散歩道A
「うーん……」
日曜の午後、私は人がごった返すデパートにいた。デパートの催事場をうろうろしながら唸る。
バレンタインデーが来週に迫った催事場には色とりどりの商品が並び、人だかりができている。
集まった女性客たちが目をきらきらさせながら楽しげに商品を見ていく中、私はどこか気後れしながら控えめに品物を眺めていた。
女性の少ない職場だからこそ、同僚の男性たちにバレンタインを配るのは何となく風習になっているようなところがある。
それは別に、私としても日頃の感謝を伝えられる機会なので寧ろ良いと思っているけれど、問題はプライベートだ。
杉元さんに渡すのに、白石さんに無いとかはダメだと思うんだよね。
そう自分に言い聞かせて白石さんへ贈る物を探し出してから、早2時間。
同僚たちへ配る物はとっくに買ったが、白石さんへ贈る物が中々決まらない。
贈り物はその人との関係性や、距離感で随分内容に変化が出るものだ。
白石さんとの関係性も距離感もよく分からない。
「どうしよう……」
「あの、落としましたよ」
宛てもなく溢れた呟きに呼応するように、背後から女性の声がかかった。
「あ、わ!ありがとうございま……す……」
慌てて振り返って息を呑んでしまった。
驚く程に綺麗な人だった。
頭のてっぺんから指先まで輝いているように見える。
その美しい手に、私の使い古したマフラーが握られているのを見てハッと我に返った。
暑くて脱いだマフラーを悩んでいる間に落としたのに気がついていなかったようだ。
「す、すいません……!」
「いえ、大切なマフラー無くさなくて良かったですね」
私が暫く呆けていたせいでできた変な間も特に気にせずに、その女性はにこりと控えめに微笑んだ。
そのどこか憂いのある儚げな微笑みがまた彼女の美しさを倍増させる。
そっと差し出されたマフラーを受け取る時に、とても良い香りがした。本当に同じ女性かと疑いたくなる。
「好きな人への贈り物ですか?」
「へ?」
マフラーを受け取ったら終わると思っていたコミュニケーションが思いがけず続いて固まる。
「あ、不躾にごめんなさい。すごく真剣そうに悩んでらっしゃったから……」
申し訳なさそうにそう言って、その女性は髪を片耳にかけた。
「あ、いえ!あの!お気になさらず!えぇっと……好きな人?なのかな……でも、はい、贈り物です」
慌てて返した私に、やっぱり、と彼女が嬉しそうに笑う。やっと少しずつ目が慣れてきた。
「1時間前に寄った時も悩んでいたように見えて、そんなに真剣に悩んでもらえるお相手の方は幸せな方ねと思ったんですよ」
「そ、そうでしょうか……だけど何を選んだらいいか分からなくて、迷ってしまって」
見られていたことは恥ずかしいが、不思議と話をするのに緊張感がない。
「そう……実は私も同じなの」
「え?」
困ったように笑った彼女を見る。
「バレンタインにプレゼントしたい人がいるのだけど、迷ってしまって。デパートの中をうろうろして、またここに戻って来てしまったんです。だからかな、勝手な仲間意識でつい声をかけてしまいました」
こんなに綺麗な人でもそんな相手がいるのかと目を見張る。それこそ、相手の男性はとんだ果報者だ。
彼女の美しく均衡のとれた唇が弧を描くと、口元の黒子がきゅっと上がった。
「もし良かったら、プレゼント選びご一緒しませんか?」
「えぇ?!寧ろ逆に良いんですか……?」
「こちらの無遠慮な申し出ですが……ご一緒できたら私としてはとても嬉しいのですけど」
目の前の綺麗な女性の丁寧なお誘いに心が躍る。
ひとりで選ぶよりもずっと良いに決まっている。正直有難い。
「是非!お願いします!」
「ふふ……じゃあ行きましょうか?」
嬉しそうなその女性についていくと、やっぱり素敵な香りがした。
▽
1時間後彼女の案内で、デパートの中、足を踏み入れたことのないような奥まった所にある品の良い喫茶室に私達はいた。
「本当にありがとうございました……!お陰様でプレゼントを買うことができました」
「こちらこそ、とっても楽しい時間を過ごさせてもらってありがとう」
上品なティーカップを持ってゆったりと微笑んだその人の顔を、もっと見たいと思ってしまう。
世の男性達が美しい女性へ貢物をしたくなる気持ちが分かってしまった。
彼女と一緒に選んでもらった白石さんへのプレゼントは、高級過ぎず、安過ぎない、ハンカチとキャンディがセットになった物になった。
美人は何でもできてしまうのか、プレゼント選びのセンスも良く驚くばかりだ。
「あ、もうこんな時間ね」
細い腕を持ち上げて上品な仕草で腕時計を確認すると、目線だけでウェイターさんを呼んで何事かを囁いた。
ウェイターさんは心得ているのか、かしこまりました、とお仕儀をして去っていく。
「ごめんなさいね、最後までお付き合いできずに。貴方はゆっくりして行ってね」
慌てて立ちあがろうとした私に、彼女はゆったりとした動作で立ち上がり微笑んで見せた。
「本当に素敵な時間だった。ありがとう」
そう言うと、これは私から貴方へ、と小さな紙袋を机に置く。
「そんな、頂けません……!付き合ってもらったのは私なのに」
「そんなこと言わないで、ね、貰って?」
返しかけた私の手をそっと包んで、彼女が寂しそうに笑うものだから結局受け取ってしまった。
去っていく後ろ姿を見送りながら、何者なんだろう、と思う。何だか夢のような時間だった。
美しい彼女が喫茶室の出入り口に視線を向けて、すらりと手を挙げた。
待ち人がいたのかとその先に視線を向けて、身体が強張った。
「え……」
そこに立っていたのは、いつもとはまるで雰囲気の違う白石さんだった。
上下揃いのスーツにきちんと身を包んだ彼が彼女に微笑みかけている。
眺めている間に2人は楽しそうに腕を組んで、遠ざかって行った。
鈍器で頭を殴られたような感覚がした。
何に衝撃を受けているんだろう、と自問自答する。
頭の足りない私はこんなことになるまで、白石さんへ抱いていた感情に気がつかなかったみたいだ。
悟った瞬間、失恋していた。
退店する時にウェイターさんに支払いは彼女がしてくれた、と聞いて更に惨めな気持ちになった。
それからそんな気持ちになっている自分がみっともなくて、更に落ち込む。
あんなに素敵で美しい女性に何を張り合おうとしているのだと。
「馬鹿みたい」
肩を落とした私に更に追い打ちをかけるように、帰路に着くと冷たい雨が降った。
白石さんへのプレゼントが入った紙袋はぐちゃぐちゃに濡れたけど、特に気にしなかった。
こんな気持ちはなかったことにしようと自分に言い聞かせたから。
家に帰って彼女から貰った紙袋の中身を見ると、小さな箱が収まっていた。
開けてみると宝石のように美しい造形のチョコレートが並んでいて、中でも特に目を引くシルバーのチョコを食べてみた。
すっきりとした甘みとハーブのような清涼感のある上品な後味が残る。
それで何だかすっきしてしまった。
別れた後もこんなに素敵な余韻を残すような女性が側にいる白石さんは、私のような味噌っ滓がいなくなっても何も思わないだろう。
ちょうど良かったのかもしれない。
そんなことを思う。
これで4月から何も思い残すことなく新生活を始めることができる。
諦めるのは昔から得意なのだ。
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