12



 夜通しずっと公園の滑り台の上に座って空を見上げたり、俯いたりを繰り返していたけれど、全然眠ることが出来なかった。
折原との会話の後、俺はボロアパートにある自分の部屋に戻る気が失せてしまって、とりあえず部屋にもあの場所にも居たくなかったからどこに向かうでもなく足を進め、行く宛も無いままに歩いて何十分か経つと、ブランコと滑り台しか遊具がない小さな公園が住宅街の一角にあったので俺は何となく滑り台の上に登って、寂しく一夜を過ごした。
その夜ずっと考えていたのは折原に言われたことばっかりで、小学生の頃とか中学生の頃とかの自分を思い出したり、周りの人間に言われてきたことを思い出したり、色々考えてみてもやっぱり俺は自分が何なのか分からなかった。

「…………身体、だるくないんだよね」

固い遊具の上でうずくまっていようが夜風に一晩中当たっていようが、いつもと変わらない身体の調子に少し悲しくなりながら、すっかり太陽の昇りきった空を見上げて、ストレッチするように左腕を空に伸ばす。その左手首巻かれているデジタルの腕時計には午前八時半と表示されていて、自分が十時間ほどここに留まっているという事実に少し驚く。良かった、春で。
勿論学校に登校する気もないのでこの公園で遊ぶ子供が来たら移動しようかな、と身体を伸ばしながら考えていると、一人の制服を来た男が公園に入ってきたのが見えた。まさかこの公園に遊びに来たのかと直感的に考えてみたけれど、中学生が登校途中に公園に寄ってるだけだろうと考え直す。リュックサック背負ってるし。
けれど、この男子中学生がブランコに乗って鞄をブランコの支柱に立て掛けるように地面に置いたので予想が外れたかもしれないと勘づいたところで、急に、とても急に、鼻がむずむずしてきた。

「、ふぇっくしょん!」

思い切りくしゃみをしたことによる反動で思い切り後頭部を滑り台にぶつけた。俺の生理現象のくしゃみの音と頭をぶつけた鈍い音で、俺の存在に気付いてなかったらしい男子中学生が此方をじーっと見つめるのが見えて、少し恥ずかしくなる。

「あー、邪魔してごめん」

滑り台の上から顔を出してブランコに乗ったままの男子中学生に申し訳なさそうにして謝れば、男子中学生は「いえ」と呟いて無表情のまま俺をじーっと見つめていた。あれ、怒ってる?
その注視してくる視線から逃げようと思いこの場から立ち去ろうと滑り台から降りた瞬間、男子中学生の顔が頭の中でチラつくのと同時に既視感を覚えて足を止める。
まるで一度何処かであったことのあるような感覚に疑問を感じてもう一度男子中学生の方へ振り向くと、その中学生はまだ俺の方を見ていた。

「あー、あのさ」

ブランコの柵まで近付いて男子中学生に恐る恐る声をかけると、当の男子中学生は「はい」と簡潔に答えて俺から視線を外さない。
近くで見ると男子中学生の顔がよく分かる。綺麗な顔立ちをしているわりに感情がすっぽり抜け落ちたように変化のない表情を貼り付けて、じーっと見つめてくる瞳は誰かに似てい…………あっ。

「もしかして、君の名字って平和島?」

柵に手をかけながら尋ねると、その男子中学生は少しも表情を変えず「どうして知ってるんですか?」と首を傾げながら俺を見つめていた。

「俺、平和島……静雄と知り合いだからさ」

その視線を受け止めるように俺も男子中学生……もとい平和島の弟らしき人物を見つめて笑って答える。

「兄さんの、知り合いですか」

俺の言葉に中学生は、どういう感情を現しているのか分からない顔をしてから自分の膝に視線を落として「ありがとうございます」と呟いた。

「え、あー、こちらこそ?」
「これからも兄貴を、よろしくお願いします」

頭を下げる俺を見た平和島の弟は、ブランコから立ち上がって柵を間にして俺の目の前に立つといきなり頭を下げて言ってきた。
俺は結婚相手の両親に言われたような言葉の真剣味に驚いて少し後退りしてから軽く「ま、任せて」と無責任に、平和島とこれからもよろしくすることを承諾……というか、肯定してしまった。いや、悪いことじゃないんだけど。

「ありがとうございます」

俺の言葉に顔を上げた平和島の弟がまた礼儀正しくお礼を言うと俺をじーっとまた見つめたまま無言で目の前に立つので、俺は何となく空気が堅いのを感じて「名前……カスカくんだっけ」と話をふる。

「…………兄貴から聞いたんですか?」
「あー、いや、小学生時代に誰かが言ってた気がしてさ」

俺の言葉にクエスチョンマークを浮かべていると思われる平和島の弟に「俺と平和島は、小学生から知り合いなんだよ」と苦笑いで補足する。知り合いと言っても、小学生時代は全く話したことがなかったけれど。

