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 平和島と連絡先を交換してから別れた俺は、自分の家に帰るために足を進めていた。放任主義で且つ片親である父親はずっと海外にいるので帰っても家で一人なわけだけど、そのお陰で父親は俺の身体のことは知らないし心配をかけないで済んでいる。お金は送ってもらってるし、寂しさも今はもうない。

「……ん?」

そんな一人暮らしには持ってこいなボロアパートには俺以外に大学生が一人住んでいるだけで後は空室だ。その筈なのに、見えてきたボロアパートの前に誰かが立っているのが見える。あの大学生の部屋には明かりがついているし、大家さんの部屋にも明かりがついているから多分どちらも部屋にいると思うんだけど。
少しの不信感を抱きながらボロアパートへ歩みを進めると、遠くでは暗くて分からなかったその人物が誰だか徐々に認識出来るようになって、俺は自分の足を進めたことを後悔した。

「やあ、遅かったね」

そこには短い学ランのポケットに手を突っ込みながら、ボロアパートの前にある自動販売機に寄りかかって俺を待っていたらしい折原が立っていた。随分と絵になるやつだ。
そんな自動販売機の明かりで照らされる折原を、俺は少し顎を上げて見下すように目を細める。

「ふうん、君がそんな態度とるなんて珍しいじゃない……何かあった?」
「……俺さ、折原に対して特に怒ったこと無かったんだよね」
「…………へえ?」

興味深そうに折原は寄りかかっていた自動販売機から離れ、俺の真っ正面に向かい合う形で話を聞く。

「折原に上級生けしかけられようが誘拐されようが事故られようが、爆弾仕掛けられようが……別に怒りはしないよ?」

ニヤッと嫌な笑みを浮かべる折原に近付いて、ほぼ同じ身長の折原の額と自分の額がくっつきそうな距離で目は逸らさないまま「けどさぁ」と小さくつぶやく。

「……そのせいで平和島が俺に頭下げるってのは、許せないんだよね、ほら理不尽じゃん、ねえ?」

久し振りに沸き上がってきた憤怒に自分自身内心で驚きながら、至近距離にある折原の目を見つめる。
すると折原はさっきの顔とは一変するように、口角を下げて目付きを鋭くさせ「シズちゃん……?」と平和島の名前を忌々しそうに呟いた。
折原の前でその平和島の名前を出すことがどれだけ自殺行為かも知っているけれど、そんな俺の危機管理より怒りの方が勝っている。折原の機嫌を無視する理由なんてそれだけで充分だと思う。

「シズちゃんが、また何か狂わせたのかな」

折原は一瞬俺から忌々しそうに顔を逸らして呟くと、また俺を見つめ直して俺の頬に手を伸ばす。

「あれ、嫌いな奴が頬に触れても怒らないの?」

折原の親指が俺の下唇を掠めるのを感じながら俺は「別に嫌いとは言ってないでしょ」と言って過剰に触れてくる折原に眉をひそめてその手を払う。何か裏があるのかな。屋上で話してたときもだったはず。

「俺が怒ってんのは平和島に俺を通して迷惑がかかったことだよ、分かるよね折原頭いいからさ?」
「あーわかったわかった。というか、口数増えすぎ」

俺の口調がウザいのか平和島の名前を出したから機嫌が悪いのかわからないが、折原は俺に払われた手をヒラヒラと鬱陶しそうに揺らし、身軽にトントンと片足で後ろに飛んで俺から距離をとると腰に腕を当てて俺を見る。






「君さあ、自分のこと何だと思ってるわけ?」

呆れたように溜め息を吐く折原の言葉に思わず首をかしげて何か言おうと口を開くが、明確な言葉が見つからなくてパクパクと開いては閉じてを繰り返すだけで答えることができない。

「なにって」
「俺から言わせればさあ…………君は中途半端なんだよ」

俺の言葉を待たずに言葉を被せる折原に俺は口をつぐむ。というか、俺の口から出た声が少し震えていたということは、俺の頭のどこかでその『なにか』を理解していることをあらわす。中途半端の意味を聞きたくてもそれを聞くときにまた自分の声が震えていたらどうしよう、という思考が頭を掠めて口を開けない。

「自分のこと化物だと諦めてるわりにさ、普通の人間の女子に告白されたりして自分のこと人間だと見てくれる人がいると分かれば『自分は人間かも』なんてブレちゃってさ」
「…………は」
「自分が何者か全然分かっていない」

