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 一年後の冬。今年の四月に高校を卒業しフリーターとなった。
午前中に他のバイトを終えてから、昼から午後四時まで高校から続けているバイトを終え伊都先輩と帰路についてる途中、ポケットに入れていた携帯が震えたので画面を見ると、慶からメッセージが来ていたのが見える。普段なら無視するが丁度信号待ちだったので見るだけ見ようとメッセージを開くと『おなかいたい』とだけあって俺は思わず舌打ちをかましてしまう。こいつはいつまで経ってもこんなんだ。
俺の舌打ちに驚いたらしい伊都先輩が物珍しそうに俺を見たが、眉間を手で押さえながら返事をする俺に気圧されたのか何も言わずに前を見た。ていうかあの野郎、俺を何だと思ってる…………ママか? ママなのか? それとも嫁か? 嫁なのかクソ。
前に柚宇ちゃんに言われた単語を思い出しながら『寝ろ』と返して携帯を仕舞う。

「どしたの?」

青信号になり横断歩道を歩くと、それをきっかけに話し掛けてきた伊都先輩に「何でもないっす」と返して溜め息をはく。
伊都先輩は慶のことを元々知っているが……というか俺経由で知ったが、ボーダーとしての慶の面子を保つためというか、言っても良かったが果てしなくどうでもいいことだったので口をつぐむ。
すると伊都先輩はあきれたように笑うと「だめだよ」と呟いた。

「何でもかんでも抱え込んだから、優しいからって」
「別にそんなんじゃないですって」
「名前にとってはそんなんじゃなくても、周りにとっては心配なときって沢山あるんだよ。倉須も前に言ってたし」
「はあ? 倉須が?」
「そう、名字はバカ優しいのに何も話してくれないから優しくないって」
「なんすかそれは」
「新斗だって、名字くんは狂ってるんじゃないかって思うくらい優しいのに恩返させないからほんと参る参るって」

一字一句覚えてるらしい伊都先輩の無駄ハイスペックに唇を尖らせつつ、その通りのニュアンスの言葉を本人から言われたことのある俺は逃げるように歩道の隅に集まっていた枯れ葉を見つめる。
優しいとかそんなの考えてなくて、俺はただそうしないと納得できない人生になっただけなんだ、と考えたけど、それを言っても伊都先輩にはなんのこっちゃ分からないと思うので口を閉ざす。
けれど、それを目敏く見つけた新斗さんが「言ったそばから………」と小声で言ったので悪いことをしているような気分になった。

「………俺だって、秘密にしたいことあるんです」
「じゃあ、そういえば良いじゃん」
「…………伊都先輩、言っといて」
「なにそれいやだよ…………今のはかわいかったけど」

隣を歩きながら俺の頭を撫でる伊都先輩にむっとしつつ、倉須と新斗さんの顔を思い浮かべて唇を噛む。
だってさ、言えないじゃん。俺がもうすぐ死ぬかもしれないとか、俺の生きる役割とか。言ったらあの二人俺のこと沢山心配してくれて、沢山干渉しちゃって俺のこと甘やかすから、俺も二人もダメになるから。
うまく伝わらないもんだわ、なんて他人事のように思いつつ、口を開く。

「伊都先輩。最近思ったんっすけど、倉須と新斗さん似てきてません?」
「ありゃ、気づいてた? さすがだねー。まあ似たというか…………倉須って結構ネガティブじゃない?」
「まあ」

うわ、倉須のことを分かってくれてるのすごい嬉しい。
喜びを顔に出さないように努めながら伊都先輩の次の言葉を待つ。

「その元々の波長と新斗のめんどくさがりというか、適当な感じがマッチして時々二人とも鬱陶しいんだよね………」
「それは、なんかすみません」
「ええ? お母さんみたいなこと言うね」

