「あれ?マナミさんは?」
「アレは存外せっかちだからな。駅まで待てなかったのだろうよ」
御堂筋少年がキョロキョロと辺りを見渡しながら言うと、東堂がふんと鼻を鳴らした。
「オレはそろそろ降りるが、君たちの行き先は決まっているのか?」
東堂が身支度を整えながら聞いてきた。
再び3人で顔を見合わせる。
「その様子では決まっていないようだな。降り時を見失うなよ。
オレは車掌に挨拶してくる。ではな」
降り時。
そんなもの、どうやってわかるのだろうか。
「…アキラくんは、お家で待ってる人いる?」
少女がぽつりと呟くように聞いてきた。
待っている人は、いたはずだ。
帰りを待ってくれている人がいたように思う。
確かに。
でも、誰だ?ボクの帰りを待っているのは。
「…キミらは親御さんが心配してはるやろうね」
誤魔化すようにして言うと、2人はそれぞれに不安そうな顔で下を向いたり、窓の外を見たりと落ち着きなく身じろぎした。
まずいことを言ったと思い、慌てて付け加えるように口を開く。
「大丈夫や。帰りたいて強く願っとったら、いつか降り時がわかる筈や」
自分で自分の言葉を聞いて、はたと口を噤む。
なんでそんなことを言ったのか、自分でもよくわからない。
どうして。
「あ、そういえばな」
御堂筋少年のふと思い出したような声に、思考が遮られる。
「さっきな、ボクの母さんに似た女の人に会うてな。
ボク名前なんて言うん?って話しかけられて、翔です、言うたら、そうなん?おばちゃんの息子もアキラ言うんよ、って。
あきら、なんて名前どこにでもあるし、どうでもええかなって思たんやけど…ってアキラくん?」
母さんや、そう思った。
ぼたぼたと涙がとめどなく溢れてきて、いつの間にか開いていた車窓から吹き込む風が、雫をさらっていった。
「…ど、どこにおったん?その人」
「む、向こう」
少年が驚いた顔で見ている。
「ボクも、もう行くわ」
「えっ?!」
袖でグッと涙を拭って立ち上がると、2人が声を揃えて驚きの声を上げた。
そして一気に不安そうな怯えた表情になる。
「御堂筋翔」
「え、ハイ」
自分で自分の名前を誰かに呼びかけるなんて、変な感じだ。
「キミィがこの子守ったり。ええな?」
「で、でも…」
「大丈夫や、キミならどうにかできる。ボクの言うこと信じ」
「わ、わかった」
「元の場所に戻ったら、お母さん大事にするんやよ」
「そんなん、今までもずっと…」
「これからもっと、大切にするんや。ええな」
「うん…」
「頼むな」
「わかった」
俯いていた顔が徐々に上がってきて、最後はしっかりと目が合った。
その顔を見て、もう大丈夫となぜかほっと安心する。
「キミィは翔の傍にしっかりおるんやよ。
キミがおることが、この子の力になるんや」
「うん。わかった」
少女に向き合うと、じっとこちらを見る彼女と目を合わせた。
まるで魂を見られているような、変な感覚に陥る。
無理矢理視線を外して立ち上がった。
「ほなね。ボクは行く」
2人の子供の艶々と輝く瞳がこちらを見上げてくる。
「うん、さようなら」
「さようなら」
新世界交響楽が鳴り響いている。
音は段々と大きくなっているようだ。
サザンクロス駅が近い。
なぜか母さんはそこで降りるような気がした。
長い長い車両をひたすらに走った。
扉を開けては走り、扉を開けては走る。
列車の連結部分が危な気な音を出していても、そんなことどうでもよかった。
そしていよいよ最後の車両にやって来た。
整然と並ぶ赤い座席の列の1番前に、とてもとても懐かしい肩と後頭部が見える。
間違いない。
