薄氷(4/4)
「ご馳走さまでした」
「はい」
手を合わせる御堂筋くんの綺麗な所作を、私は真正面から眺める。
お茶碗を持つ手、箸の動かし方、口へ運ぶ仕草、全てが美しくて、本当に綺麗に食事をする人だなと思った。
丁寧に食事を味わって食べてくれるのを見ていると、こういうふうに食べて貰えると嬉しいものなんだなと新たな発見をする。
食器をお盆に載せて運ぼうとすると、ボクがやるわ、と御堂筋くんが立ち上がった。
「え、いいよ、お客さんなんだから」
「ご馳走なって何もしいひん方が気持ちワルイわ」
どこに運んだらええの?と聞いてくれるから、じゃあ流しに…と言うと、ひょいとお盆を持ち上げて御堂筋くんが食器を運んでくれる。
「食器洗うん?」
「うん」
「手伝うわ」
「そんな、そこまでは」
「ええから」
腕まくりをしてスポンジをとる御堂筋くんを驚きの気持ちで見る。
なんだか、いつも生活感のない御堂筋くんが、こういうことしているのを見ると新鮮な気分だ。
隣に立って濡れた食器を拭きながら手際よく食器を洗っていく様子を見ていると、きっとお母さんのお手伝いとかちゃんと家ではやってるんだろうなと想像する。
そんな御堂筋くんはちょっと可愛い。
「なんやの、ニヤニヤして」
「ううん、別になんでもないよ」
「キモいわァ」
言葉とは裏腹に、いつもより少し柔らかい眼差しをくれる。
ほんと、今日の御堂筋くんはどうしてしまったんだろうか。
ふたり分の食器はそこまで多くはなくて、2人でやったらすぐに片付いた。
「ありがとう」
「大したことしてへん」
制服の袖を元に戻して、御堂筋くんが呟くように言う。
壁にかけた時計をチラリと見て、ほなボク帰るわ、と御堂筋くんが鞄を手に取った。
「遅くまで引き止めて、ごめんね」
「いうほど遅ないし」
玄関に向かう背中に声を掛けると、ぶっきらぼうだけど優しい言葉が返ってくる。
いつからだろう。
こういう一つ一つが嬉しくて、一緒にいる時間を幸せに感じるようになったのは。
こんな風にされてしまうと、自分が御堂筋くんの特別なんじゃないかって勘違いしそうになる。
勘違い?
靴を履く御堂筋くんの後ろ姿を見ながら、はたと自分の言葉に自問自答する。
私は、御堂筋くんの特別になりたかったってことなのか。
私の中の御堂筋くんへの『特別』は−。
「苗字サン、ボクゥ…」
言い掛けて御堂筋くんが振り返って、その澄んだ瞳が私を真っ直ぐに捉えた。
「て…、キミィなんて顔してんねん」
訝しげに顰めた眉と、薄い唇が遠慮がちに動くのを呆然と見る。
「わた、し…。御堂筋くんのこと、」
好き、なのかも。
ポロリと溢れた自分の声を、まるで別の人の声のように聞く。
その瞬間、一気に感覚が追いついてきた。
耳まで熱い熱とか、言ってしまった言葉に忙しなく動く鼓動とか、そのせいで遠くなっていく周囲の音とか、目の前で目を大きく見開いて固まっている御堂筋くんのこととか。
全部感じてるのに、言葉が出ないし、思考もまとまらない。
「ハァー…」
御堂筋くんが大きくため息を吐いて、片手で顔を覆う。
「こないなタイミングで言うなや」
ぼそりと呟く声が聞こえて、腕をぐっと引き寄せられる。
嗅ぎ慣れない匂いが鼻孔をかすめて、気がついたら御堂筋くんの体温の中にいた。
「み、みどう」
「堪忍な」
バクバクと痛いくらいに鳴る心臓の音を遮って、耳元で御堂筋くんの掠れた声が聞こえる。
きゅっと一瞬込められた腕の力はすぐに解けて、最後に私の横髪をサラリと長い指が触った。
今まであんなに近くにあった体温が遠ざかっていく。
「お邪魔しました」
バタンと玄関の戸が閉まって、私はその場にヘナヘナと崩れ落ちた。
なんで、今まで気がつけなかったんだろう。
"いずれ分かる日がくるやろうし"
いつか光太郎先輩が言っていた言葉を思い出す。
「そういうことだったんだ」
呟いて、さっきまでそこにあった体温を思い出すようにぎゅっと両腕を握る。
そのまま俯くと、Tシャツの首元からコロンといつもつけっぱなしにしているネックレスが落ちてきて、鮮やかなブルーが揺れた。
私はてっきり、未だに俊輔のことを忘れられないのは、俊輔へ気持ちが残っているからなんだと思っていた。
でも、きっとそれは違ってたんだと、唐突に気が付く。
私がしがみついていたのは思い出だったのだ。
私はもう随分前から、前に歩き出していたのに。
傍についてくれていた御堂筋くんがいたのに。
そして間抜けにも気がついた気持ちをそのまま、言葉にしてぶつけてしまった。
「ほんと、私、成長しないなぁ」
首を傾けて壁にもたれ掛かる。
抱き締めてくれた意味、耳元で聞いた"堪忍な"の意味は何だったんだろう。
優しい彼を、私は困らせてしまっただけだったんだろうか。
自分の気持ちは自覚しても、御堂筋くんのことはやっぱり分からない。
分かりたい、知っていきたい、傍にいたい。
気付いてしまった気持ちは止めどなく溢れて、感情を波立たせる。
同時に、拒絶されることへの不安や、分からないゆえの後ろ向きな推測が胸を占めていく。
人を好きになることってこんなに苦しいことだったんだろうか。
なんとかその場から立ち上がって、フラフラと自分の部屋に入りベッドに倒れ込んだ。
目を瞑れば御堂筋くんの一つ一つの動作が蘇ってくる。
枕に顔を押し付けて、なんとか気持ちを鎮めようとするが効果はない。
長く吐いたため息は静かに消えていった。
fin