ロマネ(3/3)
クラスの中での名前と御堂筋は相変わらず浮いていたが、だからといって2人が教室で特別話すこともなく時間は過ぎていた。
夏の間の御堂筋は、自転車部のインターハイに力を注ぎ込んでいたから、授業が終われば即練習漬けの毎日。
美化委員の仕事は想像通り地味にやることが多かったが、持ち回りで各々で担当を割り振ってこなすシステムにしたところ、それぞれのタイミングでこなすことになり結局は一人での作業が多かった。
つまり、名前と御堂筋の唯一の接点である委員会活動でもそう会うことはなかった。
名前はといえば、音楽を聞いて、本を読んで、たまに趣味の写真をとって自己満足に浸ったり、それなりに充実した毎日を過ごしていた。
夏休みにたまに委員会の仕事をしに、学校に出てきた時御堂筋の自転車での走りを眺めたりすることはあっても、自分から話しかけることもない。
お互いの存在を感じていながらも、御堂筋は御堂筋で集中するべきものがあったし、名前は名前で緩く日々を過ごす。
そんな春から夏だったが。
なんか御堂筋くん、雰囲気変わった?
ふと夏休み明けのある日、いつもなら真面目に授業を受けている御堂筋が、窓の外をぼぅっと眺める姿に名前は違和感を感じとる。
坊主になったっていうのもあるけど、なんか、こう。
元気がない?
いやいや、ないない、と名前は自分の中の違和感を振り払う。
あの彼に落ち込むとか、傷つくとか、そんな人間らしさが備わっているとは到底思えない。
うーん、なんだろうな。
名前が心中でそう呟くのと同時に、
ぐりん
御堂筋の長い首が名前の座っている方へひねられた。
見開かれた大きな黒目と、名前の驚いて見開かれた目がばっちりと合う。
げぇっ!やば!
数秒だったが確実に合った視線が気まずくて、名前はサッと視線をそらした。
あの振り返り方だと、視線を感じて振り返ったというところだろう。
更に気まずい。
み、見られている…。
名前の背中に視線が突き刺さる。
早く授業終わってくれ〜…!
祈るような気持ちで時計を見上げると、ちょうど午前最後の授業の終了のチャイムが鳴った。
名前はホッと胸を撫で下ろし、そそくさと机の上を片付け机の横にかけていたリュックを掴む。
名前はここのところ、あまり人が通らない外階段で食べるようにしていた。
暇を持て余し一人でゆっくりできる場所を探し回って、やっと見つけた穴場だ。
「あつー」
屋根が影になるとはいっても、まだ残暑の厳しい中外は暑い。
それでもこの場所は、空がよく見えて、人がいなくて、静かで心地良い。
足を放り出して壁にもたれる。
イヤホンを取り出して音楽を流せば、それだけでここではないどこかにいるような気分になれた。
目をつぶっていても、眩しい日差しを感じる。
あーこのまま寝てしまいそう…。
心地よさの中に少しだけ意識を手放してしまおうかとしていたところに、ふと、薄暗さを感じて、うっすら目を開けた。
「ひぇあ!」
心臓が跳ね上がる音と同時に身体も一緒に跳ね上がる。
「っつ〜〜〜〜!」
反動で肘を思いっきり壁に強打し、イヤホンが外れる。
痛さにたまらず名前はその場にうずくまった。
「…なんやの、人をオバケみたいに」
名前の頭上少し高い位置から、低い声が降ってくる。
「こん、こんなの、誰でもびっくりするよ!」
強打した肘を擦りながら涙目で振り返ると、名前が座る段の一段上に平然と座っている細長いシルエット。
御堂筋だ。
すっかり気を抜いて目を閉じていたところに、ふと目をあけたら御堂筋が長い首を突き出してこちらを凝視していたのだ。
目を開けて真横に人の顔があったら、誰でもこうなるに決まっている。
「もうちょっと普通に声かけられないの?」
「ボクゥが声かける前に、キミが起きたんやよ」
プププ。
えらいだらしない顔して寝とったでぇ。
目を細めて笑う御堂筋は相変わらずで、あの違和感はやはり勘違いだったかと名前は忌々しい気持ちを飲み下した。
構わないのが一番良いと判断した名前はリュックから弁当箱を取り出す。
「キミィ、いつも一人でここでご飯食べとるん?」
「そうだけど?」
嫌味言うんだろうなー。
そんな予想をしながら、今日のお昼のサンドイッチにかぶりつく。
「…フゥン」
予想外の反応に拍子抜けし、思わず振り返ると、腿に肘をついて宙をみつめる御堂筋がいた。
やっぱり、ちょっと変かも。
何となく気まずい沈黙の中、名前はモソモソとサンドイッチを頬張る。
「…………やろ」
「え?」
「…さっき、ボクのこと見てたやろ」
授業中に。
ツゥと視線だけが、名前に移動する。
