1



 目を開けると、池袋にあるマンションのとある一室の見慣れたと言うほどでもないが幾度となく訪れたことのある知り合いの家の和室のベッド……じゃなくて敷き布団に俺は転がされていた。『転がされていた』っていう雑な扱いが、俺がここに運び込まれることに住居人達が慣れてきている表れでもあると思う。
つまり俺は、起きたらこの部屋にいた、という状況を今を含めて何度も体験してきているということである。

「よっこらせ」

身体を起こしながら視線を横に向けると、いつもこの部屋には置いていないないくせに、俺が決まって起きると存在する医療道具台がある。しかも自分の身体から嗅ぎ慣れた消毒液の匂いがして、とどめには俺が上半身を起こすと決まってそこの扉から同じやつが顔を出すもんだから、溜め息をつかざるを得なかった。

「やあ、起きたかい」

裏表のない薄っぺらい笑顔をひっつけたここの住居人の一人である岸谷新羅が音をたてて扉を開ける。俺と同じ来神の制服を着ているところを見ると、今日の俺はいつもより早く意識が戻ったらしい。

「えっと……今日はどこで倒れたっけ、俺」

頭をかきながら布団から出ようとするが、近寄ってきた新羅に「傷口確認するから待って」と制止されたのから、必要ないけどなあと思いながらも新羅の言う通りに診察台に座り直す。

「今日は惜しかったね、君の家の一キロ先くらいだったらしいよ」

新羅はそう笑いながら俺の問いに答えると、俺のワイシャツや制服のズボンを捲ったり髪の毛を掻き分けたりして素早く傷口を確認する。
俺もそれに「そっか」と言ってから抵抗することなく、なすがままにされながら俺の腹に触る新羅を見つめる。どうやらあちこちに怪我があったみたい。

「確認終わり。あぁ、当たり前だれど傷口はいつも通り゛なくなっている゛よ」

俺の捲った制服のズボンの裾を直しながらそう告げる新羅は俺を置いてきぼりにして部屋から出ていくので、俺も軽く礼を言って新羅の後を追う。そして、いつものようにソファのところに俺の鞄が揃って置いてあるのを見て、もう一人のここの住居人の存在を思い出した。

「あれ、セルティは?」

ハンガーから俺の学ランを取ってきてくれた新羅に「さんきゅ」と言って答えを待つ。学ランをハンガーにかけたのなんていつぶりだろう。
新羅は俺の声に肩を竦めながら俺に学ランを渡し、ついでとでも言うように飲みかけのコーヒーが入ったカップをキッチンに持っていき「ああ」と呆れたようにように声をあげる。

「セルティなら次の仕事だよ、君をここまで運んだ後すぐにね」
「えっ、ほんと?」
「うん、起きるまで居られなくてごめんって言っといてだってさ」
「いやいや、セルティが謝ることひとつもないよ」

ガン、と新羅が流し台にカップを置いた音を聞きながらここの住居人であり、新羅の想い人ーーまあ、人じゃあ無いけどーーでもあるセルティにここまで運んでくれたお礼を言いたかったんだけどなあ、と少し申し訳ない気持ちになる。

「セルティもさ、君のことが心配なんだよ」
「……それは、」

新羅はキッチンから戻ってきたかと思うと言葉につまった俺を一瞥してから寛ぐようにしてソファに座り、学ランを握ったままの俺を見上げる。

「というより、よく堪えられるよね。君ってそんなに我慢強い方だったかい?」

突拍子もなく、俺を労う台詞を告げるわりには表情が全くそれに伴っていない新羅の笑みを見て、俺は怒ることも呆れることもめんどうになったので天井を見上げ「…………まあ」と曖昧に応える。

「我慢強いっていうより、自分が怪我をすることに対してあまり関心がないだけだと思うけど」
「いやいや多分、普通なら堪えられないと思うけど。あの臨也に゛目をつけられる゛なんて。この僕ですら憐れむほどだよ」
「俺は別に普通じゃないしね」
「自虐かい?」

俺を見上げながらそう言う新羅を意外に思いながら俺も改めて事の経緯を考えてみるけど、やっぱり可笑しいのは俺じゃなくてアイツ…………折原のほうだと思うんだけど。
そんなことを考えながらワイシャツの襟を直していると、新羅は「そういえば」と思い出したように天井を見上げて声をあげる。