折原はじっと見つめてくるだけの俺を面白くなさそうにチラ見してから、視線をボロアパートの方に逸らして溜め息を吐く。






「化物にはさ、二種類いると思うんだ」

突然折原はにやっと笑いながら、自動販売機の隣に置いてあるベンチの上に立って俺を見下ろす。

「自分を化物だと肯定しているか、否定しているかの二種類」

その言葉で俺の頭がやっと話についていくことが出来たわけだけど、それと同時に俺にとっては現実を叩き付けられたような、逃げ場を壊されたような感覚に襲われることとなる。
聞きたくない折原の言葉の続きに顔を俯かせると、ベンチに立ったままの折原が俺の首を掴んでそのまま強引に上を向かせ「折角の綺麗な顔、俯かせたら勿体無いでしょ?」と言って、楽しそうにニタリと嫌な笑みを浮かべて俺を見下ろす。

「あぁ、話の続きだけどね? 君がさっきまで会っていた二人の化物、どちらも前者…………つまり自分を化物だと肯定している側だ。セルティは言わずもがな、オカルトの範囲内である疑いようもない化物。そしてアイツ、あの忌々しいシズちゃん。アレは……暴力の塊、一種の化け物だ」

俺に良くしてくれる二人をわざわざ誇張するように『化け物』と呼称する折原を真顔で見つめる。もう折原が言いたいことはわかった。

「もういい折原」

俺の首を掴む折原の腕を振り払えないまま、その折原の瞳から視線を逸らして俺は言葉を続ける。

「…………セルティは化け物だと肯定して普通にこの街で生活して、平和島も自分を化け物だと肯定して力との付き合い方を見つけている」
「、そう! あのクソッタレなシズちゃんでさえ考える頭がある!」
「…………けれど、」
「、君には゛それ゛がない」

自分が化物だと諦めたように肯定しているようで、どこかで人間なのかもしれないとか、誰かに人間だと認めてもらいたいとか……そんな風にいつもどこかで考える。

「だから君は人に、自分が化物だと隠す!!」
「…………だから、中途半端……」

語尾が段々とすぼんでいく自分の言葉に気付きながら、俺は折原を見つめる。





「折原は、俺をどっちだと思うの?」

鈍く光る折原の赤い瞳を見上げながら恐る恐る尋ねる。屋上で話したときの確認をするように。
すると折原は少し眉をひそめてから、俺の首を掴んでいる手に力を少し入れ俺の首をつかんで自分の方へ引き寄せ見つめてくる。

「俺は人間だと思ってるよ? その方が面白いからね」
「、っ」

そのあっけらかんとした折原の言葉でふつふつと沸き上がる自分のなかのもどかしさが、首にある折原の手によって押し込められる。

「でもさあ、それは今関係ないんだよねぇ」
「っ、おり」
「大事なのは、君がどう思うか、だよ」

引き寄せられたことで近づいた折原の顔から視線を逸らせないまま、段々と折原の手に力が入ってきたのを感じる。喋ろうと口を開いても、喉が空気を、音を通さない。
そんな顔をしかめた俺を至近距離で見て、折原は惚れ惚れするような綺麗な笑顔を浮かべて吐息混じりにこう言った。





「俺はねぇ、人間が好きなんだ」

まるで映画の台詞のように完成されていて、現実味という名のどす黒い狂喜がちらりと垣間見える言葉を紡ぐ折原に俺は苦しさも忘れて魅入る。

「人間が好きで好きで堪らないと同時に………化物のことは好きになれないんだよ、死んでもね」
「……っ、く、」

言い終えた後、更に力を強められたことで思わず折原の腕を掴み返すと、折原は案外あっさり俺の首から手を離し、指の腹で俺の首を撫でる感覚に俺は思わず眉を寄せる。


「この跡もすぐ消える」


忌々しそうにそう言って意図の読めない行動をする折原に悪寒を抱きながらも、じっと折原を見つめる。
変わり身の早い折原は、状況のつかめていない俺を置き去りにするようにベンチから飛び降りると「じゃあねー」とにこりと笑顔で手を振って、俺がさっき来た道を歩いていった。俺はその背中を見えなくなるまで見つめて、強ばった自分の身体と張りつめていた自分の精神に溜め息を吐きながら俺は空を見上げ…………っていうか、あれ。

「あの人、ここに何しに来たんだろ…………」

そう呟いて家に帰ってきただけなのに大きな喪失感を抱いていることに気付いた俺は、自暴自棄になりながら部屋に戻ることなく、折原が行ったのとは逆の道へ歩みを進めた。

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