俺と倉須が今までどんな関係でどんな言葉を交わしてきたのか知らない伊都先輩が驚くので、普通とは違う関係に慣れきっていた俺はおかしいのかもしれないと思い直して「違います」と言ってから咳払いをする。
新斗さんは、俺と倉須の関係について少し勘づいてるみたいだけど、それは観察眼からなのか倉須が直接言ったのかは知らない。
角を曲がり、陰になった道を歩いて肌寒さを感じた俺はポケットに手をいれて言葉を返す。

「仲良いんですね」
「ん? まあそうだね、新斗はイケメン好きだし。まあ………言っていいのか分かんないけど、新斗が名前にフラれてから二人はよく一緒にいるよ」

その意味深な言い方に疑問を覚えて伊都先輩を見上げると、寒そうにアウターのチャックを上まで上げた伊都先輩はちらりと俺を横目で見てから「ちょっと、危ういときもある」と苦笑いした。
その危ういときがどういう意味なのか分からなかったが、深く首を突っ込んでいいものなのか迷って何も言えない。
本当のことを言うと、もうあまり倉須と新斗さんのそういうことには関わりたくない……関係が前に戻ることや近づくのが不安になるから。けれどそれは二人のためでもあるけど、逃げてるように感じるのも否定できない。

「まーた、考えてる。俺に相談でもしてよ?」

そう言って俺の冷たい頬を撫でた伊都先輩に俺は胸が痛み、甘えたくなった。
けどこれで俺がまた探ったりしゃしゃり出したりしたら、倉須が折角埋めようとしている穴を、壊してしまうのではないかと恐れて行動できない。倉須だって前とは違って成長したし俺の知らないところで俺の知らない何かを得て進んでいってるし、新斗さんだって居場所を手に入れて自分のやりたいことに突き進んでる………それを知ってても、好きとか愛とかの強さも知ってるから一歩踏み出せない。

「俺は、何をしたらいいんすかね………二人に幸せになってもらうには」
「…………ほんと、驚くよ。そういう言い方されると、」

そう言って正面に顔を向けた伊都先輩の視線は読めなかった。
通りのファーストフード店から香るフライドポテトの匂いに思考を邪魔されつつ、触れられたばかりの頬が冷えるのを感じて目を閉じる。
誰かに頼るのは難しくて、相談するってことはこっちにも責任が生じる。それは去年公平と陽介が教えてくれたことだ。今は幸いにも悩みという悩みは未来のこと以外ない、精神的にも落ち着いてるしサイドエフェクトの暴走だって、あの一度きりだから疲れてもいない。
それなら、少しくらい、責任を持って立ち向かってもいいのかもしれない。伊都先輩の言う危うい二人から逃げずに。

「伊都先輩、その俺、本当は二人ともう、そんなに関わろうとしたくないんです」
「…………うん、わかるよ」
「けど二人がす……大切だから、ちゃんと知らなきゃって前から思ってて……でも聞けないし入り込みたくなくて。お節介で困らせたくないし」

人気のない小陰の寒々しい道に入ったのをいいことに立ち止まった俺を見た伊都先輩は、まるで子供を見る親のように微笑むと、俺をふわっと抱き締めて「かわいい」と囁くように耳元で呟いた。
そして俺を暖めるようにきゅっと腕に力をいれた伊都先輩は離れると、いつものイケメンさ満開にして笑う。

「もどかしいんだね、名前。優しいから、踏みとどまってたんだね」
「………別にそんなんじゃないです」
「それはさっきも聞いた。でも、その気持ち聞けて嬉しいよ」

そう言って片手で俺の頬をふにふにと摘まむ伊都先輩にされるがままになっていると、それを良しとしたらしい伊都先輩は反対も同じようにして俺の頬を摘まむ。

「大丈夫、俺がいるから、ハチャメチャしていいよ」
「ふぇ?」
「聞きたいこと聞いて言いたいこと言いな、お節介だったら一緒に謝るから」
「れも………ひとしぇんぱいに、めいわく」
「、俺は名前のこと弟のようにかわいいって思ってて、人として尊敬してるから、迷惑なんて思わないよ」
「っんむ、」

