1


 少し指先がかじかむような十二月の平日。
俺は寝坊でバイトを遅刻しそうになった為防寒具を一切合切忘れて歩道をひた走っていた。雪が積もることはこの地域では殆どないので寒さは我慢できないほどじゃないし、走ってるから体が暑くて仕方ないので今のところ平気だった。帰りはどうか知らないけれど。
信号待ちで立ち止まり、膝に手をついて呼吸を整える。
只でさえボーダー隊員なので多目に見てもらっている早退や遅刻なのに、ただの寝坊で遅刻したらほんとに洒落にならないから…………。なんて思いつつ時刻を確認するため、ポケットから携帯を取り出して画面を見つめる。

「、よし……これは絶対間に合わない」

ごめん、流石に生身でこれは無理。
はあ、と諦めの息を吐いて信号待ちをしていると、ピーポーピーポーと救急車の音が近付いてくるのに気づく。
音のなり響いた方を横目で見ると、一本向こうの隣の横断歩道で警察車輌が停まり、学生服の小さい子に話しかけているのを見つけた。その近くには半壊している軽自動車があったので少年は事故の証言でも取られているのかと思ったが、物凄く心配されている様子も伺えるので違和感がある。でも車の運転手らしき眼鏡の人にも、学生服の白髪の少年にも怪我はないようなので少し他人事ながらホッとした。

「おっと、」

なんてことを考えていると信号はいつの間にか青になっており、若干遅刻している自分の立場を思い出した俺はすぐにその事を忘れて走り出した。



十分ほど遅刻してたどり着いた結果、朝からチーフの熱い説教というか諭しを聞かされ申し訳ない気持ちになったが、本当に全て俺が悪いので素直に謝ることで許しを得た。
ボーダーに入隊し初めの頃の忙しさに比べたら屁みたいなものだが、最近少しボーダー関係者各位に頼まれ事をされるのが多くなって地味に忙しかった。まだボーダー隊員となってギリギリ二年経たってない訓練生という身でありながら、エンジニアや上層部、上級隊員数名と交流がある俺は、普通とは違う立場にあることを利用されて色々なものを押し付けられがちなのだ。
特にひどいのは慶。まあ、慶のひどさが別格なだけであって他の人もまちまちだ。
そんなわけで昨日も昨日とて慶に練習台兼暇潰しとして相手してきた訳だけど、俺みたいなスコーピオンのみの訓練生に合わせて自分も弧月一本でやるのが楽しいこと……というか上級隊員にとっては寧ろ新鮮な戦いかたらしく、よく呼ばれる理由の一つらしい。ほんとやめて。
流石に今日は防衛任務なので断ったが。

「………はあ、」

実は一番憂鬱なことは、今日、そのあと迅と会うことだ。
嫌な訳じゃない、会えるのは嬉しい。というか単純に最後に会った日から二週間空いているので俺から連絡したという次第だ。電話自体は凄く緊張したが。けれど、あのときから今でも、まだ迅には答えを出していない。その理由を迅も分かっていて、"解るまで"待ってくれているのだ。
俺の未来が、死なない未来へ変わったと解るまで。

「名字」

そんなことを思っていると、同じバイト先に勤めている倉須に呼び止められた……というか、後ろから抱き締められたかと思えば直ぐに離される。

「ん? あ、おはよう」
「うん、おはよう。今日の午後ひま?」
「いや、今日は防衛のアレがあるので」
「そっか…………わかった」

そう言って、気だるそうな倉須は俺と入れ替わるように休憩室から出た。高校に居たときと変わらずバイト先では上の人のみにしか自分からボーダーだと告げたことがないので微妙な隠し方をしている。
変わったことと言えば、倉須は前より俺へのスキンシップが減った。その分誰かにスキンシップをしているというわけでもなさそうだが、ボーダー内では入隊してから伊都先輩と新斗さんには少し心を開いているような雰囲気だったので、俺の知らないところへスキンシップが移ったのかと勝手に推理もした。けれど完全に俺から離れるというわけでもなく、俺のサイドエフェクトを知ったからかわざと俺の事を見てちょっかいかけてくるし、遊びにも誘ってくる。本当は、ちゃんと聞かなきゃいけないことがある。それをなあなあにして何日か経つが、伊都先輩は急かすことなく俺のペースでいいよと言ってくれているが、これじゃいけないこともわかっている。





 防衛任務なので他の人とは違う時間帯でシフトを組んでもらっている俺は皆が仕事している最中にシフトを終える。そして駆け足で本部の入り口まで来た俺は警戒区域内へ入って自分の持ち場へと急いだ。途中で陽介を見かけたので、三輪隊もこれから防衛任務にあたるのだろうと推測した。
引き継ぎが誰だか覚えないのは俺の悪い癖だが、今回はB級ソロの人達だったので顔見知りが多くてホッとした。人見知りはそう簡単に治らないんだよ…………。
いつも通り気を引き絞めて防衛任務に就き、当初よりは格段に糸の扱いが上手くなっている自負のある俺は若干暇に思いながらも、ゲートのあまり開かない状況に息を吐いた。
なんか、今のところ平和で良かった良かった。

