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 あれから約四ヶ月後、九月初め。
季節も代わり色々な学校行事が過ぎていき、ボーダー試験に受かった倉須や伊都先輩がボーダーになれてきた頃…………今日は委員会の活動日。別の言い方をすれば、ボーダー提携普通校の学園祭の日だ。
今日の日のために費やしてきた準備期間を経て満を持してやって来た学園祭は一般の客や他の学校の生徒などで溢れ返っていて、始まったばかりだというのにすでに熱気に包まれていた。
そもそも学園祭という単語だけでも魅力的なのに、みんなの憧れの的であるボーダー隊員も多く属しているこの学校では他の学校の学園祭より一般の客層が多く見られる。それは多分俺がこの学校の生徒ではないからわかることで、ここの学校にとってはこれが普通なのだろう。
委員会の活動、ということで前々から準備を進めていた執事喫茶………ではなく、教室を借りてフリーマーケットを催してる俺達は、先生が準備したという燕尾服を身に付けながら集めた商品を販売している。
何故執事喫茶が取り止めになったかというと、食品を扱う許可を得るために提出しなければならない書類を先生方が忘れていたからだったが、俺は寧ろラッキーと思ったのでフリーマーケットへの準備に全力を注いだ。燕尾服は用意できていたし、着ないのも勿体ないということで結局着ることになったが「おかえりなさいませ、お嬢様」とか言わなくて済んでいるので文句は言わない。
俺や茶髪………あー、早川、嵐山やボランティア委員の男子は燕尾服を着ている訳だが、有志を募って集まった人達も相まってフリーマーケットをやるにしては結構な人数となった。因みに燕尾服は四枚のみだから他の人は制服やら自前のコスプレ? やらをしている。

「千五百円になります」

にこやかな笑顔を浮かべて値段を読み上げる嵐山の隣で黙々と商品を袋に詰める作業をして約二時間が経つが、いっこうに足が途絶えないのは絶対に嵐山のせい……お陰だろう。そのせいか嵐山はずっとレジで営業スマイルを携えつつたまにファンサービスを行い、俺は隣で握手会の係員かのように「はい、次のお客様ー」と時間を見計らうというオプション付レジ業務をこなしている。
俺や早川は午後からの出番だったのであまり早くに学校へ来てなかった為知らないが、午前中に嵐山隊が体育館のステージで何か広報らしい仕事をしたらしく、只でさえ人気な嵐山の人気に火が加速して生徒から一般の客まで客足が途絶えることない大盛況となった。
見たかった………噂で聞くだけじゃなくて、一度でいいから生で広報してるところ見たかった。それに、木虎藍ちゃんも来てたし綾辻さんも来てたらしいのに……今日は土曜だからな、学校もないし来れるのはわかるけど。何故午前中の俺はダラダラしてたんだ。

「ありがとうございましたー」
「あの、さ、サインください!」
「はい、じゃあ袋の上に書きますので少々お待ちくださーい」
「………名字、対応がこなれてきてるぞ」
「ん? そうだね、スムーズだね」

俺の笑顔にはなんの価値もないのでほとんど無表情で言葉を返すと、何故か嵐山はムッとして手元にあった半額の目印に使っているハートのシールを俺の頬に貼りつけてきた。
そして何事もなかったかのように袋にサインを書くとそれを俺に手渡してきたので、俺もじっと嵐山を見てからなにも言わずに受け取り、商品を入れてからお客様にできる限りの微笑みで「ありがとうございました」と言って手渡す。
視線を読み取らなくたって、何を言われたかわかる。
ハイハイ、ちゃんとしますよ。

「……………あ、あの握手してください」
「だってさ嵐山くん」
「じゃなくて! その、あなたとも!」
「…………………………俺!?」

よくわからない展開に俺は疑問符を浮かべて首をかしげつつも、嵐山のあとに握手を交わして戸惑いながら次のお客様を呼んだ。

「ほらな」
「、え?」
「名字は、そうしてる方がずっと素敵だ」

そう言って自然な手つきで俺の頬のハートに親指を滑らせた嵐山はいつものようにニコリ、と爽やかに笑ったが、なんだかときめいた俺はいつのまにか本当に嵐山のファンになっしまったのではないかという錯覚に陥ってしまう。
心を奪われてない? 大丈夫? ちゃんとある?
誤魔化すように動かす手元を見つめながら嵐山の末恐ろしさに震えていると、お客様に対応している嵐山が「おっと」と声を上げ俺の肩に手を置いた。

「名字のお客じゃないか?」

そう言う嵐山の視線の先を見つめると、教室の扉の辺りでひらひらと手を振るエプロン姿の迅が居てまたしても胸がときめいたが、さっきとは比にならないほどどきどきしていた。きもいぞ俺。ときめいたのがどちらも男なのが悲しいが、女性にときめかないわけではないので悪しからず。
わりと人の多い教室内を見渡してから頭に巻いていたバンダナを首まで下げた迅が手招きするので、俺はチラリと嵐山を見てからなんの会話もなしにレジを離れ、通り道にいた早川を身代わりにレジへ引っ張ってから迅の元へ呼ばれるまま来た。

