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 土曜日の朝、本部の私室で恒例の防衛任務までの待機をしていると不意に携帯が鳴って思わず持っていた雑誌を手から落とす。うわ、漫画みたいな驚きかたしてしまった。
落とした雑誌をそのままにして机の上に置いてある携帯の画面で着信の相手を確認しようと手を伸ばすが、知らない番号の羅列だけで名前が表示されていなかったので、取り敢えず電話に出るだけ出てやろうと通話を開始させる。恐る恐る携帯を耳に当てると向こうから小さく舌打ちが聞こえ、舌打ちだけで相手が分かる筈もないので首をかしげて言葉を待つが、いっこうに話し出さない雰囲気を醸し出す相手に俺は雑誌を拾い上げながら溜め息を吐く。なんなの。

「あのー?」
『…………おせえよ』
「……………? あ、影浦さん?」

暫く誰か分からなくて沈黙してしまったが口の悪さと声で記憶を辿っていくと一人に行き着き、構わずその名前を口に出す。俺に用があるような人でもないと思ってたので電話をかける相手を間違えたのではないかと不安になったが、電話が繋がって最初に聞こえたのが舌打ちっていうことは間違ってないのかもしれないなと考え直した。

「どうかしました?」

読んでいた雑誌を机の上に置き直し迅から受け取った紙袋を視界のはしに捉えながら尋ねると、影浦さんは『わかるだろ、』とだけ苛立ったように呟いてから俺ではない誰かに向かって『うっせーな!』と叫んだ。誰かが近くに居るんだろう。影浦さんの友好関係など知らないのでその相手が誰なのか見当もつかないので取り敢えず会話を進める。

「分かんないです」
『あ? この前の奴だろ、トランプの』
「トランプ………ああ、奢ってくれるんですか?」
『わかってんじゃねえか』

最初に会った頃よりは比較的穏やかな会話を展開させる影浦さんに少し進歩を感じつつ、推理ゲームのようなトランプの勝敗で年下に奢らせる自分に引け目を感じた。あれは哲次に嵌められたようなもんだしなあ。

「別に無理しなくていいですよ」
『、あ? 別に無理じゃねえ』
「そ、そう?」
『聞いたら今日テメーが防衛任務だっつーから仕方なくロビーで待ってるんじゃねえか』
「……………え、防衛任務終わるるまで?」
『ああ』
「ま、マジか」

律儀にそんな時間まで待つつもりなんだろうか、と罪悪感と不安感を抱きながら電話の向こうの騒がしい気配を感じて俺は何となく尋ねる。

「てか、誰かと一緒に居るんですか?」
『……別に誰だっていいだろーが』
「え、あ、まあそうですね」

どうやらまだ全然心を開いてくれていなかったらしく、友好度が足りないのかなあなんてキャラクターを攻略するゲームをしているような感覚に陥ったが攻略対象の難易度が高過ぎて正直めげそうになった。こんな友好度でご飯食べるとか相当キツいものがあるよな。
電話の向こうで誰かと話しているらしい影浦さんの声を聞きながらソファの背もたれに体重をかけて天井を見上げるが、そこに攻略法が浮かんでいるわけでもないので目を閉じてため息を吐く。
影浦さんのような人が周りにいただろうか、いやいない。なんて反語を頭のなかで使いながら例を探したが、ツンケンの種類が違う小南さんくらいしか浮かばなかったので俺の対人能力の低さを思い知らされた。

『よお、元気か?』

そんなことを女々しく考えていると突然耳元から影浦さんではない声が聞こえて一瞬固まるが、その声の主が哲次であることを察したので肩の力を抜いてソファに横になる。

「てつじー、俺はもう影浦さんが分からん」
『はは! 結構簡単な奴だけどな』
「マジかよー」
『手始めに、さん付けと敬語をやめればいいんじゃねえの?』

からからと笑いながらアドバイスをしてくれる哲次に俺は少し微笑み、ソファの肘置きに頭を乗せながらまた天井を見上げて目を瞑る。

「うーん、頑張る」
『まあ心配すんな、俺と鋼も一緒に行くからよ』
「………マジ?」
『マジ』
「マジかー、安心したー」
『正直だな』
「うん? うん」
『……………なんか変だなお前、いつもと違う』
「俺が? 変かな、まあ変かも」
『おいおい、ちゃんと寝てんのか?』
「寝てるよ、ただちょっと悩み事があるだけ」