「そうなんですか」
「そうなんです」
「…………」
「…………」

ずっと表情を変えない平和島の弟に疑問を抱きながら見つめていると、それを鋭く察した平和島の弟は自分の顔に手を当てて「あまり表情が分からないってよく言われます」と説明してくれた。多分それはあまりっていうレベルじゃないんだけどなあ、なんて言うと、カスカくんは首を傾げて視線を逸らす。

「…………そうなんですか」
「そうなんです。平和島くん…………じゃなくて、あー…………カスカくん」
「はい」
「カスカくんはさ、今日学校行かないの?」

制服を身に纏っているわりにはここから動こうとしていなかったカスカくんに俺が自分にも当てはまることを聞くと、カスカくんは少し視線を逸らして「今日は……いいんです」と言った。少し後ろめたいような雰囲気の行動をしたカスカくんに、もしかしたら聞いてはいけないことを聞いてしまったのかもしれないと思って小さく謝る。

「いえ、大丈夫です」
「そっか…………」
「…………あの」

カスカくんから失言のお許しを貰った俺は何となく視線を落としていると、カスカくんは俺のように柵に手を置いて俺の顔を覗き込んでくる。

「名前教えてくれませんか?」
「あ、ごめん」

その言葉に俺は相手の名前を聞いといて自分だけ名乗ってなかったことを思い出し、整った作りをした顔が目の前にある状態のまま「名字名前」と答える。

「ああ、あなたが…………名字さん」

カスカくんは俺の名前を呟いてくれたけど、俺がカスカくんを名前で呼んでいてカスカくんが俺を名字で呼ぶのは不平等な気がしたので、俺は顔を上げて「名前でいいよ」と笑った。

「名前さん、でいいんですか?」
「いいよ、敬語もいらないよ」
「…………わかった」

順応の早いカスカくんにうんうん、と頷く。するとカスカくんが何の脈絡もなく「ブランコ、乗りませんか」と、いきなり敬語で提案してきたので、俺は笑いそうになりながら少し沈黙し、肯定する代わりに柵を飛び越える。
鞄をそこら辺に放り投げてから、さっきカスカくんが座っていたのではない隣のブランコに座ると、カスカくんは柵に手をかけたまま俺を見つめる。

「久々に乗るなー」

そう言って身体を少し前後に揺らすと当たり前だけど座っているブランコも前後にゆらゆらと揺れる、その感覚が久々過ぎて少し酔ってきた。
そんな気持ちの悪い俺を見ていたカスカくんは、無言で俺の隣のブランコに戻って「名前さん」と唐突に俺の名前を呼ぶ。

「なに?」
「…………名前さんがさっき聞いてきたことだけど」
「……………………あ、学校に行かないのってやつ?」
「うん」

ブランコのチェーンを握りながら俺を見てそう言うカスカくんに、もしかして聞いてほしいのかもしれないと感じ取った俺はブランコを止めてカスカくんを見つめた。

「…………昨日、学校で知り合いに『化け物』と、言われたんです」

カスカくんから発せられた単語に俺は思わず身体を強張らせる。あまりにも偶然過ぎる境遇に俺は背筋が冷えるのを感じながら、カスカくんの言葉の続きを待つ。というか今考えると、この出会い自体偶然過ぎるんじゃないか。

「それで…………行きたくないなって」

思わず黙り混んだ俺にカスカくんは気を利かせて「すみません、こんな話」と言ってきてくれた。というかこんな風に年下に気を使わせることがまず可笑しいので、俺は少し自分を責めながら俯いているカスカくんを見る。

「俺はさ、昔から化け物なんだ」
「…………?」
「…………だから、化け物って言われてどう感じるかは分かるつもり」

俺の言葉に顔を上げたカスカくんに、少し自虐するように笑いながら「俺は中途半端らしいけど」と言うとカスカくんは「中途半端?」と聞き返してきてくれる。


「…………自分を化け物だと思ってるくせに、普通の人間かもって思うときがある」
「…………」
「いや、思いたいのか……………。カスカくんは……自分を化物だと思ってるの?」
「…………化け物っていうのは、昨日初めて言われたから…………分からない」
「そっか」
「でも、前から『人の気持ちが分からない』とか『冷たいやつ』とか言われてきたから、それが化け物ってことなら俺は、自分を化け物って肯定していることになる、かな」

カスカくんが言葉の節々で止まるのは言葉を発しながら頭で考えているからかな。昨日言われた単語を自分がどう思っているのか、これからその単語とどう付き合っていくのか、感情を整理しながら決めているんだと思う。俺にもそういう経験はあったはずなのに、どうして中途半端になったんだろう。

「…………スゴいね、肯定出来るってスゴいことだよ」
「…………」
「、俺は諦められないんだよね、多分」

ブランコの鎖から手を離し太ももに肘を置いて頬杖をつきながら真っ直ぐ前を向いて公園の出入り口を見つめると、隣でカスカくんが小さく「人間を?」と聞いてきた。

「そう、人間を」
「…………それが中途半端?」
「そう、それが中途半端」

察しのいいやつと話していると、会話が楽でいい。境遇が似ているってこともあるけれど、少しの言葉で先を見越してくれる。会って間もないけれど、カスカくんと話すのは楽しい。察しが良くても折原みたいなのは難しくてダメだ、うん。