「お疲れさまー、似合ってんじゃん。ハートのシールも」
「おーサンキュー、迅も似合ってるよ。ハートのシールは嵐山にやられた。ってかもしかして海の家?」
「そうそう、よくわかったな」

前に委員会でした会議での早川の言葉を思い出しただけだが、海じゃなくても海の家は盛況らしく、迅も予定より遅れて休憩に入ったらしかった。
ていうかほんと似合うな。誰か写真とってくんねーかなー、そして送ってくんねーかなー。

「ねえ、誰かに写真撮って貰いなよ」
「……………んあ? え? あー、俺が?」
「燕尾服なんてそうそう着れないだろ」

ビックリした。心読まれたのかと。
けど、同じこと考えてたってわかるだけで嬉しくなるなんて、ずいぶん俺の心は単純になったもんだ。少し冷静にならなきゃならないな、と思ってみたけれど、こう周りがお祭り騒ぎの今日明日は難しいのでこの学園祭が終わってからキチンと考えようかなあと真面目なのか不真面目なのかわからない答えを出した。

「嵐山にでも撮ってもらうよ。迅も撮って貰ってよ、そして俺に送って」
「えー、おれもー?」
「等価交換。エプロン姿は玉狛で何回か見てるけど、学祭パワー?」
「はいはい」
「………じゃあ、俺わりと忙しいから、フリーマーケット買わないならどっかでしっかり休憩しとけよ。あ、水分もちゃんと摂れー」
「あー子供扱いやめろって、わかったよ。空いてるときにでもまた会いに来るかな」
「、嵐山に会うならそうした方がいいかも」

後ろを振り返り教室内を見回したが、最初のピークの時と何ら変わらない人の密集度だったので苦笑いしてそう伝えれば、迅は少しキョトンとしてから「ああ、」と笑って言葉を続けた。

「名字が本命だから」
「、俺? でも、一週間以内には会ってるけど?」
「うわ、寂しいこと言うなよ」
「……………どういうことさ」
「いや? なんでもない………」

目をそらしてそう言うもんだから、言葉の意図が全然わからない。けれどそんなに悪いことじゃないような気がしたので「そうかい」と笑顔で流したら、迅は少し目を細めてからへらへらと笑って視線を向けた。

「子供扱いやめろ、ってこっちの台詞」
「してないしてない」
「保護者みたいな目しやがるじゃん」
「してないしてない」

迅はそう言うと逃げるように手を振って離れていくので、俺も溜め息を吐きながら手を振り返し嵐山の元へ舞い戻る。
早川が俺の抜けた代わりに焦りながら物を詰めたりファンサービスの対応をしているのをぼけーっと見つめて近寄ると、それを目敏く見つけた早川がダッシュで俺に近付き、引き抜けんばかりの力で腕を引いて持ち場を引き渡してきた。思いの外大変だったらしい仕事を押し付けられたことで汗をかいている早川は「あとでなんか奢れよ!」とお怒りだったので、適当に宥めてから額に手を当てていた嵐山の隣に立つ。汗でも拭ったのか。

「ああ、どうだった?」
「空いてるときにまた来るってさ」
「そうか、」

お客様の対応の合間に小声で返してくる嵐山の反応と視線に俺はチラリと時計を見つめ、俺と嵐山と早川が休憩に入る時間が過ぎていることを今更になって知った俺は、次の担当者達が既に教室内にいることに気がつく。
どうやらこの大盛況が嵐山によって引き起こされていると理解した担当者達は、気を使ったのか、自分達が対応するのが嫌だったのか、店内の接客に回ったらしかった。
でもそれだと交代が長引いて俺達の疲労が重なるだけなんだよな………特に嵐山の。

「早川」
「んえ?」
「次の担当者、そこらにいるから呼んできて」
「いるの!? わ、マジだ! 早く変わらんかい!」

近くにいた早川に頼みながら商品を袋に詰めていると嵐山が申し訳なさそうな顔を俺に向けてきたので、次のお客様を呼んだ俺は仕返しにハートのシールを嵐山の目元近くに貼って「俺にまで気使わなくていいから」と微笑んでやる。
すると嵐山はパチパチと瞬きをしてから、爽やかが爆発したような笑みを返してきたので、ちょっと元気になった嵐山を横目にお客様の対応をしてから俺達は休憩に入った。なんか嵐山さっき、頬が熱かったな……熱気にやられたか。
嵐山が抜けるということで多少はお客様の人数が減ったが、それでもフリーマーケットにしては多い人数に、俺は廊下に出てから改めて嵐山の人気を噛み締めることとなる。当人の嵐山は燕尾服の首もとを少し鬱陶しそうに伸ばしてから「腹がすいたな」と笑うので、こういう好意になれてるのかなー、なんて此方も呑気に思った。

