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 月曜日、週始めということもあって気持ちを新たに登校してきたは良いものの、今の俺は朝一番に教師から呼び出されて何故だか人気のない視聴覚室に一人立っていた。登校して上履きを履いていると放送で『三年A組名字くん、至急視聴覚室に来てください』と呼び出され、しかも叱られることなのか用事を伝えられることなのか全く見当がつかない英語教師の声で呼び出されたため、少し不安を感じている。けれどここで逃げ出すという選択肢はこの学校の生徒である以上存在しないため、至急とか軽々しく使わないでほしいなあ、なんて思いつつリュックを背負ったまま視聴覚室で一人待っているわけだ。
するとがちゃりと、と重々しい扉が開く音がしたのでそちらを振り返ると、俺のことを呼び出した本人である英語の教科担任が相変わらずきちっとしたストレートの髪を靡かせ、手に紙袋を提げて入ってきたので俺は首をかしげながらその英語教師を見つめる。

「遅くなってごめんなさい」

扉を閉めながらそう言う英語教師に俺は「いえ、」と八方美人気取りながら近くに歩み寄る。はあ、と小さく息を吐いて歩み寄ってくる英語教師がどことなく何時もの雰囲気とは違うものを纏っているように感じたが、視線を下に落としてる今はそれがなんなのか確認できなかった。そして少し距離をとって目の前に立った英語教師は顔をあげ、一瞬だけ俺を見てから自分の持っている紙袋に視線を移す。


え?






「、これ、"兄"からです」

そう言って茶色の紙袋を差し出された俺は、一瞬向けられた『恨み』の視線と『兄』という言葉にちょっとした共通性を見出だしながら、恐る恐る受け取って中身を覗く。紙袋の中からちらりと見えた紺色にある程度確信を持っていたが、いざ紙袋を開いてこれを見るとやっぱりそういうことなんだなあ、と忌まわしいほどの因果を呪いたくなった。そして同時に自分があまり驚いていないことに気が付く。慣れてしまったのだろうか、恨まれたり嫌われたりすることに。





「…………わかりました"佐藤"先生、"ご兄弟"にはよろしくお伝えください」

紙袋に入っていた俺の見慣れた制服のブレザーを確認してから目の前でうつ向いている英語教師、もとい佐藤先生にそう伝えると、俺の声に顔をあげた佐藤先生は眉を寄せて『混乱』の視線を向けてきた。

『この子がお父さんを殺したんだとしても、私の生徒でもある。それに傷のこととかお礼とか、いやでも、……………どうすればいいのかわからないわ』

深夜公園で電話したとき新斗さんがお姉さんのことを不安定と称していたことを思いだし、その不安定というのが教師としての自分と家族としての自分の間で揺れているということならこの視線がすべてを物語っているな、と漠然と考える。
けれど新斗さんは『矛盾を突いてやる』とか言っていたような気がするから、兄……佐藤さんの言っていることに疑問を感じつつ佐藤さんの言葉を信じきれなくて不安定ってことなのかもしれない。こんな視線一つで何かを決めつけることはできないけれど、一つ確信が持てるのは、この佐藤先生はエンジニアの佐藤さんと新斗さんと家族関係だということ。
だったら俺のするべきことはやっぱり一つしかない。

「ああえっと、佐藤先生」
「、はい?」
「佐藤先生は、新斗さんっていう弟のこと、どう思いますか?」
「……………あなた新斗とも接触しているのですか?」
「接触……はい、そうですね。先生のお兄さんもそれは知っています」
「そう、ですか」

清々しい朝の筈なのに、この視聴覚室の空間は酷く歪で淀んでいるように思える。多分それはきっと俺のせいじゃない。
俺の言葉に顔を俯かせた佐藤先生は何だか本当にいつ崩れてしまってもおかしくないような不安定さを放っていて、耳の後ろに見える黒色があの十字架のタトゥーである意味を今更ながら知ってしまう。ああそういえば新斗さんの胸のあたりにもあのタトゥーあったな、佐藤さんもタトゥーがあるのかな、なんて現実逃避してしまうくらいには同情を誘われる。

