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 中学の頃訪れたっきり足を踏み入れてなかった公園。
少し大きめの土地に鬱蒼と広がった芝生とそこに転がる誰のものか分からないボロボロのサッカーボール。防風林と繋がっているからか生い茂った木々が風で揺れるとそれなりに騒がしく、木々で作られた日陰によって公園全体が薄暗い。きっといまが夏なら快適な場所なのだろう。
けれどきっと夏になってもここには誰も訪れない。
ある事件が二件も起きてから。

「……………相変わらず、静かだな」
「そうだね」

座る気も失せる錆び付いたベンチの隣に立って林の奥を見つめる倉須に、俺は目を細めてから空に手を伸ばして体をほぐす。
空はこんなに青いのに、太陽はあんなに輝いてるのに、どうしてこうこの場所はいつまで経ってもどんよりと空気が止まっているのだろう。
それは多分、俺のとなりにいる倉須と、そのほか二人の人間の因果のせいだろうな。

「で?」
「……………ん?」
「なんのための寄り道だよ」

はあ、と息を吐いてから改めて倉須を見つめると、倉須は「ああ」と生返事をしてから俺をじっと見つめ、口を開いた。

「俺、昨日考えたんだ」
「……………なにを」
「俺はなんで名前が好きなんだろうって」

なんだそれ。ていうか何故下の名前を呼び捨てる。
というか、今から俺はそれを聞かされるのか?
よくわからない状況に視線を逸らした俺は近くにあるシーソーの真ん中に座って「ああ、うん」と小さく適当に返した。ベンチはシーソーの真後ろにあるので聞こえたと思うが、反応がないのでチラリと振り返ってみると倉須は俺を見つめているだけだったので前を向き直す。

「なに」
「………意外と男らしいよね、筋肉のつきかた」
「、見んなよ」

てかお前、レイジさんに会ったらそんなこと言えなくなるぜ。

「で?」
「あ、うん、まあ…………好きになるのなんて当たり前だったんだよなあって。俺のことをずっと捨てずに拾い続けてくれたのは名前だけだったし」

それは中学の頃、倉須が塞ぎこんだ時のことを言ってるのだろうか。倉須が塞ぎこんだ理由なんて同じ学年だったり親しいやつなら分かることだったけれど、皆腫れ物扱いしていた。登校しない倉須に「いまは誰にも会いたくないよな」とか決めつけて会いに行かなかったり、なにを言ったらいいのか分からないと足踏みしてるやつばかりだった。
そんなの、俺もそうだった。
けど、アキちゃんが居なくなってから俺は変わらなきゃいけなかった。だから倉須に近付いていった。あのままだと俺も、きっと倉須も後悔すると思ったからだ。

「酷いこともしたのに」
「別にされてねえよ、」
「……………酷いこともたくさん言ったのに」
「……………」

その時のことを思い出しているのか妙に声のトーンが落ちていく倉須に、俺は励まそうかとも思ったが、なんだかこの場所ではお節介を焼きたくなかったので黙りこんだ。

「……………さっきの人とのやり取りとか、新斗さんとの電話のやり取りとか聞いてて思った。俺はいまの今まで一つだって恩を返せてないって」
「、おん」
「……………そんなの返さなくていい、って言うと思ったのに」
「……………言わねーよ」

この世の中は、恩で出来てるのかってくらいよく出てくる単語。ほんと嫌になるな。
俺だって新斗さんや佐藤さんに恩を売ったなんて思ってないし、倉須にだって思ってない。ただ自分がしたかったことをした結果、相手がそう思っただけ………って、まあ、俺も人のこと言えないんだよな。迅だってきっと俺と同じなんだろう、けど、そうだと分かってても恩を感じてしまうし返したいと思ってしまう。
だから、倉須もきっと同じなんだろう。

「……………ボーダーになったら少しは返せるかも、なんて思ったけど、それもなんだか俺の為らしいし。ほんとこれ以上恩を重ねないでほしいんだけど」
「え? あ、ごめん?」
「そういうところも好きなんだけど」
「……………」
「黙らないでよ」
「、黙るしかないだろ」

後ろから聞こえてくる声にため息を吐きつつ、シーソーの剥がれた塗料を爪で擦る。爪のなかに入っていく青色の塗料を見つめながら倉須の次の言葉を待つと、キギッと音が聞こえた。どうやらベンチに寄り掛かってるらしい。

「それで今日ずっと、どうやったら恩を返せるかって考えてみたんだ」
「……………ふうん」
「最近の名前は変わった。中学の頃も変わったけど、最近変わったのはボーダーに入ったからだね。ジンユウイチとか新斗さんと関わって何かあったんだと思うけど、俺はその中身を知らない」
「、うん」
「きっと聞いたって教えてくれない」
「そうだな、」
「最近の名前のことはわからない、それはちょっと悔しいけど、名前自身のことは二人より知ってる自負がある。だから俺にしかできない恩の返し方ってなんだろうって思った」
「……………」
「違うな……………俺は恩を返すというか、名前に幸せになってほしいんだ」