目を瞑って話していると気が緩むのか相手がしっかり者の哲次だからか、はたまた両方だからか、ふと脳裏に新斗さんの顔が浮かんで小さくため息を吐く。新斗さんと話してから五日が経っているが新斗さんからも佐藤さんからも連絡は来ないし、学校に行ってても佐藤先生は俺を見ようとしないので、まだ話し合ってないことは嫌でも分かってしまっている。俺自身お節介を焼かれるのがそんなに好きじゃないので新斗さんに連絡を取ろうかどうか悩んでいて、自分がどうするべきなのか分からなくなっていた。
昨日迅はいい方向に向かっていると言っていたけど、いい未来が確定したとは言っていない。というかそもそも、新斗さんが佐藤家になれることイコール俺にとっての良い未来だとは言われてない。まあ、勘かぐり過ぎだろうけど。

『名前がそういうこと話すのは、なんつーか、新鮮だな』
「そう?」
『なんか心境の変化でもあったのか?』
「心境の? うーん、」

心境の変化があったのかは分からないけど哲次の言葉で思い浮かんだのが昨日の迅の顔だったのは、多分そういうことなんだろう。因みに俺が作ったハートのクッキーを食べたのが迅だと本人から電話で聞かされたけど、結構嬉しかった、うん。あ、確かに心境の変化はあるな。

「ダメな心境の変化かな?」
『いや、良いんじゃねえ? 取っつきやすくなって』
「哲次はこういう俺のこと好きなんだ?」
『きめえ』
「ごめん、今のはごめん」
『んで? 今日行けんのか?』
「え? あー、行ける行ける」

防衛任務の後は特に用事もないので一緒にお昼ご飯を食べるくらいの余裕はあるかな、なんて思って了承すると、不意に私室の扉がノックされ、戸惑いつつも電話を顔から離して扉の方を振り返る。

「はい?」
「あ、いた、隣の部屋の加古ですー」
「?」

だ、誰? 女の人?
取り敢えず電話の向こうの哲次に一言断ってから通話を繋いだままソファから立ち上がり、鍵のかかってない扉を開けて顔を出す。
するとそこには私室の近くで何度か見かけたことのある背の高い女の人がタッパーをもって立っていて、思わず一歩下がってしまう。この人が加古さん、きれいな人だ。

「いきなりごめんなさい、きちんと挨拶したことないと思って」
「え、ああいえ此方こそすみません、気が利かなくて」
「いいのよー、私もここ最近は忙しかったし、貴方も色々話題になってて大変だったでしょう?」

にこり、と笑いながら正直な視線を向けて首をかしげる加古さんに俺は苦笑いを溢し、曖昧な態度をとりつつも「最近はそうでもないです」とだけ返す。実際C級ブースで柄にもなく叫んだときから人殺しの噂は消えてきているらしく、俺の言葉で噂がデマだと受け取ったらしい人達が増えて視線もあまり向けられなくなってきている、らしい。三度も『らしい』と使ってしまった。

「これ、お近づきの印に食べてくれないかしら?」
「え、ああ、はい」

青い蓋のタッパーで中身がなんだか分からないけれど、ここで受け取らない人間はいないと思うので手作りらしいなにかを受け取って首をかしげる。そこはかとなく温かい。

「まあ、お近づきの印といっても作りすぎて余っちゃっただけなんだけどね」
「ああいえ、ありがとうございます。これ、何ですか?」
「炒飯よ、今回は岩のりを入れてみたの」
「………へえ、美味しそうですね」

いや、確信はないけど。

「でしょ? 良かったら今度会ったときにでも感想教えてね」
「、はい」

加古さんはそれだけ言うとすらりとした手を振って髪を靡かせると、自分の部屋に戻っていってしまった。なんだか突然炒飯を渡されたわりにはあまり驚いていない自分に少し疑問を持ちながらその後ろ姿を見送り、私室の扉を閉めてから携帯を耳に当てて会話を再開させる。

