1



「あぶないっ!」
「へ?」




気づいたら、視界が回転していた。
ゆっくりゆっくり身体が下に落ちていく。

撥ねられたのか。

遥か下方に見えるトラックを見て、妙に冷静な頭でそんなことを思った。
多分死ぬのだろうな、と。

あーあ。こんなことなら、もっと早くにゲーム買っとけばよかった。

先程寄った中古品店の袋を握りしめながら、くるくると落ちていく。
何とも間の抜けた後悔と共に、視界が暗転していった。



.
.
.



いやいや。心残りはゲームだけじゃないよ。
暗闇の中、私は漂う意識の中でぼんやり考える。

生まれつき病弱で心臓の疾患があった私は病院の中にある院内学級に行っていて、小、中学校と思いっきり友達と遊べたことがない。体育もなし、自然教室も修学旅行も勿論ない。せいぜい、院内の先生や看護師さんたちがやってくれるイベントの時のつまらない催しだけだ。
高校は海外の病院にいた。数年のうちの医療の進歩により、私の病気は海外でなら根治できるものになったからだ。ただ治療に3年かかると言われた。
3年間の海外生活の中で日本の高校の単位を独学と動画学習でとり、帰国後に高校認定資格の試験を受けた。
海外生活があったおかげで英語が喋れるというアドバンテージもあり、私は英語学科のある大学に入学することができた。
やっと私の青春が始まると思った。
いや実際、大学は楽しかった。色んなことが初めてで、彼氏も友達もそれなりにできた。
けれど、大学の友達と私には圧倒的な思い出の差があった。
それはもう埋めようの無いものだった。
そんな薄ら寂しい思いを抱えたまま卒業して、就職した先はホテルマン。これだって、旅行という経験が少ない私が、色んな人の思い出作りをお手伝いしたいと思ったからだ。
そんな思いと英会話のスキルを買われて、2年目でコンシェルジュになることができ、今年で4年目の26歳を迎えられた。
順風満帆、とまではいかない心残りのある人生だけれど、いやいやこれから私の人生を彩り豊にしていけばいいじゃない、なんて思っていた矢先にこれだ。
両親には愛されていた。それはそれはもう溺愛で、治療や入院の度にどれだけ心配とお金を掛けさせたか。
だからこそ、申し訳なく思う。こんな形でお別れとは。

そうだ私の心残りは、当たり前の学生生活。
普通に学生やって、普通に大人になりたかった。
両親にも心配をかけずに、友達がいて、好きな人がいて、学校があって…。
これが走馬灯というやつなのだろうか。
いや、多分思い出せる思い出が少なくて、ただ後悔が巡ってるだけだ。
ああなんだか眠い。酷く眠い。
深く深く泥に落ち込むように、睡魔が私を沈めていく。

『あまりに不憫。その願い、叶えてやろう。
この世界では無理だが…そうだ、これで良い…』

頭に響く声が遠のいていく。
無理だ。もう、眠たい。



.
.
.




