Love your enemies(1/3)



あの春先の柔らかな陽があたる中、窓枠の縁どりの中2人はいた。
まるで"幸福"の刹那を切り取った写真のように。



「苗字さん、ちょっといい?」

カウンター越しにやって来た男子生徒が、苗字さんに小声で話しかけている。
困ったような視線を送ってきた彼女に容赦ない笑みをかえして、どうぞ、と言うと恨めしそうな顔をしてカウンターから出ていった。

僕は首を竦めて再び手元の本に視線を落とす。

苗字さんは1つ歳上の女性で、"かつて"良き筋肉にくを持っていたであろう人。
そして、御堂筋さんの想い人。

最近彼女はよくああして男子生徒に呼び出されていく。
その度に困惑した表情で彼女は応対するのだった。
最初のうちこそその表情を見るのも愉快ではあったが、こうも続くと飽きてくる。

そもそも、苗字さんは一部の男子生徒の間で話題の人物だった。
その雰囲気のある見た目に想いを寄せる者が少なくなかったことと、何より(当の本人達は気がついていないようだったが)御堂筋さんとの関係が噂されていたからだ。
校内でも異様な存在感を放つ御堂筋さんが相手ということで、皆手を出し渋っていたのだ。

それにしても、噂というのはあっという間に広まるものだ。

『御堂筋さんと苗字先輩はお付き合いされてませんよ』
『苗字先輩、お付き合いされている方はいないようです』
『最近よく呼び出されてるようなので時間の問題かもしれませんね』

決して嘘は言っていない。
真実にほんの少しの煽り文句を付け足して、火種を撒けば後は簡単だ。
幸い部活という繋がりの中に他学年もいるから、違う学年にも噂は広げやすかった。
誰に何をどんな言い方で伝えればいいのか、観察していれば容易くわかることだ。

なぜこんなことをする必要があったのか。
理由をつけようと思えばいくらでもつけられるし、それは苦し紛れの言い訳という訳でもない。

例えば、御堂筋さんがくだらない噂話を耳にして少しでも大会に向けての集中が途切れてしまわぬように(事実ほんの少しの心の揺らぎでも筋肉にくに影響を及ぼす。御堂筋さんは特別素直で純粋な方なのだ)、とか、御堂筋さんにとっても苗字さんにとってもこの噂は願っていないことだから、とか、2人の間に要らぬ邪心が入ってしまっては御堂筋さんの純粋な心と行動の変化の観察ができない、とか。

『キミィ、まだ包んどるね』

御堂筋さんの台詞が脳内で再生される。

理由。
そんなものは取ってつけた理屈でしかない。
根底にあるのはある種の情欲。

嫉妬、憧憬、破壊への羨望と憂いー。



子供の頃地元の土地神へ捧げる舞いを奉納するお役に着いていた時期がある。
舞いを舞っている最中、ほんの少しだが御神酒を口に含んだまま踊るという風習があった。
ふうわりとした、その不思議な口内から鼻にかけて漂う豊かな香りを感じながら舞っていると、自分が人間ではない別のものになったかのような、恐ろしいような、でもいつまでもその感覚に浸っていたいような、恍惚とした感覚がした。
それがとても生々しく、厭らしいことのように感じられて、ひどく罪悪感が募ったことをよく覚えている。

扇情的。
今思えば、あの状況、あの感覚はそういうことだったんだろう。

あの春の日。
窓枠越しに2人を見た時、あの御神酒の香りがした。
それは文字通り、あの空気に充てられた、陶然とした、刹那的な酔い。