となりの、手嶋くん



手嶋くんは、私とは真反対の部類の人間だ。

優しくて、努力家で、気遣いができて、色々なことをそつなくこなす。
彼を見ていると、どうして私はこうなれなかったんだろうと苦しくなる。
3年間同じクラスだった手嶋くんに今頃こんなことを思うようになったのは、3年最後の席替えで彼と隣の席になってからだ。
3年になってからペア学習の割合が多くなったのも、要因の一つだと思う。

「わりぃ、またあぶれちまった。オレと組んでくれないか?」

顔の前でパンと手を合わせて、拝むようなポーズで懇願する手嶋くんを見上げた。

気配りのできる彼は今日も今日とて、3年も高校に通ってどのクラスでも馴染む努力をせず、いつも微妙に浮いている私に声をかける。

そんなはずはないのに、だ。
彼の周りにはいつも友達がいて、笑いが絶えなくて、クラスの中には彼のことを好きな女の子だっているのに。

「私なんかと組んでていいの?」

クラスメイトが各場所へ散っていく中、移動の準備をしながら不意にそんなことを口走る。
もう何度目かのペア決めの度、何も言わずに誘われるがまま手嶋くんの言葉に甘えていられたのに、今日の私はどうしてこんなことを聞いてしまったんだろう。

手嶋くんはただ、隣の席の私が1人浮くことを、きっと可哀想に思ってくれているだけだろうに。
どうしてこんなに、苦しいんだろう。

得体の知れないものが胸いっぱいに広がっていくのを感じながら、言葉を探しているように迷った様子で何も言ってくれない手嶋くんを見るのにも飽きて、机に放り出されているシャーペンの芯をしまった。



「…オレは、苗字とがいいんだよ」



椅子が床を擦る音、遠ざかっていく笑い声、教室の扉が閉まる音の隙間を縫って届いた、手嶋くんの控えめな声に思わず顔を上げて、私は目を見張った。

周囲はいつの間にか静かになって、先ほどまでの騒々しい人の気配がなくなっている。

耳まで本当に真っ赤になって、握った拳を口に当てて斜め下を見る手嶋くんが無機質な教室で唯一鮮やかだ。



「何やってんだ、お前ら。さっさと始めろー」



突然廊下からかけられた声に、2人してびくりと肩を揺らした。
一瞬止まっていた時間が、動き出す。

「…っ!はぁい!」

手嶋くんが先生に返事を返してくれて、私も慌ててノートや筆箱をまとめた。
手嶋くんも自分の荷物を抱えて、私の先を歩く。

「ハハ、かっこ悪りぃ、オレ」

こんなふうに言うつもりじゃなかったんだけどな、と手嶋くんが困ったように笑う。
一緒に教室を出て廊下を並んで歩きながら、胸元に抱いた荷物を握りしめた。
チラリと横顔を盗み見ても、綺麗なウェーブのかかった髪が揺れるだけで表情は見えない。

「なんか、テンパっちまった。わりぃ、急に」
「…いや、うん。びっくり、したけど」
「だよなー」

アハハと明るく笑うだけで、手嶋くんはさっきの言葉を訂正も誤魔化しもしない。
あの言葉をどう私は受け止めたらいいんだろう。

「びっくりしたのは、手嶋くんでも、慌てたり、狼狽えたりするんだと思って」

沈黙が気まずくて精一杯絞り出した言葉が、出してしまった後であまりに失礼だとすぐに後悔する。
いつもこうだ。
思ったことをそのまま口に出してしまう悪い癖。
だから、人と深く関わりたくないんだ。
傷つけたく無い人を、言葉一つで傷つけてしまうから。

「ごめん」
「なんで謝るんだ?
 オレ苗字のそういう素直で嘘がないとこ、好きだぜ。
 信頼がおけるっつーか、安心する」

胸元に落としていた視線を上げると、手嶋くんの視線とぶつかる。
たまに見せる、すごく優しい笑顔だ。

「オレさぁ、どう見られてるか知らないけど、すげー余裕ないよ」

2人分の足音が廊下に静かに響いて、手嶋くんの呟きがぽつりぽつりと浮かんでいく。

「それに、狡いんだ。
 苗字がクラスの奴らの輪に入ろうとしないのをいいことに、こうやって理由つけて隣に居ようとしてる。
 勿論、無理に輪に入れるようなこと、望んでないの知ってるからやらないんだけどさ。
 でもさ、心のどっかで、苗字の良いところオレだけが知ってる嬉しさとか、他の奴らにはそういうの知られたくないって思いがあったりするんだ」

ごめんって言わないといけないのはオレの方なんだわ、と申し訳なさそうに笑って言って、手嶋くんは前髪をクシャりと握った。

「あーだから、結局何が言いたいかというと…」

目的の場所である資料室の少し手前で手嶋くんが立ち止まり、つられて私も立ち止まる。
くるりと振り返った手嶋くんが真剣な目をしている。



「そもそも余裕がないオレが、更に余裕がなくなるくらい、苗字のことが好きなんだ」



その言葉に私は息を呑む。

ちゃんと伝わったか?と、不安げに顔を覗き込む手嶋くんの顔をまともに見れず、コクコクと頷くので精一杯だ。

「良かった。オレ結構今までもさり気なく伝えてきてたつもりだったけど、やっぱり苗字にはちゃんと言葉にして伝えないと、伝わんねーだろうなと思ったからさ」

はー緊張した、と言いながら資料室のドアを開けて、どうぞお嬢さん、と戯けながら促してくれる。

「返事は気が向いたらで良いから」

通りすがり際、そっと囁くように言ってくれたその気遣いの一言が、やっぱり手嶋くんだなと思う。

今日知った彼の一面を、自分だけのものにしておきたいと思うこの気持ちは、きっと私も。


fin

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