そう言って今までより強くぎゅーっと抱き締めてきた伊都先輩の肩に勢いのままダイブして顔を埋めると、伊都先輩は楽しそうに笑って体を離した。
そして抱き締めたときにバイブで気付いたのか、俺のポケットを指差すと「メール来てたよ」と微笑む。

「それで、なんていうかさ………とりあえずいつかは新斗に話を聞いた方がいいよ」



            ◇◆


  伊都先輩との会話のあと孤児院に帰って携帯を確認すると慶からの返事が表示されていたので眉を寄せる。そこには『防衛任務だからむり、トリオン体になれば万事解決』と来てたので、アホだなと思った俺は少しの心配を無視して靴を脱ぐ。心配するなんて俺も変わったな。
窓から夕日の降り注ぐ廊下を歩きながらふと、アキちゃんが慶のことをよく構っていたことを思い出してイラついたが、そういえば慶は自分のからだに鈍感だと言っていたことも思い出す。だから風邪をひいても倒れそうになるまで気がつかないし気力で何とかしようとするし、怪我しても誰かに指摘されて気づくし、自分で気付いても大丈夫だと適当に放置して悪化させて跡を残すし。
そんなアキちゃんの言葉を今このタイミングで思い出したことにも最高にイラついた俺は、どこにも向けられないこの感情を本人にぶつける以外解決方法を知らないので、今来た道を戻る。

「名前! 足音うるせえぞ!」
「ああん? わーってるよ!!!」

リビングから顔を出した双子の兄の岳にそう返すと、岳は一瞬固まってから近くにいるらしい弟の静に「しず! お前の好きな昔の名前だぞ!」と叫んで走っていた。
何を報告してんのかしらないが、慶のこととなると沸点の低くなる自分が嫌になったが、それもこれも全部慶のせいにして俺は常備薬から胃腸薬と痛み止め、それから使い捨てカイロをリュックに仕舞って靴をはく。

「名前にい」
座って靴を履いていると後ろから静の声がかかったので適当に「なに」と返すと、嬉しそうな視線を向けられたので、俺はジト目で振り替える。
そこには眼鏡をかけた静が分かりにくい程度の興奮をしていて、振り返った瞬間首に手を回された俺は靴紐から手を離して静の背中に手を当てて優しく叩く。

「どうした?」
「なんで? 優しくしないでよ」
「…………え?」
「もっとひどくして」

どこで覚えてきたのか知らない台詞を吐かれた俺は酷く驚いて体を離すと、不思議そうに俺の顔を覗きこんだ静が「なに?」と聞いてきたので俺はぴきっと頭痛がした。
頭いたい…………もうアキちゃんに怒られないように、この子の将来俺が守るわ…………。
そう思った俺は靴紐を縛って立ち上がり、俺にできる精一杯の優しさを込めて頭を撫でてから「行ってくるよ」と手を振って孤児院をでた。



 自分の私室を通って行くルートしか知らない俺は遠回りをしながら、コンビニで買ったおでんを提げて廊下を歩く。目の前から来る訓練生の二人を視界に入れながら思い足取りで進んでいると視線が向けられたが、いつものことなので無視しつつ前を向くが、二人は会話に夢中で俺を見ていなかったので何の気なしに後ろを振り向く。

「うわ、」
「あら、気づかれちゃったわ。やっぱりいいサイドエフェクトね」

思っていたより近くに人が居たことにビックリした俺は声を上げたが、驚かれた本人の加古さんは上品に笑みを浮かべながら俺のサイドエフェクトを褒めた。
視線を向けられてから結構すぐに振り返ったつもりだったんだけど、なんて思ったが、すぐ後ろに曲がり角があったのでそこから曲がってきたのだろうと推測して挨拶する。

「こんばんは加古さん。話すの久しぶりですね、元気でした?」
「礼儀正しいのね相変わらず。そういうところ好きよ」
「………加古さん、俺のこと沢山褒めすぎですよ」
「そう? まあ、黒子同盟組んでるからかしら」

