01
「松さん、来たよー」
「あら、名前ちゃん、お帰りなさい」
「ただいま」
鞄をパイプ椅子に置いて、レジ横にあったエプロンをつける。
甘い匂いのする店の空気を、胸いっぱいに吸い込んだ。
「名前ちゃん今日は早かったのねぇ」
「うん、今日はね、テストだったから早く終わったんだ」
「大学にも、テストってあるのねぇ」
「あるよぉ。学生だもん。でもやっと終わって、明日から夏休みだよ」
お疲れ様。
松さんは優しく微笑んで、立ち上がる。
「松さんどこ行くの?」
「今日、暑かったでしょう。寒ざらし作って冷やしといたのよ」
喋りながら台所に入っていく松さんの後を追う。
「あっ今日から寒ざらし解禁?」
「そうよ。お店にも出すけど、名前ちゃんもどうぞ」
「やったー!松さんの寒ざらし大好き!」
そう言ってもらえると、作った甲斐があったわぁ
と嬉しそうに微笑んで、私のために松さんはガラスの器を用意してくれる。
私は松さんとのこういう時間が大好きだ。
松さんは、私が小さい頃からずっと通ってる駄菓子屋さんのおばあちゃんだ。
お店が“松屋”だから、松さん。
今どき珍しく、餡蜜やかき氷みたいな、手作りおやつもだしている。
そんな手作りおやつの中でも、夏に出る松さんの寒ざらしは絶品なのだ。
寒ざらしは甘い露に氷と白玉を入れて、ひんやり食べる昔ながらのおやつ。
琥珀色の露も、白玉の白も、かき回すとカラカラとなる氷も、大好き。
高校生までは松屋のお客さんだったけど、卒業してからはお手伝いをさせてもらっている。
勿論アルバイトもしているが、そちらは夜だから昼間に松さんを手伝うことは問題ない。
松屋で過ごす時間が、私にとっては安らぎの時間だった。
賑やかな友達や、隙あらば恋愛しようとする男の子たちといるのも楽しいけど、私にとっては松さんと色んなことを話すことの方が楽しかった。
「はー!美味しい。1年ぶりの松さんの寒ざらし…」
「ふふふ。名前ちゃんって、本当に美味しそうに食べるわよねぇ」
「だって本当に美味しいんだよ」
「それはよかった」
松さんは、また柔らかく笑って、お茶をすすった。
「松さん、これどこに置く?」
「あ、それはこの段に置いてちょうだい」
「はーい」
背伸びをして、箱を棚に乗せる。
「よいっしょ…」
「あ、松さん!座ってて大丈夫だって!」
「大丈夫よぉ、名前ちゃん」
「もー。松さんが倒れたりしたら、私が困るんだからね」
はいはい、と笑いながらお菓子を運ぶ松さんに、私はため息を吐いた。
実は松さんを手伝うのには、松さんのことが心配だからという理由もある。
松さんは以前に一度倒れているのだ。
1人でお店を切り盛りしている松さんが倒れていたところを、たまたま見つけて病院に運んだのが私だった。
高校最後の年だった。
それからは時間さえあれば、松さんの様子を見がてら、手伝いにくるようにしている。
「おねーちゃん、きなこ棒1つ!」
「はいはい」
「おれ、ブタメン」
「はい、30円」
「よっしゃ!当たりぃ!はい、当たったよ!」
「はい、交換ね」
4時を過ぎると、近所の小学生たちが集まってくる。
すだれの影で子ども達の笑い声が響く。
「こら、ゴミぃ!」
「あ、はーい。ごめんなさい」
「店の中では歩く!危ないでしょ!」
「へぇーい」
やんちゃ盛の子どもたちへの説教も、私の役目の1つだ。
「名前ちゃん、来たよぉ」
「あ、平野のおじいちゃん!いらっしゃい!」
「そろそろ松さんの寒ざらしがあるかなと思ってね」
「平野さんさすが!今日からだよ、寒ざらし!」
近所のお年寄りも、松さんの手作りおやつ目当てでやってくる。
「松さーーん!寒ざらし1つ!平野のおじいちゃんきたよ!」
「はーい」
店の奥に向かって声を張ると、松さんが準備を始めるのがわかる。
「名前ちゃん元気だねぇ」
「えへへ。平野さんは元気?毎日すごく暑いけど」
「あぁ、私は元気だよ。この通り。それより松さんは?」
こっそり聞いてくるおじいちゃんに答えようと口を開いたとき、すぐ後ろから松さんの声が聞こえた。
「あらあら、内緒話?」
「松さん」
バツの悪そうなおじいちゃんに寒ざらしの器を手渡しながら、松さんはにっこり微笑んだ。
「私は名前ちゃんがいるから、大丈夫よ、平野さん」
松さんの言葉に、自分が少し誇らしくなる。
「あ、そうそう、名前ちゃん」
「なに?」
松さんが思い出したように、私を見た。
「今日はいつものように5時にお店を閉めて、その後ちょっとお遣い頼まれてくないかしら」
「うん、全然いいよ。どこに行けばいい?」
「3丁目に浦原商店っていう駄菓子屋さんがあるんだけど、そのお店の店長さんに、渡してきてほしいものがあるの」
「3丁目に駄菓子屋さん?そんなところあったんだ」
「ちょっとわかりにくいところにあるけど、住所の通りに進めば大丈夫だと思うわ」
「わかった!」
私は松さんから、浦原商店の住所の紙を受け取って眺めた。
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