「名前っていつから臨也にちょっかいかけられているんだい?」
「んー…………」
「…………あぁ、僕が臨也に静雄を紹介してからすぐか!」

俺の言いにくそうな態度を見て思い出したのか知らないけれどあまりにもあっさりと言うもんだから、俺は新羅の明るい声に少し溜め息混じりで「らしいね」と反応してやる。
俺と平和島と新羅とは同じ小学校からの付き合いの所謂幼馴染みだというのに、なんて雑な扱いだろう。まあ、幼馴染みと言っても俺に至っては特に親密さもなく、高校で二人に出会ったのも偶然だったりするわけなんだけど。というか、折原なんて高校で初めましてだってのになんだろこの有り様は。

「いやー、君も大変だねえ、静雄とちょっとお喋りしていただけで巻き込まれちゃってさ」
「平和島は別に、悪くないよ」
「いやいや誰も悪いとは言ってないさ、ただ君が気の毒っていう話だよ」

新羅がそう言ってソファの背に凭れるようにして笑ってくるから、俺も鼻で笑いながらソファに座って自分の鞄を漁る。因みに今鼻で笑ったのは、煮え切らない自分の言葉に対しての自嘲だ。

「いやー、まさかね、偶然とはいえ臨也と静雄との喧嘩に巻き込まれて、名前の驚異的な……いや、脅威的な回復力がバレてしまうなんて」

ヤレヤレとでも言うような口振りで何事もないように俺の不幸の発端を話す新羅に唇を尖らせて拗ねた風を装って納得していないことを現しながら、鞄の底の方にあった財布を取り出す。そして小銭入れのチャックを開け、そこから千円札二枚を掴んで新羅へ差し出すと「毎度あり」と俺の手からそれを受け取った。

「、幼馴染みから金取るとか……ブレないね新羅って」
「幼馴染みだから安くしてあげてるんだよ? 感謝してほしいくらいだね」
「俺なんて治療もなにもないじゃん」
「君の身体の回収料だよ、回収料、セルティの分さ。まあもっとも、セルティなら受け取らないと思うけど」

新羅はセルティの姿を思い浮かべているのか視線を上に向けながら俺の手から二枚の千円札を受け取った。というか、それならそうと言ってほしい、セルティになら二千円なんて料金じゃ足りないっていうのに。
けれど、何度もここへ運ばれる俺の財布事情もなかなか好景気ではないのもあるのでそのまま口をつぐむ。

「…………まあ、なんだっていいや」
「うん、君のそういう潔いところ好きだな」

新羅は俺の言葉に頷いてからそう言うと、少し腰を浮かして目の前のテーブルに金貨を置きながら「怪我したときは臨也からも静雄からも取ってるし、平等にね」と、それが当たり前と言うかごとく話してくるもんだから侮れないやつだなあと感じる。

「親友の折原からもぶんどるのね、新羅って」

よくわからないけどブレないことに感心したのでそのまま思ったことを伝えてやれば、新羅から「うーん、親友って、僕からしたら静雄も君も親友だけどね」とか返ってきたので、俺は自分で墓穴を掘った気がして手で顔を覆って黙り込む。すると新羅は、そんな俺から発せられている空気を読むことなく「そういえば」と言って俺の手を退かしてきた。

「臨也が何で君のこと目をつけてるか知ってるかい?」

俺の顔を覗き込みながらいきなり話を変えたうえに、当の本人にそういうこと聞いちゃう時点で新羅の頭がやっぱりおかしいことを再確認し、俺は冷静に自分の財布を鞄に仕舞いながら「あれだろ」と、ぼんやりと思い当たっていることを呟く。

「俺が普通じゃないから、興味出たんだろ…………で、……試してる」
「そう、私もそう思っていたんだけれど」
「…………え、ちがうの?」

新羅の発した言葉の内容に俺も驚く。
えっ、上級生をけしかけて俺をリンチさせるところから始まって、事故に遭わせたり、変なやつに襲われそうになったりしたのって、俺の気味の悪い回復力を確かめるとか実験するとか、そういうことじゃないのか?
しかも、俺は一度家に帰ったら家からでないから下校中に俺を怪我させてぶっ倒れさせて、そのことを折原がセルティに連絡して、そっからセルティに新羅の家まで運ばれるっていう流れが折原の作った流れだとしたら、やっぱりそれって、俺の怪我が何処まで治るか知りたいとかだろ?