「まあ、宣伝も兼ねてこの格好で回ってきてと言われたは良いけど、汚しちゃまずいから……」
「そうだな、」
「いやもう汚す前に写真撮ろうぜ」
「お、いいな」

休憩に入って早々に彼女へ会いに行った早川を抜いた俺と嵐山の二人は取り敢えず写真を何枚か撮ってから移動するか、ということで、まず教室前で自撮りモードにした携帯を向けて二人で画面内に納まってみる。

「こういうときどういうポーズすんの?」
「さあ……ピースじゃダメなのか」
「んー……………俺の持ってる嵐山のポスターはポーズとってないしなあ」
「……………えっ!?」

俺の言葉を聞いてやたら驚いて俺を見ている嵐山が画面に映ったので何となく撮ってみたら、なんだか少し顔を赤くした嵐山が「……変なところ撮るな」とチラリと睨んできた。わお、新鮮。

「凄まないでジュンジュン」
「、こら、怒るぞ?」
「ごめんごめん」
「……………そう言って手が止まってないぞ」

カメラを外のモードに切り替えてパシャパシャとカメラマンのように撮り続けていたら、腰に手を当ててため息をはいた嵐山は俺の手から携帯を奪うと、仕返しするようにカメラを俺に向けた。
嵐山と違ってたいして写真慣れもしてない俺はこういうとき何をすれば面白くなるのか分からなくて、自分の記憶をフル総動員させた結果、犬飼くんと辻くんの顔が浮かんできたので教えてもらった虫歯ポーズとやらをしてみる。

「どう?」
「ああ、かわいいぞ」
「……………、うるさい、早く二人で撮ろう」

というわけで、何枚か二人での写真を撮り終えた俺たちは、いつのまにか増えていた視線を掻い潜りながら色んな教室を見て回ることにする。
定番のお化け屋敷から飲食系、文化部の展示販売やゲームコーナーなど良い意味で騒がしい学内を見て回っていると、なんだか見知った顔がチラッと見えたので嵐山を連れて近くに寄る。そこは喫茶店のような雰囲気に装飾された教室で、お目当ての黒と白で統一したらしい服を着た公平は同じような服を着たクラスメートと喋って接客をしていた。
かわ、かわいい……………顔が。学校で見る公平とかめっちゃ新鮮すぎて吐きそう……………。
なんて思っていると、接客されていたお客が俺達の方に何故か気がついて此方を振り向いた。

「ありゃ名字さん!?」
「っは!? 何でいんの!?」

Tシャツの袖を肩まで捲って学園祭のうちわを扇いでいた客がまさかの陽介だったらしく、陽介の驚いた声で俺と嵐山に気が付いたらしい公平も驚いたのか大声で叫んできた。

「おー、元気良いなあ」
「そだねー」
「あれ、お二人さん俺達の反応聞こえてます?」
「つーか、周りがイケメンイケメンうるせえと思ったら、嵐山さんと名前かよ!」
「あ、うるさいの? 嵐山と一緒にいると慣れすぎてわかんねえや」

俺に褒められると苦笑いで逃げる傾向にある嵐山はいつものように苦笑いを浮かべてから、公平に「ここは何が売ってるんだ?」と話題を変えるように尋ねた。
ふむ、確かに遠巻きに見られてるような気がするし、そもそも意識する気も無かったからわからなかったけど、そういう視線が多く向けられているな。俺にもわかるってことは、俺にもそういう視線が向けられてるってことだけど………多分、燕尾服を着てるから余計に好奇の目で見られてるんだろ。

「あー、色々ありますけど、オススメは一応クレープってことになってますね。種類が結構あるんで」
「ふーん? じゃあ公平チョイスで俺の買ってきて」
「あ、俺も頼む」
「あーい、二つねー」

小銭を俺と嵐山がそれぞれ渡すと、受け取った公平はクラスメートと共に厨房らしきところへと行ってしまった。
そういえば、迅の休憩はいつ終わるんだろうか? あとで連絡とろうかな。

「てか、その格好なんすか? なんで名前さん居んの?」
「他校との交流ってことで、俺は俺の学校の委員会仕事してんの」
「……………執事?」
「いや、フリーマーケット」
「意味わかんねえ!」

ゲラゲラと笑いながら陽介は隣に座る友人に俺を紹介してるらしいが、俺は頭を下げることしかできないので、助けを求めるように嵐山を見る。けれど嵐山は携帯で誰かと連絡をとっているようで、俺の視線には気がつかないようだった。

「なな、もう秀次んとこ行きました?」
「? あー、三輪くん! そういえばここの生徒だもんな」
「うわ、秀次忘れられてる」
「いやいやうっかり……三輪くんのクラスなにしてんの?」
「お化け屋敷」
「マジ? お化け役?」
「まさかー、受付っすよ」
「笑顔で?」
「いやいやいやいや」

お化け屋敷の受付を真顔で……それはそれで見たい気もしてくる。
そんなことを思っていると、嵐山が俺の燕尾服の袖を引くのでそちらを向けば、少し申し訳なさそうな顔をした嵐山が携帯の画面を見せながら口を開いた。

「悪い、妹と弟たちが来てるらしくてな、案内してくれと言われたんだが」
「? あーいいよいいよ、一人で回ってくるからさ」
「っあとで何かお詫びするから許してくれ! クレープは俺の分も食べて良いから!」

