銀河鉄道の夜
12(完)

「あれ?マナミさんは?」
「アレは存外せっかちだからな。駅まで待てなかったのだろうよ」

御堂筋少年がキョロキョロと辺りを見渡しながら言うと、東堂がふんと鼻を鳴らした。

「オレはそろそろ降りるが、君たちの行き先は決まっているのか?」

東堂が身支度を整えながら聞いてきた。

再び3人で顔を見合わせる。

「その様子では決まっていないようだな。降り時を見失うなよ。
オレは車掌に挨拶してくる。ではな」

降り時。
そんなもの、どうやってわかるのだろうか。

「…アキラくんは、お家で待ってる人いる?」

少女がぽつりと呟くように聞いてきた。

待っている人は、いたはずだ。
帰りを待ってくれている人がいたように思う。
確かに。
でも、誰だ?ボクの帰りを待っているのは。

「…キミらは親御さんが心配してはるやろうね」

誤魔化すようにして言うと、2人はそれぞれに不安そうな顔で下を向いたり、窓の外を見たりと落ち着きなく身じろぎした。
まずいことを言ったと思い、慌てて付け加えるように口を開く。

「大丈夫や。帰りたいて強く願っとったら、いつか降り時がわかる筈や」

自分で自分の言葉を聞いて、はたと口を噤む。
なんでそんなことを言ったのか、自分でもよくわからない。
どうして。

「あ、そういえばな」

御堂筋少年のふと思い出したような声に、思考が遮られる。

「さっきな、ボクの母さんに似た女の人に会うてな。
ボク名前なんて言うん?って話しかけられて、翔です、言うたら、そうなん?おばちゃんの息子もアキラ言うんよ、って。
あきら、なんて名前どこにでもあるし、どうでもええかなって思たんやけど…ってアキラくん?」

母さんや、そう思った。
ぼたぼたと涙がとめどなく溢れてきて、いつの間にか開いていた車窓から吹き込む風が、雫をさらっていった。

「…ど、どこにおったん?その人」
「む、向こう」

少年が驚いた顔で見ている。

「ボクも、もう行くわ」
「えっ?!」

袖でグッと涙を拭って立ち上がると、2人が声を揃えて驚きの声を上げた。
そして一気に不安そうな怯えた表情になる。

「御堂筋翔」
「え、ハイ」

自分で自分の名前を誰かに呼びかけるなんて、変な感じだ。

「キミィがこの子守ったり。ええな?」
「で、でも…」
「大丈夫や、キミならどうにかできる。ボクの言うこと信じ」
「わ、わかった」
「元の場所に戻ったら、お母さん大事にするんやよ」
「そんなん、今までもずっと…」
「これからもっと、大切にするんや。ええな」
「うん…」
「頼むな」
「わかった」

俯いていた顔が徐々に上がってきて、最後はしっかりと目が合った。
その顔を見て、もう大丈夫となぜかほっと安心する。

「キミィは翔の傍にしっかりおるんやよ。
キミがおることが、この子の力になるんや」
「うん。わかった」

少女に向き合うと、じっとこちらを見る彼女と目を合わせた。
まるで魂を見られているような、変な感覚に陥る。

無理矢理視線を外して立ち上がった。

「ほなね。ボクは行く」

2人の子供の艶々と輝く瞳がこちらを見上げてくる。

「うん、さようなら」
「さようなら」

新世界交響楽が鳴り響いている。
音は段々と大きくなっているようだ。
サザンクロス駅が近い。
なぜか母さんはそこで降りるような気がした。

長い長い車両をひたすらに走った。
扉を開けては走り、扉を開けては走る。
列車の連結部分が危な気な音を出していても、そんなことどうでもよかった。

そしていよいよ最後の車両にやって来た。

整然と並ぶ赤い座席の列の1番前に、とてもとても懐かしい肩と後頭部が見える。

間違いない。

薄れて行く記憶を必死で繋ぎ止めようと、幾度その姿を、声を、頭の中で再生しただろう。
幽霊だっていいから会いたいと、何度願っただろう。
だから絶対に間違えるはずがない。

