となりの、平子さん
お隣にすごい人が引っ越してきた。
ある日家に帰るとお隣の庭が緑で溢れていた。
目を見張っていると、にゅっと部屋から出てきたのは、金髪おかっぱのとてつもないイケメン。
唖然としている私に気がついて、こんばんはァ、と緩く笑ったその舌先にはピアスがちらりと覗く。
こっわ!
最初に彼に抱いた感想である。
そんな彼と何度も顔を合わせているうちに、なんだか不思議な距離感の間柄になって暫く経つ。
「何飲んどるん?」
「これ」
庭の柵越しに日本酒のラベルを見せると、おぉええ酒やん、と関西訛りで喋る彼は平子さんという。
アパートの1階部分の私達の部屋にはそれぞれ専用の庭がついている。
4部屋しかないこの小さなアパートにおいて、私の隣人はこの平子さんだけだ。
夜、この時間帯になると彼はいつも庭に出てきて煙草を吸う。
私も庭で晩酌をするのが日課だ。
最初こそ威圧的なそのオーラに怯んで若干の恐怖感を抱いたが、話してみればなんてことはない案外常識人の気のいい兄ちゃんだった。
そんな平子さんに、このご時世に女のひとり暮らしで1階に住んでいておまけに庭がついていて、隣人との間に目隠しもたてようとしないという不用心の極みに呆れられたのは言うまでもない。(そりゃ私だってお隣から何か攻撃でもされれば何か策を講じたけど、結果平子さんはいい人だったわけだし…と億劫で何もしなかった自分を正当化してみる)
そんな訳で、色々と心配してくれるようになった平子さんは、時折私を見かけると声を掛けてくれる。
私は暇があれば庭に出る。
油断すればすぐに荒れていくからだ。
庭は綺麗に手入れをして、プランターで野菜を育てたりなんかして細やかな趣味の広場と化している。
一方、平子さんの庭もやはり綺麗に手入れされている。
私の所と違うのは、小さなビニールハウスが1つと見たこともない変な植物が幾つも置いてあること。
最初はその怪しさから、非合法な何かを育てているのではと警戒したりもしたがそうではないらしい。
「見てやコレ。
最近仕入れてんけど、このフォルムかわええやろ」
平子さんはクスクスと笑って楽しそうに下に目線を落とす。
私も目線を追って平子さんの庭を覗き込むと、なんとも珍妙な姿をした植物(木?異様に幹の部分膨らんでいて、ひょんひょんと緑の細い葉が伸びている)が、本来であれば盆栽を乗せるような棚に置かれている。
彼の仕事はグリーンコーディネーターだと前に教えてもらった。
聞き慣れないその職業に?マークを浮かべた私に、まぁ自称やけどな、と付け足す。
聞けばその仕事は、様々な植物をクライアントの希望する空間に合うように選んで配置し、必要であれば手入れをするという仕事なのだそうだ。
そして平子さんの得意分野は、ちょっと変わった植物たち。
市場にあまり出回らないような珍妙な見た目の物を探してきては、クライアントに提案しているのだという。
イロモンが好きやねん、と言ってニヤリと笑った顔がどこか妖艶でドキドキしてしまったことは内緒だ。
「平子さんもどうですか?」
「お、ええんか?」
1人で飲んでもアレなんで、という私に、ラッキー!じゃお言葉に甘えて、と平子さんは嬉しそうに差し出したグラスを受け取る。
「乾杯」
「おう、おつかれ」
杯を傾けて夜空を仰ぐと、青白い月が浮かんでいる。
今夜は大きな満月だ。
スーパームーンというやつらしい。
「平子さん、月が綺麗ですよ」
「…せやな。手が届きそうや」
いつもと違う雰囲気を感じで平子さんを見る。
月明かりに照らされた平子さんは、なぜかひどく狼狽えているように見えた。
「どうしたんですか?」
「チッ…天然かい」
アホらし、と呟いて平子さんが酒を飲み干した。
もう一杯どうですか?と聞くと、いやええわ、ごっそさん、とグラスを返してきた。
「俺、部屋戻るわ。お前もあんまり長々外おったら風邪ひくで」
「えぇ、もう戻っちゃうんですか?」
いつもよりも早くその場から退散しようとするその背中に声を掛けると、首だけで振り向いて平子さんがニィっと笑った。
「まぁ、綺麗な月が見れてよかったわ」
1人その場に残った私は上気した頬に、冷たいグラスを押し付けた。
ハーフパンツから覗く白い足が月明かりで青白く浮かんでいる。
今のやりとりの意味を知らないわけじゃない。
平子さんも多分知ってる。
ゆらゆらと曖昧なやりとりをまだ楽しんでいたいって思う私はワガママでしょうか。
「平子さんと見る月が綺麗、なんてね」
網戸の傍で口を押さえてしゃがみ込む。
彼女の独り言は多分、彼女が思っているよりも聞こえていることを彼女は知らない。
なにせ庭で鼻歌を歌っているその声で、俺はいつも煙草を吸う振りをして庭に出るのだから。
ちゃんと伝わっとるやないか、ボケェ。
ぺたりと床に座り込んで部屋にぶら下がる多肉植物をぼんやりと眺める。
次はどんな手でいこうか。
とりあえず“お隣さん”から脱却すべく今日も今日とて画策してみる。
取り出して火をつけた煙草の煙が、ゆらゆらと立ち上って裸の電球の灯りに揺れた。
fin