「それがさ……」
「うん」

折原から間接的に今までされてきたことを振り返りながら折原の目論みをモヤモヤと考えていると、玄関の方からガチャリと扉の開いた音がした。頬杖をつきながら俺を見ていた新羅は、音が聞こえると同時に会話を早々に切り上げ「あっ、セルティが帰ってきた!」と嬉々としてセルティの名前を呼びながら玄関へと走ってお出迎えに行ってしまう。
俺はそんな新羅の背中が見えなくなってから溜め息吐き、新羅の「おかえりセル、ぶへっ! い、いたいよセルティでもそれが愛だというなら僕はあああ、いたい、いたたたた」とかいう事情を知らないやつだったら確実に引いているであろう台詞が段々と部屋の方に近付いてくるのを感じながら学ランを羽織った。

「おかえり、セルティ」

襟を正しながらソファから立ち上がって黒いライダースーツ姿のもう一人のここの住居人…………人じゃないらしいけどまあ、うん、住んでいるセルティに挨拶する。呻き声が聞こえたから身体をずらしてセルティの後ろを見ると、影で鼻と口以外をぐるぐる巻きにされている新羅が見えた気がしたけれど実は見えていなかった、そう、見えていないことにする。だってなんか、哀れみしか生まれなかったから。
セルティは俺の声に気づくとPDAに何かを打ち込みながら新羅を引きずって此方へ近づいてくる。

『身体は大丈夫か』
「うん、俺の心配してくれるなんて、優しいね。というか、今日も運んでくれてありがとう」
『いや、気にするな』

真っ黒なライダースーツにヘルメットを被っていても、たまにキツいこと言うけどセルティは優しさに溢れている。自分は素っ気ないふりをしてるつもりなんだろうけども。俺の周りにいる奴等がロクでもないのばかりだからか俺自身が身体の心配をされてることに慣れていないからかその両方か分からないけど、その優しさにむず痒くなると同時に嬉しくなる。

「ちょっと名前、僕のセルティに惚れたりなんかしたらただじゃおかなぶっ、」

俺の沈黙にセルティレーダーが働いて嫉妬心が反応した新羅が言葉を放とうとしたのをセルティによって塞がれていたのを、俺は生ぬるい視線で見つめてから視線をセルティに戻す。

「いつもごめんね……あぁ、運んでもらって悪いねって意味で」
『いや、私がしたくてしている』
「したくてって…………仕事だから仕方ないよ」

セルティの言葉に俺がへらっと笑ってそう言えば、セルティは文字を打つ手を止めて俺を見つめ、なにを疑問に思ったのか首を傾げた。そして俺も自分が変なことを言ったという自覚もないのでこてん、と首を傾げる。
俺とセルティの間にある停滞した空気にツッコめる奴は一人しかいないが、希望であるその新羅も今は機能できない状態である、全く使えない。

『仕事、とはどういう意味だ?』
「え? どういう意味って……折原がセルティに頼んでるんでしょ? 俺の回収」

傾げた首を直しながらそう答えれば、セルティは少し驚いたような雰囲気をしてPDAに言葉を打ち込む。こういうタイムラグがあるとき、俺がセルティの言葉を聞き取れればなあと思うんだよね、って言ったらそこにいる新羅が怒りそうなので言わない。あ、でもコイツ今耳塞がれてるじゃん。

「セルティの声、俺が分かればなあ」

自分に聞かせるように呟けば、セルティは俺の顔を見てから一度打った文字を消してPDAにまた打ち込む。

『悪かったな、言葉が話せなくて』
「、いや! 違う違う、俺が言いたかったのは、セルティの声聞きたいなーって話だ!」

少し気まずそうにPDAを見せてくるセルティに焦って訂正すれば、セルティはピタッと固まってから『新羅みたいなこと言うな』と打ち込んでから、俺の返事を待たずに『は、話戻すぞ!』と次の文章に取り掛かってしまった。こういうとき新羅が機能していたら、セルティの表情が分かるのに…………本当に新羅が使えない奴と思えてきた、やばいやばい。

『臨也からお前の回収は頼まれていない。私がしたくてしているとは、そのままの意味だ』

ずいっと俺の目の前に突き付けてきたPDAの縁をつかんで瞬きを繰り返す。



「……………………え? ちょっと、え?」

一瞬なんのことか分からなくてPDAの文字を何往復もして見てしまったが、文章の意味を理解してからも全く予想していなかったいきなりの現実に、自分のポンコツ頭が話についていっていないのがよく分かる。ということはつまり、毎日とは言わないけれど、折原に嵌められて気絶する度に何度となくここに俺が運ばれているのは、折原にそう仕向けられているからじゃない…………ってこと? でも、俺が折原に嵌められて怪我してぶっ倒れた時、ほとんどここに居るのはなんで?