『門発生 門発生 座標誘導誤差7.66』
「『近隣の皆様はご注意ください』ってか…………」

幾度と聞きすぎて一緒にハモれるほどになったアナウンスを遠くで確認した俺はそちらを見るが、自分の支部からは遠いので他の隊に任せることにした。無理矢理あっちに行って、ここを留守にする方が怒られるわ。俺は一人しかいないんだし。
そんな言い訳をして本部の通信を聞いていると、どうやらそこには三輪隊が現着したらしかった。

「まーじ、行かなくて良かった……三輪くんに睨み付けられるところでした」

独り言をポツリと呟きつつ屋根の上で屈伸運動をしていたが、通信で変なことを言い出したので眉を潜めて動きを止める。
ボーダー管理下にないトリガー反応。
ちらっと聞こえた単語に眉を潜め、どうやら面倒なことが起きそうな予感に色々な人の顔を思い出した。特に上層部と現着した三輪隊、それに何かと本部に頼られてる迅………ここら辺かな、今回の騒動で大変そうなのは。

「あー、マジで行かなくて良かったわー」

視界の奥の方でうごめいたものに目を細めつつ、先程なった警告のアナウンスに似た内容を耳にいれて屋根から屋根へ飛び乗る。
面倒事……というより、過度な労働は控えたい派の俺は、さっきの発言を職務怠慢だと思われないよう素早く移動し、指にシャンアールを展開させた。



防衛任務後、引き継ぎを終えた俺は本部のロビーのソファに座り、迅を待つ。上級隊員でもないのに名前の知られようが半端じゃない俺はこの場所がそんなに好きではなかったが、迅もこれから本部に用があるらしいので仕方なくここを待ち合わせとした。
私室にしても良かったが、ちょっと、あのものすごく静まった部屋で二人きりになるのは俺が嫌だった。それなら視線のうるさいここの方がまだマシだと考えたのだ。
そもそも、あのこく……告白から一年以上経ってから何度もこうやって会ってきたのに……いや、こうやって待ち合わせして会うのはそんなにないか。未来を見るのは言ってしまえば、俺を見かけるだけでもいいのだから。
そういうときはわざわざ会おうと言われないが、今回は本部自体に迅も来てなかったし、玉狛に俺も行ってなかった時期なので会う場を設けることとなったわけで、

「わるいわるい、待ったか?」
「うわ、!」

悶々と気まずさについて考えていると不意に視界が陰ったかと思いきや、頭上にずいっと迅の顔が現れて本気の驚きを見せる。迅はあの眼鏡みたいなものをかけていて、俺のサイドエフェクトを阻止していた。本格的かよ。

「やめろよそれ、たまにやるけどほんとにビビるから………」
「ははっ、そうだろうな」

迅に驚かされるのは何度目だろ、なんて呆れたが、カチコチに緊張することも無くなったので少し感謝もした。迅も分かっていて、こうしたのかもしれない。
迅は一瞬俺を見て不思議そうな視線を向けてきたが、そのあとは直ぐに何でもなさそうに「うーん、」と唸った。

「なに」
「…………聞いてしまいたい衝動に駆られてるけど、耐えてるから待って」
「どういうことなの」

頭を抱えるようにしてわざとらしく唸る迅に、俺は下を向いている迅のつむじにぼーっとしながら目を向けた。
未来は変わった。あの二件が解決した辺りから。
俺が死ぬことに代わりはないが、市民の命が多く助かることに繋がったらしい。それは倉須や新斗さんが関係しているようだったが、そんな風に派生して変わっていくことに、未来の無限さを感じさせる。未来は人と人が関わって生まれていく、そんなことを思い知らされる。

「じゃあ…………特に代わり映えなし、以上!」

顔をあげた迅が苦笑いしながらそう言うと、勢いよく立ち上がった。うるさい…………。
その様子を溜め息はきながら見つめ、同じように立ち上がると迅は「そういえば」と視線を上の方に向けて言葉を続ける。

「またバイト増やすの?」
「え? ああ………ってそんなことも視たの? まあ、フリーターはバイトしてなんぼでしょ」

世間的にはあまり安定ないし推奨されない生き方だけれど、防衛任務があるから民間企業の正社員は無理だし、ボーダーとして働くにしては収入が少ない。特例と言われても結局C級だから、上級隊員がボーダーとして働くのとは訳が違う。

「まあ、頑張れ」
「…………うん、ありがとう」

誰よりも、迅にそう言われると自信がつくのは、未来視のサイドエフェクトを持っているからだけじゃない。迅の言葉だから誇れる。
そういえば今日の防衛任務でなんだか意味深な単語が飛び出したんだけど、それについては言った方がいいのか…………いや、直ぐに本部に呼び出されることになるだろうな。この人なら。

「迅も、がんばれ」
「…………なにを」
「なーんか、色々あるみたいだ」

他人事なのでへらへらと笑って迅の肩を叩くと、ジト目を向けられたのでよりいっそう面白くて笑う。
そんな俺を見て迅は視線を逸らしたが、直ぐにいやそうな顔をしてエレベーターの方へ歩き出した。

「それはこっちの台詞だっての」
「へ?」
「…………ここ何日か、怪我には気を付けろよ」

そう意味深な言葉を言って此方を振り返ることなくヒラヒラと手を振って去っていく迅の後ろ姿を見つめ、バレないようにホッと息を吐いた俺はもう一度ソファに座り込んでうつ向く。
緊張しなくて良かったー、なんて呟いた自分の成長と進展のなさに呆れながら。

TOP