ちょうちょ結び(2/3)



「父さん、今週末から1週間名古屋に出張になったから、来週はいないよ」
「あ、そうなんだ」

ハフハフと鍋をつつきながら、お父さんの報告をきく。

「今週末って土曜日から?」
「いや、金曜。金曜の夜はあちらさんと飲み会だから」

そうなんだ、じゃあ休日も全部いないんだ。

最近ふとした瞬間に鬱々とすることが多かったし、特に休日はやることがなくて変なことを考えがちだったから、お父さんには申し訳ないが家に1人なのはちょっとほっとする。

「金曜日、テスト期間中なら早く学校終わるんじゃないか?」
「うん、最終日だから午前中授業」
「じゃあ金曜の夕方の新幹線で行くから、その日は早めに京都駅で飯でも食べよう」
「うん、いいよ」

軽く返事をして、ごちそうさま、と私は箸を置く。




お風呂から上がり、タオルで髪をぐしゃぐしゃと拭くと、雫が首筋に跳ねて冷たい。

「おやすみなさーい」
「おやすみ…あ、名前」
「んー?」
「いや…やっぱりいい。おやすみ」

なによ?変なの。

そう言って笑ってみせると、お父さんも、ごめん、と言って笑う。
私たち親子はいつもこうだ。
言いかけて、やめて。
多分大切なことを伝えきれずに、通り過ぎてしまう。
きっと、私とお父さんは似たもの同士なのだ。
もしもお母さんがいたら、私たちの間をお母さんが仲介してくれていたんだろう。
お母さんはそういう人だったように思う。
今のお父さんと私は変にバランスがとれてしまって、まるで完璧なバランスを保ったままの天秤のように動かない。

それでもやっぱり、言葉にしなくても、お互いに何かを感じ取って心配もすれば不安にもなる。
それがさっきのような出方をするのだ。
そして私にとってそれは大きなプレッシャーだ。
これ以上心配はかけられないという、私が私にかけてしまった呪い。

自室に入って、ふっと息をついた。
1人の空間はほっとする。

ドライヤーを取り出して髪を乾かしていく。
随分伸びた髪は中々すっきりと乾いてくれなくて、とても面倒だ。
首を傾けてドライヤーの風を髪にあてていると、目線の先にベットに置いた写真集があった。

そうだ、光太郎先輩に借りたの、後で読もうと思ってたんだった。

しかし光太郎先輩のコミユニケーションスキルは凄まじいと思う。
普通、ちょっとした会話に出てきた相手の好きな写真家の名前など覚えているものだろうか。

粗方乾かした髪を櫛で梳かし、写真集を手に取る。
パラリとページを捲ると、空の色と建造物の色や緑が鮮やかに目に飛び込んでくる。

しばらく夢中で写真集を堪能して、ほうっと息を吐いた。

うぅ、写真撮りたい。

手のひらを閉じたり開いたりして、もどかしさを解消する。
代わりに自分が撮ってきた写真に手を伸ばす。

写真は格段に最近撮ったものの方が上手い。
それにしても空ばかりだ。
考えてみたら、人を撮ろうと思ったことがない。
人を撮る、撮りたいと思う時ってどういう時なんだろう、とふと考える。

そういえば、結婚前に撮ったというお母さんの残していた写真は、陸上時代のお父さんばかりだった。
小さい頃はよくお母さんの膝の上で、お父さんがどんなに素敵だったかという話を、写真を見ながら聞いたものだ。
やっぱり人を写真に収めたいと思うってことは、その人に強く惹かれたからだったりするんだろうか。
あの写真たちは、お母さんとお父さんが確かに2人いたあの証は、どこにいってしまったんだろう。
遺品整理をしながら、静かに泣き続けていたお父さんの背中が思い出されて、得も言われぬ不安感と焦燥感が襲う。

ダメダメ。

パラパラと自分の撮った写真を見ながら、あてもなく漂う考えを慌てて遮断した。
そこで1枚の青空の写真に目が止まる。
青々とした紺碧の空に、豊かに膨らんだ入道雲が浮いている。

いい事思いついた。

私はその写真を抜き取って、裏返してペンをとった。





「先輩」
「おぉ、名前!」

どうしたんや?

近づいてくる笑顔を見て、あ、やっぱり、と嬉しくなる。

会えたら会えたでいいし、会えなければ諦めて別の機会を待とうと思っていたが、自転車競技部の部室を恐る恐る覗いてみたら運良く光太郎先輩はそこにいた。

前に御堂筋くんが、引退した先輩たちが頻繁に部室に顔を出すのが鬱陶しいとボヤいていたのを覚えていた私は、自転車競技部の部室を覗いてみたのだった。

「え、なんスか、先輩!引退して早々彼女っすか?!」
「石やん、なんや、俺なんも聞いてへんぞ!」

先輩の背後から、賑やかな声が追いかけてくる。

「ちゃうわ、アホ、友達や」

ともだちぃ?!なんやその下手な誤魔化し!