嵐山は早口にそう言うと陽介に一言いってから人混みのなかを颯爽と割って出ていってしまった。会話の途中で携帯を弄るなんて嵐山らしくないなあ、なんて思っていたけれど、相手が溺愛している妹と弟ならば納得できる。燕尾服を着てぞろぞろと野次馬を連れる兄を見て二人はどう思うのかな……………。
なんて思っていると、クレープを二つ持った公平が嵐山を探してキョロキョロしてるようだったので、俺が二つ受け取って今までの経緯を説明した。

「ほーん、相変わらずだな嵐山さん」
「名前さんボッチじゃん??」
「慣れてるから大丈夫」
「悲しくなるからやめろ」
「ごめん……………あ、俺もこれ食べたら三輪くんのところ行くわ」

片方にツナマヨのクレープを持ち、片方にチョコバナナのクレープを持ちながらそう言うと、公平がスマートに椅子を引いてくれたので遠慮なく座る。ツナマヨもチョコバナナもそれなりに美味しく、出来立てなのか温かいのが嬉しい。
孤児院の子供達の中にもこの学園祭に来る奴等がいるみたいだったが、ボーダーとの関わりがある手前、自分が参加していることが言い出せなかった。だから正直嵐山が妹と弟に会うと聞いて少し羨ましかったけれど、それはそれこれはこれ、俺が臆病なのが原因なのでそういう汚い感情は心のなかに仕舞っておくことにした。

「なあ、今なに考えてた?」
「……三輪くんの教室にたどり着けるかなーって不安に思ってた」
「ふーん。ま、同じ階なんだから間違わねーだろ」

俺の顔を覗き込むようにして呆れる公平くんに適当に誤魔化せば、そっぽを向かれたので俺は少し笑う。
陽介くんは友人と他の教室を回るらしく大袈裟に手を振って立ち去っていったので、俺は公平をじっと見つめながらクレープを完食することだけに集中した。
相変わらずかわいいな、猫目っていうか。耳に少しかかってる髪とか耳にかけてあげたくなるわ。やらないけど。

「……………今なに考えてた?」
「公平はかわいいなあって」
「やっぱりな」
「お、分かるようになってきた? 公平も俺みたいなサイドエフェクト身に付けちゃった?」

へへ、なんて笑いながら見上げれば、公平は眉を寄せてひきつった笑みのまま「いらねーよ」と返してきた。そしてそのままじっと俺を見下ろすため、何度かサイドエフェクトを使用して公平の視線を読み取る。
すると、どうやら迷惑をかけているようだったので早めに立ち去ろうとクレープを口に押し込む。
こんなときまで俺の未来のこと考えなくて良いのに。こんな風に周りが騒がしいから逆に考えてしまったのだろうか。
そんなことを思いつつ俺はがたっ、と音をたてて椅子から立ち上がり、モグモグと租借しながら公平と向き合う。

「、んだよ、」

そして、少しぎょっとした公平の腕をつかんで抱き寄せ、バシバシと背中を叩いてから解放すると、混乱しているような顔をした公平が俺を見つめた。

「は、え?」

動揺が声に出ている公平の言葉を受けて俺は微笑み返し、ポンポンと無言で頭を撫でてから教室を後にした俺は、廊下でため息を漏らしつつ歩みを進める。
全く優しいやつめ、優しすぎると損するよ。折角高校初めての学園祭なんだから楽しみなさいな。
なんて親心のようなものを抱きながらやっとクレープを飲み込み、ひしひしと感じる視線のなかを闊歩してお化け屋敷らしきものを探そうとしたが、探す前に見つけてしまったので足を止めて顔を人混みから覗かせる。
情報通り真顔というか愛想のない顔で客からお金を受け取っていた人物は三輪くんのようで、いつもと同じ変わらない制服姿で椅子に座っている。そして俺は何故かそれに対して笑いそうになりながらその様子を見守り、客が引いたのを見計らって近付く。

「すみませーん」
「はい、……………なんでいる」
「えー? んー、三輪くんに会いに」

ポケットから出したフリーマーケットのビラを受付用の机に置いてそう言えば、チラリと視線だけを落として目を通した三輪くんが「またボランティアか」と視線を下にしたまま小さく呟いた。
目敏いし記憶力いいね、ましてやボランティア委員会なんて小さくしか書いてないのに。俺の学校名はでかでかと載ってますが。

「燕尾服でフリーマーケットやってるんだ、売り上げ貢献して?」

上目遣いでしゃがみこみ、机に手を置いて首をかしげて言えば「仕事の邪魔だ」と一掃されたけど、周りに客なんかいないし、俺の格好をチラチラ見て興味深そうにしている人ばかりだ。

「俺だって休憩中なのに仕事してるんだよ? 集客のためにずっとこの格好だし」
「……………効果はあるのか」
「さあ? 戻ってないからねー……嵐山も居るし効果あると思うよ?」