〜♩

ふざけた音楽が鳴っている。
なにこれ。天国のBGMってこんなのなの?と眉を顰めた。
勘弁してよ、頼むから眠らせて……。

「もー!いい加減起きなさい!
何回アラーム鳴らすの?!」
「うわぁ?!」
聞きなれた人の怒鳴り声で飛び起きた。母親の声だ。
いや、母親はこんな風に私を起こしたことがない。驚きついでに心臓が止まると困ると、心底心配していてくれたから。
「な、なに……誰……」
状況を察知できないままあたふたと起き上がって、鳴り続けているスマホのアラームをなんとか切る。それから、ぼやけた目で周囲を見渡した。
「え……」
そこに広がっていたのは、私の部屋だった。
いや正確には、中学時代までの私の部屋。
「な…えっ…まって何これ、懐かし〜…」
勉強机に置いてあったお気に入りの筆記用具にそっと手を伸ばす。
海外へ出ることになった時、全て処分して出たから帰国後何も私の手元に残っていなかったのだ。家も何もかも売り払った両親は全てを手放したことを願掛けの意味もあったのだと語っていたが、今思い返せば恐らくお金の工面もあったのではないかと思う。そんなことを思い出すと、じんわりと涙が浮かんだ。
ふと横に視線を移すと、姿見が目に入った。それで、涙も引っ込んだ。
「えええええええ!?!?」
足を縺れさせながら鏡に突っ込まんばかりに走り寄って縁を掴む。そしてまじまじとそこに映る顔を見た。
私だ。
いや、私なのだが、これは。
「子供……?」
そこに写っていたのは、まだあどけない顔を歪めて困惑している、恐らく中学生頃の私だった。
「ねぇ、ちょっといつまで……なにやってんの、あんたは」
不躾に部屋に入ってきた人物を見ると、それはやっぱり母親だった。ただ私の記憶の中の、いつも気遣うような目線はそこにはなくて、訝しげに眉をひそめた記憶よりも溌剌とした雰囲気の母親がいた。
「お、おがぁざん……」
溢れ出る涙を止められ筈もなく、母の胸に抱きついた。ああやっぱり、お母さんの匂いだ。
「ちょ……どうしたの?怖い夢でも見た?」
困惑したような声と共に、優しい手が背を撫でてくれる。
これは死ぬ前に見る都合の良い夢なのだろうか。
「ほら。今日は入学式なんだから、ぴっとして。
夢のはば学生活が始まるんでしょう?」
母親の言葉に、ぴしり、と身体が固まる。
「は……はば学?」
「はばたき学園よ。苦労して合格したんじゃない。
ほら制服来て、降りておいで。朝ごはん食べよう」
何言ってるの、と言いたげな視線を送られて、クローゼットに視線を送ると見覚えのある制服が掛かっていた。
青いブレザーに赤地にピンクのストライプが入ったリボン、グレーのスカート、そして白い羽根を広げたようなモチーフの紋章。
「嘘……」
どうやら私は、高校生1年目の記念すべき第1日目を迎えようとしてるらしい。
しかも、死ぬ前に握りしめていたゲームの世界に登場する名門高校が、その行く先のようだ。



.
.
.



「スマホ、はちゃんと機能してる」
地図アプリを立ち上げて、"はばたき学園"と入力してみると赤いピンが立つ。
この世界に文明の利器であるスマホがあって本当に助かった。
入学式だから親と一緒に登校するのだろうと油断していたら、親は式が始まる時に来校、生徒は先に来て待機してそれから教室に入るらしいと、リビングの机にあった入学式の日の流れが書かれたレジュメで知り、慌てて学園の住所を調べて出てきた次第だ。

朝食に降りるまでに混乱する頭をなんとか落ち着けて、ぎこちなく制服に着替えて、鏡で顔を確認した。
泣き腫らした目が膨らんで見るに堪えない。
引き出しを漁ってメイク道具を探すが、そんなもの中学時代までの私が持っているはずもない。
いや、まて、ノーメイクで外に出るってこと?!
社会人でホテルマンの自分からしたら、到底考えられないし、耐えられない。
今日は下を向いて我慢するとして、絶対帰りに一揃えメイク道具を買って帰ろうと決意する。
なんとか前髪を押さえつけて顔を隠す試みをした後に、2階の階段をそっと降りた。
リビングから両親の会話が聞こえてきて、そっと聞き耳を立てる。
「……あの子様子がおかしかった」
「そりゃあ、中学まで病院の院内学級にいたんだ。
あの子が頑張ったから、病気も治ったし、これから青春を謳歌すると思うと、感極まることもあるんじゃないか?」
「だといいんだけど……」
なんということだ!どうやら私の病気は中学卒業までに完治しているという、やはり私にとって都合の良い世界のようだ。神様ありがとう。考えても仕方がないので、元いた世界のことは頭から締め出すことにした。
「おっはよ〜!いい天気だねぇ、入学式日和!」
少々態とらしいくらいの元気を振り回してリビングに入っていけば目を丸くした両親が私を見たが、ご飯食べなさいと優しく促す母と、おはようと微笑む父に戻って行った。
ふわふわとした幸せな光景に、涙を堪えながら食べる朝食はこれまでのどんな朝食よりも美味しかった。



.
.
.