よく分からない非難の声をかわして外に出てきくれた先輩は、後ろ手にパタンと部室のドアを閉めた。

「すいません、お邪魔でした?」
「全然!アイツらのことは気にせんでええよ」

聞けば学校の方針で、テスト期間中は部活動禁止となっていて、テスト最終日までをテスト期間と見なすのだそうだ。
今日は晴れて最終日。
午後は授業もなく、部活もない。
ということで、先輩達は部室に集まって試験の答え合わせ、という名の雑談をしにきたらしい。

よかったら一緒にどうや?と、あの笑顔で誘われたが丁寧に断った。

そうか、御堂筋くんはいないんだな。

もしいたからどうなんだ、という話だがふっと心にそんな呟きが過ぎる。

「あ、これを返しに来たんです」
「もう、ええんか?」
「はい、すっごく良かったから、結局私も同じの買っちゃいました」

そうか、そら良かったわ。

先輩はふふふっとくすぐったそうに笑って、手渡した写真集の表紙を開いて、何かに気づく。
そこには、昨日メッセージを裏に書いて入れた、紺碧の空と入道雲の写真があるはずだ。

「これ…」
「私の撮った写真で恐縮なんですけど」

なんか、光太郎先輩っぽいなって思ったから。

言いながら少し恥ずかしい。

「名前から見た俺て、こんな感じなんや」

先輩は写真を手に取ったまま、柔らかい表情を作って私を見た。

「すいません、意味わからなくって」

私は思わず目を逸らす。

「いや、」

めちゃめちゃ嬉しい。ありがとなぁ。

そう言って、ふにゃりと嬉しそうに笑う先輩が私の顔を覗き込んだ。
こっちが、恥ずかしくなってしまいそうなくらい嬉しそうな顔で笑うものだから、私の方が慌ててしまう。

そんな表情、させようと思ってなかった。
ただの軽い思いつきだったのだ。

「じゃあ私そろそろ」
「あぁ、ほなまたな」

お互い軽い挨拶をして、その場を後にした。







昼間の太陽にキラキラと光って揺れる黒髪を見送る。

あの子にはきっとなんの他意もないのだろう。

それでも、やっぱり、嬉しくて笑ってしまうのは。

「キモ」

聞き慣れた苦々しい声の方を向くと、御堂筋が立っていた。

「う、わ。なんや、おったんか」
「おったら悪いん?ボクより石垣くんのほうがここにおる意味ないと思うんやけどォ」

御堂筋の嫌味な言い方にももう慣れて、何も思わんようになった。

「すまんすまん。試験も一段落したから言うて、」

久々に集まろか…て…

今、目の前で話している俺の更に向こう側、ぼぅっと遠く目を細めて見ている御堂筋の視線の先を追う。
ちょうど角を曲がる、彼女の余韻が見えて消えていく。

まさか、な。

「どないしたんや、ぼーっとして」
「…あ?あ、いや、なんでもあらへん」

一瞬。
この男が彼女を目で追ったのかと思った。
そんなことが、あるわけ。

「み、御堂筋くん!」
「なんやキミら、暇か。暇ならペダル回しやァ、水田くん」
「やって、部活中止やで」
「学校の外で自主練ならいくらでもできるやろ」

えらい余裕やねぇ、そないなことで来年のインハイ出られるんかなァ?、という冷たい声と、えええ!それはないわ、御堂筋くん!と慌てるノブの声が聞こえる。

いつも通り、変わらない会話に、変わらない雰囲気。

そんな状況とは裏腹に、少し前から感じていた違和感にざわついた気持ちに拍車がかかる。

もしそうやとしても、どうせお前はそんな気持ちも否定するんやろ。
お前が捨てていくモン、俺が拾うわ。

ぎゅっと唇を結んで、何でもない顔をして話かける。

「部活ない日に部室来るん珍しなぁ」

チッと舌打ちだけで返ってきた返事を聞き流して、話の輪に戻る。

「いや、それより、お前さっきの可愛い子なんやねん」
「なんやって、友達や言うたやろ」
「よぉ言うで、あんな雰囲気で」
「お前っ、覗いとったんか」
「そら覗くやろ、なぁ、ノブ」
「そらもう、バッチリ見ましたわ。てか、マジで可愛かったっすね」

騒がしい同期と後輩に適当に返事をしながら、斜め前のロッカーの前で背を向けているその背中を見た。

バタン。

ロッカーの扉を閉めて、御堂筋が立ち上がる。

「御堂筋くん、もう帰るん?」
「ボク、暇やないんよ」

キミィらと、違ぅてェ。

こちらを見向きもせずに、横を素通りしていくいつもの無表情。

それは、なんのポーズなんやろか。