花霞(2/2)



高校に入ってから一切顔を出さなかった御堂筋さんが、珍しくこのレース場に顔を出している。
大方、僕の仕上がり具合を見に来たというところか。
朝から一緒にしっかり走り、途中で帰ってしまうこともなかったからその点は一応及第点というところなのだろう。

最後に外周を軽く流して戻ってきた御堂筋さんが、訝しそうに眉を寄せている。

「どこ行ってたん?」
「いえ、女性の割にはいいニクだったもので」
「ハァ?」
「こちらの話ですよ」

意味が分からんと言いた気に目を細めたがそれ以上何も言わずに、行くで、と背を向けて、僕はその後を少し遅れて自転車を押す。
御堂筋さんにとって、僕の存在は使える駒であればそれでいい程度のものなのだろう。
特別関心を引くようなことをしなければ不要な詮索はしてこない。
今回はそれに救われたというところか。
あの目に問い詰められることに僕は弱い。

でも、とツと顎を撫でながら考えてみる。
あの女性ひとが来ていましたよ、と言ったらどんな表情をするんだろう。
そして、僕が彼女に“接触”したということを知ったら。

そこまで考えて、いややっぱり止めておこう、と邪な考えを取り消す。
変に警戒されても、嫌われても困る。
何よりも僕にとって大切なことは、御堂筋さんの筋肉ニクに触ることなのだから。


チラリと帰り支度を整えている御堂筋さんの横顔を見た。

しかしこの人があんな顔をしていたとは、未だに信じられないな。

入学前オリエンテーションで高校に訪れた帰りに、偶々みた光景を思い出す。
一応部室の場所を見ておこうと校舎内を歩いていた時だった。
窓ガラス越しに廊下を歩く、御堂筋さんを見た。
窓側をショートカットの背の高い女性が並んで歩いていて、御堂筋さんに何か話しかけている。
真っ直ぐ前を見て歩いているが、時折相槌を打ったり視線だけ斜め下にやっている様子を見ると、どうやら隣の女性の相手をしているらしい。
それだけでも驚きに値するが、その次の瞬間だった。
その女性が前を向いて楽しそうに笑った。
客観的に見てバランス良く整っているその綺麗な笑顔の向こう側。

笑った…のか?

あまりにも些細な、ほんの一瞬の隙間を縫うような表情の変化。
隣のその女性ひとを盗み見るようにして、御堂筋さんの視線が動いたのを、その顔の筋肉が動くのを、僕は見た。


御堂筋さんの内面なかみか…。

御堂筋さんの隣で帰り支度をしながら、気付かれないようにそっと考える。
御堂筋さん自身への執着というよりは、御堂筋さんの筋肉ニクに対しての執着が僕が彼に拘る要因だが、御堂筋さんにも包んでいる真実があるというのならそれは少し興味がある。
メンタルがフィジカルへ及ぼす影響は大きい。
御堂筋さんの身体を作る要因になるものは、よく観察して知っておきたい。

都合良くあの時御堂筋さんと話していた女性が、今日この場所に現れた。
てっきり御堂筋さん目当てかと思ったが違ったようで、ただロードへの興味は本物だった。
そしてその興味は、どうやら御堂筋さん切っ掛けらしい。
益々興味深い。

そして彼女のあの筋肉ニク
あれは相当に上等な部類の、靭やかで無駄のない、女性らしく洗練されてながらも力強い良き筋肉ニクだった。
恐らく何かスポーツをしていて、しかもその中でも一流の選手だった人だろう。
でも残念だ、とあの感触を思い出して掌を見つめる。
アレは致命的な怪我をして、あの素晴らしい筋肉ニクを活かせなくなってしまった身体だ。
既に少しずつ全盛期の頃からしたら衰えている筈だ。
それでもあそこまで保っているのは、過去への執着か。

あの人も御堂筋さんに暴かれてしまった人なのだろうか。



「小鞠クゥン」

いつまでそうしとるん?という御堂筋さんの声に我に返る。
気が付くと手が止まっていた僕を、身支度を終えた御堂筋さんが見下ろしていた。

「すいません、ちょっと考え事を」
「ふぅん…。まァ、ええわ。はよして」

はい、といつものように返事をして荷物を持ち上げる。

まぁ、これからいくらでも時間はある。
予定通り、京都伏見に入学し自転車部への入部も支障なく進むだろう。

fin