「哲次、加古さんって知ってる?」
『あ? そりゃな』
「炒飯もらった」
『マジかよ』
「晩御飯までもつと思う?」
『余裕だろ、心配なら冷蔵庫にでも入れとけ』
「え、そんな電化製品ないし」

まだ温かいところからも出来立てなのが分かるし冷蔵庫もないので防衛任務前の腹ごしらえとして食べようかな、とソファに座り、机にタッパーを置きながら蓋を開けて中に入っている炒飯を見つめる。あー、岩のり使ってる感満載の色してるな。律儀にプラスチックのスプーンが入ってるし。
持ち手が油で汚れないように巻かれていたアルミホイルを取り、右手にスプーンを持って左手で携帯を持って耳に当て掬った炒飯を口に運ぶ。

『今食ってんのか』
「ん? んー、なんか、和風な感じで美味しい気がする」
『当たりで良かったな』
「? うん。てかそういえば、影浦さ………影浦くんは何を奢ってくれるわけ?」
『そりゃお前、自分の店のお好み焼きだろ』
「やった」

やたら黒い炒飯だなと思っていたら具材がヒジキらしく、まあ、冒険はしてるものの不味くはないのでそのまま食べ進める。というか影浦、くんは俺に厳しいわりに要望に答えてくれたのか、良い奴だ。

「ねえ影浦、くんは?」
『言いづらそうだな。アイツは鋼と自販行った』
「ふーん」
『つか話変わるけどよ、四月始めC級ブースで何かあったのか?』
「…あー、四月一日のこと?」
『それは知らねえけど、カゲが前に面白くないもん見たっつってたから何かあったのかと』
「、居たんだ」

最近と言うほど最近でもないが、一番最後にC級ブースへ訪れたのが四月一日のエイプリルフールの日だということは強烈に覚えていたのでスムーズに思い出す。あのときは随分と視線が多かったから判断出来なかったし動揺していたこともあって影浦くんの視線が読み取れなかったらしい。まあ、確かにあの日影浦くんに会ったしな。

「別に、知らなくても良いことだよ」
『……………まあ、俺はそれで良いけどな』
「……………哲次のそういうところ好き」
『やめろ』
「ごめん」
『お前、諏訪さんと一緒に居なくてもウザくなってんぞ』
「あ、ごめんなさい、でもホントのことだし」
『黙れタラシ』
「え、は、いや違う……」

話しながら食べ続けていたからか半分ほどなくなった黒い炒飯を見つめながら口の中のものを飲み込み、ちらりと腕時計で時間を確認してまだ防衛任務まで余裕があることを改めて把握していると、また突然私室の扉がドンドンと乱暴に叩かれて扉の向こうから聞き覚えのある声で「おーい」と叫ばれた。

「び、っくり……………」

今日は随分と来客が多いなあ、なんて悠長に考えながら取り敢えずまた携帯を顔から離して「鍵空いてるよー」と言いながら後ろを振り返ると、扉が勢いよく開かれ、其処から私服姿の公平がズカズカと足を踏み入れてきたのが見えて思わず苦笑いをこぼす。

「あれ、電話中か」

そう言ってソファの背から乗り出すようにして俺の顔を後ろから覗き込んでくる公平が相変わらずかわいい顔だったので「うん」と言いつつ微笑み返すと、公平がぎょっとしたように目を見開いてから勢いよく顔を逸らした。一瞬だけ照れていたから、まあ、セーフかな。
右手に持っていたスプーンで黒い炒飯を掬いながら携帯を耳に当て、いっこうに此方を向こうとしない公平の後頭部を見つめてさっきまで話していた会話の内容を思い出す。

「で、防衛任務終わったら何処に行けば良い?」
『あ? あー、お前の部屋鍵空いてんだろ?』
「、聞こえてたんだ」
『まあな。お前が防衛任務に行ってる頃に名前の私室に溜まってるから、そのままカゲん家の店行こうぜ』
「え? あ、」

