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 次の日、学校のあと防衛任務は無かったが報告の義務がある風間さんの私室へ向かおうとした廊下で、当人の風間さんと風間隊の人にばったり会った。
立ち話だったが簡潔に「親友もどきの関係が、本当の親友になったと思います」と開口一番告げると、風間隊の人は首をかしげていたが、風間さんは少し沈黙してから黙って俺の頭に、ぽん、と置くように手を乗せてから「よくやった」と呟いた。そしてポケットから取り出したモノを俺の手に乗せると何も言わずに立ち去るので、風間隊の人は戸惑いながら俺に小さく頭を下げると風間さんの後を追った。
その後ろ姿を眺めてから自分の手に握らされたものを見つめて俺は複雑な気持ちになったけれど、俺のために用意してくれたのならちょっぴり嬉しかったので、その小袋包装の一口サイズのジャーキーをポケットに仕舞い込んでから慶の私室へと向かった。
貰ったばかりのおやつを口に放り込んで廊下を歩いていると、目の前から忍田本部長が書類に目を通しながら急ぎ気味に歩いているのが見えて思わず反射的に、本来の道ではない道へ右折しようとしたが、ここで逃げたら迷子になることを察知したため断腸の思いで真っ直ぐ歩みを進める。
書類に集中しててもしかしたら俺の存在に気が付かないんじゃないかという淡い期待を抱いてみたが、もし見つかったとき困るので、すれ違う前に「お疲れさまです」と頭を下げて、そのまま立ち去りますよー的な雰囲気を醸し出してみた。

「ああ、お疲れ………って、君か。良いところで会ったな」

あ、立ち去れないパターンの会話だ。
そう悟った俺は「……何かありました?」と笑顔を携えながら足を止め、忍田本部長を少し見上げて言葉を催促する。
嫌いなわけじゃないんだよ別に、好きだよ、好きなんだけど苦手なんだよ。いや、苦手なわけじゃないんだけど、どぎまぎする。

「………よかった」
「? え?」
「倒れたと聞いて心配していたんだが、どうやら顔色は良さそうだな」

何部かある書類を伏せつつ優しく微笑む忍田本部長に胸がきゅん、と高鳴りながら「お、お陰様で」と視線を逸らして言葉を返した。
お、大人だ……………なんか、大人だ。

「それで、突然で申し訳ないんだがちょっとコレを渡しておいてくれないか? 多分君も知ってる人だから」
「え? あ、はい」
「じゃあよろしく頼んだよ」

何部かあるうちの一部を俺に渡してそれだけ言うと、少し小走り気味に立ち去っていってしまう。

「………えっ、え? 誰ですか!?」
「ああ、その書類に書いてある! 頼んだよ!」
「? は、はい!」
 
いや、はい、じゃないが。
いきなりだな……………。
どんどんと小さくなる忍田本部長の背中を見つめてから息を吐き、上役でもあんだけ忙しくなるほど人が足りてないのか、たまたま今回だけこうなのか分からないけど、珍しい忍田本部長の頼みなので素早く遂行しないとなあ、なんて思いつつ書類を見つめる。
どうやら隊のリーダーが集まる会議の詳細の書類で作ったのは忍田本部長ではないらしいが……やっぱりなんかあったのかもな。この作った人がめっちゃ忙しいとか?
そんなことを思いつつ書類を渡すべき人物の名前を探し、すぐに見つけ出したが肝心の渡すべき人物は知っているが、何となく逃げ出したい気持ちになった。ていうか、会いたくないんだけど。

「どうしてこうなった……」

そもそも俺は、慶の口がユルユル過ぎることを叱るためにここを通っただけなのに。くそ、右折すればよかった。
ホチキス止めにされた書類を見つめながらそんなことを思ったが、性格上誰かに押し付けることもできないので、とりあえず会いたくないし寧ろ避けていた人物の隊室を知るため、同じ隊の人物に電話をかける。

プルルル、プルルッ


『はい、こちら犬飼です、オーバー』
「……………こちら名字。今どこにいる? オーバー」
『ッアハハ! ほーら乗っかってきたでしょ? ハイ俺の勝ちー』
「? どういう状況?」

電話口とは少し離れたところでケラケラと笑っている犬飼くんの声と誰かの反応する声が聞こえるが、鮮明にそれが誰かわからないので反応が来るまで待っていると、犬飼くんは『あっ、今? 今は本部にいるけど?』と明るい声で返ってきた。
どういう状況かは説明してくれないらしい。

「二宮隊の作戦室?」
『いやー、今はホールだけど何かあった?』
「あーその、二宮さんに渡さなきゃならないものがあるんだけど、犬飼くんに託してもいい?」
『んー、いいよー』
「マジ? 今から会いに行くわ。俺も本部いるから」
『あ、じゃあ名字さんの私室にしよ?』
「え? あーまあ、そっちの方が迷わなくて済むからありがたいけど」

