらい、防衛任務のあるときは防衛任務に勤しみ孤児院で多くを過ごすことを中心にする初期と変わらないサイクルで生活を送っている。前よりはブラックトリガーの扱い方が分かってきたので玉狛支部に行く回数は減ったと思うけれど。孤児院を優先するために。
でも今日のような防衛任務もなくて学校のない土曜は不定期に入れて貰っている派遣のアルバイトに出ていて、平日よりも孤児院に居られる時間が減ってしまうのでいつも少し不安になる。

「い、伊都先輩…………重いです」
「がんばれー」
「積みすぎ…………」

どさっ、とトラックから下ろしたダンボールを次々と俺の持つ台車に乗せていくバイト先の先輩である伊都先輩に、俺は腕の筋肉と体重移動で台車を動かしながら苦言を溢す。
俺の仕事はこのスーパーの裏口から在庫を運ぶのと、店内に入って商品を並べることだ。夜になった今は着いたトラックからダンボールの山をスーパー内に運び入れる方の仕事に勤しんでいるが、午前中は品だしを行っていた。

「伊都せんぱい、あと何回っすか、?」

久々のバイトの労働に、身体を鍛えているわけでもない俺は、はあはあ、と息を整えながら、トラックの荷台に上ったままの伊都先輩を見上げながら尋ねる。伊都先輩は下におろすだけだからそんなに疲れていないようだけど、多分俺の方の仕事をしていても疲れないんだろうな。

「あと、二回」

こめかみの汗を拭う俺にブイサインを向ける伊都先輩は、何故か『楽しい』という視線でニコッと笑う。
なんだ、伊都先輩ってドSなのか。
でも、伊都先輩ってモテるらしいから需要ありそう。身長高いし、同じ年齢のクソ慶とは違って計画性もあるし、俺みたいな後輩にも優しいし、久々にあっても変わらず接してくれるから、男の俺でも伊都先輩がモテるという事実に納得するしかない。
そのことで絶交したままの慶の顔を思い出してしまったが、首筋の痕はとっくに消えたので、上限すれすれまで積まれたダンボールの量に改めて息を吐いてから伊都先輩に小さく返事をした。そして、力を込めてスーパーの中にそれらを運び込むと、後ろで新たなダンボールを下ろす音が聞こえて思わず眉を寄せる。
あ、そういえばレイジさんが『力強く的確に動く身体があって、その上でいろんな知恵や道具が役に立つ』って言ってたな。それって前にレイジさんが『トリガーを使うにしても自分のからだの動かしかたが分かってたほうが楽に戦える』って言っていたことと凄く似ていて、結局身体を鍛えるのは重要ということが言いたかったんだろうけど、こういうときに自分の非力さを重い知らされて、どれだけレイジさんがスゴい筋肉なのか分かる。スゴい筋肉という表現方法に少し違和感を感じるけれど、自分の腕にぽこっと申し訳程度に浮き上がる筋肉を見てるとやっぱりレイジさんの筋肉はスゴい筋肉だと思えてしてしまう。
ちなみに後ろに控えている伊都先輩も、身長が高くて優男の顔をしているから分かりにくいけれど、着替える時にチラッと見たら結構がっしりした筋肉がついていて驚いた。

「ほらほら、進みなー」
「うっす……」

ガラガラと後ろから台車のタイヤを回す大きな音が迫ってくるのを聞きながら、ぐっと足に力をこめて自分の担当の台車を押す。伊都先輩はどこか来馬と雰囲気が似ている気がするけれど、顔も体格も声も似ていないから、たぶん醸し出している空気感が似ているのだろう。柔らかいような優しいような。

「そういえば、」
「はい?」

俺の背後について一定の距離をおいて台車を押す伊都先輩が思い出したように声をあげるので後ろを振り向くと、伊都先輩は台車に積まれたダンボールの影からひょこっと顔を出して俺を見る。

