プラマイ0(2/2)


イルミネーションで縁取られた街中を、駅へ向かってただ歩く。
ふと横を向くとショーウィンドウに映った自分の姿が目に入った。

ひどい顔。

自嘲気味に笑って再び歩き出したところで、気が付かないうちに目の前にいた男の人にぶつかって跳ね返される。

わ、転ぶ…!

酷いことになる予想をするが、相手が掴んでくれた腕と何とか踏み留まれた自分の足のお陰で転ばずに済んだ。

「ご、ごめんなさ」
「名前…?」

吐きかけた安堵の息とともに出した謝罪の言葉を吸い込む。

私の名を呼ぶ声。
何度も何度も反芻した、幸せな記憶と同じ。
これは悪い夢か。

まだ掴まれたままの腕を振りほどいて、ゆっくり視線を上げる。

「やっぱり」

名前だ、そう言って困ったように笑うその表情は、あの日のままで。
ひどく懐かしくて、やっぱり現実感がなくて。

なんだか、ここで待ち合わせをしていたような錯覚を覚えてしまう。

「…少し痩せた?」
「…どう、かな…」

気まずい会話が、それは錯覚であることをはっきりと認識させる。

「名前、俺、」
「ごめん、お待たせ…って…」

意を決したように口を開いた彼の言葉が、弾んだ高い声に遮られた。

細い指がキュッと彼の袖をつかんで、その指にはさり気なく指輪が光る。
ふわふわに巻かれた髪が風に揺れて、イルミネーションの光の中でキラキラと光る瞳がじっとこちらを見ている。
あの女だ。
かつて親友だと思っていた。

あぁ、なんで。

残酷な状況の中でも、冷静な自分の思考に疑問を抱くとともに、どんな言葉を言えばこの場を逃れられるのか算段を立てている自分に、心の底から失望する。
もっとちゃんと、どうして、いつも言葉にできないんだろう。

ぎゅっと唇を噛んで、鳴り出した耳鳴りを聞く。

「ごめん、私、行かなきゃ」

やっと作った笑顔と、何とか絞り出した声が震える。

逃げなきゃ。

自分の声を遠くで聞きながら一歩後退った、その時だった。


「苗字」


背後から掛けられた声と共に、腕を引っ張られて視界が遮られた。
イルミネーションの眩しい光を受けて、見覚えのあるスタイルの良いシルエットが浮かび上がった。

「荒北くん…?荒木くんじゃん!」

この期に及んで、きゃあ、とテンションをあげる彼女の声が耳に響く。
そうだった。
元々彼女は、荒北のことが好きだった。
だからこそ、私は安心して、彼女を彼に紹介したんだ。

話しかける彼女には反応せず、荒北が淡々と言葉を紡ぐ。

「コイツになんか用ォ?」

あからさまに不機嫌な声と背中越しにも伝わるビリビリとした怒気が痛い。

「いや、偶然会って、」
「ハ!」

彼の弱々しい声が、荒北の鋭い口調に遮られる。

「懐かしくてつい声かけちゃいましたってかァ?」

ふざけんな、と言ったその声に嘲笑が混ざる。

「大事なモン蔑ろにして、ンなくだらねェ女とりやがって。その女はなァ、」
「荒北」

もう、これ以上やめてと、願いを込めて荒北のコートをぎゅうっと掴む。
背中越しに私に目線をやった荒北と目が合った。
呆れたように一つため息を吐くと、コートを掴む私の手を荒北が後ろ手で包んだ。

「そのロクでもねェ女連れて、さっさと消えろ。クソが」

静かに威嚇する荒北の声に、行こう、と彼が言い、2人が横を通り過ぎていくのを雰囲気だけで感じ取る。
私は黙って下を向いているだけで、その姿を見ることもできなかったから。

どのくらいその場にそうしていただろう。
いつの間にか世界から隠されるように道の端に移動して、荒北の背中の後ろで固まっていた。
少し落ち着いてきて、包まれていた手の中から自分の手を抜き取る。

「あ、あら「ッたく、てめーは!」

恐る恐る声を掛ける私の言葉を遮って、くるりと振り向いた荒北が歯茎をむき出しにして頭上にチョップを見舞ってきた。

「痛い!」
「っせ!」
「なに、急に!バカ!」
「バカはてめーだ、バァカ!」
「はぁ?!」

喧嘩腰が引くに引けなくなった私の腕を、オラ行くぞォ、と強引に荒北が引っ張った。

「見てらんねェんだヨ、てめーは」

ボロボロにされやがって、と悪態を吐きながらズンズンと歩いていく歩幅になんとかついて行きながら、されるがままにしているのは抵抗する余力がないからだ。
あの日から久々に溢れてくる涙が後から後から出てきて、視界が歪んで、それを拭うのに精一杯で。

そんな私をチラッと見て、てっきり、泣くな!、とでも言うかと思えば、ひでェ顔、と笑った後、泣け泣け!と立ち止まりもせずに荒北が言うものだから、いよいよ止まらなくなってしまう。
綺羅びやかなイルミネーションの中、ボロボロと涙を流す女の手を引いて歩く男なんて怪しいことこのうえないに違いない。

「っしゃあ!飲み行くぞ、オラァ!」

そんなことは気にしないとばかりに、明るい声を出す荒北の声を聞きながら、なんとか頷いて震える声で、おう!、と言ってみれば、荒北がくしゃくしゃと笑った。



いつかこのみっともない状況が、キラキラした思い出に変わる日がくるんだろうか。
そんな日はとても想像できないけれど、少なくとも、涙で歪んだ世界で見たイルミネーションは、今まで見たどんな光よりも綺麗に見えた。


fin
表紙へ戻る