なんだか俺の私室の存在って結構明るみなんだなあ、と思いながら私室へ向かうため足を進めると、俺の言葉が面白かったのか『なにそれ』と犬飼くんはケラケラと笑った。



十分後、私室のソファで折り紙を折って犬飼くんを待っていると不意にチャイムが鳴ったので、扉を開けると、待ち人の犬飼くんと何故か哲次が紙袋を持って立っていた。
ていうか、いつの間にチャイムが付いたの? って感じだが、それよりも哲次が居ることの方に興味が引かれて、思わず「何でいる?」と問いかける。

「来ちゃ悪いか」
「いや、そういうわけではないんだけど……あ、電話の向こうで犬飼くんと一緒に話してたのって哲次?」
「多分そうだな」

ちらり、と犬飼くんを見てからそう答える哲次が肩を竦めるので、俺は「ま、入る?」と二人を部屋に通した。出せるようなお茶もお茶請けもないんだけども。
今思い出してみると、電話の向こうで何やら賭けのようなものが行われていたような気がしたが大して気にするようなことでもないようなので、哲次が許可なくソファに座ったのを見てから倣うように座った犬飼くんに書類を手渡す。
それを受け取ってから表紙に目を通した犬飼くんは「あーこれねー、ってか何故に名字さんが持ってるの」と俺の顔を見上げながら尋ねてきた。

「忍田本部長が渡しといてって」
「へえ? そういえば、名字さんにそんな噂もあったっけ」
「噂? ………あ、取り入ってるとかいうやつ? んな訳ないでしょ。俺はそんなに器用じゃないよ」
「ま、名前ほどポテンシャルが高いのに不器用な奴はそうそう居ねえ」
「褒めて貶すのやめて哲次くん」

ガサッ、と紙袋を無造作に机の上に置く哲次の言葉にため息を漏らすと、それを犬飼くんが『観察』の視線でじっと見つめてくるので居心地が悪い。
何が目的で観察してるのかとサイドエフェクトを使用すると、やっぱり犬飼くんって不思議だなあ、なんて思わされた。

「…………犬飼くんは俺のファンなの?」
「……なんで?」
「なんか俺が元気になったの、分かるみたいだから」
「あ、やっぱ当たった?」

へらへらと笑いながらそう言うと、犬飼くんは「やっぱりねー、輝きが違うから」と続ける。その隣で哲次がジト目で犬飼くんを見てるが、正直俺は感心しているのでなにも言わないでおいた。
俺と犬飼くんは大して関わりがある方じゃないのに分かるってことは、随分と目敏いのか、人の変化に敏感なのか、そういうサイドエフェクトがあるのか知らないけれど、才能だなあ。

「輝きってのはよくわからんけど、なんか、ありがとう」
「どういたしまして」
「なんで名前は礼言ってんだよ、なんで犬飼も満更じゃねえんだよ」

ツッコミ気質の哲次は俺たちの会話にそう切り込むと、呆れたように視線を逸らしてから机の上に置いた紙袋を指差し「前に教えた映画貸すわ」と話題を変えた。
ああ、前に貸してくれた映画と同じ監督のやつってアレか。

「ああうん、また防衛任務前にでも見るわ」
「おー」
「というかさ、荒船って結構ここ来てるの?」
「あー、まあ」
「ふーん、じゃあ前から場所はここなんだ」
「……………どういうことだよ」
「いや、前に二宮さんが来たときは違う奴が入ってった、って言ってたから」

あ、新斗さんのときか。

「あれは俺の知り合いだよ」
「ふーん、その言い方だと名字さんもその場に居たんだ?」
「……………やめてよ推理するの」
「おー、珍しく名前が追い詰められてる側だな」
「え? 俺は別に誰かを意識的に追い詰めたことない多分」
「曖昧かよ」
「無意識はあるけど」
「たち悪いやつかよ」

ていうか、二宮さんって名前が出てくるだけで身震いしそうになるぜ。避けてしまう切っ掛けは全て俺が作ってる訳なんだけど、それでもこわ……………怖いものはこわい。鳩原さんの件で怒られた時とか、学校サボって怒られた時とか、エレベーター事件で倒れて迷惑かけた時も、全部俺が悪いんだよなあ。
俺は多くの人に嫌われてるが、俺自身はわりと苦手な人も嫌いな人も少ないはずなんだけど。

「そんなに怒ってなかったけどなー、二宮さん」
「……………俺がその場にいないからだよきっと」
「へえ、名前って二宮さんが苦手なのか、いいこと聞いたぜ」
「やめてよ………自業自得なんだよ」

はあ、とため息を吐くと何故だか二人が楽しそうにするので、いじけるように唇を尖らしてそっぽを向くと、気持ちが切り替わったのか自分が今日ボーダー本部に来た当初の目的を忘れていることに気がついた。けれど、今さら太刀川隊の作戦室に行くのも億劫なので、このまま帰ろうかなとソファの足元に置いておいたリュックを背負うが、一人、慶以外に会っておきたい人がそこにいる気がしたのでメールをして先に確認しておく。