「………私たちの弟、貴方にはそれ以外を言うつもりはありません」
「……………そうですか」

どうやら皮肉にも、俺のことを人殺しだと言い始めた佐藤さんよりも、俺に対する恨みが強いらしい。三人の中で断トツだ。
そりゃ佐藤さんも新斗さんも俺が神父さんを殺したと思っていないのだから当然だけれど、その嘘に踊らされつつもその嘘にしがみついている佐藤先生は、俺を恨まなければならないという義務感のようなものに縛られているように思えた。
弱い自分を正当化するための佐藤さんの恨みと、兄の言葉を信じたい佐藤先生の恨みは違うようで同じだけど、やっぱり少し違う。どちらも純粋な恨みではないにしても佐藤さんは自分本意の恨みで、佐藤先生は誰かの為の恨み。

きっとこの佐藤家のどの三人よりも、絶対に俺が一番三人の状況を分かっている。誰が何を抱えているのか、誰が誰を思って泣いているのか。俺だって弱いからきっと俺が佐藤さんの立場にいれば同じことになっていたかもしれないし、佐藤先生の立場にいたって同じことになっていたかもしれない。だけど、それに振り回される新斗さんの立場にいたって俺は新斗さんと同じことにはなれない。そのとき俺はきっとこの二人を見放す。

「わかりました、」

だから俺は新斗さんのためにこの二人を何とかして幸せにしてやらなきゃ、お節介で傲慢でエゴの塊みたいな思考だとしても、新斗さんが『佐藤家になりたい』って俺に言ってまで望んでる限り、それを証明して叶えてやらないと。被害者ぶってるこの二人を加害者のレッテル貼られた俺が何とかしてやらないと、新斗さんに幸せは訪れない。迅が言っていたことに佐藤家のことも含まれているのなら、俺のためにもなるだろう。
大丈夫、きっとうまくいく。

「先生は今までの約二年間俺を恨んできたから信じられないかもしれませんが、俺は、新斗さんに幸せになってほしいと思っています」
「、は、何を言ってるの?」
「……………、」
「新斗と名字くんは関係ないでしょう」
「? 先生こそ何を言ってるのかわかりませんが、俺と新斗さんは友人です。先生の恨みを新斗さんに押し付けるというのはまかり通らないのでは?」
「っ、新斗だって父親を殺されたのですから、恨んでいるに違いありません」

少し強気になって俺を見上げている佐藤先生の視線が『確信』になっているのを読み取り、新斗さんが佐藤さんと佐藤先生の前で猫を被っているっぽいことを予想する。自分も名字名前を恨んでるという猫を。それが佐藤家のなかでの処世術だったのだろう。

「……………わかりました、そうですか」

視聴覚室に掛けられている時計を見ると遅刻確定まであと五分となっていて、俺の言葉のあとに予鈴の音が響いたのを俺と佐藤先生は聞き、見つめあったまま多分同じことを考えた。

「……………戻りましょう」
「はい、そうですね」

話し終えた雰囲気を察したのか、佐藤先生は俺を横目で見てから「遅刻しないように」と先生らしいことを呟いて俺より先に視聴覚室を出たので、俺は肩を竦めて長く息を吐いた。そして紙袋を手に提げたまま視聴覚室を出て来た道を戻るようにして玄関へ向かいつつ携帯を取り出し、とある番号にコールを鳴らしながら靴を履き替える。ときたま俺の不自然な行方に目を向ける生徒が居るが、それを無視して学校の玄関を出た。

『もしもし? どうかした?』
「新斗さん、今から会いたいです」


                  ◇◆


 待ち合わせ場所を俺の私室に指定して新斗さんを呼び出した。新斗さんは今日大学らしかったが、俺も高校をサボると伝えると新斗さんはそこまでして話すことがあるのならと快く了解してくれた。優しい。だから俺は新斗さんの味方でありたいんだ。
取り敢えず知り合いに会うことなくたどり着ければいいなあ、と思いつつボーダー本部内を歩いていたが、その期待を裏切るように目の前の方向から背の高い二人が歩いてきているのが見え、どちらにも見覚えのある俺は物凄く回れ右をしたくなった。それが出来ないと分かっているし、そもそも何時も歩いている道から逸れると確実に迷子になる自信があるので仕方なく目を合わせないようにして歩みを進める。会いたくないときに限って誰かに会う法則ほんとやめてほしい。
気が付くなー話し掛けるなー、と念じながら下を向いて歩くと、意外にも二人が何事もなくすれ違ってくれた。ふう、セーフセーフ。