俺の知らないところで俺について考えられているのはなんとなく嬉しいような複雑な思いだけれど、それよりも倉須が自分のことについてこんな風に考えられることに驚いていた。
いつまでも俺の後ろについてくるし、過去に縛られるなって言ってるのに聞かないし、叶えられないって知ってるくせに相変わらず好きとか言ってくるから、中学の頃から本質的に変わってないもんだと思っていたけど。

「だから名前の幸せってなんだろうって考えた。けど、名前はいつも自分のことより他人のことばっかりだし、きっと聞いても誰かの幸せを願うんだろうなって」
「……………それは、正解かも」
「でしょ? だから、俺は決めた」
「え?」
「俺にしかできない方法で名前を幸せにするには、……………俺も誰かを幸せにしないといけないって」
「ん、?」
「だからじゃあまず、俺が幸せにならなきゃって、」

そう言ってから「なんか言葉で言うと変だね」と笑う倉須に、俺は気付かれないように小さく息を漏らした。
なんだこいつ、すげえ、俺のこと考えてくれてる。
なんだろ……………ビックリした。ていうか、気づくの遅い。
俺がボーダーに誘ったときに気がついてくれたら、俺はもっと楽にいきられたんだけど…………あの辛さは俺や倉須には必要だったのかもな。

「……………倉須、おまえせいちょーしたなー」
「でしょー? 嬉しい?」
「すげーうれしい」

へへ、と笑う声に俺も一人でにやけてうつむく。良かった、後ろ向いてて。

「でね、俺の幸せってなんだろうって考えたら、やっぱり名前の傍に居ることだなって思った。好きになってもらえなくても、離ればなれになるよりずっと幸せって」
「……………ふうん」
「けど、振り向いてもらえないのに傍に居ることってなかなか辛いなーとも思った。それに名前は俺が傍に居すぎることに、あんまり良い顔してないのも知ってるから」
「そうだな、」
「だから……………だから俺に新斗さんを紹介したんだなーとも思ったよ」
「……………それは、ごめん」
「……………名前のこと、よくわかってるから大丈夫」

大丈夫、か。

「でも俺は、新斗さんとは仲良くしたいよ。俺と同類だし、大人だし、名前の目論み通り新しい環境ってやつだから俺の穴を埋めてくれる人かもしれないし」
「……そうだな、そうなると思うよ」

新斗さんをまるで使うような言い草をしているけれど、きっと新斗さんにはすぐバレてしまうだろうな。それできっと知った上で付き合ってくれて「俺も友達できて嬉しいぜ」とか言って過ごしてくれる。
それがわかるほど新斗さんと倉須は関わってないから、倉須には罪悪感があると思うけど、その罪悪感を抱きながら決心してくれたんだと思うと少し嬉しい。

「つまり何が言いたいかというと、」
「ん?」



「俺は……………ずっと名前の隣に居たかったけど、諦めるね」
「っ、」


じゃり、と砂を踏みしめた音が聞こえた。
そして気配が近づく。


「でもやっぱり名前の近くには居たいから、俺は他の人にも寄り添うことにしたよ」


近くでそう呟いた倉須は前に回り込むと、へらりと微笑んで、座ったままの俺を優しく抱き締めた。
ここに来てから一度も触れてこなかったし目も合わせてこないのは、この場所だからだと思っていた。なのに。
振りほどけば解放されるような力でシーソーに座る俺を抱き締める倉須に、俺はなんだか自分でも驚くほど心が穏やかで、回す権利がないと思っていた倉須の背中に自然と手を回していた。

「好きだよ、名前」
「……………うん」
「でも、俺は多分名前じゃない人と幸せになるよ」
「……………、うん」

ざわざわ、と風に揺れてざわめく木々の音がさっきまでは恐ろしく聞こえていたのに、今では何故か心地よく感じる。

「、名前も、幸せになれる?」
「……………なれる」
「そっか、」
「…………………………倉須」
「ん?」

このざわめきに、紛れて聞こえなければそれでいい。
そんな思いで俺は倉須の肩に顔を埋め、回した手に力を込めてから小さく呟いた。


「………………………………好き"だった"よ」


そう呟くと倉須は少し沈黙して、一度鼻をすすってから強く抱き締め返してきてくれた。そして暫く離れることはなく時間だけが過ぎていったけれど、少しも無駄な時間じゃなかったし、必要な時間だったと思った。墓場まで持っていくつもりだった"昔の俺"の気持ちは報われなくても救われなくても、がんばってきた"今の俺"は清々しい気持ちになれた。
目元が少し濡れていた俺にとっても、鼻がつまっていた倉須にとってもこれが最善だといい。

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