モノクロームの思い出に(1/3)
液晶に表示された懐かしい名前を見て、出るかどうか一瞬迷う。
『おう、久しぶり』
「…なに?」
結局何となく無視しきれなくて電話に出る。
随分と久しぶりに聞く声が、携帯から聞こえてきた。
石垣くんは数年に1度、思い出したように連絡してくる。
『元気してるか?』
「おん」
『ちゃんと飯食っとる?』
「なんの心配やねん、キモい」
『相変わらずやなぁ、御堂筋』
「…嫌味言うために電話してきたん?」
高校ン時から成長しとらんとでも言いたいんか、と吹っかけると、すまんすまん、と返ってきて、電話の向こうで苦笑いをしている顔が目に浮かぶ。
『お前、今日本におるんやろ?』
「こっちのチームに移ったからね。
というか、もう海外のチームで走ることはないかもしれへん」
『そうか』
少し考えるような間が電話越しに流れる。
ロードレーサーの現役は短い。
30過ぎてからこっち、いつ最後のレースになるかも分からんと覚悟を決めて毎回走っている。
今まで海外のチームに籍を置いていたが、引退後のことも考えてそろそろ日本に戻ろうかと思っていたところに、これまた高校時代からの腐れ縁の坂道から声がかかった。
"また一緒に走れるなんて、嬉しいね!"
童顔でとても同学年とは思えない、嬉しそうな笑顔を思い出す。
坂道の相変わらずペース配分を無視した馬鹿みたいな登りの練習に付き合わされることに閉口することも多いが、最後のチームとしてはまぁ悪くないかもな、と案外穏やかだ。
「ほんで?なんか用あったんちゃうん」
『あぁ、せやせや』
今度な、また皆で集まろいう話になっててんけど、お前来ぉへん?
のんびりとそんなことを言う石垣くんに、まだそんな集まりをやっていたのかと呆れ果ててため息が出る。
石垣くんたちの代が卒業して、5年に1度くらいの頻度で自転車部のメンバーの集まりがあっていると聞いたことがあるが、勿論、1度も参加したことはない。
石垣くんも気を使ってか、こんな風に直接的に誘ってくることはなかった。
「電話かける相手間違えてへん?」
なんで行かないと分かりきっている人間にかけてくるんだという非難を込めて言うと、まぁ最後まで聞け、と返ってくる。
『久しぶりに苗字も顔出す言うてたから、お前にも声掛けとこ思たんよ』
「…なんやのそれ」
どうせお前のことやから連絡してへんのやろ。
呆れたような石垣くんの声に、見透かされたようで居心地が悪い。
昔からこの男の変に勘のいい所は少し苦手だ。
苗字さん。
久しぶりにその響きを思い出す。
高校の頃はよく口にしていた名前。
今や彼女はプロのライター。
一部に熱心なファンもいるという。
何となく彼女のコラムを見つけて読んでみたり、彼女自身がインタビューを受けている記事を見つけて、その写真をみてすっかり大人になった彼女に面食らったりしているうちに、遠く感じてしまって連絡する気になれなかった。
大体連絡先にしたって、突然石垣くんからそろそろ連絡してやれ、とメッセージ付きで送り付けられてきたものだ。
10年以上会っていない女性にどう切り出して連絡すればいいのか分からないし、向こうだって迷惑だろうと思い放置していた。
それでも、少なからず彼女のことは頭の片隅にあって、スポンサー絡みで入ってきた普段は受けないようなモデルの真似事のような仕事も、彼女のコラムが連載されている雑誌ということで思わず引き受けたりしたこともあった。
もしかして、何かの拍子で偶然繋がるなんてことも…なんてそんな淡い期待はあっさり破られて、出来上がった自分の特集記事をしげしげと眺めたことを思い出す。
おまけにその号の彼女のコラムは新進気鋭のアーティストを紹介したもので、彼女の洗練された言葉がそのアーティストを評価しているのを読んで、なんだか自分の行いが馬鹿馬鹿しくなってしまった。
『とにかく、何もないんやったら顔出してや。
場所は後でメールするから、見といてな』
言うだけ言うて…。
プツリと切れてしまった電話に舌打ちすると、すぐにメールが送られてくる。
「地元でやるんかい」
ボソッと呟いてちょうど1ヶ月後の予定を携帯で確認すると、なんの偶然かたまたま3日続けての完全オフ。
丁度、墓参りも兼ねて1度戻ろうと思っていたから、タイミング的にも悪くないのかもしれない。
その日、懐かしい夢を見た。
高校生の自分。
触れたくても触れてはいけないと、いつも自制していたあの感覚。
精一杯、背伸びをした約束。
"狡いよ…"
ほんのりと頬を染めた、彼女の表情。
縛りたくないと思っていた。
やりたいことをやって、自由にいてほしいとそう願った。
自分の夢に彼女を付き合わせるなんて、そんな傲慢なことはできないと。
だけど、それはきっと、建前だったのだと今は思う。
不器用でいつでも折れそうな程追い込んでいたあの頃に、自分以外の何かを抱える余裕などなかった。
それなのに、繋ぎ止めたいと心から思ってしまった。
高校時代のボク。
痛々しい程に真っ直ぐで、いつも目の前のことしか見えなかったキミが唯一遠い未来に向かってしたあの約束は、今も繋がっているんだろうか。