さっきまで照れていたくせに俺の食べかけの炒飯に興味を示すと勝手に俺の手からスプーンをとって炒飯をつまみ食いし出した公平をじっと見つめてから諦めて部屋を見回す。大して長い時間ここに留まったこともないけれど一応部屋が汚れてないのを確認してからじーっと嵐山のポスターを見つめ、一瞬だけ迷ったがそのまま放置することを決心して口を開く。

「いいよ、」
『よし、二人にもそう言っとくわ』
「よろしく」

哲次は俺の言葉に「おう」と短く返事をすると通話を切ったので、俺はツーツーという音を何回か聞いてから携帯をポケットに仕舞い込み、ソファの背凭れから身を乗り出したままモグモグと黒い炒飯を食べ続ける公平を見つめて鼻の頭を掻く。なにしに来たんだ?

「公平、それ美味しい?」
「ん? んー、よくわかんねえけど食える」
「……………ま、そんな感じだよな」

ふわあ、と一つあくびを溢しながら背凭れに体重をかけ、頭を乗せて天井を見上げる。加古さんに何て言おう、正直に微妙ですと言ったら怒られるだろうか。

「名前さん、」
「ん?」
「久しぶり」
「え? あ、うん」
「実はさ、教えてほしいことがあんだけど」

そう言って俺に許可もなく黒い炒飯を完食した公平の遠慮のなさに少し驚きつつ、俺がそれを許すだろうと踏んでそうしたのなら結構心を開いてくれてるのかなあ、なんて思う。公平は陽介とかと比べたら人並みに常識人だし遠慮も出来る人間だから余計に。
ソファの背凭れを跨いで俺のとなりに座ってきた公平に視線を向けて話の続きを待っていると、公平は俺と同じようにソファの背凭れに体重をかけながら此方を向いて口を開いた。

「未来、どうなった?」
「……………単刀直入だね」

それを聞くためにワザワザ来たのか、と聞きたいけれど公平のことだから『ワザワザ』という単語にムッとするだろうから、俺はその言葉を飲み込んで苦笑いをする。まあ、聞かなくたって『心配』の視線を向けられれば嫌でも分かるか。
逃げるように背凭れから離れて空になったタッパーの中にスプーンを仕舞っていると、公平はわざとらしく盛大にため息を吐いてから俺の腕を掴んで「なあ、」と痺れを切らしたように言って顔を覗きこんできた。その公平の真っ直ぐな瞳が何となく嬉しくて、俺は微笑んで答えを返す。前の俺ならここで申し訳ないって思ってたよな。

「………まだ変わってない、」
「……………ふうん」

俺の答えを聞いた公平がぎゅっ、と俺の腕を掴み、ソファの背凭れに頭を乗せて俺から顔を逸らすのを見て目を細める。ホントに公平は良い奴だ、こんな良い奴を少し俺の人生に巻き込んじゃったけど、ここから何もなかったかのように接することは出来ないし後には戻れない。だから俺は公平のためにも前に進まなきゃならない。

「また俺のこと、考えてくれたんだ?」
「……………、」

返事をするように掴まれた腕に力が入った。
顔を逸らされていているからサイドエフェクトが使えなくて確信は持てないけれど、きっと肯定するのが恥ずかしかったのと否定するのが嫌だったんだろう。

「それだけ未来が確定しかかってるって、ことかな」
「……………うるせー」
「うん、ごめん」
「謝んな」
「うん」

背凭れの上に乗っけられた公平の顔は俺とは反対の方向を向いていて、俺は公平の声から表情を想像することを強いられて苦笑いする。こういうのは苦手なんだけど、前よりかは成長したから少しでも公平を安心させられればいいなと思う。

「公平、相談に乗ってほしいんだ」
「……………んだよ」
「俺はさ、ここ最近………未来を変えるための選択を色々してきたんだ。クラスメイトのこととか、前に話した人殺しの濡れ衣のこととか」
「、クラスメイトってもしかして、カラオケのときの?」
「あ、そうそう」
「あー……………」

俺の言葉に顔を背けていた公平が『納得』の視線で俺を見つめ、俺の腕を握っていた手の力を緩める。なんの納得だろう、何て思ったが、俺はそれよりも今日初めてまともに真っ正面で見た公平の顔に集中することを選んだ。

