散歩道C
「ちょ、ちょっと、あの、白石さん」
「どうして連絡くれなかったの?」
お店を出てから、私の手を引いて見慣れた街を無言で歩き続ける白石さんにやっと声を掛けると、聞いたことがないような硬い声が返ってきた。
それでも足は止まらず進んでいく。見覚えのある道だ。この道は。
「……連絡、しても良かったんですか?」
「はぁ?」
ぱっと離された手が宙に浮いて、振り返った白石さんと目が合う。
涙でぐじゃぐじゃに歪んだ視界でも、白石さんの顔だけはちゃんと見える。
「……もぉ〜……どうして、名前ちゃんが泣くのさ?」
諦めたような、呆れたような、困ったような、そのどれとも分からないような顔で笑った白石さんが、服の袖で私の目元を拭ってくれた。それから、にっと笑う。
「おねーさん、俺とそこで遊ばない?」
出会った時と同じに戯けた彼が指差した先には、いつもの公園があった。
▽
「もうあの時は藁にもすがる思いでしたよ」
「あの時の名前ちゃん、泣きそうっていうか、ほぼ泣いてたもんねぇ」
二人分のブランコの音が、きぃきぃと緩やかに繋がっていく。
他愛ない思い出話、ずっと前からあったような気の置けない雰囲気。愛おしいと、ずっと私が思っていたものだ。
まだ寒い春先の夜、白石さんが白い息を吐いた。
「あんまり可哀想で、つい声かけちゃったんだよなぁ」
「方向音痴なくせに配達員なんかやってしまって……本当に、その節は大変お世話になしました」
情けさなさも相まって深々と頭を下げると、そのお陰でナマエちゃんに会えたんだよ、と白石さんが笑った。
不意にそんなことを言うので、私の心音はどんどん早くなっていく。
「最初はさ、お、可愛い子はっけぇ〜ん、くらいの気持ちでいたんだけど」
白石さんがゆったりと足を伸ばす。
「段々、力になりたいとか思うようになって、頼られることが嬉しくて、気がついたら名前ちゃんのことばっかり考えるようになってた」
じゃり、と白石さんがブランコを止めて、自分の手を見つめた。
「ただ側にいられればいいって、俺に向かって笑ってくれて、困った時に泣きついてくれる相手が俺だったらって、そんな風に思ったんだけどさ。そんな人初めてだったから、どうしたらいいか分からなくなって空回りしちゃったよ」
色々ごめんね、と白石さんが緩く笑って私を見て、それから、うんと背伸びをした。白石さんのいつもの癖。
「よし!告白終わり〜!ご清聴ありがとうだぜ〜ってなんつって、あはははぁ」
勢いをつけてブランコから白石さんが飛び降りた。
真剣に話してくれた白石さんのことを、私はまだ疑ったまま、勝手に諦めてしまうのか。
ー何か言いたいことがあるんじゃないの?
杉元さんの言葉が過ぎる。
今言わないと、私。
「あの、白石さんはその、彼女さんがいらっしゃるのではないですか?」
「へ?」
勢いよく出した私の言葉に、白石さんがきょとんとして私たちの間の時間が止まった。
*
「え“、名前ちゃんあの時あそこにいたの?!」
しかもあの人と?!と、驚いて咽せながら白石さんが涙目になった目を見開いた。
私はこくりと頷く。
先日のデパートで見た二人について思い切って話したら、今、こんな反応が返ってきて私は困惑している。
「え、まって……いやいやいや!ないない、マジでない!そんなおっかない……いや、とにかく無い、断じて無い!」
きちんとしたジャケットで彼女を迎えて、腕を組んでエスコートして行った所を目撃してしまったのだ。そんな風に否定されても納得など出来よう筈もない。
「正直、私白石さんのことが分からないんです。だって私白石さんのこと何も知らないんです。
白石さんは、その、私を好きだと言ってくれましたけど、あの方との関係がどういうものなのかモヤモヤしてしまって、どんどん苦しくなるから、だから距離置いてたんです。連絡も、傷つきたくなくてしませんでした」
あぁ溢れる。
私は白石さんの何でもないのに、何を厚かましいことをと思うのに、止まらない。
言葉が、感情が、涙が溢れる。
「私は、白石さんと過ごす穏やかな時間が好きでした。ずっと、白石さんが側にいてくれて、一緒に笑っていられたらいいのにって、ただそれだけだった筈なのに。
私、白石さんが、誰かと一緒にいたことが嫌で、あんな比べようもないくらい素敵な人に烏滸がましく嫉妬したりなんかして、勝手に傷ついて……あぁ、なんかもう、私、馬鹿みたい、なんでこんな」
「ちょ、ちょっと、まってまって、ストップ、ストップ!」
私の前に回り込んでいた白石さんが、両手を前に待ったをかけてくる。
「なんでずがぁ、も“う〜!」
鼻水と涙で再びぐずぐずになりながら抗議の声を上げたが、白石さんは混乱したようにこめかみに手を当てた。
それからゆっくりと質問を口にしていく。
「俺とあの人が付き合ってるって勘違いしてて?」
「あ“い」
「俺の告白を信用できなくて?」
「う“ぅ……」
「つーか、名前ちゃんも俺のことやっぱ好きだったってこと?!」
「……」
バッと顔を上げた白石さんと目が合って、私はついに返事もできなくなって俯くように頷いた。
「まじか……」
少しだけ上げた視線の先で白石さんが座り込むのが見えて、抱えた頭の腕の隙間から白石さんの赤くなった目元が覗く。
「……ねぇあのさ、今名前ちゃんが持ってる不安全部無くして上げられるからさ、一旦抱きしめてもいい?」
「えぇ?う、あ……」
じっと見つめられて私は視線を右往左往させて、それからこっくりと頷いた。
それで、次の瞬間には、白石さんの腕の中にいた。
「はぁ〜……やっと捕まえた……」
「白石さ、」
「あの人は仕事で付き合いのある社長の愛人で、根っからのお嬢さんだからあぁいうエスコートは礼儀なの。だけど、やめて欲しかったらもうやらないよ。
彼女は勿論いないし、結婚歴もない。ちゃんと仕事もしてるぜ〜」
「……白石さん、仕事してたんだ」
「う、してないと思われてたのね……まぁ平日の昼間からフラフラしてりゃそう思われるか〜。
実は結構稼いでんの、俺」
抱き締めたまま私が知りたいであろうことを一生懸命説明してくれながら、くつくつと白石さんが笑って力が抜ける。
「白石さん」
「由竹」
え、と顔を上げると、すぐ上に白石さんの顔があった。蕩けるみたいな顔。
「夢の中で呼んでくれたでしょ。すげー嬉しかった」
もう一回呼んでみて、と耳元で掠れた声がする。
「よ、したけ、さん」
「はいよ。名前?」
「うぅ」
「ははは。か〜わい〜!」
それから白石さんと手を繋いで歩いた。
なんでもない街がキラキラと輝いて見えた。
これからもっと白石さんを知っていけたらいい、と悠長にそんなことを思った私だったけれど、実は白石さんが今、飛ぶ鳥を落とす勢いの実業家であることや、仰天するくらいのお金持ちであることを知って卒倒しかけることになるのだが、それはまた別のお話。
fin