「か…さん」

声が掠れて出ない。

「かあ、さん」

唾を飲み込んで、やっと声を掛ける。

その人がゆっくりとこちらを振り向いた。

車両の端と端にいてもわかる。
やっぱり、そうだ。

「母さん!」

母さんは心底驚いた顔をしたけれど、今にも泣き出しそうな顔で笑った。

「翔、久しぶりやなぁ」

のんびりとした柔らかな声。
本当に焦がれたその声だった。
苦しくて、嬉しくて、悲しい。

ー次は、サザンクロス、サザンクロス。

あのセロのような不思議な声のアナウンスが流れてきた。

「かんにんなぁ、翔。母さんもう行くわ」
「待ってや!ボクも一緒に…」
「あかん。翔はまだや」

ピシャリと言った母さんの声に、うっとボクは身体が動かなくなる。

「ボク、話したいこと色々あんねん」
「母さんも、色々聞きたいわぁ、翔の話」
「絶対、また会いにくるから」
「うん、また会えるよ」

それまで前向いて精一杯走るんよ、翔。

最後にそう、声だけになって母さんはどこかに消えてしまった。

そしてボクは1人取り残された。

ドサリと近くにあった座席に倒れ込むように座る。
久しぶりに、本当に数十年ぶりに泣いたからか、ひどく頭が痛い。
車窓の外瞬く星々の微かな明かりでさえ、眩しく感じられる。

こめかみを抑えて目を瞑った。
相変わらず鳴り響いている新世界がぐわんぐわんと鼓膜を揺らす。

うるさい。
あぁ、このまま眠ってしまいたいのに。

新世界の向こう側から雑音が流れ込んでくる。
大勢の人の声、車の音、叫ぶようにして何か言っている人の、聞き慣れたー…。



「…く…、あ…く、あき…くん!
翔!!!起きて!!!」

うっすらと目を開けるとまず視界に飛び込んできたのは、彼女の泣き腫らした顔だった。

「…名前…ちゃ…」

視線だけ横に動かすと、芝の上に自転車が転がっている。

あぁそうか、落車…。
レースは…もう、あかんか。

ぼんやりと澄み渡った空を見上げた。

ひんやりとした彼女の手が頬に添えられて、その体温の無さに、あぁ怖い思いをさせてしまったと、柄にもなく申し訳なく思う。

「あなたの名前は?」
「御堂筋…翔…」
「何歳?」
「35」
「今どこで、何してた?」
「ベルギー…レース中落車…」
「私の名前は?」
「…ハッ…苗字名前や。大丈夫、ちゃァんと覚え、とる」

彼女の質問のお陰か段々とはっきりしてきた頭で、気を失ってそんなに時間は経ってないな、とか、救急車待ちか、とか今の状況を推測する。
ふと気がつくと頬に添えられた手が小刻みに震えていて、その手に自分の手を重ねた。

「よかった…。よかったよぅ…」
「…泣かんといて。ボク涙は、嫌いやよ」
「ごめ…ん」

そう言って急いで片手で涙を拭って、見下ろしてきた瞳と目が合う。
あぁこの体の奥、魂まで見られているようなこの感じ。

「…ボクらなァ、別の世界でも一緒におったよ」
「え?何?」
「…ん…なんでもない。帰って来れてよかったわ」

あの子たちは帰れただろうか。
いやきっと大丈夫だろう。
帰るべき場所があるということ、それがきっと彼らを導いてくれる筈だ。
ボクが彼女の元へ帰って来られたように。

「不思議な夢を見とったわ」
「そうなんだ。帰ったら教えてよ」
「キミ笑うから、嫌や」
「笑わない、よ、多分」
「笑うやん」
「聞いてみなきゃわかんないじゃん」
「…癪やけど、石垣クンにも礼言わな」
「え、なんで?」
「ええやん、別になんでも」




END
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