「今日もかわいいね」
「っ、今そういう話じゃねえだろ」
「ん?」
「……………はあーあ、何を相談すんだよったく」

俺の笑顔にほだされたのか肩の力を抜いて溜め息を吐いた公平が少し笑ったのを目敏く見つけ、少しほっとした俺も肩の力を抜く。良かったエレベーターの時の二の舞にならなくて。
そんなことを思いながら、悩みはあっても大した相談のない俺は頭をフル回転させて視線を天井に向けたが全くいい案が浮かばなかったので、何となく、本当に何となく、殆ど無意識にずっと思っていたことを口にする。

「……………俺は、駄目な人間なんだ」
「……………どういう意味でだよ。そんな、クソイケメンのくせに」
「いやいやそうじゃなくてさ、何て言うか、そう、きっと幸せになるのが駄目な人間なんだよ」
「、は?」
「……………自分が報われたり救われるのは、現実味がない」
「……………誰かの為に生きてるから、か?」
「うん、多分」

すると公平は俺の言葉を聞くとぐぐっ、と眉を寄せ、どうしていいのか分からないという視線を俺に向けてから、あきらめた様にソファの背もたれにダラっと寄りかかった。
ほんと、なんでか分かんないけど公平には色々話しちゃうな。

「……………それは、未来を変えたくねえってことじゃねの?」
「そ、んなことない」
「あのさ、その言い方だと周りの人間から見たら名前さんは自分の優先順位を低く見てるように思えんだよ。周りには名前さんの順位が高めの人だって何人もいんのに」

そう言い切ってから『照れ』の視線を逸らして「おれとか」と続ける公平にきゅん、としたが、ここで本能に任せて頭を撫でたりなんかしたら絶対怒られるのでぐっと堪えて話の続きを促す。この話は何だか、前に陽太郎にされた話とおそろしく似ている気がするな。ていうか、いつのまにか名前呼びに戻ってる。

「……話聞いてたらあの濡れ衣のことだって、自分の未来のためとか言ってるけど本当は誰かの為に動いてたんだろ」
「……、そんなこと」
「あるんだろ」

公平はむっとした表情で俺の顔を覗き込むと呆れた様に溜息を吐いた。
そんなこと言われても、初めのころは倉須のことや佐藤家のことが俺の未来を変えることにつながるだなんて思いもしなかったから単純に倉須は過去から解放されるべきだと思っていたし、新斗さんに佐藤家になりたいという意思があったから味方になりたいと思っただけ。俺のために動こうと思ったのは迅の誕生日にそれを教えられた時からだ。
それも言ってしまえば迅を失望させたくない、って気持ちがあったかもしれないけど。
ん? そうなると、公平の言う通り、俺って口では「死なないように頑張ってる」とか言ってるわりには未来を変えたいって心の底からは思ってなかったのか?
ぐちゃぐちゃと思考が行ったり来たり答えに行きつかない道を巡っているような気がしたので、気持ちを切り替えるように公平から視線をそらしてうつむく。

「、泣くなよ」
「泣いてないけどさ、俺って、何してたんだろうって考えてた」
「……なんだよ、それ」
「あー、俺は誰かの為がイコール自分の為になるんだから、多分、間違ったことはしてきてない……………よな?」
「っ間違ってるとか間違ってないとかじゃなくてよ、今してんのは"あんたが幸せなのか幸せじゃないのかって話"だっての」

責めているような諭しているような公平の視線から俺は逃げるようにぼーっと空になったタッパーを見つめ、エレベーターで公平と話したときのことや慶の部屋で電話したときのことを幾つか思い出す。
エレベーターで怖がらせてしまったときも、公平はこうやって俺の意思の主張を求めてきてくれたっけ、「そういう言い方じゃないだろ」みたいなこと言って。それは今考えれば俺のことを真摯に考えてくれていたからなんだと分かるけど、あの時は、公平の言っていることが当たりすぎていてキツく接してしまった。死にたくない、って思うことが自分本意のように感じて、今の俺から離れていくように感じて怖くて嫌だったんだ。そして慶の部屋で電話したとき、公平は結局今の俺を尊重してくれて、誰かのために生きると決めていた俺の後押しさえしてくれた。
それなのにこんな話になったのは、俺のせい。俺がぶり返したんだ。
なんでぶり返した? そもそもこれは無意識に口に出した適当な相談だったはずなのに。どうしてこの話題を出そうと思った? 迅に死なないでと言われたときも倉須に死なないでと言われたときも『死なないように頑張る』って体は変わらなかったのに。
何かが変わった………変わる、変わったとしたならば……………気持ち? 気持ち、心……………心境の、変化? そういえばさっき哲次と話しているときにもそんな単語が。