「おい、待て」
「、っはい」

と、安心できたのも束の間。
不意に視線が向けられたのと同時に冷たい声をかけられ、もう既に安全圏に入っていたと思っていた俺は大袈裟に肩を跳ねさせながら大きめの声量で返事をして振り返ってしまった。
ああ、もう、なんかやだなあ。

「………お前、今日学校はどうした」
「えっ? あ、えっと………ははー」
「笑って誤魔化すな」
「す、すいません」

一番の最近の記憶では怒られた思い出しかない人物、二宮隊の隊長さんが隣の東さんとの歩みを止めてまで俺に『疑問』の視線をぶつけて威圧的な態度を向けてくる。正直、ちょい怖い。隣の東さんが苦笑いして俺を視線で励ましてくれてなかったらヤバかった。
答えを聞くまで動かなさそうな二宮さんの性格が俺の中で哲次と似てるところがあるんじゃないかと意見が飛び交っているが、そんなことよりも新斗さんとの話し合いに時間をかけたいのと、カズエさんに連絡しないといけないのとで俺は少し焦っていた。

「えー、開校記念日?」
「開校記念日で休日ならば制服を着ている説明にならない」
「、ですよね、すいません、サボってます」

東さんに助けを求めたいが、如何せん東さんも俺の事情を知っているわけでもないので肩をすくめて『諦めろ』と俺を諭してくるだけだった。くそう、また説教タイムか。

「……お前がサボろうが俺には至極関係のないことだが、そういうツケはあとから回ってくる。覚えておけ」
「は、はい」
「特例を与えられた意味を考えろ。俺はお前のことを全く知らないがその事実は知っている、そういう人間からしてみれば今のようなお前を認めることははっきり言って不可能だ」
「……………はい」
「認められたいのなら相応の行動をしろ。この前の防衛任務でも周りを見ろと言った筈だ、何度も言わせるな」
「、すみません」

めっちゃ正論で何もいえない。
二宮さんの鋭利極まりない言葉が俺の心に深く突き刺さり、正解が分からずにがむしゃらになって行動を起こしている俺にとってはその言葉で洒落にならないほど落ち込みそうになる。どうしよう、今から新斗さんと話そうとしてることが悪い未来を引き起こしたら、役割を果たせなくなったり、迅を裏切ったりすることに繋がったらどうしよう、なんて。
ポケットに手を突っ込んで俺を見下ろす二宮さんの視線から逃げようと目を逸らそうとすると、東さんが「まあまあ」と間に入って朗らかな笑顔を俺たちに向けた。

「二宮の言ってることは間違ってない、正しすぎるくらい正しい。けどな、俺はお前より名字のことを知ってるみたいだから言わせてもらうが、」

東さんは俺の頭の上にポンポンと手を乗せ、二宮さんを見て笑いながら言葉の続きを放つ。

「こいつは馬鹿じゃない、それは二宮も分かってるだろう」
「……………、はい」


うわあ、言わせられた感すげえ。絶対言いたくなかっただろうよ。


「確かにたまに突拍子もないことをしたり言ったりするが、それは結構周りを見て判断した結果だったりするんだ。な?」
「、そうですか?」
「そうだ。名字のサイドエフェクトの噂を聞いてればお前が周りのことにどれだけ苦労してきてるのか想像できるし、きっと俺なんかが想像できること以上の苦労があるんだろ」

それを聞いた二宮さんはほんのすこしぐっ、と眉に皺を寄せ、東さんの言葉を聞き入れる。東さんすごいな、二宮さんにも慕われてて、入隊したばっかりの俺ですら慕いたくなる。