「太刀川慶って人、見つけたよ」
「げっ、」

さっき思い出してしまったばかりの人物の名が伊都先輩の口から出て、台車を道の端に寄せながら思わずしかめっ面をすると、俺の反応に伊都先輩は「げっ、って…………」と呟いて苦笑いしながら俺と同じように台車を止めた。

「なんで見つけちゃったんですか、」
「んーほら、前に名前から名前聞いたからさ。入学式前の登校日に見つけてみようかなーって思って」

バカ慶が入学課題レポート内容を忘れたために、俺が伊都先輩に課題内容を教えてもらった後日、バイトの最中の雑談のひとつとして慶の名前を出したのを覚えていたらしく入学式前の登校日に探してみたら居た、という話らしい。

「アイツ、どんな感じでした?」
「どんな感じっていうか…………大体うとうとしてたかな」
「っすよねー」

うとうとして結局机に突っ伏して寝てしまう慶の図が容易に想像できてしまうのは、慶が残念なやつだと長年の付き合いで知ってるからだろう。戦ってるときにはギラギラ輝く瞳も、日常生活…………とくに講義中においては、ぼーっとしてよどんでいるに決まってる。
なんて、絶賛絶交中の人間のことを考えているわりには怒りより呆ればかりが浮かんできて、その事実にすら呆れそうになるのを堪えて一番上のダンボールに手をかける。

「周りから聞いた話だけど、ボーダーらしいね。しかもボーダーでも有名な方だって」
「あー、らしいですね」

それに、言わずもがな伊都先輩には俺がボーダーに入隊していることは伝えていないしこれからも伝えるつもりもないので、いかにも部外者みたいな言い方で貫き通しながらダンボールを地面に置いた。おもっ。

「…………実際どうなんだろうね、ボーダー隊員って」
「どう、とは?」

よいしょ、と軽々しく三つのダンボールをいっぺんに持ち上げる伊都先輩の横顔をチラッと盗み見ながら尋ねると、伊都先輩は俺の視線に気付かないままダンボールを道の端に積み上げ続けていた。

「いや、楽しいのかなって」
「…………どうですかね」
「嫌になったりしないのかな、誰かを助けるの」
「…………どうですかね」
「ちょっと」

そう言う伊都先輩の表情は横顔じゃ分かりづらいけど、声色がすこし暗くなったような気がするのは何故だろう。
誰かに同情してるのかも、伊都先輩って涙もろいし感受性高いから。
というか…………嫌になる人は、居るのかもしれない。少なからずA級やB級には多くはいないと思うけれど、何百人といる訓練生のなかにはいるんじゃないかと思う。ボーダー隊員の殆どは学生で成り立っているから、誰かを助けるとか守るとかいうことよりも、部活や恋愛や学業や習い事などの選択肢のほうが魅力的に感じることもあるだろう。だからボーダー隊員としての活動よりもそういう学生ならではの選択肢が優先されることは無きにしもあらずだろうし、むしろ良くあることなんじゃないかとも思う。
それにきっと、誰かを助けるっていうことの責任感とかを考えないで入って、入ってからそれを重荷に感じてしまった人もいるんじゃないかとも考えられる。

「そうなってもやめない限り、なにかを守らなきゃいけない立場は変わらないんじゃないですかね」
「…………そういうもんかな」
「さあ?」

憶測でものを語ったので適当にそう言って会話を流せば、伊都先輩は「無責任だなあ」と少しむくれながら呟く。

「伊都先輩はボーダー隊員になりたいとは思わないんですか?」

話を聞いているだけだと少し不自然なので俺から適当にボーダー隊員の話題をけしかけてみると、伊都先輩は不思議そうに俺を見る。一応伊都先輩はこれからボーダーと提携した大学に通うわけだし、変な質問じゃないはず。こんなこと聞いたら殆どの人が「俺がなれるわけない」とか言うけれど、実際ボーダー入隊試験自体はそんなに難しくない。そう思われる理由は、このご時世に若き少年少女が近界民という存在と戦っているという、あり得ないような次元の話だからだろう。

