プロローグ


「先生」

彼女の声が聞こえる。

「先生」

今日は確か来ないと言っていたはずだ。

「先生」

夢でも彼女の声を聞くとは、アタシも相当ー。

「せ!ん!せ!い!」
「うわぁ?!」

鼓膜を震わせる大声に飛び起き、瞬きをして声の主を確かめたアタシは目を見開いた。

「へ、千笑サン?」
「ったく!これだから先生は!」

放っておくとすぐサボる!、と憤りながら、彼女は辺りに散らばった色々な物を片付けていく。
いつの間にか寝てしまっていたらしい。

ぼんやりと頭を掻きながら、動き回る担当編集の彼女を目で追った。


彼女がアタシの担当になって早4年。
それはアタシが、彼女を想ってきた年数でもある。
所謂叶わぬ恋というやつをしてきたわけだが、ようやっとアタシにもチャンスが巡ってきた。
…きたはずだったのに。

「千笑サン、休みの日までアタシに会いに来てくれたんスか?」
「知ってました?
手のかかる先生の担当になると、休みって無いんですよ」

この調子である。

彼女が長年付き合っていた彼と別れて、1年が経とうとしているというのに。

『なんやお前、まだモタついとんのか!?
ダッサ!』

平子さんに言われた言葉を思い出す。


手が遅い方、という訳でもないと思う。
いいなと思った女性とは、割とすぐにそういう雰囲気になっていたし、そういう方向に持っていくのも下手ではないんじゃないかと自負している。

『まぁ、牧田は鈍感ちゅうか、確かに手強いとこあるかぁ。
特に、喜助、お前みたいな、空気でなんとなぁく、ゆるーく流してくタイプはなぁ。
あいつ、そういうのに流されへんからな。
相性悪ぅ』

態とらしくそう言って、ニヤニヤと笑った平子サンの顔を思い出して、溜息を吐いた。

確かにそれはそうなんスよねぇ…。

そうなると、今までの恋愛は女性頼みだったということになり、それはそれで男としてどうなんだと落ち込む。


「ちょっと、先生!
ボーッとしてないで、顔洗ってきてくださいよ!」

いつの間にか台所に移動していた彼女が、大きな声を出す。

「ハイハイ」

ひとつ大きく欠伸をして、頭を掻いて立ち上がった。

これはこれで幸せなんスけどねぇ、なんて、きっと口にしたら怒られるだろうことを思いながら。