「防衛任務のことは知らないが、名字は名字なりに努力して行動してる俺は思うぞ? それに、名字が今ここに居るのは学校をサボってまでするべき行動があると判断したからだろ?」
「、はい。一応、……………最悪な未来を覆すためにここに居ます」

俺の頭に手を乗せる東さんを見上げてへらりと笑ってみると、東さんは「そうか」と言ってぐしゃぐしゃと俺の髪の毛を撫で回す。優しい視線だ、包み込むような視線ではなく、真摯に俺と向き合ってくれている真っ直ぐな視線、だからこそ救われる。ほんとすごい。
未来、という単語に二宮さんの視線から一人の人物の名前が読み取れたけれど、それを肯定する気にはなれなかったので知らないふりをして二宮さんを見つめ直す。

「二宮さんの言っていることは俺にとって必要な考えだと、思います。ですからその考えをもとにもう一度考えてみましたが、やっぱりここに俺が来たことは間違ってないんじゃないかなあと」
「……………、」
「す、すみません。でも、周囲の視せ……視線を読み取ってそれらに認められるために生きてたら俺は弱いのできっと精神とか崩壊しちゃいます。なので、俺は俺の近くの人に認められるだけでいいなと前から思ってて、その」
「はっきり言え」
「……………ですから、これから近くの人の一人に二宮さんも含めたいと思います」

守りたい人、だなんて括りかたをしたら二宮さんは絶対気分を悪くするだろうからそう言えば、二宮さんはじっと俺を見つめて『理解』の視線を向けると、何も言わずに無言で見つめ続けるので何となく何度かサイドエフェクトを意識する。ん? あー、はい。『お前の通したい筋は理解した』というなんとも高圧的な視線が読み取れたので、俺の言葉に「直球だな」と笑う東さんに俺は話し掛ける。

「じゃあその、俺はこれから用事があるので失礼します」

早速近くの人になった二宮さんの視線を読み取って頭を下げるという行動をすると、東さんは「頑張れよ」と肩を叩いてくれたので俺は笑い返し、二宮さんにも頭を下げて「ありがとうございました」と言って頭を下げる。すると、二宮さんは少し機嫌のよさげな視線を俺に向けながら「あぁ」と冷たい声で言葉を返してきたので、その視線と言葉の温度差に、ある種の嘘つきだなあ、なんて思いつつ回れ右をして背中を向けた。二人より先にその場を去り、俺も人のこと言えないんだよなあと考えて一人で歩みを進めるが笑えるようなことでもないので黙って歩く。というか、東さんと二宮さんって結構関わりあるんだな、やっぱり上位の人はそれなりに接点があったりするんだろうか。俺の馬鹿みたいな猫のコラ写真の回りが早かったのも、それが関係しているのかも。
そんなことを考えながらカズエさんに『今日学校サボります』と簡潔に連絡を入れ、待ち合わせの場所である私室の前に立ちって携帯をポケットに仕舞い込んで扉を開ける。カズエさん相手なら説明は帰ってからで済むだろう。

「おー、ちょっとスペース借りてたわ」

扉の開いた音に反応して此方を振り返った新斗さんはソファに座って何やら資料のようなものを机に広げていた。俺の方が早くつくつもりだったのになあ、なんて思いつつリュックと紙袋をソファに立て掛け、新斗さんの隣に座ってその資料を眺めると俺にはさっぱり分からない電気回路が載っていた。理系だなあ。

「これなんですか?」
「あ? 自作パソコンの回路」
「はあー……………スゴいですね、何も分かりませんけど」
「はいはいどーも、んで?」

話ってなに、と資料を重ね合わせながらトントン、と机で角を揃え、横目で俺を見つめて溜め息を吐く新斗さんは気だるげに笑う。どんな話をするのか分かっている視線だ。
いままで佐藤家三人と接してきてみて、意見を聞いて、視線を読み取って、態度を受けて、最終的に俺が出した結論は、この件について諦めたように笑うばかりの新斗さんの味方になるということ。俺がそのことをこれから上手く伝えられるかどうかは分からないが、今が具体的にどういう現状なのか、新斗さんの姉兄二人に対してどうするべきなのか。