そう言って頬に手を当ててにこりと微笑む加古さんの冗談に誘導されるように加古さんの色気のある黒子に目が行きそうになったが「そうですか」と呟き歩みを進めると加古さんは隣に並んだ。

「おでんを持ってどこへ行くの? そっちには太刀川隊の作戦室しかないけど」
「その太刀川に薬渡しに行くんです。今防衛任務中ですが」
「あらそうだったかしら、」

そう言って加古さんは持っていた資料をじーっと見てから「ま、置いておけば分かるかしら」と一人で完結させていたので、俺はなにを言うでもなく黙る。
すれ違った訓練生が角を曲がるときに俺へ視線を向けてきたが、それを無視して高校から使い続けているリュックを背負い直すと、それを見ていた加古さんが綺麗に笑って呟いた。

「素敵だけど難儀ね、そのサイドエフェクト」
「別に気にしてませんよ」
「ふうん? 眉間に皺を寄せてたのは気にしてる証拠かと思ったけど?」

そう言って俺の眉間を細い指でぐりぐりと結構な力で押してくるので、若干痛い俺はその白い手を取って「そんなんじゃないです」と今日で三回目の台詞を吐いた。

「案外かわいいのねー」
「かわいくないです、」
「かわいいわよその強がってるの………弄り倒したくなっちゃう」

容姿が綺麗だし言ってることはちょっぴり妖艶なのに、視線がただの悪戯っ子と同じそれなので俺はため息をはいて「そうですか…………」と肩を落とす。
前に二宮さんと並んでるところを見たけど二人が並んだら絵的に誰も勝てないって思うのに、中身は結構取っつきやすいというか、人らしいので加古さんのそういうところ好きだな。二宮さんは見た目通りなんだけど、そういうところがいいと思う……俺は苦手だけど。
そんなことを話しているうちに太刀川隊の作戦室に辿り着き、柚宇ちゃんがいるとわかっているので、一応声をかけてから入る。

「はいはーい、ってあれ? 珍しいコンビー」

絵になるなー、と続ける柚宇ちゃんに加古さんが「黒子同盟だからかしらね?」と懲りずにその加盟した覚えのない同盟を浸透させようとするので、適当に受け流してリュックを床におろす。すると加古さんは受け流されたことに腹を立てるでもなく「これ、慶へ渡しておいて」と机に資料を置きながら柚宇ちゃんに言うとじゃあね、と手を振って出ていってしまった。
防衛任務中なので俺も長居するつもりは無いため薬を置いて去ろうとしたが、きっと慶はアホだからなにも食べずに今すぐ飲むに違いないと踏んでコンビニから買ってきたおでんを置く。散乱している机の上から紙の切れ端とペンを借りて錠剤の数と食後に飲めよと書いて、最後に『バカ、アホ、まぬけ。痛み止めはほんとに痛いときに飲めよ、胃腸薬と一緒に飲むなよクソ』と付け足して二回分の胃腸薬と一回分の痛み止め、あと使い捨てカイロを置いておいた。

「んじゃ、帰るね」
「うええー、帰っちゃうの? もう少しで終わるから待ってたらー?」

通信したままそう言う柚宇ちゃんに苦笑いしつつ、机の散乱したゴミをゴミ箱に突っ込んで「いや、帰るよ」と返してリュックを背負い直す。
ええー、と頬を膨らませる柚宇ちゃんはかわいいけど、俺が気を使うから嫌だしなあ。

「おでん、一応八個入ってるから。みんなで分けてたべて」
「え、おでん! たべていいの!?」
「いいよー」
「うわー、やったー!」

かわいい……けど女の子なので撫でられないのが残念だ。
両手をあげて万歳する柚宇ちゃんを尻目に俺は太刀川隊の作戦室を出て、結局発散できなかったストレスを抱えて孤児院へ帰った。
けれど、慶からそのあと『いろいろさんきゅー、でも餅巾着柚宇にとられた』と餅巾着を頬張る柚宇ちゃんの写真が送られてきて、公平から甘やかしすぎー、と大根を食べる慶の写真が送られてきたので良しとした。

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