あの頃の君たち(3/3)


夕日が窓から差し込んで、部室は茜色に染まっている。
今日は早帰りの日で、部員はとっくの昔にメニューを終えて帰った。
キーボードを打つ音と資料をファイルに綴じ込んでいく重たげな音だけが、ボクと苗字さんの間に流れている。

「これでよしっと」
「貸して」

彼女からファイルを受け取り、中身を確認するためぱらりと捲ったページには、綺麗にまとめられた資料と所々に苗字さんの文字でメモが書いてある。

暫く資料に目を通していると、ふと視線を感じた。
あぁこの感じ、とボクは思う。
つい最近までよく感じていたこの視線も、いつの間にか過去のものになっていた。

ー分かりやす過ぎやわ、苗字サン。

彼女から送られる視線に、ボクは気づかない振りをすることしかできない。

ボクが今、ひた隠して彼女に抱いているこの感情も、こんなことで一々狼狽えている自分自身に対して抱くもどかしさも、そのうち消えてなくなってくれるのだろうか。
だとしたら、早くそうなってほしいと思う。
大切なモノを抱えるのも、それを失うのも、もう嫌だ。

「そこのデータとって」

くだらない自分の考えを打ち消すように、ボクは事務的な声を出す。

「あ、うん」

ハッと我に返ったように苗字さんは、ボクが指差した先にある資料を取った。

「あっという間に卒業だねぇ」

ボクが言う前に、彼女は付随して必要な資料を次々にまとめては手渡しながら言う。

「そら、そやろ」

ボクの素っ気ない言葉に苗字さんは、そう言うと思った、と笑いながら言い立ち上がって伸びをした。
まとめたファイルを数冊持つと、キャビネットに丁寧に入れていく。
ボクもその後に続いて、ファイルを手渡す作業に回る。

「御堂筋くんは〇〇大やったよね」
「ん。キミィは確か、あの、何とかいう大学行く言うてたなァ」
「△△女子大ね」

△△女子といえば、中高大一貫のエスカレーター式の有名なお嬢様大学だ。
苗字さんはそこの英文学科に推薦で受かったと聞いた。
翻訳もできる物書きになりたいのだと語っていた、キラキラした目を思い出す。

「浮くやろなァ」
「失礼な」

否定はできんけど、とまた彼女は笑う。

「大人になったら、御堂筋くんも私も変わってまうんやろうねぇ」

カタンとファイルを入れた音がして、苗字さんの呟きがポツリと零れる。

「変わらへんよ、ボクゥは」

ボクも同じようにポツリと呟いて、彼女にファイルを手渡した。

「どうかなぁ」

背伸びをして上段のファイルを取ろうと伸び上がる苗字さんの上から、ファイルを取ってやる。
上を向いて小さく、ありがとう、と言った彼女を見て、ボクはわざと意地悪く笑う。

「キミィは変わらんというか、変われへんやろなァ」
「どういう意味?」
「成長せぇへんやろないう意味や」
「…10年後めちゃくちゃええ女なっとって、その言葉後悔しても知らんよ」
「よォ言わんわァ」

喉を鳴らしてボクが笑うと、不服そうに苗字さんが、それとって、と机の上にある最後のファイルを指さした。
これで終いか、とボクは心の中で呟く。

「う、わぁ」

最後に手渡したファイルは、彼女の間の抜けた声と共にその細い手から滑り落ちた。
落ちてくファイル、散らばる資料、振り返った瞬間の苗字さんの長い髪が宙を舞って、ボクはその様をフィルムで写した写真が捲れるような感覚で見ていた。

「ぎゃー最悪!」

折角まとめたのに!、と小さく叫んで慌ててしゃがみ込む彼女の髪がハラリと落ちて、白い頸が見える。

「御堂筋く、…」



気がついたら身体が勝手に動いていた。




いつもずっと、近づかないように、触れないように絶対に越えなかったその数センチが0になる。

薄いその唇や、こんなに近い距離の彼女の匂いとか、震える自分の手の感覚とか、その手で触れた頬の温もりを、ボクはきっと一生忘れないだろう。

「ベェつにィ、キミィはそのままでええんやないの」

彼女が固まっているのを良いことに、離れ側耳元で呟くとすぐに距離をとった。
声にならない声を出して固まっている苗字さんを見下ろして、ボクはクツクツと笑う。

「安心しィ。いつか迎えに行ったとき、キミが1人やったらボクが貰うたるわ」
「狡いよ…」

苗字さんの頬がほんのりと染まって、ぽつりと呟いた。
ボクの冗談めいたこんな一言にも動揺するその姿を見て、今更ボクの心拍も上がり出す。

なんて大それたことをしてしまったんだろう。

それでも、遠い未来に向かってでも、途切れない約束を投げたかった。

こんな、本心が溢れてしまうなんて。

「さっさと片付けや。帰んで」
「ちょ、待ってよ」

柄にもないことを考えてしまったことを恥じて、ボクは彼女を置いて部室を出る。
部室の外座り込んで見上げた空は、茜に濃紺が滲んでいて1日の終わりを告げていた。

「くぅだらん」

ボクは小さく吐き捨てるように言って、クシャりと前髪を握る。

いつか余裕ある大人になって、もっと自分の気持ちを持て余さずにいられるようになるのだろうか。
彼女はもっと上手く誰かに気持ちを伝えられるようになって、器用に生きられるようになるのだろうか。
大人になったボクらはー。



「あ、待っっててくれたんだ」

お待たせ。

そう言ってふわりと恥ずかしそうに微笑んだその表情を見て、ボクはため息を吐く。

「遅いわ」
「これでも急いだんやけど」



ゆっくりと立ち上がって、暮れなずむ道を並んで歩き出す。
それぞれの想いは抱えたままに。

fin
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