キミが泣くならば(1/3)
音が消える。
完全な静寂。
心臓の音さえ、聞こえない。
足が軽い。
跳ぶ、跳ぶ、跳ぶー。
跳ぶ。
空が、見えて、
「…!」
気づいたら、布団を蹴飛ばしていた。
夢…。
起き上がって膝を抱える。
サラリと落ちてきた髪が影になって、カーテンから入る光を遮った。
「…髪、伸びたなぁ」
毛先を撫でると、シャンプーのいい匂いが漂った。
夏は足早に過ぎ、秋の入口。
朝、少し早めに家を出ていつものようにゆったりとペダルを踏む。
自転車を走らせながら空気を吸い込むと、匂いが変わっていることに気付く。
最近、少し疲れている。
いつにも増してやる気がでない。
心の中が空っぽだ。
ガキッ!
ガクンとペダルが空回って、身体が揺れた。
「わ、ぁ!」
上の空だったのもあって反応が遅れる。
バランスが崩れて大きく身体が傾いだ。
倒れ、る…!
「どんくさァ」
グイッと制服の肩を掴まれて、今度は倒れかけた反対の方向に身体が傾いて、側頭部が人肌にぶつかる。
人の胸だということに気がつくのに一瞬時間がかかった。
身体を動かせないので視線だけを上にずらすと、半眼で見下ろしてくる見慣れた顔が目に入る。
「み、御堂筋くん」
「重い」
先程真横に振られた頭が手でぐっと押し返される。
グラグラと脳が揺れた。
それでも突然のことに反応できずに、ただ何とか転ばないようにその場に踏ん張る。
視線の先、長くて筋張った指がすっと伸びたのが見えた。
「それ」
「え?」
指された指の先を追って下を向くと、力なく垂れ下がったチェーンがぶら下がっている
「チェーン外れたん?」
「あ…、そう、みたい」
先程の突然の振動の原因を理解する。
困ったな、と思っていると御堂筋くんが自転車を降りてグンと近づいてきて、思わず後ずさる。
「…貸してみィ」
長い腕で私の手から半ば奪い取るように自転車のハンドルを持つと道の端に寄った。
そこで御堂筋くんがジャージ姿であることに気づく。
「ごめん…。練習中だったんじゃないの?」
「軽く走っとっただけや」
まだ全力では漕げんからな。
ボソッと呟いて私に背を向けると、地面に座ってチェーンをいじり始める。
ツイてない。
御堂筋くんの浮き出た肩甲骨を見ながら、こっそりため息をつく。
正直に言って私は御堂筋くんが苦手だ。
何を考えているのか分からない。
そのくせ、人のことを見透かしたような所がある。
「キミ、なんやここんとこ調子悪いんやないの」
ほら、またそういう鋭いことを言う。
見られたくない、知られたくない。
誰しも持っているそういうものを、暴き立てるようなことをしないでほしい。
作業をしている御堂筋くんの背中の裏側で、あからさまに嫌な顔をしてみる。
「そう?別に普通だけど」
平然と言ってのければ、あ、そォ、とどうでも良さげな声が聞こえた。
「…この自転車、自分で整備しとるん」
「あ、いや、」
この自転車は転校前の友達が部品から全て見繕ってくれたこと、その友達が自転車に詳しく、時折整備をしてくれていたことを話す。
その子も自転車競技部だよ。
と言いかけて黙る。
変に繋がっても面倒だ。
「キミに合うように、ようメンテされとるわ」
大切にしィ。
御堂筋くんはそう言って立ち上がると、自分の自転車に跨った。
チェーンはしっかりあるべきところに収まっている。
「あ…ありがと!」
すでに走り出した背中に短く叫ぶと、ヒラッと手を振って後ろ姿が小さくなっていった。
久しぶりに彼の話をした。
直してもらった自転車で再び走り出しながら、懐かしい顔を思い出す。
まだ別れて1年も経っていないのにもう随分昔のことのようだ。
―俺は…俺は走り続けるから!だから…!
振り絞るような声と苦しそうな顔。
続きは聞かなかったし、彼もまた言い出せなかった。
「…やっぱ、調子悪いや」
ぽつりと呟いた声が、風の音にかき消される。