『、大丈夫か?』

黙り込んでいた俺を心配してか、セルティが俺に声をかけてくれた。だけれどいくら考えたところでバカの俺には答えが見つからないので「気が進まないけど、その変態を解放してくれない?」と言えば、セルティも俺の混乱を正せる自信がなかったのか渋々頷いてくれる。
そして幼馴染み且つセルティ限定変態である残念な新羅の顔からパッと影が離れるのを見ていると、その残念な新羅の「ふう、やっとセルティが見えた」という声が耳に入った。

「ねえ、新羅さんよ」
「ん? なんだい?」

セルティの影で締め付けられていた顔面を嬉しそうに擦る新羅を見ながら、いま俺の頭の中に生じたばかりの疑問を新羅にぶつける。

「俺は…………なんでここにいるの?」
「……僕の顔が影でぐるぐる巻きにされている間に頭でも打ったのかい?」

新羅はそう言ってバカにしてきたかと思うと「君は今日、トラックに積んだ資材が落ちてくるっていうアクシデントを臨也に引き起こされて、そのまま資材ごと置き去りにされたところをセルティが回収して」と俺が知らない、気絶する前後の話を喋りだした。

「ちょ、ちょっと待って」
「もうなんだい?」

俺が戸惑いながら制止すると、新羅は床から立ち上がりながら不思議そうな顔をして俺を見る。その事故内容も気にならないと言えば嘘になるが、今大切なのはそこではない。

「なんで、セルティがそこにいるんだ?」
「……というと?」
「…………折原が頼んでいないのに、どうしてセルティが俺を回収出来るんだ?」

キョトンとした新羅の顔を眉をひそめながら見つめて問い掛ける。
俺の通学路は決まっているから、確かに回収しようと思えば出来なくはないけれど、毎回同じところで倒れる訳ではない。上級生に追われたりトラックに追われたり、誘拐されて何処か知らないところでリンチされたり、色々通学路から脱線することもあったはずなのに。
なんで、セルティは俺のいる場所に来れる?
混乱や疑問で満ち溢れた表情をしているであろう俺の顔を見て新羅は察したのか「なるほど」とでも言いたげな顔をしてアッサリとこう言った。

「あぁ、それは、゛偶然゛らしいよ」
「、らしいって…………は?」

新羅は「知らなかったのかい?」と根拠も理屈もなにもない言葉を吐いてから、何事もなかったかのように言いながらキッチンへ向かうと新しいコーヒーを入れに行った。あ、多分自分のおかわり分…………じゃなくて! そんなことより!

「偶然…………?」
「うん。いやいや、確かに、最近はセルティが君の通学路の周りを暇があったら探していたりしたけれど、それこそ最初の方は全部、君の運だ」
「…………うん?」

それこそ、一番最初に臨也に嵌められたことで上級生にリンチされて肩にナイフが刺さったままで大量出血で死ぬかと思った時は俺が意識のあるうちに新羅に電話して、そこでセルティと初めて面識を交わした。そこは分かる、俺が自分で呼んだのと同等だから。
けれど、俺は二回目以降は連絡していない。
例えば折原に一ヶ月に四回嵌められたとすれば、そのうち三回は自力で帰れるレベル、その内一回は必ず気絶するレベルの事故があるとする。そしてその度にとは言わないが、かなりの確率で起きたらここに来ている。

「…………ほんとにいってんの?」

少し自虐的な笑みを浮かべながらそう尋ねれば新羅は「折原くんが言うにはね」とキッチンの方から軽々しい返事をするし、隣にいるセルティを見てもうん、と一つ頷くし。

「…………意味わかんねえ」

分かったは分かったけれど納得は出来ない事実に俺の脳内がショートしたので、ぼふっとソファに倒れ込んでバタバタと足をばたつかせると「ちょっと、埃たつからやめてよ」と、コーヒーを片手に歩いてくる新羅に言われたから渋々やめる。

「…………折原が頼んでるのかと思ってたよ」
「まあ、そうだよね。普通信じられないよね、全部偶然なんてさ」

ずずっと新羅がコーヒーを啜る音を聞いてからまた顔をソファに埋めて考えようとしたけれど、ソファの隣に誰か立った気配がしたのでゆっくり顔を上げるとそこにはオロオロしたセルティがいた。じっとそれを見つめながら「どうしたの?」と沈んだ声で聞いてみると、セルティずいっとPDAを俺の顔に差し出した。