「まずはその、お兄さんに居場所ばらしてすいませんでした」

その為には順を追って話を進めていかなければならない。
そう思った俺はじっと新斗さんの目を見つめて謝罪の言葉を口にする。頭を下げないのは間違ったことをしたと思っていないから。そして新斗さんもそれを察しているのか、纏めた資料を机の上に放置してから気だるげに笑って「いいよ」と言葉を返す。

「俺のためを思ってくれたんだろ」
「はい、」
「ならいいよ」

佐藤さんと佐藤先生には似てないつり目を細めて笑う新斗さんに、俺も微笑み返して話を進めようとすると、新斗さんが「待った」と俺の顔の前に手のひらを突き出してきたので話の主導権を取られる。

「確認だけどさ」
「はい?」
「俺は名字くんの味方で、名字くんは俺の味方?」
「そうですね?」
「、そっか、」
「……………」

なんで照れてるんだ、と向けられた視線に疑問を抱いたが、ワザワザ意識的に読み取ってまで知らなきゃいけないことでもなさそうだったのでそのままスルーした。

「あの、新斗さんは俺が濡れ衣かけられてるって知ってますよね」
「あ? おお」
「じゃあ、お兄さんも俺に濡れ衣かけてる自覚があるのは?」
「……………は?」
「知らない、と、なるほど」

だったら喫煙所でなにも言わないでおいたのは正解だったな、あのときの俺は新斗さんもそれを知ってると思ってたし、そうなるとつまり俺がやるべきことは三人と話し合うことではなく佐藤さんと新斗さんの不安を解消してやることだろうか。佐藤さんの弱さを否定して、新斗さんの仲間外れを否定して、それで三人で話し合えば佐藤先生の周りから与えられていた義務感にも決着がついて自ずと結果が出るんじゃないだろうか。
うーん、と首を捻りながら考え込んでいると、何故だか新斗さんはひどく自分を責める視線を俺に向けてきた。それがどういった視線なのかをサイドエフェクトで理解するのは容易いけれど、何だか意識しなくてもわかるような気がしたので自分を信じて新斗さんの肩に手を乗せる。

「お姉さんのことについて自分を責める必要ないですよ?」
「、っ」
「ね、当たった?」

驚いたように瞠目して俺を見つめる新斗さんに微笑み返してわざとため口を使ってみると、新斗さんはいつもの気だるげな表情ではなく珍しく戸惑ったような表情で頬を赤らめては「イケメンずるい」と呟いて視線を落とした。
うん、やっぱり俺は新斗さんの味方になるべき、いや、なりたい。
過去に縛られた自分本意の佐藤さんや二つの意思に挟まれて身動きできない佐藤先生も、どちらも俺には理解できるし今の俺を見ているようで悲しくなるほどどうにかしてやりたいと思う。でもそれよりも、仲間外れだと嘆きながらも自分のことより二人の心配を優先する新斗さんの味方でいたい。

「新斗さん、今から新斗さんに俺の知ってる全てを話します。それが新斗さんにとって辛いことかもしれないし悔しくなることかも知れませんけど、それでも聞いてほしいんです」

肩に乗せていた手をするすると下ろし、新斗さんの手をきゅっと掴んで俺はそう言う。佐藤さんから言われたことも佐藤先生から読み取れた視線もこれから新斗さんが佐藤家になるためには必要な情報だから、三人で話し合うためには必要な情報だから。
俺より少し高い体温の新斗さんの手を握ったまま答えを待つと、新斗さんは照れたようにしながらも俺に握られた手を見つめて「聞く」と呟いた。

「名字くんは俺の味方で、その味方の名字くんが言うんだから信じて話を聞く」
「、良かったです」
「敬語に戻っちゃうんかい」
「? やめた方がいいですか?」
「あーうん、敬語じゃない方がイケメン度が増して良い感じ」
「イケメン度……………」

そう気だるげに笑った新斗さんがいつもの調子に戻っていたので俺も微笑み返し、少し意地悪したくて握っていた手に指を絡めてやると新斗さんは「うわー」と言って恥ずかしそうに俺と目を合わせる。

