ダンスの隙間で(4/4)


「ふむぅ、むおいもぉ」
「食ってから喋れヨ」

ペシッと苗字のデコを叩くと、ふひゃい!と批判がましい視線が飛んでくる。
結局俺の焼きそばパンは苗字に取られてしまった。

ま、でもいいかァ。

隣で美味そうにパンを頬張る苗字を見て、思わず笑ってしまう。

昨日、苗字の動画を見た後に色々考えて俺が出した答え。
それはこの時間、この空気感を苗字が必要としている間は守ることだった。

正直あんなすげぇことやってのける奴の隣にいるのは気が引ける。
それでも、自惚れかもしれないが、何故か彼女に必要とされているように感じて。
苗字が俺にダンスの話をしなかったのは、それ以外のところで俺が必要だったからだろうと、そう判断した。
だから、俺は苗字を特別な奴として見ない。
そう決めた。

「聞かないの?」
「あ?」
「見てたんでしょ、さっきのやりとり」

親指をぺろりと舐めて、ゴミをくしゃりと片手で潰しながら苗字が言う。

ふとした瞬間。
本当に何でもない瞬間に、コイツの本性が見えることがある。
ビリッと空気が震えるプレッシャー。
多分、つかの間素に戻った瞬間だ。
レースでプレッシャー慣れしてる俺でも、グッとくる程の圧。

「ァに、聞いてほしいワケ?」
「んー。荒北くんになら話してもいいかなって思ってる」

ヘラッと笑ったその表情は、俺が知るいつもの苗字だ。
上手く隠している。
彼女なりの処世術なのだろう。

「ハッ…話してェなら勝手に話せばァ」

実際俺は何でもいいんだ。
コイツがしたいことを、したいようにできれば、それで。

…って…俺は俺で、アシストが板につきすぎだろ。

自然と湧いた思考に苦笑する。

「ありがとね、荒北くん」

そう言って、苗字は空を仰いで長い脚を投げ出した。

「私さぁ留学するの」

苗字の言葉に俺は目を見開く。


日本代表の強化選手として留学の話があがってきたのは1年前の話だという。
国内の大会で優勝を重ねてきて、誰もが認める実力を積んできた。
弟と2人で。

「あの子をこの世界に引きずり込んだのは私なんだけどさ」

ポツリと彼女の呟きが零れる。

女は男のリードの中での表現が全て。
それは裏を返せばリードによって、女であるフォローが生きもすれば死にもするということ。
その実力は常に拮抗している必要がある。
その均衡が崩れる時、それは。

「ペアが終わる時なんだ」

私たちってもう随分前から限界がきてたんだよね、そう悲しそうに苗字が笑う。

競技ダンスをはじめた姉を追って、弟もその世界に入ったのだという。
随分厳しい要求もしてきたが、弟は必死でついてきた。

が、能力の差は残酷だ。
弟の頑張りは姉の才能には届かなかった。

「あの子に才能が無いわけじゃない。
でも、私といてもただ私の傍で潰れていくだけだから」

だから置いていくの。

苗字の呟きが痛々しく響いた。

何度目かの衝突の末、売り言葉に買い言葉だったのだと、自嘲するように彼女は笑った。
どうしても、ペアとして自分もついていくという弟に、本来弟がこなすべきダンスをポジションを交代して完璧に踊って見せたのだという。
プライドを完全に折るために。

キッツ。

正直、弟の心情を考えると厳しいものがある。
必死でやってきたものを、いとも簡単に、むしろそれ以上のことをやられたんじゃ立つ瀬がない。

でも、誰よりも。

「傷ついてンのは、お前の方なんじゃねェの」

しまった、つい。

言ってしまってから焦る。
パシッと口元を手のひらで覆うが、出してしまった言葉は戻っては来ない。

「…ばか」
「あァ?!」

突然投げかけられた悪口に目を剥いて苗字を見て、やっぱり後悔する。

オイオイオイ――。

「バァカはおめェだろ」

ボロボロと大粒の涙を落とす苗字に、俺は心にもない悪態を吐いた。
小さな頭に手を当てると直に震えが伝わってくる。

「なんでもっと早く頼ってこないワケェ?」

バァカ!ともう一度大きな声で言えば、うるひゃい、とグズグズな苗字の声が返ってきた。

この俺が少し怯むくらいのプレッシャーを飛ばせるくせに、こうやって素直に泣いたり、笑ったりするコイツを正直俺はわからない。
でも、それでいいんだろうと思う。
分からないから分かりたいと思える存在が目の前にいる。
それって実はすごいことなんじゃないかって、密かに思ってる。






苗字はあっという間に行ってしまった。
学校は休学。
弟は残った。
ダンスはやめずに続けているというから、正直、偉いと思う。


“あの子のこと、お願い”
“ハァ?!なんで俺が”
“荒北くんが頼れって言ったんじゃん”
“だっ…それは…”

いつもの屋上でぼーっと高い空を見上げながら、この場所で最後に彼女した会話を思い出す。
悪戯っぽく笑う苗字の顔を思い出しては、俺はアイツといた記憶を反芻する。


「荒北さん」
「ァんだよ」
「荒北さんと姉ちゃんって付き合ってたってホント?」

唐突な質問にブファッ!とベプシを吐き出すと、きったな!と苗字弟が避ける。

無理やり苗字に弟を押し付けられて、結局断れずに俺はお目付け役をすることになってしまった。
この屋上は、今は俺とコイツの溜まり場になっている。

「ナンだよ、その突拍子もねェ話はァ!」

咽ながら汚れた口元を拭うと、汚いものを見るような顔で苗字弟がそそくさと俺との間に距離を置く。

「その感じじゃ、荒北さん何も言わず行かせちゃったんだ、姉ちゃんのこと」

へったれーと口元を制服の袖で隠して、馬鹿にしたようにこちらを見てくる整った顔を睨んだ。
あの子をあんなふうにしたのは私だから…と呟いていた苗字の言葉を思い出す。
あんなふうに、がどんなふうかっていうのを俺は随分勘違いしていた。
てっきりエリート気質でプライドの高いお利口ちゃんかと思っていたが。

「知らないよー?
ダンスのペアがプライベートのパートナーになるなんてザラなんだからさぁ」

あっちでいい人見つけっちゃったりして、と楽しそうにクスクス笑っている様子を見てため息を吐く。

まぁ、捻くれてやがる。

なにをどんなふうに接してきたら、こんなに嫌な感じに捻くれるのかと言いたくなるほどに。

「お前、友達いねェだろ」
「いないんじゃないよ、作らないんだよ」

つまらなそうな表情で両手で持ったサンドイッチを口元に持っていく表情を見て、俺は苦笑する。
苗字が俺に弟を任せていった意味。
なんとなく分かってきた気がする。
似てるんだ、アイツとまだ出会ったばっかりの頃の俺と。
でも、コイツには俺がいるし、何よりダンスという夢中になれるものが残っている。

「腐ンなよ」
「はぁ?なに急に」
「べつにィ」

なんでもねー、と言って伸びをすると気持ちの良い風が吹き抜けていった。

アイツが好きなように飛び出していける為に、俺ができることならやってやる。
先のことは誰にも分からない。
ただ今は大事なヤツが心から望むことを自由にやれる手助けができるなら、それでいい。
心残りは俺が引き受けてやる。
気持ちを伝えなかったことを後悔してはいない。
今のアイツにそれは必要のないことだと俺が判断した。
それだけのことだ。


「姉ちゃんは、荒北さんのこと好きだったよ、多分」
「…ンなこと、言われなくても分かってるヨ」


いちいち言葉にしてンじゃねェ、バァカ。

fin
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