あんなにしっかりと目が合ってしまったのだ。
言い訳のしようもない。
「…見てたよ」
「キモ」
なんだ、わざわざそれを言いにここまで来たのか。
イライラとサンドイッチにかぶりついた。
「…なんやったん」
「へ?」
「なんで見てたん」
「なんでって…」
これは、なんだろう、どういう流れなんだろう。
予想外の流れについていけていない名前は、答えられないまま固まった。
「…もぅ、ええわ」
ふい、っと視線がそれて謎の緊張感から開放される。
これは、ちゃんと答えてあげたほうがいいことだったんだろうか。
御堂筋の言葉はわかりにくい。
名前はそう思う。
話したことはそれほど多くはないが、いつも言葉にしていることの奥の奥に本当に言いたいことがあるような、そんな端切れの悪さを感じる。
「なんか、ちょっと、元気がないのかなって」
「…」
私だってこういうこと言葉にして伝えるの慣れてないんだけどな。
名前は自分の中の思考がうまくまとまらないことにもどかしさを感じながら、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「夏休みに見かけた時よりも、勢いがないっていうか、落ち着いた…っていうのも違うんだけど」
心ここにあらずって、そんな感じ。
そう締めくくって、窺うように名前が御堂筋を見る。
御堂筋も真っ直ぐに名前を見返す。
その視線に捕らえられたように、名前は目が離せなくなった。
ザァ…
風が吹き抜けて校庭の木を揺らす音が静かに聞こえる。
「苗字さんって、キモいな」
「…は?」
言うに事欠いて、それかい。
一気に気が抜けて馬鹿馬鹿しくなった名前は、がっくりと肩を落として御堂筋から目線をそらした。
こっちは一生懸命言葉を尽くしたっていうのに。
腹立たしさを通り越して、虚しさを感じてため息が出る。
名前は最後の残り一切れのサンドイッチを口に放り込んで噛み砕いて、弁当箱をパチンと閉じた。
さて、教室に戻るかな。
名前が腰を上げて立ち上がりかけた瞬間。
ガクンと目線が落ち、背中から後ろに引っ張られる。
振り向くと長い腕が持ち上げたリュックをつかんでいるのが見えた。
「な、なに「…キミィは、どうしてそないに身軽なんやろか」
その場で尻もちをついた元凶の御堂筋に向かった文句が途中でかき消される。
ポツリと名前の背中に呟きが落ちた。
「勝つために、いらんもん削ぎ落として、極限まで」
飾りもなにも、こだわらんと、無駄なもん全部捨てて。
ポツリポツリと背中に落ちてくる呟きは、名前にはよく分からず黙って聞くことしかできない。
今振り向いたら、きっと彼は嫌だろうな。
それだけは何となく分かった。
「なァ、教えてや…キミはなんでそないに」
自由なんやろ。
今にも泣き出しそうな、そんな絞り出すような声。
私が、自由?
御堂筋くんは何か勘違いをしている。
私は、
名前は思わずきゅっと拳を握る。
「私、御堂筋くんが思ってるような子じゃないよ」
苦しい。
苦いものを噛み潰したような気持ちで名前は続ける。
「私ってすごく情けない奴だよ。
不甲斐ないし、不器用だし、そのくせ狡いし。
でも、そんな自分でも、私は私だし」
抱えて進むしかないじゃん。
最後に吐き出した思いは空に漂って消えた。
「御堂筋く「いつまでそんなとこおんの」
数秒の沈黙に耐えかねて、声をあげると随分遠くで声が聞こえる。
チャイム鳴ってまうよ。
振り向くとニヤッと笑ういつもの御堂筋の姿があった。
いつの間にか、名前の胸に溢れた苦味は、また奥の方へ沈んでいる。
名前は一気に階段を駆け上った。
御堂筋くんは単純で複雑で、少し自分と似てるのかもしれない。
そんな考えがふと、名前の頭をよぎる。
▽
抱えて進むしかないじゃん。
ほうか。
ストンと何かが腑に落ちる。
どこまで削れるか。
それが今までの御堂筋の戦いだった。
抱えて進む、か。
もう一度自分の中で反芻する。
この魂は削られへんのや。
せやったら、この魂入れる容れ物しっかり治してまた運ばな。
少し足に力が戻ってくる感覚がする。
人の言葉に気持ちが動かされる日がくるとは、我ながら驚きだ。
…にしても。
黙って隣を歩く名前を見て目を細める。
お見通しかいな。
外には出さないようにしていた状態を、見透かされていたことへの驚きが消えない。
更に自分の胸の内を晒してしまうような、そんなイレギュラーも受け入れ難かった。
教室に入って何も言わず名前と離れ席に着く。
あかん。
片手で顔を覆う。
チラと指の隙間から覗けば、いつものように静かに座っている彼女が目に入った。
fin