「俺が?」
「そうっす」

そんなことを考えながらダンボールの山を徐々に崩していき、特に何かを期待しているわけでもない伊都先輩の返事を待っていると、伊都先輩が俺に視線を向けて答えを放つ。





「俺、次のボーダー入隊試験受けるつもりだよ」


「……っうぇ!?」
「なにその反応…………」
「い、いや」
「今日一番の大声じゃない?」
「え? あーいやいや」
「俺がボーダー隊員っぽくないから?」
「ち、違いますよ…………普通誰でも驚きますって」
「あー…………そうかもね」

俺の言葉に納得したのか伊都先輩は苦笑いを浮かべる。
まさか、同じバイト先の先輩がボーダー隊員に入隊しようとしているなんて…………来馬のような人間がいる手前、伊都先輩のような優しい人がボーダー隊員という想像が出来ない訳ではないけれど、どうしてバイトの後輩という関係しかない俺にそれを教えたのかは分からない。それに今気になるのは、伊都先輩が何故俺に"試している"という視線を向けているのか、だ。
何かをして欲しいのだろうかと思っていると、そんな俺に伊都先輩は微笑み、道に積み上げたダンボールに肘を置いて口を開く。

「これをバラしたうえでもっかい言うけど…………ボーダー隊員って嫌になったりしないのかな、誰かを助けるの」

そう言葉を乗せながらまたじっ、と変わらず試しているような視線を向けられ、俺は何となくさっきの伊都先輩の暗くなったような声色に合致がいく。多分伊都先輩は誰かに同情してるとかじゃなくて、自分がそう思わないか不安なんだ。何が理由でボーダー隊員になろうと思ったのかは知らない、少なくともいまの時点で誰かを助けるという意志は持っているけれど、それが入隊して実際に訓練を受けたりした後に自分の意志が薄れたりしないか不安になっているのかもしれない。
少し、探ってみようか。きっと気紛れで俺に話したんだろうけど、少しでも伊都先輩が楽になれるような言葉を言えるように。

「じゃあ俺が答える前に、ひとつ聞いてもいいですか?」
「ん?」
「具体的に、誰かを助けたいとかありますよね?」

ダンボールの山に肘を置いたまま答える伊都先輩に、俺も全部のダンボールを下ろし終え、一息吐くふりをしながら伊都先輩の目線を俺に向けられていること確認する。


『家族とか、彼女とか』



「家族とか、知り合いとかかな」

肘を乗せて頬杖をつく伊都先輩の真っ直ぐな瞳を見つめる。
言葉と視線に矛盾がないことから、嘘をついていないことと、それがボーダー入隊の確固たる目的だということが分かる。

「じゃあ、心配いらないです」
「?」
「ボーダーっていうものに憧れて入ったとか、何となく入ったとかじゃないのなら、心配してるようなことにはならないんじゃないっすか?」
「そうかな…………」
「それに、知り合いっていうのも結構具体的みたいですし?」

にやり、と笑ってそう言ってから伊都先輩から視線を逸らすと、その言葉の意図を素早く理解したらしく「あ、エスパーめ!」と伊都先輩が指をさしてきたので、俺は笑ったまま逃げるように台車を来た方向に押して歩く。

「それと、彼女さんを助けるって思うんじゃなくて、守りたいって思えば気も楽になるんじゃないですか? 伊都先輩の性格的に」
「あー、確かにそうかも…………って、」
「はは、彼女さんかあ会ってみたいなー」
「……会わせてもいいけどさあ…………」

暴かれたことが恥ずかしいのか少し照れたように俺の後ろについてくる伊都先輩は、それを誤魔化すように唇を尖らせて言葉を続ける。

「あともう一回運ぶの、名前がやるなら」
「げー…………」

俺が久々のバイトで身体が鈍ってきているのを知っていて押し付けてくるところもまたドSっぽいけれど、等価交換だと信じて「わかりましたよ」とため息混じりに返事をすると、話し始めたときより肩の荷が下りたような雰囲気の伊都先輩は「かわいいかわいい」と俺の頭を撫でる。

