残夢(2/2)



「みっ…?!」

不意に背後から掛けられた声に恐る恐る振り向くと、目を見開いて驚いたような顔をしている御堂筋くんと目が合った。

なんでこんなところに、と思って思わず身じろぎをすると、胸元に抱えた百合の花が揺れて、強い香りが鼻腔をくすぐる。

駄目だ、今日は。

花の香りで我に返って、止まっていた意識が覚醒した。
じりっと踏みしめた地面が鳴る。



「…ハァ?!」



気がついたら、背後で素っ頓狂な声を上げている御堂筋くんを後目に一目散に駆け出していた。

百合を抱えて、サンダルで、おまけにワンピースなんて、走るにはおよそ向いていない格好で懸命に走る。
でも、それでも、とにかく御堂筋くんから逃げたかった。

いつもいつもいつも!なんでそうタイミング良いの?!

誰にも見られたくない場面とか、顔をしてしまいそうな時に限って彼は突然現れるのだ。
そしてー。


「…うっ!ぎゃ!」

ガクンと視界が揺れて、ズシャア!と派手な音と共に身体に衝撃が走る。
事もあろうにこのタイミングで何年ぶりかに派手に転んだ。

最低。

泣きたい気持ちで地面に手をついて起き上がると、肘がジンジンとした痛みでじんわりと熱い。
百合は投げ出されて転がっている。
引き寄せて中身を確認すると、状態は綺麗だった。
身体の下敷きにならなくてよかった。

「…キミィ、アホなん?」

ホッっとしたのも束の間、ゆらりと陰が落ちる。
勢いよく顔を上げたら、懐かしい呆れ顔の御堂筋くんが見下ろしていた。

「…つ、ついて来てたの?!」

裏返る声で、信じられない、という気持ちを込めて叫ぶ。

「や…そ……キ、キミィが急に走り出すからや!
つい条件反射で…!しゃあないやろ!」

一瞬言い淀んで目が泳ぐが、開き直ったようにして私を睨みつけてくる。
なんでこの状況で私が怒られないといけないんだろう。
もう全てが悲しくなる。

少しの間の後、御堂筋くんが盛大にため息を吐いた。

「…いつまで、そこに這いつくばっとるつもりなん」

気がついたら、いつの間にか自転車から降りてきた御堂筋くんがしゃがんでいた。
怪我しとる、とぽつりと言って私の肘を見た彼の気まずそうな表情を私は見る。
あぁそうだったこの人はこういう優しさがある人だった、と思い出す。
人の痛みを感じ取って自分が傷ついてしまうような、繊細で美しい、優しさを。

「ホラ」

長い指が私の腕を掴んで、そっと引き上げられる。
不思議にふわっと自分の体が軽く浮かんだような感覚を味わって、地面に足をつけた。

「…あ、りがと…」
「…ほんま、キミは…あ、」

言いかけた御堂筋くんの言葉が続かないことを疑問に思って、そっとその背の高い顔を見上げると彼は空を見上げている。
次の瞬間、首筋にポツリと大粒の雫が一つ落ちた。

「やばい」
「これは…」

同時に言った時だった。
大粒の雨が次から次に降ってきて、たちまち地面を黒く染め上げていく。
雷まで鳴り出して、ザァザァと雨音がうるさい。

「行くで!」
「えっ?!どこに?!」
「えぇから、ついてきて!」

半ば叫ぶようにして短い会話をして、言われるがままに自転車を押す御堂筋くんの後をついて走った。
雨は後から後から降ってきて、御堂筋くんの背中が白く霞んだ。

fin