「あ、」
「……………なに?」
「いやあ、」


ああ、そうか、



昨日、俺が自分の幸せを願ったから。
悪い言い方をすれば、その報われない救われない未来を恨んだから。なんだ、現実味がないとか言っておいて、昨日ちゃんと思ってたんじゃん。
俺の短い言葉に不思議そうな目を向けた公平は俺の顔を覗きこむと「名前さん?」と距離を縮めてきた。昨日の迅よりは幾分も離れている距離感に俺は笑いをこぼす。
当たり前だ、俺は普通の人間なんだからアキちゃんのようにキッチリとした線引きは出来ないと理解していたはずなのに、なに見栄はってんだ。
昨日どんな流れでああなったのか曖昧だけど、今だって触れるのになんの躊躇も必要とされない関係になりたくて、好きだって誤魔化さないで言いたくて、迅のモノになりたいし、迅を俺のモノにしたいって思っている。そして、今はそんな自分を押し殺すことに必死になっている。キチンとした線引きが出来てない証拠だ。

「そっか、俺って幸せになりたいんだ」
「……………バカじゃねえの?」
「うん」
「……………っバカだよ、あんた」

今更すぎる。人として通常の欲求に蓋をしていたのか、俺は。
報われたり救われるのが怖いのに、幸せになりたがっている。そんなの当たり前なのに、自分は役割があるし、報われないし救われないという未来があるからって言い訳をしてそれを放棄していた、そんな気がする。
そんな俺の言葉に呆れた台詞を吐いたわりに悲しそうな声色の公平は、俺に『同情』の視線を向けて口を開いた。

「人のために生きる人生を否定する気はねえけどさ、それは自分を蔑ろにする理由にならないだろうが」
「……………そう、かな」
「、ほんっと! バカじゃねえの!?」
「いたっ! ……………ええ?」

公平は叫ぶようにそう言ったかと思うと、バシッといい音をたてて俺の肩を叩いてそのまま眉を寄せた。

「ご、ごめん……………」
「なにが悪いか分かってねえだろ」
「……………はい」

どちらが年上なのか分からないような状況に俺は視線を落としてから叩かれた肩を擦り、ちらりと見えた腕時計の時刻がもう少しで防衛任務の時刻を指そうとしていることに気づいて立ち上がる。
甘えすぎかな、話し過ぎかな、でもそれでも、公平の優しさは心地いい。迅とも俺とも違う重々しくない優しさ。公平のそういうところも好き。

「公平、俺と話すのは迷惑?」
「、んなわけねえだろ」
「だよね、知ってた。ありがとう」
「おれは何も……何もしてやれてねえだろ」
「? なに言ってんの、公平が話を聞いてくれるから俺は今笑ってられるんだよ」

ソファに座ったままそう言う公平に俺は微笑みかけ、納得してないらしい公平の視線を受けながらリュックに空のタッパーを仕舞い込む。俺が今から移動することを悟ったらしい公平はむすっ、とした表情をしてからうつ伏せになってソファに倒れ込み、こもった声で「いってら」と呟いた。

「うん、このお礼は慶のことで何か返すよ」
「おー」
「それとも何か奢るのがいい?」
「……………おごって」
「うんいいよ、なにがいい?」
「らーめん」
「よしわかった」

俺の問いにうつ伏せになったまま短く答える公平の頭を撫でてからリュックをソファの下に置き、ふう、と息をひとつ吐いてから俺はソファから離れて「いってくる」とだけ言って私室を出た。


でもだからって、俺の場合は気持ちに蓋をしないと生きていくことは出来ないんだけど。

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