嵐山の名前が出ると途端に三輪くんの雰囲気が変わったが、多分嵐山でなくてもボーダー隊員の名前であればこうなったのかなあ、なんて他人事のように考える。
そもそも俺と話してくれてるのが稀有なんだよなあ、三輪くんは同じ隊とか元同じ隊とか身内ばかりと話すって古寺くんも言っていたし。それはきっと俺の中に何か自分と重なるなにかがあったからだと感じているけれど、それが良いものなのかどうかは定かではない。けれど俺はまだ三輪くんが笑ったのを見たことがない、いつも結局しかめっ面にさせてしまう。つまりはそういうことだろう。

「ね、屋上って開いてる?」
「……………ああ」
「そっか、ありがとう」

その言葉を聞いてよいしょ、と立ち上がった俺は、三輪くんをじっと見下ろしてから一度も合わない視線に息を吐き、なんだか寂しい思いをしたのを隠しながら手を振ってその場を立ち去る。
階段の踊り場に出ると段ボールで作られた立て札のようなものに『屋上解放中!』とファンシーな字で書いてあったので、俺は休憩時間ギリギリまでそこで時間を潰そうかと階段に足をかけた。


                 ◆◇


 屋上の扉を開けてみると暖かくて心地いい風が顔全体にぶわっと吹いてきて目を細めたが、屋上は不人気なのか誰もいなかったのでその姿を誰かに見られることはなかった。
少し肌寒い、風が強いからか時々砂が舞う。何かを飲み食いするにはここは向いてないかもな。
見慣れない景色に興味が湧いて屋上の柵に近づけば、校庭でなにかのステージが行われてるのが見える。嵐山も彼処にいるのだろうか。
学内ほとんどが装飾されていていかにも学園祭って言わんばかりなのに、ここは落ち葉が舞うくらいでいつもと変わらない時間が流れている。取り残されたようにも感じられるけど、心を落ち着かせるには持ってこいの場所だと思う。ボッチには最適だ。

「……………なんか、ふわふわするなー」

何ヵ月か前から俺の日常にあった不安要素が幾つか消え、肩の荷が降りたような日常を送っていると、羽目を外しすぎてしまいそうになって少し恐ろしくなる。
臆病者だからなあ。
折角の安寧を、舞い上がって取り返しのつかないことをしてしまうのではないかという不安に駆られてイマイチ楽しめていない気もするが、これが最近の俺なのだから仕方ない。気が抜けてるのかも。
半年以上経って防衛任務も勝手がわかってきてアキちゃんのブラックトリガーについても考える余裕が出来てきたし、もうそろそろ、新しいことをしてもいいかも。こんなことまで迅に許可を取るつもりは更々ないが、迅の顔が浮かんだのは秘密だ。
そもそも俺には孤児院、学校、バイト、ボーダーとそれぞれ守りたい人が居て守りたいものがある。今までは単純に基礎の力をつけて強くならなきゃという思いが強かったけれど、余裕のある今なら"守るための強さ"ってのが身に付けられる気がする。
ブラックトリガーの能力を使って誰かを援護出来るのではないか、とずっと考えてきたのだから、それを試せるのは今しかない。

「その為には、本部に言ってない糸も使わないとなあ」

硬質化できる糸"シンクルー"を使ったのは、ボーダーに入隊してから一度しかない。初めての防衛任務でバンダーを倒すときに一度使ったのみで、あれも攻撃のために使用しただけだったはず。
壊すことは簡単だけど、守ることって難しい。
守るには多分色々なコトやモノやヒトに気を配らなきゃいけないし周りを見なきゃならない。それらは俺にとって苦手で不得手なことだけど、俺の生きる役割とは切手も切り離せない関係なわけで……………俺の生きる役割ってのが俺の不得意なことってのは面白いけど笑えないな。

「……………ダメだな」

イマイチ頭が回らなくて考えていることが纏まらずに飛び飛びになっている。
きっとみんなが楽しそうにしているのに自分がこんなこと考えてしまっているからで、羨ましい、と心の奥底で感じている自分に気がついているからだろうな、多分。けど、この道を選んで歩いてきたのは紛れもない俺なのだから………それしか俺に残された道はなかったのだから、俺は俺にしか決められないことを決めて俺にしか出来ないことをしよう。
大丈夫、きっとうまくいく。失うものがある生活は、苦だけじゃない。きっとうまくいって、生きられるはず。幸せはそうそう簡単に手に入れられないと思い知らされて、報われなくとも。

「……………大丈夫」

鉄製の柵の冷たさを手のひらで感じながら校庭に集まる人々の群れを見下ろして一人呟くと、ガチャッ、と俺が出入りしてきた方から扉の軋む音が風の音に紛れて聞こえた。
振り向く理由もないのでそのままその場を動かず校庭を見下ろしていると、不意に『気まずい』という視線を向けられた。けれどすぐに『鬱陶しい』という視線に変わり、同時に「おい」と短く声をかけられる。

「、三輪くん?」

振り返るとそこには先ほど話していたばかりの人物が立っており、チラリと一瞬俺から視線を逸らすと、めんどくさそうに分かりにくいため息を漏らして近寄ってきた。
思ってもみない人が来た……………。
そんなことを思いつつ柵から手を離して三輪くんに向き合うと、当人は手に持っていた用紙を俺に無言で突き付ける。

「………さっき俺が渡したビラ? これがどうしたの?」
「……………お前」
「え?」
「俺にいらない気を使うな」

そう言って三輪くんは眉間に皺を寄せ、ビラを俺に押し付けて言葉を続ける。

「俺にもう、構わなくていい」

三輪くんはビラを反射的に受け取った俺を一瞬見つめてそれだけ言うと、背を向けて屋上の扉の方へと戻ってしまう。





え?

