No.21



「変な匂い」

私はそう言って、顔を顰めた。

「そうか?俺は嫌いじゃねぇよ、海の匂い」

烏養くんは気持ちよさそうに海風に吹かれて、目を細める。

そうか、と思う。

これは変な匂いじゃなくて、海の匂い。

「烏養くんは、いつも私とは違うね」

私たちは違う生き物、違う時間を生きていて、違う物を見ている。
それは、とても孤独で、そしてとても健全に思える。


「そりゃあ、そうだろ。皆ちげーよ」

いとも簡単にそう言って、烏養くんは憮然とした顔をした。
私は小さく笑って、烏養くんは凄い、と心の中で感嘆の声を漏らすのだった。



平日の観光船には、人がほとんどいない。
客は私たちの他に、ちっとも楽しくなさそうな老夫婦と、ぼんやりと遠くを眺めている中年の男が乗っているだけだ。

別々の場所からやってきた、全く親しみを覚えない、知らない人たち。








海に行きたい、と言い出したのは私だった。
しかし、まさか、海の上に連れてこられるとは思ってもみなかった。

観光船は10分ほど、このまま停まるのだそうだ。
デッキから海の下を覗き込むと、底が見えない黒々とした水が揺れている。

観光客がこの間にいつもなら餌をやるのだろう。
鴎がひっきりなしに、近くを飛び去っていく。
スピーカーからはショパンの物悲しいピアノ曲が流れていて、合間に鴎の、きゃぁ、という鳴き声が響いた。

私は陸があった筈の方向を見て、随分遠くまできてしまったなぁ、と心細いような、満ち足りたような気持ちで思う。
まるで、烏養くんといる私の心持ちそのままのようで、可笑しくなって小さく笑った。




隣で烏養くんが、煙草に火をつけると、煙草の先から細い煙が風に乗って流れていく。

「私にも火、くれる?」

そう言って、自分の分の煙草を取り出して咥えて視線を上げたら、影が落ちた。


あ。


じじ、と音がして、煙草の先から火が移る。

それから、一瞬目が合って、

「点いた」

と、烏養くんの顔が離れていった。
視界が開けて海と彼の煙草の匂いが混ざって、私はそれを煙ごと吸い込む。


今回の地獄は、どのくらい続くのだろう。

私は鴎の軌跡を目で追いながら、ぼんやりとそんなことを思う。



「夏がきたら、一緒に旅に出よう」

にっこりと笑ってそう話しかけると、いいな、と烏養くんが笑った。