ちょうちょ結び(3/3)



「あんまり、遅くなるなよ」

タクシー代渡しとこうか?

心配そうに私を見下ろすお父さんを見上げる。

「大丈夫だよ。ありがとう」

私の返答に、ほんとか?と尚も心配そうにするお父さんの声を、新幹線の到着音がかき消した。

「家に着いたら、ちゃんと連絡するから」

そう言い切ってしまえば、あとは何も言えなかったようで、気をつけてな、とだけ残して車両に乗り込んでいく後ろ姿を見送る。


久々の京都駅は時間帯も相まって人出が凄い。

あてもなくフラフラと…と行きたい所だが、家からの最寄り駅からの帰り道は自転車だから、お父さんが言ってた通りあまり遅くはなれない。

とりあえず、本屋さんに寄って…と考えていると、ポケットで携帯が震えた。

『 鳴子翔子:もしかして、京都駅おる?』

メッセージを開いてみて、一瞬驚いてキョロキョロと見渡す。

「苗字!」
「鳴子!」

はぁはぁと息を切らして私の手首を掴んで息を整えている肩を見て、小さく叫ぶ。

「もしかしてて、思ったら、やっぱり、あんたやったわ」

はぁ、と最後の一息をついて顔を上げると、鳴子はにっこりと笑った。

「どうしたの?こんなとこで」
「前に言うてたやん、こっち来る用事あるて」

あぁ、と前にやり取りしていたメッセージの内容を思い出す。

「練習帰り?」
「うん、」

鳴子が何か口を開きかけたところで、ガヤガヤと同じ制服の団体が合流してくる。

「翔子ー?誰…って、あぁ!!」
「なに?なに?」
「え、誰?なに?」
「え、うっそ、まじ?」
「あれやん、あの子やん、あの中学ん時バンバン新記録出しよった」
「えーなんか雰囲気変わったなぁ」

ワイワイと女の子たちの騒がしい声と好奇の目が私に向けられた。

あー、最悪だ。

うんざりして適当に切り上げようと、ごめん、急いでるから、と鳴子に声をかけたところで、1人女の子が出てきて挑戦的な視線を投げかける。

「もう跳ばへんの?」

頭がクラクラする。
なんで、こんなことになるんだ。

「もう、辞めたから」

苦し紛れに、なんとか答えるが相手は満足してくれない。

「なにそれ、逃げたてこと?」

あんな勝ち逃げみたいなん、ズルいわ。

この子はきっと、辞めるなら最後の最後まで跳べと言いたいのだろう。
散るまで跳べと。

「ちょ、あんた、何言うてんの?苗字はなぁ」
「いいよ、鳴子」

何も言い訳することはできない。
そう、この子の言う通りだ。
勝ち逃げを望んだ。
その代償が、今の私なのだから。

「帰るね」
「苗字…!」

ごめんっ…!

相変わらず優しい子。

鳴子の苦しそうな謝罪の言葉を聞いて思う。
ごめんねと言わないといけないのは、こっちだ。
私は逃げるように、その場を後にするしかなかった。


結局、どこかに寄る気も失せてしまい、大人しく最寄り駅まで帰ってきた。
陽はすでに沈んでいる。

駐輪場に着いて自転車の鍵を外したところで、異変に気づいた。

…ほんと、今日は、ツイてないな。

後輪がパンクしているのを見て、ため息をつく。
重なる日って重なるよなぁ、なんて他人事のように思いながら自転車を押す。

空を見れば細い月がうっすらと浮かんでいた。

家、帰りたくないなぁ…。

危ないかも、と思いながら帰る気になれず、結局よく走りにくる家の近くの公園に寄り道することにする。

自転車を停めて、いつも休憩に使っているベンチに腰掛けると、なんだか色んなことが曖昧になる気がした。
今日起こったこと、過去のこと、自分の意思や気持ち、全てがぐちゃぐちゃになって、何がどうなのか分からなくなっていく。

今、私、どうしたいんだろう。

分からなくなってしまったのは、いつからだろう。

「…苗字さん?」

酷く懐かしい声。

「…み、御堂筋くん」

振り返ると薄暗がりの中、ぼぅっと背の高いシルエットがそびえている。
少し前までよく近くで見ていた、呆れたような表情が辛うじて見えた。

「…なんや」
「いや、ちょっと」

驚いて。

馬鹿みたいに呟いた私を一瞥して、彼は自分の自転車を押してゆっくり近づいてくる。

「キミィは危機管理能力ないんか?」
「へ?」

御堂筋くんは自転車を持ったまま、真上から私を見下ろしてチッと舌打ちをした。

「こないな時間に、こないな人通りの少ない場所で、ぼーっと座り込んで」

何考えてるん?

明らかに怒っている。
普段あまり感情を表に出さない彼が。

「ご、ごめん?」

私はなんで謝っているんだろう。

あぁ、本当に今日はツイてない。

御堂筋くんにはいつも、格好悪いところを見られてしまう。

「…キミィ、ひどい顔してんで」
「そ、うかな」

ぺたりと自分の頬を撫でてみる。

あれ私いつもどんな表情作ってた?
どういう心持ちでいようと思ってたんだった?
私は…。

「…ほんで、なんでそうなるん」
「…?」

出そうとした声が出なくて、初めて気づく。

「あ、れ。なんで、だろ、おかしいな」

やだ。
やだやだやだやだやだ。
見ないで。
お願い。

声だけで笑って見せてるうちに、どこかへ行って。
このままじゃ、私。

崩れて、しまう。


「そないになってまで、何ィ隠そうとしとるん?」

みっともなくて顔を覆っていた手に、ヒヤリとした感触が触れる。
手首を強い力で引っ張られ、ぐちゃぐちゃに歪んだ視界が開けた。

「ボクにはそういうん、通用しぃひんよ」

こんなこと。
今まで1度だって。
うまくやってきたのに。
なんでもないふりして、ちゃんとやり過ごしてきたのに。

「っつ…ごめ、ごめん、ごめんなさい」

ごめんなさい、ごめんなさい。

胸の中、奥底にしまい込んでいた罪悪感や自己嫌悪感が、堰を切ったように溢れ出してとめどなく流れていく。
この状況にも、自分の不甲斐なさに吐きそうだ。


「…それで、ええんちゃう」

この前キミがくれたアドバイスのお礼に、ボクもキミィに1つアドバイスしたるよ。

御堂筋くんの、いつもより棘のない柔らかい声。

「大事なモンは抱えて離さんよう掴んどかなあかんと思うけど、無駄に重たい荷物抱えて長いこと走るんは無理やで」

私が背負っていた荷物。
無駄に重たいもの。
それっていつから抱えてきたものだったんだろう。

その日私は今までのぶん全部じゃないかってくらい、沢山の涙を流した。
昔のことを思い出しながら話して、泣いて。
御堂筋くんは相槌も打たず、話を聞き出すでもなく、急かすでもなく、ただただ横にいてくれた。

自分の昔の話をする自分の声を、不思議な思いで聞きながら、あぁ、私ただこうやって誰かに聞いてもらいたかったんだと、泣きすぎてぼぅっとする頭で思った。

fin