三輪くんから放たれた言葉を頭のなかで反芻し、ぐるぐると脳みそをフル総動員させた結果、俺は小走りで三輪くんに走り寄り、なにも言わずに腕をつかんでひき止めてしまっていた。
制服の上から掴む腕が存外細くて驚いたが、三輪くんが俺よりも驚いたように振り向いてくれたので、なんだか冷静になれた俺は肩の力を抜いてへらりと笑う。

「やっと俺の目を見てくれた」
「、……………なにを」
「よく分からないんだけど、……………ごめん」

眉間に皺を寄せるのが普通らしい三輪くんは俺が掴んだ腕を振り払うわけでもなく、俺の顔を睨み付けるように見上げる。けれど俺は今まで三輪くんにしてきたことを思い出してみるが、結果的には何にも思い至らなくて首をかしげるしかない。

「分からないのに謝るな」
「それは……………そうだよね」
「、おまえを見てると、腹がたつ」
「……………え?」
「っ何故そんなにヘラヘラしていられる、!」

三輪くんは俺に一歩近づくと、胸ぐらを掴んできそうな勢いのまま『怒り』の視線を向けて言葉を放った。
ああ、この前も今も俺が笑うことで不快にさせてしまったのなら申し訳ないな。俺は誰かのために生きているのだから、接することで不快にさせてしまうのなら、これから三輪くんから避けなくちゃいけない。
……………いや、そういう理屈の話はいらないだろ。

「、俺は三輪くんが好きだけど、三輪くんは俺のことを好いてないのは知ってたから…………これでも、あまり関わらないようにしていたんだけど」

陽介と三人でファミレスに行った日、三輪くんと二人きりで話した時に思ったはず。
どこかで救われてほしい、三輪くんの意志が折れる前に。そのために出来ることがあるのなら何かをしたいけど、何もないって言うなら見守っていたいって。笑顔が見たいだなんておこがましいことは言わないから、せめて三輪くんの視界の端に居られればってそう思ってるのに。
……………ああ、そっか。
俺が極力深く関わらないようにと気を付けていても三輪くんが俺に腹をたてるということは、俺を見てると色々考えてしまうということで…………俺が思ってるより三輪くんの中で俺の存在は濃いということ。それは本来喜ぶべきことなんだけど、今はただ悲しみしか生まない。悲しいっていうか、なんだか胸がいたい。
でも、ただ単純に俺の存在を濃く認知している理由を聞いたって三輪くんはきっと強がって教えてくれないから、俺は自分の出来ることで情報を得るしかない。運良く俺を睨み付けてるわけだし。

「三輪くんは、俺の何がムカつくの?」
「……………、」


『自分が間違ってるんじゃないかと、』


「………ああ、俺が復讐せずにヘラヘラしてるから、もしかしたら復讐してる自分がおかしいのかって思ったのね」
「っおい勝手に視るな、!」
「、答えてくれないからじゃん」
「クソッ…………どいつもこいつも、」
「……………理由もわからないまま三輪くんを避けるなんて無理だし………こっちがムカつくし」

ふん、と鼻をならして横に視線を逸らせば、少し驚いた視線を向けられた。
というか、どいつもこいつもって言葉に誰々が含まれてるのかは詳しく知らないけど、迅と一緒にはしてほしくはないんだけど……迅とは視えてる規模も種類も違うし、そもそも俺は視るんじゃなくて読むんだし。
来たときよりも日が傾いてきた空を見上げ、苛立たしげな視線を受ける。

「…………三輪くんの幸せってなに?」
「、言う義理はない」
「冷たいな」

話してくれるだけ迅よりはマシな対応されてるかな。アイツなんか知らんけどガン無視されてるらしいし。

「……俺が復讐しないのは、他に目的があるからだって前に言ったよね?」
「、それがなんだ」
「実は、それ以外にも理由があるんだ」

ぐいっと燕尾服の袖を捲って手首にぶら下がる黒いトリガーを見せ、くるくるとソレを回しながら温い風で髪を揺らす三輪くんにヘラヘラと笑う。

「あんね、この人を殺したのが俺だからだよ」
「…馬鹿にしてるのか? そのブラックトリガーがお前の兄で、殺したのが近界民だってことくらい知っている」
「え、ああ……………よく知ってるね。いや、元々そういう話だったっけか、………そっか、みんな知ってるんだっけ」
「……………」
「知ってて、俺に付き合ってくれてるんだっけ」
「、その顔をやめろ」

