記憶の糸

「副長!至急耳に入れておきたいことがっ」
「山崎か。どうした」

珍しく声を荒げて山崎が外から声を掛けるから土方も眉をしかめて返答すると、すぐに襖が開いて素早い動きで山崎が一礼した。
そして本題に入る。

「井吹が、記憶を失いました」
「………………は?」
「いや、ですから…今までの記憶を全て失くしてしまったんです」
「…………いや…待て。結論からすぎて内容が全く読めねぇ。何があった?」
「あ、し、失礼しました!実は…」

どうやら山崎自身も焦っていたようで自らの言葉にはっと気付いたように土方に事の経過を説明し始めた。
どうやら龍之介の頭に木材が直撃したらしい。
雨漏りがする道場の屋根を修理中に起こった出来事らしく
永倉の馬鹿が周囲を見もしないで木材を運んだままくるりと身体を回転させたらしい。
まんまとその木材までもが回転し、龍之介の頭を強打したようだ。
そのまま気を失った龍之介に周囲は慌てて介抱に当たり、強打した部分はたんこぶのみで外傷はなくホッとしたのも束の間
目が覚めた龍之介の反応がどうもおかしい。
あの龍之介の事だ、気が付いたら文句の一つや三つは飛ばすだろうと想像していたが
まず表情から違った。眉間にいつも皺寄せて悪い眼つきを露わにしている普段の顔がなく
きょろ、と辺りを見渡してから第一声が

「………此処、どこッスか…?」

***

スパーーンと襖が勢いよく開いた。
それに驚いて振り向いたのは藤堂と原田、永倉のいつもの三馬鹿だ。
それと囲まれるようにして居るのが例の被害者、龍之介。

「ひ、土方さん、吃驚するだろうが!!」

藤堂が大いに目を見開いて驚いた事を告げるが
土方はそれに臆することもなく中にズカズカと入る。

「吃驚してんのはこっちだ!…本当にそいつは何にも覚えちゃいねぇのか!?」
「話してみれば解るって」

原田が苦顔の表情でそう言うと土方に道を開けた。

「おい井吹」

そう呼び掛けると、キョトンとした顔が土方を見上げて間を開けた後

「あ…えっと、それって俺の名前なんスか?」
「…………」
「ああそっか俺等、龍之介龍之介って下の名前ばっか言ってたもんな」

気付いたように藤堂が名前を丁寧に教えている間、土方は絶句して止まっていた。
名前すらも記憶から消えている事にも衝撃だったが何よりも

「聞き慣れねぇ…っコイツの喋り方が…!!」
「あ、土方さんもそこだよな。俺等もなんだかくすぐったくて仕方ねぇ」

永倉がなんだか微妙な顔でそう言う。
敬語とはまだ言いにくいが何故か力士的喋り方になる龍之介に調子が狂う。
皆、記憶を失くしたという事実よりもそっちの方に衝撃を受けていた。

***

「井吹君。包丁の使い方とかはわかるかね?」
「あ…それは解ります」
「ならばこの菜っ葉を均等に切って味噌汁に入れてくれるかい」
「了解っす」

にこり。

勝手場で源さんの手伝いに寄越された龍之介は始終穏やかに手伝いをこなす。
源さん自体穏やかな人だから特に戸惑う事無く現状を受け入れながら対応するため
なんとも和やかな空気が立ちこめていた。
それを、出入り口の傍で見張る様にしているのが

「………痒い」
「蚊ですか」
「違うよ。井吹君のあの態度。あの言葉。あの表情。全てにおいて痒い」

…山崎と沖田である。
後から事情を聴いた沖田は早々に龍之介の元にとやって来て目の当たりにし
なんとも面白くないとばかりにポリポリと顔を掻く。

「新八さんもとんでもない事してくれたよね。あれじゃ全然つまんないじゃない」
「……俺は素直でいいと思いますが」

溜め息を突きながら呟く沖田に対して、山崎は満更でもない様子で答えると

「解ってないなぁ。弄り甲斐が全然ないじゃない。敵わないの解っていながら無謀に歯向かってくる井吹君を捻り潰すのが僕の唯一の楽しみだったのに」
「最悪な趣味ですね」

居据わらせた目で軽蔑の眼差しを沖田に送る山崎を無視して
沖田は「そうだ」と何かを思いついたようにニヤリと笑った。
また良からぬ事を思いついたのでは…と山崎は呆れの眼差しも付け足し
監察方として目を光らせた。

***

じぃ……とさっきから視線を感じる。
ポンポンと刀の手入れをしている傍らでそれを眺めている者が居る。

「…………井吹」
「はい」

斎藤はチラと目を横にずらしてその男に声を掛けると
いつもとは違う控えめな…しかも丁寧な言葉が返ってくるから一瞬戸惑った。

「……………その、何か用か」
「あ、いや、ないんスけど。その…綺麗だなぁって」

刀が。
普段なら全く興味も示さない刀に対しての彼の言葉に感極まりないと
斎藤はフルフルと震えながらふぅと息を吐き、くるっと龍之介に向き直した。

「お前の…その刀も手入れをしてやろう」
「え、いいんスか?」
「構わぬ。ついでだ」
「有難うございます(笑顔)」

ごふ。
斎藤はつい明後日の方向を向いて吹き出した。
戦慄きながら龍之介の刀を受け取ると、ふと龍之介が思い立ったように口を割る。

「…俺も刀持ってるってことは…皆さんと同じ武士…だったんスか」
「いや……………」

と、そこまで言って止まる。
記憶がない今、昔のしがらみなどないに等しい。
だとしたら今からでも剣の道に進むのも彼の為なのではないか。
剣術ならいくらでも教えられる。まして今はこんなにも素直で従順だ。
……と、斎藤の堅い頭の中で瞬時に巡らされたその結論。

「井吹。お前も実の所は剣術を学んでいた身であったのだ」
「え…やっぱり…」

真面目な顔で真っ赤な嘘を吐いた。
しかしそれを全く疑う事をしない龍之介は納得して聴き入る。

「今からでも遅くはない。もう一度学び直せばお前の腕も上達するだろう」
「本当っすか。斎藤さんにそう言われると、なんかそんな気がしてくるな(超笑顔)」

ごふっっ。(二度目)
正直、鼻血が出なくて良かったと心底思った斎藤。

***

此処は土方の部屋。
そしてさっきから何かが土方の部屋で光る。

「………山南さん…アンタ何考えてるんだ」

溜め息混じりに呆れと苛立ちを含む声が低く部屋に響いた。
しかしそんな声にも臆することなく続けたのは山南。

「土方君…これはいい機会ですよ。あの使えなかった犬…じゃない井吹君を、まさにこの新選組の為の最終兵器として育て上げるのです」
「最終兵器って…あれは元より人間だぞ」
「そう…人間です…ですが、この薬を飲ませれば…」

キラリとさっきから光って居たのは山南の眼鏡だ。
怪しげな薬の瓶が懐から土方の目の前に出され、怪しい笑みが山南の表情に浮かぶ。

「彼は超人並みの力を手に入れ、そして使えなかった犬ではなく今度こそ我々に役立つ兵器として使えるわけです!!」

陶酔するように天を仰ぎながら言う山南に土方は顔を青くしながら

「いやだから頼むから頭冷やしてくれ!!!!(懇願)」

叫びにも近い声を上げた。