「…………これ、彼女にもやってます?」
「何でわかったの…………あっ、またエスパーか!」
「いや…………いまのは勘です」


               ◇◆


 次の日、迅に用があって玉狛支部に足を運ぶと玉狛に入って一番初めに会った人物が小南さん。しかも、その小南さんがテレビの前で何やら唸っていたので、その事実に少し嫌な予感を感じながらも「小南さん?」と恐る恐る声をかける。
すると小南さんはビクッとあからさまに肩を跳ねさせると、油の足りないロボットのようなぎこちなさでギギッと俺の方を振り返って視線を寄越すとひきつった笑顔を俺に向けた。

「ひ、久し振りじゃない」
「…………そうですね……どうかしました?」
「なななんでもないわよ!」

初対面を終えてから一度も会っていなかったから大体二週間ぶりの再会になるわけだけれど、それにしてはあまりに小南さんの俺に対する態度が挙動不審過ぎる気がするし、明らかに視線から読み取れる情報と言葉が違っていて思わず、嘘を吐かれていることに首をかしげる。
なんのお菓子を食べようか迷ってたことくらい教えてくれてもいいじゃんか。俺っていつの間に嫌われたんだろ、知らないうちにっていうのもある意味すごいな、なんて自分の心に気を使いながら続けて口を開く。

「迅居ますか?」
「、アンタまた迅に用なの? ちょっと仲良すぎじゃない?」
「えっ、…………すみません」

仲がいいとかいう概念で俺は迅と付き合っているつもりじゃなかったけれど、端から見たら殆ど毎週一度は会っている仲良しの関係に見えるのかもしれない。仲がいいっていうのは、嵐山と迅の関係みたいなことを言うんじゃないかな、わからないけど。

「でも、訓練っていうか…………新しい技思い付いたんで試したいなと思って来ただけなんで、別に今日じゃなくてもいいんです」
「そ、そう! …………、まあ私には関係ないけど!」


小南さんが話を展開してきたんじゃ…………?


「なら、レイジさんは…………」
「レイジさんは今日非番で、B級ランク戦の観戦に行ってるわ」
「B級ランク戦…………?」
「、アンタ…………迅が言ってた通り何も知らないのね……」
「え? あぁ、はい」

単語だけは聞いたことあるなと思いながらもう一度首をかしげると、小南さんはテレビのリモコンを俺の方にぴしっと向けながら「しっかりしなさいよ!」という厳しい言葉を放った。
迅が言ってたって…………根回しスゴいな、あいつ。けれど俺にとっては事実だし、相手が良ければその知らなかった知識を説明してくれると思うから結果的には助かる。

「B級ランク戦ってのは、言葉のまんまB級の隊順位を決める戦いのこと! 三つ巴か四つ巴のチーム戦で大体、二・六・十月に行われるのよ」
「あーなるほど、今は二月だから真っ最中ですね」
「因みに、勝ち残ったB級の1位と2位はA級に挑戦する権利も与えられるわ」
「へえ…………」
「ま、まあ、アンタみたいな新人には程遠い話よ!」
「そうですね」

そう言ってふん、と何故か勝ち誇ったような表情で腕を組みながら俺を見た小南さんは持っていたテレビのリモコンを操作してテレビの電源をいれる。すると、真っ黒な画面に嵐山隊が出演している番組が映ったので、俺は小南さんのどや顔から逃げるようにテレビの画面へと視線を移しておく。

「あら、准じゃない」
「お知り合いですか?」
「知り合いもなにも、私の従兄弟よ」
「、へえ!」
「というかあんた、准のことも知らないなんて…………ボーダー隊員がどうとかいうレベルの話じゃなくて、三門市の人間としてどうなのかしら」