三輪くんは相も変わらずヘラヘラしている俺をうんざりしたように見てから軽く舌打ちを鳴らし、逃げるように視線を外す。
自分の言ったことで少し落ち込んだ俺は同じように三輪くんから視線を外し、ちらりと腕時計で時間を確認してから溜め息を吐いた。もうあまり、時間がないな。

「結果的には近界民が殺したとしてもそのきっかけを作ったのは俺だから、俺が殺したようなもの…………だから俺は、その兄が最後まで出来なかったことを継いでる」
「……………それがおまえの生きる目的か」
「うん」
「……………おまえとは分かり合えない、合いたくもない」
「、酷いこと言うなあ」

けれど、それでも三輪くんの視界に入っていられる。好きの反対は無関心であって、嫌いではないからな。
三輪くんの視ているものが俺には分かるから、だからこそ、悪役にでも村人Aにでもなれる。でも三輪くんの味方になれるのは、三輪くんの笑顔を見られる人だろうから。

「わかったよ。俺は三輪くんが好きだから、三輪くんが俺のことを考えたくないっていうなら極力関わらない」
「、好きになるな」
「それは、難しいかな……まあ、約束は守るよ。この屋上でした約束も、前に本部の屋上でした約束も」

三輪くんの横を通り過ぎて屋上の扉に手をかけ、答えを見つけられていないらしい視線を背中に受けながら屋上を後にする。
思ったよりも引きずっていないのは最初から好かれてないのを知っていたからだろうか。それともボーダー本部に長くいるうちに"そういう視線"に慣れてしまったのだろうか。
バタン、と扉がしまった音を聞きながら階段を下りて騒がしい学内に戻ると、さっきまで居た場所との差がより一層感じられてもしかしたら今まで起きていたことが夢だったのではないかと虚しいことを考えてしまった。そうだとよかったのかな。





「よ、元気か?」
「っ……………、"視たのか"」

階段の踊り場を通りすぎ、角を曲って自分の仕事場へ戻ろうとすると、曲がってすぐの廊下の壁に寄り掛かって手を挙げる迅が笑って声をかけてきた。
そんな迅の姿に力を抜いた俺は深く溜め息を吐き、廊下の窓から見渡せる学祭風景を睨み付けて「なんだかな、」と誰にも聞こえないように小さく呟く。騒がしくて良かった。気持ちを切り替えるように前髪を横に流し、良好になった視界のなかに迅を映す。

「元気だよ、」

へらへらと笑ってそう言えば、珍しく迅は真面目な表情になったかと思うと、俺との距離を詰めて近くで顔を見つめる。背が同じだから、マジ近い。

「、なに?」
「………おれは名字と違って今のその言葉が本当か確かめる術を持ち合わせてないけど、なんとなく嘘なんだろ」
「ふーん」
「名字は不本意だろうけど嘘が上手い」
「まあね」
「けどあんな風に言われたら、流石にな」
「…………フリマ見に来たときに、俺の未来も視たのか」
「そういうこと」
「はあ……………、そんな視線読み取れなかったのに」

至近距離で白状する迅の肩を押し、距離を作って顔を逸らすと何人かと目があったので驚く。今が学祭じゃなきゃ、もっと見られていただろうな。けれど、そのお陰で冷静になれた俺は自分の状況を思いだし、携帯で時間を確認してから迅に視線を戻して「遅刻する、」と逃げるように教室を目指して歩みを進めようとした。
すると、迅が小さく呟く。

「……………その、悪かったよ」
「、え?」

聞き取りにくかったけれど確かに聞こえた謝罪の言葉に後ろを振り返ると、俺の顔をじっと見つめてから視線を窓に向けてヘラヘラしている迅が「いや、悪かったなって」ともう一度謝った。
じっと見つめられたときに感じた視線に嫌な予感を感じた俺は、過去にされた迅の謝罪を思い出しながら眉間に皺を寄せる。

「なにが」
「いや、何となくさ」
「……………今度は何に対して『申し訳ない』って思ったんだよ」

俺の言葉を受け、おれも学習しないなー、なんて続ける迅が一向に口を割らないので仕方なく俺は迅に体を向け直し、屋上に居たときに捲ったままの袖を戻しながら舌打ちする。
その行為に驚いたらしい迅がこちらを向いたのを好機ととった俺は迅の顔を下から片手で掴み、そのままこちらを向いた迅に話を続ける。

「で? 何に対してなの? 屋上でのことを話さなかったこと?」
「……………あれは、おれが口を挟むことじゃない」
「じゃあなにに、……………は?」
「、読むな読むな」

タコの口のようになったまま今更自分の目を隠す迅に俺は瞬きを繰り返し、読み取った視線の内容に思わず閉口する。
『何時もならワザワザ干渉しないのに、何故かお節介焼いてしまったから』っていうのは、一体どういう意味なのだろうか。これは怒った方がいいのか喜んだ方がいいのかもわからない。お節介を焼かれるのは嫌いだけれど、これがお節介だとは思わなかったし。
只でさえ傷を負っている心に追撃された疑問はわりと効果があったらしく、無意識に視線を落としていた俺は見慣れない廊下の色にハッとして顔をあげる。