「なに、彼女?」
「だから居ないって……犬飼くんこそ出来たの?」
「残念ですが、出来ません!」
「なんでだろうねー…………ね? 哲次?」
「、俺に振んな!」

メールの返信が直ぐに来たのでそれを心のなかで読み上げつつ、結局太刀川隊の作戦室に行かなきゃならなくなった俺は、再度あの道を通らなきゃならない億劫さにため息をはいた。
そのため息に二人が俺を見上げると、犬飼くんが「やれやれ」と首を振って立ち上がる。

「折角名字さんで暇潰そうと思ったんだけど……なんかめんどくさそうだし、ロビー帰ろ」
「そうだな、めんどくさそうだ」
「めんどくさそうってなに? そんな空気一瞬で出したの俺」

軽口を叩きながら二人は扉に向かうと、あっさりと出ていってしまったから逆に寂しくなったのは秘密だ。
そんな二人を追うように俺も私室を出て、他よりは慣れている太刀川隊の作戦室への道を思い出しながら歩みを進めていく。途中で見知った人を見かけたが、俺の知らない隊員の人とお話ししていたのでスルーし、エレベーターで階数移動しつつ太刀川隊の作戦室に辿り着く。
目の前に着く前に廊下で俺を待ってる風の人物が居たが、携帯を弄っていたので俺に気がついていないようだった。

「こーへい」

その人物の名を読んで手を振ると、公平は寄りかかっていた壁から離れて携帯を仕舞い、相変わらずかわいい笑顔で「よっ、」と手を挙げた。
かわいかったので何となく、近付いた時に肩に手を置いてポンポンと叩く。わー、不思議そうな顔もかわいいね…………。

「公平、どうしても伝えたくて…………急にごめん」
「は? ああいや、別にいいけど」

頬を人差し指で掻きながら戸惑う公平から手を離し、わざと神妙な面持ちを作って「あのね、」と切り出すと、公平も少し緊張している風の視線を向けるのでかわいい。公平が絡むと何事もかわいい。

「濡れ衣のことあったでしょ? あれがね、解決したんだ」
「…………解決って、」
「うんと、濡れ衣かけてきた人も、その人の周りも一応納得できるような形になったってことかな」

本当は陽介にもすぐ伝えたかったが、陽介は今日本部に居ないらしいのでまたの機会に伝えることにしていた。
この二人は、俺がひどく心が動揺して荒れていた瞬間、無視せずにそばに来てくれて、俺の愚痴や悩みも聞いてくれた。泣いてもいいよ、って笑いながら言ってくれた二人だから、ちゃんと結果を伝えたくて。

「…………名前さんは? どうなんだよ」
「俺も、嬉しいって思ってるよ」
「嬉しいって……お人好しだな、ほんと」

俺の答えに、はあ、とため息を吐いて腰に手をあてる公平に俺は頬を緩め、公平の俺に対する優しさを再確認する。
いつも公平は俺に優しい。
俺の役割について詳しくは知らないにしても、俺の境遇も、俺の守りたいものも、俺の未来も分かってる上で、いつも『名前さん自身の気持ちはどうなんだ』って聞いてくれる。いつも俺の気持ちを優先してくれる。
俺は俺の気持ちに疎いときがあるから、そうやって引き出してくれることで本当に助かってきた。

「公平のこと、好きだなあ」
「はいはい。で?」
「…………で? あ、そこは………どうなんだろうね」

俺の告白をさらりと流し、視線で未来について聞いてきたので俺も分からず首をかしげる。

「多少はいい方向になってると思いたいけど、さ」
「…………なってるだろ、そうじゃないと許さねえ」
「うん、俺も…………俺にとって幸せな今の結果が、未来にとっても良ければいいなと思う」

そう言ってへへ、と笑ってみると、公平は少し驚いたように目を見開いてから「成長したな」と嬉しそうに微笑んだ。昨日俺が倉須に抱いたのと同じような気持ちをきっとしてくれているのだとしたら、倉須だけではなく、俺も変われたのだろうか。

「公平のおかげだよ、ありがとう」
「………別に、話聞くしかしてねえし」
「それが嬉しいんじゃん」
「あっそ、」

俺の感謝の気持ちを真っ正面から受け止めてしまったのが恥ずかしいのか、素っ気ない態度で顔を横に向けた公平がかわいくて俺はまた笑う。
恵まれてるよ、俺は本当に。感謝してる、この環境を一番始めに作ろうとしてくれた迅にも。
まだ迅昨日のことはキチンと伝えていないけれど、これが最善かどうか確認もしてないし…………そもそも迅ならわかるような気がして電話も会うこともしようとしてない。でも、今回に関してはそれぐらいが丁度いい気がした。

迅への気持ちはまだ整理できてないないけど前よりは見通しがよくなったから、だから、余裕をもって考えたい。
昔の俺の整理が少し済んだなら、今の俺の気持ちも考えていいんじゃないか、なんてことも思った俺は、目の前の公平にもう一度感謝を述べてから孤児院へ帰った。
あ、当初の目的地すぐ近くにあったけど………まあいいか。

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