「きゅんきゅんする」
「うわ、新斗さん気持ち悪い」
「酷くねー?」
「今度俺の知り合いのイケメン紹介してあげま……あげる」
「え、やった」

マジイケメン過ぎて好きになりそう、とか視線を逸らしてまで呟き出した新斗さんに俺は呆れつつ、この雰囲気のお陰で少しは話しやすくなったかなあなんて思い、離すタイミングを逃した指を絡めたまま話を切り出す。

まずは佐藤さんのこと。
あの日あの時あの場所に佐藤さんが居たこと、そのときに自分が見ていることしかできなくてその弱さを隠すために俺を拠り所にしていること、そしてそれを後悔して謝罪をしつつも「もう濡れ衣をかけることはやめる」とは言ってなかったこと。その話をしているとき妙に側頭部が痛み出したが、とうに傷は塞がっているので精神的なものかなあと他人事のように考えておいた。
そして次に佐藤先生のこと。
俺を誰よりも恨んでいるけれど新斗さんの言うように精神が不安定なこと、濡れ衣だということを教えるのかは二人で判断してほしいということ。今日のことだけではなく、二年ほど前に欠席しすぎた俺が怒られたときの佐藤先生の様子を教えようかと思ったけれど、あれも教師としての言葉をかけるべきなのか佐藤家としての言葉をかけるべきなのか迷った上での沈黙だったのかなあと勝手に自己完結して終わらせた。きっと佐藤家の言葉を出せなかったのは、佐藤さんから俺への恨み辛みを悟られないようにしようと提案されていたんだろうし、それは佐藤さんの当初の態度を見ていればわかることだし。

「…………新斗さんが仲間外れって思ってたのは、自分だけが濡れ衣だって分かってたから?」
「、いや、あの事故が起きる前から感じてた」
「一人だけ血が繋がってないから?」
「…………名字くんのところはそんなの関係なしに仲が良いからわかんねーかもだけどさ、やっぱり幼い頃からそれを知ってたから仲間外れ感強いよ」

静かに俺の話を聞いて絡めた指を眺めていた新斗さんは、俺の指の爪を触りながらそう呟いた。
わかるよ、わかる。こっちは全員血が繋がっていないから仲間外れというのはないけれど、少なくとも他の家族の時の記憶がある以上は、他の家族の時の記憶のないグループとは同じ気持ちになれない。でもそれはそれとして、俺は孤児院が今の家族だと理解してるし誰よりも何よりも守りたいと思えている。幸せになってほしいと思えている。だから佐藤さんと佐藤先生が新斗さんにそう思ってるように、新斗さんも二人に対してそう思える筈なんだ。

「佐藤さんはさ、新斗さんが家に帰ってきてないって知ったとき、俺に新斗さんの居場所を聞いてきたでしょ?」
「? そうだな」
「それってさ、すごいことだろ。一応親の敵だと思ってる奴に頼るなんて、よっぽどのことじゃないと無いと思う」
「そう、か」
「………佐藤さんにとって新斗さんはよっぽどの存在だよ。手のかからない弟だって新斗さんのことを言ってたとき少し寂しそうにしてたから、もっと新斗さんは佐藤家の自覚を持ってあげるべき」

カラオケで電話した時は分からないけれど、エレベーターで聞いたときは少なくともそう思った。あまり俺の言葉にしっくり来ていないらしい新斗さんに俺は笑いつつ、手の爪を弄られる感覚に視線を落として言葉を続ける。

「きっと新斗さんが仲間はずれだと思ってるだけで、現実に仲間はずれになってるわけではないじゃない」
「、そうなのかな」
「うん、信じて。今信じられないなくても、三人で話し合ったときに思い知ることが出来ると思うから」
「………そこは信じて、で終わらせた方がイケメン度高いぜ」
「……………じゃあ、信じて新斗さん」

ツルツル、と爪の表面を撫で付けてくる新斗さん視線が知りたくて顔を覗き込んで視線を合わせると、新斗さんはちらりと覗き込んだ俺をじーっと見つめてから片手で顔を掴んだ。