「ああ、えっと、どういうことだ?」

迅から手を離して苦笑いしながら問いかけると、目隠しをとった迅は頬を指で掻きながら誤魔化すように視線を逸らして言葉を放つ。

「あー、いや、交遊の幅を広げるように仕向けたのはおれなのに、こうなっちゃったこととかもあるけど……………そもそもこうなったとしても、ワザワザ名字に会いに来る必要もそんなにないのに、なんか過度に干渉しちゃったなーとか………なんて、」

いつものとは少し違う笑みを浮かべながら言葉を濁す迅に、より一層眉間に力を込めてしまった俺はガシガシと頭をかいてから前髪をかき上げる。

「おまえ、ほんと意味不明」
「えっ、おれって意味不明なの?」
「考えてもみろ。俺と三輪くんが知り合ったのはおまえとは関係ないし、俺と三輪くんが話したてきたどの場面にもおまは居ないし、預かり知らないところで接してきてるんだからおまえがこうなったことに関してどうこう言うのは意味不明。別に今回のことは悪いことじゃないし、元々予想してたから起きて不思議じゃない。わかる?」
「う、うん?」
「それに、ワザワザ会いに来るってことに戸惑ってんのは迅だけ。お節介だとは思わないし。そもそも戸惑ってるってことは迅の中で整理がついてない行動ってことだろ? それってバカじゃん」
「ひどくない?」
「全然。偉いよ」
「……………偉い?」
「うん。おまえちゃんとバカになれてんじゃん、成長してる。波風たたせないようにとか、後引かないようにとか後処理と暗躍ばっかりしてないで、ちゃんと意味のないことしてるの偉いよ」
「っ、変なところ鋭いよなあ」
「……………とりあえず、謝る必要なんて一つもない。まあ結局ここに迅が来た理由なんて誰も分からんでいいよ」

ポケットのなかで震える携帯に気付きながらそう言い、そろそろ本当に間に合わなくなってきそうだし、いつ三輪くんが屋上から下りてくるかわからないのでここから早く立ち去りたい俺は強制的に切り上げるように迅の頭を撫でて「よしよし、えらいえらい」と子供扱いして足早に立ち去った。
後ろからなにか言われた気がしたが、仕事に遅れることは避けたかったので早歩きで人混みをかき分け、無事に時間ぴったりで教室へ到着する。
嵐山は既にレジに入っていて相変わらずの人気を博していたが、俺を見つけるとホッとしたように笑顔を溢して俺の場所をあけた。

「ごめん、遅くなった」
「いいや、間に合って良かった。一人では色々大変だからな、名字がいないとレジも回せない」
「まあ、ここは普通のレジ業務とは違うからね」

三輪くんと迅の顔を頭の端へと追いやりつつと嵐山に笑顔を向けてそう返すと、嵐山は「ああ、そうだ」と思い出したようにから俺に何かの入った袋を渡す。

「これ、お詫びにここで買ったんだが」
「お詫び……………? ああ、途中で居なくなったことか。てか、フリマに貢献してんの……………?」
「俺は迅と違ってあまり名字のことを知らないから好きなものかどうか分からないが、気に入ってくれると嬉しい」
「まーた迅かよ。迅もさして俺のこと知らないよ。俺も迅のこと知らないし」
「……………そうか?」

俺の未来が視えていたって俺自身のことを知ったことにはならない、なんて卑屈っぽいことを考えている自分に嫌気が差しつつ嵐山にとりあえず感謝の意を伝える。嵐山は袋を受け取った俺に何か言いたそうな顔をしたけれど、割って入るようにお客様が来たので俺たちはそちらの対応を優先した。
その隙に袋を覗くと、フェルト生地の黒猫のキーホルダーが入っていて、少し苦笑いを浮かべる。前に俺が猫を飼っていた話をしたのを覚えていたのだろうか。ばっちり黒猫だ。

「……………嵐山は迅より俺のこと知ってるかもな、俺も嵐山のこと知りたい。公式ホームページに書いてないことで」
「ん? 見たのか?」
「うん。ファンだからね」
「そ、そうか」
「手始めにまず、広報してる嵐山見ないとな」
「来てくれるのは嬉しいぞ」

まあ、B級の名前が本当に載っているか確認するついでに色んな人の情報集めてただけだけど。
お客様のいない間を見計らって小声で会話していた嵐山が照れたように笑うので、すさんだ心が少し和んだので自分の袖からちらりと見えるアキちゃんに視線を落とす。すると自然に口角が上がり、すっかり落ち着いた俺は隣に立つ嵐山にもう一度お礼を言ってから仕事へ取りかかった。

やっぱり、三輪くんやみんなには幸せになってほしい。
自分が幸せになるのを諦めた訳じゃないけど、今はそれなりに幸せに過ごせている。でも死ぬ未来を回避しなくちゃならないから今のままじゃダメだ。
何かを始めて、何かを変えないと。
俺の手の届く範囲の人達が、幸せになれるような何かを。

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