小南さんは俺の言葉にそう答えると、ため息を吐きながらソファに座り込んでテレビを見つめた。どうやら俺の台詞が誤解を与えてしまったらしいが、ここで『嵐山のことは知ってますよ』なんて訂正するのも億劫なのでそのままなにも知らない名字名前の皮を被って俺も小南さんの前のソファに腰を下ろす。

「…………なにかあるでしょ」
「? 何がです?」
「、知ってることよ」

かた、と灰色のテレビのリモコンを机に置くと、小南さんは可哀想なものを見るような目で俺を見つめながら足を組んで俺の言葉を待つ。
あまりにもアバウトなくくりの質問に俺は少し困惑しながらも、自分を信じて記憶を探るが、ボーダーのこととなると俺はしょうもないことしか知らないことが判明した。

「あー……太刀川慶の中学の時の成績、とか?」
「………………」
「あと…………来馬辰也が三日後誕生日だから俺と今は同い年でも学年は先輩なこととか、昨日の米屋陽介家の晩御飯がシチューなこととか」
「…………言っていい?」
「どうぞ」
「殆ど興味ないわ、特に最初と最後」
「ですよね…………」

慶の成績はアキちゃんから聞いていたせいで国語から体育まで殆ど知っているし、来馬の誕生日は昨日鋼くんから教えてもらったから知っているし、陽介くんとは連絡を取り合っていたら何故か教えてくれたから知っているのだけれど小南さんにとっては心底どうでもいいことだったらしい。
ソファの背もたれに肘をかけながら呆れ顔でテレビを見つめる小南さんに俺は苦笑いを返しながら、前に用意してもらった玉狛支部の二階にある俺の仮眠部屋(仮)で迅を待とうかとおもむろにソファから立ち上がる。小南さんは表情と同じような『呆れ』の視線をチラリと俺に向けてから、俺の行動の予測がついたのかヒラヒラと視線をテレビに戻しながら俺に小さく手を振ってきた。

「今日の訓練で迅に連続で四勝したら私の今日のおやつ分けてあげるから、まあ精々頑張りなさい」
「マジすか…………頑張ります」

その分かりにくい鼓舞に俺は少し心を開いてもらえたようで少し嬉しくなりながら手を振り返し、テレビから聞こえる嵐山の声を背中に部屋から出る。
後ろ手で出てきた部屋の扉を閉めると、なにやら静かな廊下の左方面から人間ではないモノの足音が聞こえ、瞬時に見当がついた俺は少し目線を下げて視線を左に向ける。

「なまえ、また来たのか」

小さな手を挙げながら俺にそう言う陽太郎は、相変わらず雷神丸に乗ったまま俺に近づく。迅と一週間ほど前に話してから玉狛に来ていなかったので殆ど一週間ぶりの再会になるけれど、陽太郎は何故かいつも嬉しそうに『また』と言うんだよな。

「どこか行くのか?」
「俺の仮眠部屋」
「ほう、迅をまつのか」
「そうそう」
「もの好きなやつだな、なまえは」
「んー、そうかも」

やれやれ、と肩を竦めながらわざとらしく息を吐く陽太郎に、俺は短時間で二回目の苦笑いを浮かべながら陽太郎の視線に合わせてしゃがみこむ。

「迅が来るまでまた陽太郎も一緒に寝る?」
「…………しかたない、どうしてもと言われたらことわれないな」
「おー、ありがとう」

大体迅はいつも一時間以内には帰ってくるし、孤児院に帰る時間としても一時間だと足りないので陽太郎だけでなく俺も"仕方なく"玉狛支部内の与えてもらった部屋に並んで向かう。
本当は少しでも長く孤児院に居たいけれど、無駄な時間を過ごすのも筋違いなので防衛任務で削られている睡眠時間を今の時間で補充するのは多分、間違った選択ではないだろう。

「雷神丸も一緒に寝ような」

俺と陽太郎の後ろをついて歩く雷神丸を振り返って言うと、雷神丸はチラッと俺を見上げてから、変わらずついて来る。

「『分かってる』って言われちゃったよ」
「なに!? なまえも雷神丸のことばがわかるのか!?」
「あれっ、陽太郎は分かるの?」
「…………おれのしつもんにこたえろ!」
「あー…………俺はちょっとだけ、わかるよ」