学校に向けてバスに揺られながらスマホを操作して、この世界のことを調べてみる。やっぱりここは懐かしいゲームの世界のようだった。
海外の病院で到底青春とはいえないような高校時代を過ごした私に、唯一青春気分を味あわせてくれたのがこのゲームだ。恋愛シュミレーションゲームだが、軸が恋愛というだけで高校生活の醍醐味が全て詰まっている良作品だった。高校生活を送れない私に、両親がプレゼントしてくれたものだ。
元の世界でトラックに轢かれる前に握りしめていたのもこのゲームで、中古品店で安くなっているのを見つけて懐かしさで思わずゲーム機と一緒に購入してしまった。
丁度10年前にこのゲームをプレイした時には本当に毎日ワクワクしながらプレイして、好きな人ができれば嬉しくて苦しい日々にも張り合いを持てたものだ。大学生になり、社会人になり、現実の世界が忙しくなるにつれて、いつの間にかこのゲームから遠ざかってしまった。それで久しぶりに見かけて、またやってみたくなったのだ。10代の私の感覚と20代半ばになった私では、きっと推しキャラも変わるんだろうな、なんてワクワクしながら帰る道すがら事故に遭ってここに飛ばされた。
人は死んだら魂がこんなふうに別の世界に飛ばされてしまうのかな。
窓の外を過ぎ去っていく景色を見ながらぼんやりとそんなことを思っていると、はばたき学園の最寄りバス停っを告げるアナウンスが車内に流れて、慌てて停車ボタンを押した。

入学式は大勢の生徒と先生、保護者が参加していて、すごい!これが入学式、と密かに興奮して辺りをきょろきょろと見回してしまった。落ち着きない私を見かねて、氷室教頭先生(よく名前覚えてたな私)が近寄ってきて咳払いをしてきた時にはまるで間近で芸能人を見たような気分だったがすぐに見慣れた。目立たないようにそっと視線を彷徨わせれば、一段と目立つ桜色の髪が目に飛び込んできた。
ま、マリィだ……!!!
叫び出しそうになるのを必死で堪えて俯く。感動すぎる。貴方の恋を何度私は応援してきたことか。
駄目だ、今日はこうしていよう。でないといつ奇声を発してしまうか分からない。ノーメイクの顔も見られたくないから丁度いい。
「……我々教職員も、諸君を教え導くことに誇りを持ち、精一杯努力する所存だー」
考えに耽っていたら氷室先生がいつの間にか壇上で挨拶を終えようとしている。
マリィは可愛らしい顔で真剣に先生の話に耳を傾けていた。そりゃ、みちるちゃんもひかるちゃんもこの子に目をつけるわけだよ、と心の中で簡単の息を吐いてこっそりその顔を盗み見る。やばい全然見慣れない。

これからのことを考えると、ふわふわし出す頭を纏めるのに苦労する。
マリィが存在しているということは、私はモブ生徒なのだ。いや、頭が桜色じゃなかった時点でそうかなとは思っていたけれども。ともあれモブということは、恋愛はできなくてもその他の部分で私はストーリーに縛られず自由に行動できるチート性を兼ね備えている。例え何かの役を与えられていても、定期的にどこかのタイミングで同じ台詞を言うといったところだろう。ノープロブレム!問題なし!
何からしようか。いや、まず今日はメイク用品を放課後に買いに出かけるところから始めよう。それから、クラブにも入りたい。いやいっそ立ち上げるか?心ゆくまで趣味ができる良い機会じゃないか。ホテルマンをしながら私がどハマりしていたお茶のことを思い出す。茶道ではなく、茶葉そのものにハマっていた。
私が厳選したお茶がホテルのウェルカムドリンクに採用された時は本当に嬉しかったっけ。海外からのお客様に大変好評だった。社会人をしながらゆっくりお茶に向き合う時間なんて取れようもなかったから、この機会に是非その時間を取りたい。クラブ活動にすれば部費が出るのだろうか。
「うふふ……」
思わず漏れ出た笑いに隣の女の子が怪訝な顔をして、慌てて咳払いで誤魔化す。
いかんいかん。
油断すれば緩んでしまう口元を両手で押さえて、なんとか私は式を乗り切った。