薄れて行く記憶を必死で繋ぎ止めようと、幾度その姿を、声を、頭の中で再生しただろう。
幽霊だっていいから会いたいと、何度願っただろう。
だから絶対に間違えるはずがない。
「か…さん」
声が掠れて出ない。
「かあ、さん」
唾を飲み込んで、やっと声を掛ける。
その人がゆっくりとこちらを振り向いた。
車両の端と端にいてもわかる。
やっぱり、そうだ。
「母さん!」
母さんは心底驚いた顔をしたけれど、今にも泣き出しそうな顔で笑った。
「翔、久しぶりやなぁ」
のんびりとした柔らかな声。
本当に焦がれたその声だった。
苦しくて、嬉しくて、悲しい。
ー次は、サザンクロス、サザンクロス。
あのセロのような不思議な声のアナウンスが流れてきた。
「かんにんなぁ、翔。母さんもう行くわ」
「待ってや!ボクも一緒に…」
「あかん。翔はまだや」
ピシャリと言った母さんの声に、うっとボクは身体が動かなくなる。
「ボク、話したいこと色々あんねん」
「母さんも、色々聞きたいわぁ、翔の話」
「絶対、また会いにくるから」
「うん、また会えるよ」
それまで前向いて精一杯走るんよ、翔。
最後にそう、声だけになって母さんはどこかに消えてしまった。
そしてボクは1人取り残された。
ドサリと近くにあった座席に倒れ込むように座る。
久しぶりに、本当に数十年ぶりに泣いたからか、ひどく頭が痛い。
車窓の外瞬く星々の微かな明かりでさえ、眩しく感じられる。
こめかみを抑えて目を瞑った。
相変わらず鳴り響いている新世界がぐわんぐわんと鼓膜を揺らす。
うるさい。
あぁ、このまま眠ってしまいたいのに。
新世界の向こう側から雑音が流れ込んでくる。
大勢の人の声、車の音、叫ぶようにして何か言っている人の、聞き慣れたー…。
「…く…、あ…く、あき…くん!
翔!!!起きて!!!」
うっすらと目を開けるとまず視界に飛び込んできたのは、彼女の泣き腫らした顔だった。
「…名前…ちゃ…」
視線だけ横に動かすと、芝の上に自転車が転がっている。
あぁそうか、落車…。
レースは…もう、あかんか。
ぼんやりと澄み渡った空を見上げた。
ひんやりとした彼女の手が頬に添えられて、その体温の無さに、あぁ怖い思いをさせてしまったと、柄にもなく申し訳なく思う。
「あなたの名前は?」
「御堂筋…翔…」
「何歳?」
「35」
「今どこで、何してた?」
「ベルギー…レース中落車…」
「私の名前は?」
「…ハッ…苗字名前や。大丈夫、ちゃァんと覚え、とる」
彼女の質問のお陰か段々とはっきりしてきた頭で、気を失ってそんなに時間は経ってないな、とか、救急車待ちか、とか今の状況を推測する。
ふと気がつくと頬に添えられた手が小刻みに震えていて、その手に自分の手を重ねた。
「よかった…。よかったよぅ…」
「…泣かんといて。ボク涙は、嫌いやよ」
「ごめ…ん」
そう言って急いで片手で涙を拭って、見下ろしてきた瞳と目が合う。
あぁこの体の奥、魂まで見られているようなこの感じ。
「…ボクらなァ、別の世界でも一緒におったよ」
「え?何?」
「…ん…なんでもない。帰って来れてよかったわ」
あの子たちは帰れただろうか。
いやきっと大丈夫だろう。
帰るべき場所があるということ、それがきっと彼らを導いてくれる筈だ。
ボクが彼女の元へ帰って来られたように。
「不思議な夢を見とったわ」
「そうなんだ。帰ったら教えてよ」
「キミ笑うから、嫌や」
「笑わない、よ、多分」
「笑うやん」
「聞いてみなきゃわかんないじゃん」
「…癪やけど、石垣クンにも礼言わな」
「え、なんで?」
「ええやん、別になんでも」
END