視線を読み取れる対象が人間だけではないというだけで言葉がわかるわけではないけれど、ただでさえ面倒な俺のサイドエフェクトを説明したところで理解してくれる筈もないので適当に答えておく。

「…………さ、さすが…………おれが、みとめた男だ……」
「おーおー、ありがとう」

何故かどもりながら俺を褒める陽太郎の声に適当に返事をしながら、仮眠部屋のドアノブをガチャリと捻り、押戸の扉を手で支えながら先に陽太郎と雷神丸を部屋に入れる。そして、ばたりと扉を閉め、昼寝には丁度良いような日差しが差し込んでいるベッドに倒れ込んだ。
俺の仮眠部屋になるまで只の空き部屋になっていたせいか部屋全体が少し埃くさいけれど、このベッドのシーツだけは誰かが洗っておいてくれたらしく、柔軟剤の香りに包まれている。それに日光が当たっていたお陰かそこはかとなくあたたかい。うつ伏せの状態で顔だけを横に向けて陽太郎に手を伸ばせば陽太郎は『しょうがない』といった視線を向けながら俺の手を小さな手で握ってベッドの上にのぼるので、俺も陽太郎の手を軽く引いてそれを助ける。雷神丸はその光景をじっと見てからベッドの脚の側に寝転がって、一回小さく息を吐いた。

「あーねむ」

足元らへんに差し込む日差しのあたたかさと、ヘルメットを脱いでから俺の腕の中でうずくまる陽太郎の子供体温が俺の眠気を誘う。
よくよく考えたら、俺は与えられてばかりだな。このベッドも部屋も林藤さんの厚意によって俺が使えるようになっているし、まず俺が玉狛支部にいられるという根本的な理由も迅が俺をここに連れてきてくれたからこそだ。俺が自らの意思で築き上げたものなんてボーダーに入隊することくらいしか思い至らない。今のボーダー内でのポジションもそうだし、そもそもブラックトリガーだって俺の命を助けてくれたアキちゃんから与えてもらったモノ。
それにB級に上がるための許可だって忍田本部長と林藤さんのご厚意があってこそだったのに、俺はそれを蔑ろにしてしまった。永続的C級であることの本当の意味が分かっていなかったからこその行動だったけど、迅から真意を聞いたからには俺は易々とB級に上がる努力は出来ない。人の常識として城戸さんと忍田本部長と林藤さんには全てのことを包み隠さず話したし謝罪もしたけれど、逆に俺の死について心配をかけてしまったようで、向けられた視線も此方が申し訳なくなるような純粋な『同情』の視線だった。
与えられてばかり、それは多分、そんなに良いことじゃない。
俺は誰かに何かを与えられているだろうか。迅にでも、玉狛の人たちにも本部の人たちにも、学校の人たちにも、孤児院のみんなにも、ほんの少しでいいからちょっとずつ返していけたらそれはきっと素晴らしいことなんだろう。目に見える形じゃなくてもいい、目に見えなくても誰かが楽になれるように、今の俺のように幸せだと感じられる時間を作られるように俺は何かを返していけたらいいなと思う。きっとアキちゃんだって同じことを言うに決まってる。
目を閉じておぼろげな思考のなかでそんなことを考えていると胸の辺りですー、すー、と陽太郎の寝息が聞こえてきて、俺は少し薄目を開けて陽太郎の寝顔を確認してから邪魔な自分の前髪を横に流す。
しょうがない、って言っておいて先に寝ちゃったよ。

「おやすみ、」

俺は掠れた声でそう言ってから陽太郎に腕枕をしている自分の手の位置をずらし、もう一度瞼を下ろして睡魔にされるがまま、夢の中に落ちていった。


どうかこの幸せな感情を夢が壊しませんように、と願いながら

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