「、っ?」

前に諏訪さんにやられたときよりはタコの口になってはいないが、顔を掴まれたままくいっと引き寄せられて少し驚いてると、新斗さんはそんな俺に気がつきながら何時ものような気だるげな笑顔で笑う。

「名字くんって、ほんとに頭おかしいよね」
「、そうなのかな」
「俺はそういう狂ったところ、けっこー好き」
「く、狂っ」
「ていうかこんなに親身になられて好きにならない筈がない、よな」

ふにふにと片手で俺の頬をつかむ新斗さんは、未だに俺の絡まった指を引き寄せて距離を縮めて目を合わせ、俺の顔を間近でじっと見つめると「俺はどうすればいい?」と囁いた。なんだかこの視線、誰かと似ている。

「どう、って、新斗さんが佐藤家の自覚を持って二人と話し合ってくれれば多分、自然に」
「そうじゃなくて。そうじゃなくてさ、」
「へ?」
「どうすれば俺はここまでの恩を返せる?」

真っ直ぐ真剣な面持ちで俺の目を射るように見つめる新斗さんはの言葉に俺は眉を寄せ、恩を感じさせてしまうという要素が自分の頭のなかになかったことを少し悔やむ。恩を感じることの申し訳なさと与えられているという感覚の焦りを俺は知っているから、この新斗さんの視線に含まれる『懇願』の意味は痛いほど分かる。それに恩を感じなくていい、と言われても納得できないのも理解できる。現に俺も迅に言われて納得なんて一度もしたことない。

「そもそも俺がやりたくてやったことだから恩なんて感じなくて良い、って言っても納得できないなら、……………とっておいてよ」
「とっておく? いつかのためにってことか」
「そういうこと」
「おー、わかった」

誰かのために生きたい俺がこの佐藤家についてのことを解決するにあたって新斗さんの味方になろうと勝手に思った結果であってむしろ俺の自己満足でもあるから恩なんてあってないものだけど、これで新斗さんが納得してくれたらいいと思う。絡めていた指を離し、俺の顔を挟む新斗さんの腕を掴んで距離をとりながら、あらかた決まっている恩の使い道に思いを馳せる。

「でも、三人で話し合ったときに何かが変わらなきゃ意味がない」
「……………ここからは俺が努力する」
「うん」
「、ま、結果が出たら俺から連絡するから、」

そう言って気だるげに肩を竦めた新斗さんは机の上に放置していた資料を皮の鞄に仕舞い込み、よいしょ、と年寄りくさい声をあげてソファから立ち上がるとそのまま俺に視線を寄越す。そして流れるような動作で俺の顎を掬ってから前髪をぐいっとあげると、何も言わずにいきなり米神近くに唇を落とした。

「……………、?」
「、ありがとう」
「っ、? あ、え?」

一瞬だけだったけれど、確かに俺の額の近く………つまりこの前エレベーター事故で出来た元傷口に新斗さんの唇が当たったのを感じた。それにいつの間にか顔のすぐ横のソファの背もたれに新斗さんが手をついていて、その物凄く至近距離で目を合わせてくる視線の感情がいつかの倉須と似ていることに気がつく。ちかっ。
そして新斗さんは驚いて瞬きを繰り返す俺にへらりとした笑みを浮かべ、また不意打ちのように俺の米神にちゅう、と自分の唇を優しく落としてから「じゃあなー」と言って逃げるように立ち去っていく。

「、ちょ、ま」

我に返った俺が背中を向けて部屋から出ようとする新斗さんを引き止めようと立ち上がって声をあげたのにも関わらず、新斗さんはC級ブースで話したときのように俺を置いて立ち去っていってしまった。俺の声聞こえてた筈なのに。そして呆気なく無慈悲にも閉まっていく扉に俺は力が抜けたようにソファへ腰を下ろし、自分とは違う体温が二度も触れたことを頭のなかで改めて理解する。

「……………からかわれた、のか?」

なんて思いながら最後までシリアスな雰囲気にならなかったことに少し感謝しつつ、新斗さんから来る連絡が新斗さんにとって良いものであることを願った。

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