『私はなにか変なこと言っただろうか』

PDAの文字に目を滑らせてからセルティを見ると、またセルティは打ち込んで俺にPDAの画面を向ける。

『泣きそうな顔をしないでくれ』

そのセルティの打った文字に俺は少し目を見開く。
泣きそうな顔? 俺が?
寝転がりながら自分の手で顔を触ってみるがよくわからないので、オロオロを見つめていた新羅を見上げ返して「俺、今どんな顔してる?」と尋ねると、新羅は「名前の顔かい?」と言うとコーヒーカップを持っている方と反対の手を顎にあてながらうーん、と唸る。

「なんていうのかな」
「…………なに」
「…………あ、






『俺ってやっぱり化け物なのか』って思ってる顔」

ひと指し指を立てながらさらっと言った新羅の言葉に俺はまた目を見開く。目の前でセルティが『おい、新羅!』と打ってそれを新羅へ向けると、それを見た新羅が「だって、名前が聞くから!」と必死に弁解し始める。

「それに、偶然という単語で片付けられてはいるけど! 空前絶後と言ってもいいほどのことなんだから!」
「……………」
「だってほら、君が大きな怪我をすると高い確率でセルティやら何やらが現れるなんてことを誰かが仕組んでいないのなら、君が起こしているとしか考えられないむぐっ、」

そんな新羅の態度を止めるべく、セルティは焦ったように新羅の口を影で塞いでから『そんなんだから友達が少ないんだお前は!』という鋭いツッコミをセルティがPDAに打つという夫婦漫才みたいなものが繰り広げられているのを横目で見ながら、俺は新羅に言われたことを頭の中で反芻させる。化物か、言われなれていて、馴染みのある単語だ。

「セルティありがとう。やっぱり優しいね」

そうセルティの方を向いて言えば本人のセルティはブンブンと頭を横に振り、隣の新羅は縦に頷く。

「よくわかってるじゃない名前! そう、セルティは美しく可憐なだけじゃなくて、心もそれに見あった汚れなき色をしてぶべらっ」

影から解放されていたらしい新羅の言葉の途中、影を使ってビンタしたセルティが『コーヒー片手に変なこと言うな』というPDAを新羅に突きつけていたが、多分新羅には見えていないと思う。俺はそんな仲がいいのか悪いのか、そんな次元を越えているのか分からない二人を見つめてから鞄を取ってソファから立ち上がる。

『帰るのか?』


それを見た慌ててセルティがその文章を打ってきたから、頷いて見せる。


『見送るよ』


そんな俺にセルティはまたそう打って見せると新羅から影を引いて、俺を玄関まで送ってくれる。それに俺は「ありがとう」とヘルメットの丁度目にあたるだろう場所を見ながら呟く。実際に見えるのは暗闇だけだけどね。何度も通ってきた玄関までの廊下も、今は何となく複雑な気分だ。ここにいる意味が変わってきたのだから。

『じゃあ、また』
「うん、また」

靴を履き替えてセルティに手を振って別れを告げる。きっとまたすぐに会うと思うけどさ、セルティの後ろにいる新羅にも。

「じゃあ、また学校で」
「うん、また明日」


              ◇◆


 新羅のマンションを出て、周囲に気を付けながら家路に戻る。過去に新羅のマンションから出た瞬間に車に衝突されたことがあるから学習して注意を払っているんだけど、こんな気が抜けない日常に巻き込まれたことに人生で何回目か分からない溜め息を吐いたところで、ちょうど鞄に入れている携帯が電話の着信音を鳴らす。

「……………?」

携帯をいじりながら移動するのはなにかが起こりそうで怖かったから一度新羅のマンションの入り口まで戻って携帯を確認すると、発信先がさっきまで一緒だったら新羅だったので眉をひそめる。
忘れ物でもしたかと思ったが、そんなのは明日学校で渡してくれれば済む話だろとう考え直しながら通話ボタンを押す。

『なに?』
『あぁ、さっきの話の続き、臨也が君に目をつけた理由のところのことだけど。あれ「臨也が言うには」ってところがミソだからね』
『え、?』
『じゃあ、また明日学校で』

新羅はそう言うと、俺に反応させる隙を与えることなく一方的に言い、通話を切ってしまった。なんなんだ。ツーツー、と空しく鳴る手元の携帯を見つめながら新羅の言葉を頭のなかで反芻するが、考えることに疲れた俺は思考を放棄して後回しにするように携帯を鞄に仕舞いこんだ。

TOP