「急だけど」
「? なに?」
「俺、カスカくんに会えて良かったよ」

頬杖をついたままカスカくんの方へ顔を向けると、少し驚いたような雰囲気で俺を見ているから俺も驚く。よくわかったな、俺。

「なんで名前さんが驚くの」
「え、あー、バレた?」
「…………俺は、表情読み取るの得意だから」
「なんで?」
「なんで…………兄貴とかキレた時すぐ分かるようにとか、俺にないものだからとか、多分そういう、本能で」

また考えながら話すカスカくんに「そっか」と言いながら、カスカくんをじっと見る。

「…………俺も名前さんと話せて良かった」
「ん?」
「こんなにも考えさせられるから、名前さんとの会話」
「そうかな」
「……………あ…………中途半端でいいんじゃないかな」
「、え?」

さっきの会話にいきなり戻ったカスカくんに「なんで?」と聞く。いや、脱線させたのは俺であって、カスカくんは軌道修正してくれただけなんだけどさ。

「なんで…………」
「…………」
「…………今の中途半端な名前さんが、…………好きだから?」
「、」
「ほんの少しか話してないけど…………そんなに中途半端ってダメ、だと思わないから…………かな」

顎に手を当てながら考えて話すカスカくんが、俺という中途半端な存在を認めてくれた気がして顔が熱くなるのを感じながら、カスカくんに向けていた顔を逸らして呟く。

「そっか……うん『人間になりたい化物』が居ても、いいんだよね」


カスカくんの言葉で吹っ切れた俺が笑って言うとカスカくんは肩をピクッと跳ねさせてから、俺をじっと見つめる。


「……どうしたの?」
「…………今日、本当に名前さんに会えて良かったって思って」
「そ、それは俺の台詞だよ」
「いえ、名前さんの言葉で……踏ん切りがつきました」

俺が視線を逸らして言うと、カスカくんは腕を伸ばして俺の手を握る。
その握られた手の温かさに俺が頬を緩めて笑うと、カスカくんは「兄貴の言ってたことわかった気がする」と言って手を離す。

「へいわ、…………静雄が?」
「…………前に言っていたんです。名字っていうすげえ良いやつがいる、って」

カスカくんは立ち上がると俺を見つめてそう言うと、ブランコの柱に立て掛けておいた俺の鞄を持ってブランコに座ったままの俺にソレを差し出してきたので俺は首を傾げながらその鞄を掴んで立ち上がる。平和島にいいやつだと思われる理由に心当たりもないし、目の前で手を差し出してくれるカスカくんがどうして楽しそうなのかも分からない。


「学校に行きましょう」
「……………遅刻確定だけどね」
「それでも」

俺の言葉にカスカくんは軽くそう言って柵を飛び越えた。何となく、カスカくんが俺と一番初めに会ったときより清々しい顔をしている気がする。いや、無表情だけど。
そして、俺とカスカくんが並んで公園を後にしようと足を踏み出した瞬間俺の携帯が着信を知らせたので「出ていいよ」と言って立ち止まってくれるカスカくんにお礼を言って携帯画面を見ると、そこには昨日登録したばかりの連絡先が映し出されていて俺は思わずカスカくんを見る。

「兄さん?」
「う、うん」

俺の視線に気づいたカスカくんが聞いてきたので、俺はドンピシャな答えに戸惑いながら短く返事をして電話に出る。

「もしも」
『名字! 何かされたか!?』
「、っ、え」

電話に出た瞬間、大きな声が通話口から聞こえてきて思わず携帯を遠ざけながら、平和島の言った言葉の内容に疑問を覚える。

「な、何って…………なに?」
『名字が今日休みだって折原の野郎が…………!』
「…………あぁ!」

そういえば昨日平和島と話したときに『傷を負った日の次は休む』って話をしたから、だから今日休んだことに何か意味があると思ったのかも。しかも、それを伝えてきたのが折原だから尚更だったのかもしれない。
迂闊な行動だった、と自分を責めながら平和島に「ごめん大丈夫、何もないよ」と軽く言う。

『本当だろうな…………!!』
「、大丈夫だよ」

キレ気味で確認してくる平和島に笑ってと答えると平和島は「なら、いいけどよ」と小さく呟いて一方的に電話を切ってしまった。
ツーツーという平和島の怒号とは正反対の無機質な電子音を切って携帯をポケットに仕舞う。

「名前さん、愛されてますね」

平和島の声が大きすぎてカスカくんにも聞こえていたのは分かっていたけれど、その唐突に無表情で言ってきた言葉は予想できなかった。
俺も負けてられないと思って、恥ずかしさを堪えながら「平和島兄弟のことは、俺も愛してるよ」と笑って冗談を言う。

「なら……相思相愛ですね」

カスカくんは俺を見つめて相変わらずの無表情で冗談めいた言葉を放つと足を一歩踏み出したので、相思相愛、という慣れない単語に俺は肩をすくめてからカスカくんの後を追って俺達はそれぞれの学校に向かった。

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